あらすじ 
人生100年時代だが、健康寿命の平均は男性72歳、女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多い。「80歳の壁」は高く厚いが、壁を超える最強の方法がある。それは、嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること。「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」等々、思わず膝を打つヒントが満載。70代とはまるで違って、一つ一つの選択が命に直結する80歳からの人生。ラクして壁を超えて寿命を伸ばす「正解」を教えます!

ひと言

TVのモーニングショーでこの本のことが取り上げられ、読んでみたいと速攻で図書館に予約を入れました。読み進めていくうちに付箋だらけになり、後でこのブログにまとめるのに苦労しました。もう(まだ)60歳の壁を超えましたが、この本で得られた知恵を参考に、残りの人生を有意義に過ごしたいと思いました。それからいつも小説ばかりを読んでいますが、新書も もっと読まなくちゃという思いにもなりました。

 

 

 


本人は自覚していないにもかかわらず、体の中に大きな病巣があり、それ以外の病気が原因で亡くなっていた、という例が少なくありません。つまり、最後まで気づかない病気もある、ということです。ガンもその一つです。85歳を過ぎた方のご遺体を解剖すると、ほとんどの人の体にガンが見つかります。つまり、幸齢者になれば誰の体にもガンがある、ということです。世間の常識では「ガンは死に至る病で、早期発見・早期治療をすべき」とされていますが、じつは、それだけとは限らない。本人が気づかないガンもあるし、生活に支障のないガンもあるのだと、教えてくれているわけです。
(プロローグ 80歳の壁を超えていく)

つまり、認知症は病気というより「老化現象」に近いものであり、年を取ると誰にでも起こる症状、というわけです。筋力が衰えて運動ができなくなったり、肌にシワができたり白髪になったりするのと、同じことなのです。
「認知症の発症年齢」のデータを見ても、それは明らかです。60代での発症はわずか1~2%ですが、70代前半では3~4%になります。70代後半で10%、80代前半には20%を超えます。ここからは一気に増えます。80代後半に40%、90歳で60%、95歳では80%の人が認知症になるのです。「死ぬまで認知症にならなかった」という人もいますが、それは認知症になる前に亡くなっただけのこと。もう少し長生きしていたら発症していたことでしょう。そうした事実から導かれる正解は、やはりこれしかありません。いまのうちに、どんどん好きなことをして、楽しく生きること――。代わり映えのしないつまらない生活をしていると、脳の働きは鈍ります。また、ストレスの多い生活によっても脳はダメージを受けます。反対に、新しいことや好きなことをすると、脳は刺激を受け、活性化します。これによって認知症の発症を遅らせることは可能だと考えられます。
(プロローグ 80歳の壁を超えていく)

高齢者診療の基本がわかっていない医師や、患者さんを観察していない医師にとっては、検査の数値が頼りです。薬を処方して正常値にすることが健康だと考えているわけです。このような治療が、体にダメージを与えることは明白です。
(第1章 医者・薬・病院の壁を超えていく)

循環器内科の医師は幸齢者に「コレステロール値を下げよ」と指導します。動脈硬化になりやすく、心筋梗塞や脳梗塞で死ぬ人が増えるからです。しかしコレステロール値を下げれば、免疫機能が低下してしまうのです。するとガンが進行したり、感染症にかかりやすくなったりします。つまり、血管系の疾患で死ぬ人は減ったけど、ガンや肺炎で死ぬ人が増えた、ということが起こるのです。
事実「コレステロール値が高めの人のほうが長生きできる」という調査結果は多数ありますが、その逆はほとんどありません。年を取れば、臓器の機能は全体的に低下します。ある臓器だけの治療をしても、ほかの面に支障が出てしまうことは少なくありません。「その臓器はよくなったけど、トータルでは不健康になった」ということが、往々にして起こるのです。……。……。では、なぜ医師は、血圧や血糖値やコレステロール値を下げようとするのか? 答えは、アメリカ型の医療原則を適用しているからです。アメリカ人の死因の第1位は心筋梗塞で、血圧や血糖値やコレステロール値を下げることが長寿につながります。ところが日本人の死因の第1位はガンであり、アメリカとは事情も病気の構造も違っています。それなのに、わざわざアメリカ型を取り入れている。これもおかしな話だと思いませんか? しかし、それが日本の医療の現状なのです。
コレステロールについても、さらにお話ししておきたいことがあります。コレステロール値を下げると、それを材料にしてつくられる男性ホルモンも減ってしまいます。男性ホルモンは心身の健康の維持に必要不可欠な成分で、これが減少すると、元気や意欲がなくなってしまいます。筋力が低下したり、感情が不安定になったりもします。男性ホルモンと聞くと、性的な面ばかりがクローズアップされますが、人間が若々しく、元気でいるためには、とても大事なものなのです。
つまり、血圧や血糖値、コレステロール値を下げることは、動脈硬化には効果的ですが、活力が奪われたり、ガンのリスクが高まったりするわけです。元気のない幸齢者になるか、薬を飲まずにいまの生活を続けるか――。血圧、血糖値、コレステロール値を下げる薬を飲むということは、生活の質を下げながら生きる選択かもしれないのです。
(第1章 医者・薬・病院の壁を超えていく)

