知的障がいの兄のこと ① 出生時 | はとみのいとま日記 ぶきっちょくらし。

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知的障がいの兄と暮らすぶきっちょアラフォー。

何気ない日々が一番幸せ。日常を綴っていきます。

〜100歳を越え旅立った最愛の祖母との生活の忘備録として始めたブログですが、亡き今は日常をゆるりと書き留めたいと思います〜

 

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はとみと申します。

育ての親である105歳の祖母と暮らす

こじらせアラフォーですニコニコ

 

備忘録として日常や過去のことを

綴っています

 

まだまだ始めたばかりですが

よろしくお願いします気づき

 

 

 

 

 

今回からは兄の事を少し書いていこうと思いますジンジャーブレッドマン

 

 

 

私には、知的障がいをもつ、一つ年上の兄がいます。

 

 

先天性のものではなく、後天性のもので

 

 

当時の話を聞くと

 

 

「医療ミス」「医師の判断ミス」に当たるんじゃないかなと思っています。

 

 

 

と言っても、兄の産まれた時の事を知る人は、今は叔母だけ。

 

 

その叔母も当事者ではないですし、真実を知る両親はもういないので

 

 

私が過去に聞いた事を書いていきたいと思います。

 

 

 

 

                                           

 

某年5月、

 

 

兄は小さな個人病院で産まれました。

 

 

 

まだ肌寒い・冬の様に寒くはないけれど朝晩は冷える。

 

そんな時期に2500gに満たない体重で産まれました。

 

 

 

あともう少し重かったら未熟児ではなかった。微妙なラインの出生体重。

 

 

 

医師は

″保育器に入れなくても大丈夫だろう″

と判断したそうです。

 

 

 

そして、産まれた翌朝

 

 

兄の体は真っ黒になっていたそうです。

 

 

そして、その時、医師は

 

 

旅行中真顔

 

 

 

父親は、車で2時間近くかかる大学病院

 

 

自家用車で兄を連れていったそうです。

 

 

 

 

今考えると、

 

なぜ救急車ではなく自家用車?

 

真っ黒って何?

看護師さんは見回りはしなかったの?

なぜ朝まで誰も気づかなかったの?

 

 

と、疑問だらけですが

 

 

小さい頃か学生時代か…

いつの間にか聞き知っていた事なので

 

 

 

そんな大変な事があったんだ‥

 

 

と、聞いていたのを,覚えています。

 

 

 

 

 

続きますにっこり

 

 

 

 

 

はぁちゃんphotoカメラ

 

 

お昼寝中ジンジャーブレッドマン少しお行儀の悪い祖母

 

 

 

 

 

 


 

 

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