「なってから医療」という点では私は、幸齢になればガンの治療の必要はないと考えています。仮に、いま私にガンが見つかってもそれが痛みのもとになったり、食道などの通過障害のもとにならない限り切りません。ガンは一つの細胞がガン化して始まり、少しずつ大きくなっていきます。1センチ大の腫瘍になるまでは、10年くらいかかると言われています。転移するガンの場合は、その10年の間に、間違いなく転移しています。「1センチで見つかったからラッキー」ではなく、そのときにはどこかに転移しているはずなのですが、小さくて見つけられないだけです。「ガンが3年後に再発した」というのは、ガンを取り切れなかったのではなく、切ったときにはすでに転移しており、それが大きくなったのです。私がガンを切らないと決めているのは、こうした理由です。
特に、80歳を過ぎるような幸齢者は、手術の必要はないと思います。年を取れば取るほど、ガンの進行が遅くなり、転移もしにくくなるからです。それならば、何もせず、放っておけばいい、というのが私の考えです。実はその何年も前から見つからなかっただけで、ガンを抱えた状態で生きてきたのですから。そして、今後も少しずつ悪くなっていくでしょうが、一気に悪くなるとは考えにくいからです。
(第1章 医者・薬・病院の壁を超えていく)

本題とは離れるのですが、もう一つ興味深い話をしておきましよう。現代医学では一般に、糖尿病の人はアルツハイマー型の認知症になりやすいと言われています。しかし、これは大いに疑問で、私が信じている説はこうです。糖尿病の治療が、アルツハイマーを生んでいる――。私が勤めていた浴風会病院では「糖尿病の人とそれ以外の人では生存曲線は変わらない」ということがわかっていたため、「高齢者の糖尿病は積極的に治療しない」という方針をとっていました。すると「糖尿病の人のほうがアルツハイマーになりにくい」ということが次第にわかってきました。浴風会で3年間に行われたご遺体の剖検では、糖尿病でない人のほうが、糖尿病の人の3倍の確率でアルツハイマー型認知症になっていました。……。

糖尿病は血糖値をコントロールできなくなる病気のため、薬やインシュリンの力を借りて制御します。ところが、正常レベルまで戻してしまうと低血糖となり、脳に糖分がいかない時間帯ができてしまいます。これは脳にとっては大きなダメ ージで、アルツハイマーを進める一因となる、というのが私の仮説です。
(第1章 医者・薬・病院の壁を超えていく)

ちょっと話は変わりますが、たとえば多くの人は「ガンになりたくない」と言いますが、そこには「痛いんでしょ」とか「苦しいんでしょ」という不安があるからです。でも、ガンの専門医に聞くと、たしかに痛いガンも苦しいガンもあるけれど圧倒的に少数だと。通常は、痛くも苦しくもないから、手遅れになるまで気づかない。だから、ガンというのは割と楽な死に方だと言います。もちろん、骨に転移したり神経に障ったりなど、痛いガンや苦しいガンもありますが、そんなときこそ痛みを和らげる薬に頼ればいい。そのように考えると、「死」そのものへの恐怖は薄れてくるかもしれません。自分がこの世から消えてしまうことへの寂しさや不安は当然あるでしょう。しかしそれはすべての人、すべての生物に等しく訪れる自然現象です。
(第3章 ボケ・認知症の壁を超えていく)

すべての薬をやめよとは言いませんが、少なくとも「検査の数値が悪いから」と出された薬は、80歳を過ぎたら見直したほうがいい。医師が言う正常値にこだわる必要はありません。毎日の活動レベルを落とさない程度の薬にとどめましょう。もしも薬を飲んで「調子が悪い」と感じるなら、我慢して飲むことはありません。
(第4章 高い壁を低くするヒント 50音カルタ)

19世紀のアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉で、この章を締めくくります。
楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ――。
人間の脳と行動はつながっています。悲しいことを考えると悲しい顔になるし、難しいことを考えるとしかめ面になります。楽しいときは笑顔になります。でも、じつはこれと逆のことも起こります。最初に笑ってしまえば、脳は楽しくなり、楽しいことを考え始めるのです。毎朝、鏡を見て笑顔をつくってみませんか。一日がハッピーな気分で始まると思いますよ。
(第4章 高い壁を低くするヒント 50音カルタ)

 

今日のお昼は「肉のはせ川 名古屋浜田店」です。はせ川Beef100%ハンバーグ255g ガーリックソース ライス・スープ付おかわり自由(1309円)をいただきます。1枚85gのハンバーグは2~4枚、ソースもガーリックとオニオンが選べます。卓上にガーリックフレークもあり、ハンバーグにふりかけていただくと、またおいしくなり、おかげでライスもおかわりしてしまいました。もうお腹いっぱい、満足満足。ごちそうさまでした。

 

肉のはせ川 名古屋浜田店

名古屋市南区浜田町2

 

 

今朝は7時過ぎに評判のパン屋さん「パン屋 SUNtoF」にお昼用のパンを買いに立ち寄りました。牛肉カレーパンNo1(220円)クロワッサンNo1(180円)金のメロンパン(160円)金のクリームパン(160円)をいただきます。購入した4つのパンすべてがとてもおいしいです♪。特筆すべきは金のクリームパン。今までクリームパンと言えば間違いなく「大須ベーカリー」のクリームパンが一番おいしいと思っていたのですが、「んっ、なにこれ、すごくおいしい♪」感動もののおいしさです。他の3つもとてもおいしく、何よりとてもお値打ちです。とてもいいパン屋さんを見つけてとてもうれしい気分になりました。ごちそうさまでした♪♪♪。

 

パン屋 SUNtoF (サントエフ)

名古屋市港区茶屋2

 

 

今日はハンバーグが食べたいなぁ ということでハンバーグがおいしいと評判の「なるみ」へお昼を食べに行きました。Wチーズ粗挽きビーフハンバーグステーキ定食(1170円)をいただきます。まるまるで分厚くでかいハンバーグで260gもあるとのこと。最近主流の肉汁が溢れるようなハンバーグではなく肉肉しくて懐かしい味のハンバーグです。付け合わせのコーンやポテトもたっぷりでお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした♪。

 

なるみ

名古屋市緑区潮見が丘1

 

昨日放送の「坂上&指原のつぶれない店」で紹介された「ポンパドウル」。ぼる塾の田辺さんが開発に携わった5種のスパイスとパインの白あんぱん(294円)がJR高島屋の地下2階のお店で運よく買うことができました♪。

 

 

お味は今まで食べたことがないようなあんぱんでスパイスとパイナップルがとてもいいアクセントになって美味しかったです。他にもポンパドウルと言えばチーズバタール(648円)と横須賀海軍カレーパン(237円)もいただきました。ごちそうさまでした♪。

 

ポンパドウル 名古屋店

名古屋市中村区名駅1 JR名古屋タカシマヤ B2F

 

 

今日のお昼は、円頓寺商店街の「オマール海老つけ麺 麺和 名古屋本店」です。冷やしオマール海老つけ麺 大盛(1100円)をいただきます。オマール海老の濃厚なつけ汁がとてもおいしいです♪。別皿に盛られた山わさびをつけていただくと味がしまってまたおいしいです。開店当時は濃厚オマール海老のトリュフつけ麺というのが売りでトリュフがついていたのですが、なかなか行けなかった間にトリュフがなくなってしまい少し残念、食べてみたかったなぁ。でもとてもおいしいつけ麺でした。ごちそうさまでした♪。

 

オマール海老つけ麺 麺和 名古屋本店

名古屋市西区那古野1

 

 

昨日は、柳橋中央市場内にある「魚介つけ麺 うねり」へお昼を食べに行きました。お店おすすめの 魚介つけ麺・海鮮盛り(1000円)をいただきます。グツグツ煮立ったつけ汁、盛られた麺の上の具は、ホタテ、エビ、これは鱧(はも)?おーっ蠣(カキ)まである。うーんおいしい♪。結構量も多くお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした♪。

 

魚介つけ麺 うねり

名古屋市中村区名駅4 マルナカ食品ビル内

 

あらすじ

1938年10月1日。外務書記生・棚倉慎はポーランドの日本大使館に着任。ナチス・ドイツが周辺国へ侵攻の姿勢を見せ、緊張が高まる中、慎はかつて日本を経由し祖国へ帰ったポーランド孤児たちが作った極東青年会と協力、戦争回避に向け奔走する。だが、戦争は勃発、幼き日のポーランド人との思い出を胸に抱く慎は、とある決意を固め…。
(2017年 第4回 高校生直木賞受賞)


ひと言
2月24日のプーチンのウクライナの侵略から明日でちょうど5か月になる。プーチンの蛮行になす術もない西側諸国(NATO)と国連(安保理)そして日本。つい最近 図書館でこの本を見つけました。ドイツとロシア(ベラルーシ)に挟まれ歴史に翻弄され続けた国ポーランド。ポーランド南部にあるアウシュヴィッツ、そこでのホロコーストについては少しは知っていたのですが、恥ずかしながらワルシャワ蜂起については知りませんでした。この本は高校生直木賞に選ばれた作品で、今だからこそ多くの人に読んでもらいたいと思いました。
ちなみにワルシャワ蜂起をネットで調べると、第二次世界大戦中の1944年8月1日から10月2日にかけて行われたポーランド人の反乱である。しかし支援するはずの米英とソ連が連携するどころか足を引っ張りまくったため、ドイツ軍に鎮圧されて失敗。犠牲者を大量に出すだけで終わった。とありました。


「ああ。最も美しいのは紅葉の季節だが、桜の季節も格別だ」「日本人は本当に桜が好きですね。楡を見てまで、桜だと思うなんて。国花だそうですが、なぜそんなに好きなんでしょう」「古来の死生観に合致するからね。それを言うなら、なぜ君たちは柳が好きなんだ?」池の近くには、枝垂れ柳が深緑の葉をやわらかく揺らしている。「柳ですか」つられて柳に視線を向けたヤンは、首を傾げた。「祖国を遠く離れたポーランド人が、祖国の光景としてまっさきに思い浮かべるのが、柳だと聞いた。ワジェンキ公園のショパン像も、柳の下にいるだろう」一九二六年につくられたというショパン像を最初に見た時は、ショパンが天使の翼に守られていると思った。が、大きな翼に見えたものは、じつは風に吹かれる柳の枝葉だった。ショパンは大きな柳の下で物思いに耽るのを好んだという。ウィーンで蜂起の知らせを聞いた時も、やはり柳の下で、祖国に思いを馳せることもあっただろう。「改めて訊かれると、なぜなんでしょうね。美しいですが、墓石の意匠にもよく使われますし、不吉な印象もあるのに」「まさにそこなんじゃないかな」慎の返答に、ヤンは怪訝そうな顔をした。「君たちが柳をことに愛すると聞いて、桜を愛する日本と似ているなと思ったんだ。そういえばナポレオンも、セント・ヘレナ島では柳の下で瞑想するのを好み、死後はその柳の下に埋められたそうだね」「よくご存じですね」「全て父の受け売りだよ。桜も死を想像させる花だ。だがどちらも、暗い印象はないだろう。昔から墓地の象徴である糸杉と比べると、明るくやさしい印象だ。死の重々しさよりも、悼む心や感傷の美しさを際立たせる」
(第二章 柳と桜)

「だからこそ、慎がポーランドという国に行くことを、私はうれしく思う。ロシアとドイツ、オーストリア、周囲の強国に食い荒らされ、地図から消えたことのある国。そうした国から見える世界は、今まで我々が見てきたものとはまるでちがうことだろう。そしておそらくは、それこそが、最も正直な世界の姿なのだと思う」「最も正直な世界、ですか」「人が歩んだ歴史は一つだが、その姿は見る者の数だけ存在する。基本的に歴史は強国によって語られる。呑みこんだ敗者について思いを巡らせる者はあまりいない。呑みこまれた当事者以外はね。そしてその当事者だけが、イデオロギーや利害に関係がない、最も素直な世界を見ることができる」
(第三章 開戦)

一九四三年九月現在、戦況は日本にとって好調とはとうてい言えなかった。前年六月のミッドウェーでの大敗以来、舞いこんでくるのは厳しい情報ばかりだ。今年一月の、ニューギニアのブナでの戦闘を皮切りに、全滅の知らせが相次いでいる。まだ国民には伏せられている事実も多いが、今年五月のアッツ島での全滅は報じられたようだ。玉砕、と大本営は言っていた。全滅ではなく、玉砕。玉となり砕けたと。敗北を、まるで華々しく、美しいもののように。
(第六章 バルカン・ルート)

国を愛する心は、上から植えつけられるものでは断じてない。まして、他国や他の民族への憎悪を糧に培われるものであってはならない。人が持つあらゆる善き感情と同じように、思いやることから始まるのだ。そして信頼と尊敬で、培われていくものなのだ。
(第六章 バルカン・ルート)


レイは怒りをこめて吐き捨てた。「ドイツが負ければ、アウシュヴィッツやトレブリンカの惨状はおのずと明らかになる。だが、このワルシャワ蜂起は、戦争が終われば、なかったことにされるか、事実を極端にねじ曲げられるかのどちらかだ」レイの言葉に、慎は険しい顔で頷いた。イエジにポーランドから出ろと命じられた時、反発したくともできなかった最大の理由がそこだ。ワルシャワ蜂起は、失敗した時点で歴史の闇に葬り去られる可能性がきわめて高い。もしくは、ソ連の美談に利用されるだろう。ソ連軍はいまだ、ヴィスワ川のむこうからいっこうに動く気配はない。彼らはドイツとポーランド、双方が潰し合ってからワルシャワを手に入れるつもりなのだ。そうなれば、AKは確実に解体される。むしろ、安易な英雄思想で多数の市民を犠牲にしたとしてAKを戦犯にしたてあげて処分し、赤軍支配のための人柱にするだろう。蜂起を促したのはモスクワ放送という事実は、都合よく消し去られる。カティンの森のように。ロシア人はそういうことに、とくに長けている。
ドイツ人には憎悪を抱き、ロシア人には嫌悪を感じる。ポーランド人に本能のように染みついたこの感覚を、ドイツ人もロシア人もよく承知している。ソ連は最初から、ポーランドを信用していない。ドイツ同様、たいらげる相手としか認識していないのだ。ワルシャワを自分たちの手に取り戻すために戦った者たちの奮闘は、きっと恥ずべき歴史として封印されてしまう。そのかわり、ソ連の赤軍こそが輝かしきワルシャワの解放者として、称揚されるようになるのだ。
(第七章 革命のエチュード)

 

あらすじ
遥か昔、神郷からもたらされたという奇跡の稲、オアレ稲。ウマール人はこの稲をもちいて帝国を作り上げた。この奇跡の稲をもたらし、香りで万象を知るという活神〈香君〉の庇護のもと、帝国は発展を続けてきたが、あるとき、オアレ稲に虫害が発生してしまう。時を同じくして、ひとりの少女が帝都にやってきた。人並外れた嗅覚をもつ少女アイシャは、やがて、オアレ稲に秘められた謎と向き合っていくことになる。「飢えの雲、天を覆い、地は枯れ果て、人の口に入るものなし」――かつて皇祖が口にしたというその言葉が現実のものとなり、次々と災いの連鎖が起きていくなかで、アイシャは、仲間たちとともに、必死に飢餓を回避しようとするのだが……。オアレ稲の呼び声、それに応えて飛来するもの。異郷から風が吹くとき、アイシャたちの運命は大きく動きはじめる。


ひと言
上下に分かれた作品で、長いわりに中だるみせずに読むことができました。読んでいて「風の谷のナウシカ」のような自然との共存を強く感じる作品でした。

マシュウの言葉を聞くうちに、ふと遠い記憶が甦ってきて、アイシャは目を細めた。(白き岩の道、深くひび割れ、谷の底に、緑の川……)子どもの頃、山頂祈禱を達成して帰って来た〈幽谷ノ民(マキシ)〉の若者から聞いた話を思い出し、アイシャは思わずつぶやいた。「……大崩渓谷(トオウラ・イラ)みたい」目を上げて、マシュウは微笑んだ。「初めて読んだとき、おれも身に震えが走った。ダドウラは、ひび割れた餅(ドウラ・ウラ)の古語だ。オアレ稲を作れるようになって、餅を食べていたアミル=カシュガが、大崩渓谷を取り巻く山の高みにある、あの白くひび割れた岩道の様を曽孫に語るとき、ダドウラと表現したとしてもおかしくはない」マシュウは、冷めてしまったお茶を一口飲んだ。
「大崩渓谷は帝都の西だが、英雄譚では、アライルとアミルは東に向かったことになっている。おれは何年もかけて、様々な機会を捉えては、皇祖の英雄譚に描かれた東の地を旅してまわったが、この描写に合うような渓谷には出会えなかった。おれの父も、多分、同じことをしたのだと思う。おれよりも長い年月をかけて。そして、ひとつの結論に達したのだろう」マシュウは、アイシャを見つめた。「神郷オアレマヅラは、帝都の東ではなく西にある。英雄譚に描かれている旅の描写は、神郷へ至る道を隠すために描かれた虚構で、アミル=カシュガは自分の老いを自覚しかとき、後世のために、真実の欠片を残すことを思い立ち、曽孫にこの『旅記』を書かせたのだ、と」アイシャは、あ、と、声を上げた。「だから……だから、お父さまは大崩渓谷を訪れて、それで……」マシュウはうなずいた。「そうだ。だから、父は大崩渓谷に来たのだ。そして、母と出会い、おれが生まれた」
(第三章 異郷から来た者 六、『旅記』)


息を飲んで、アイシャはマシュウを見つめた。「父の仮説は、こうだ。遥かむかし、冷夏などで、大崩渓谷に暮らしていた人々は飢餓の恐怖に晒された。そのとき、偶然、ふたりの若者が行方知れずになり、やがて、禁忌の地からひとりの少女を連れて帰ってきた。彼らは、オアレ稲の種籾を携えていた。オアレ稲は異様なほどに寒さに強い。しかも、稲は育たぬはずの大崩渓谷でも育つ。その頃、大崩渓谷に暮らしていた人々は、その奇跡の種によって命を救われたのだろう。だが、数年後か、十数年後かわからないが、何かが起きた。―― オアレ稲が呪われた穀物、と、人々から嫌われるようになった原因をつくった、何かが。そのとき、〈幽谷ノ民〉は、ふたつの集団に分かれたのではなかろうかと、父は考えた。ひとつはそのまま故郷に残り、オアレ稲を呪われた穀物として決して作らなくなった一族。そして、もうひとつは皇祖アライルとアミル=カシュガに率いられて、オアレ稲を携え、香君とともに、新天地を求める旅に出た一族」薄い書物をめくって、マシュウは最後の方を読んだ。「滔々たる大河マナスには幾多の支流あり。ラマルらが大荒地(ユイーノ)と呼びたる大平原は、豊かな水源に恵まれながら、夏が短き不毛の地な……」『旅記』から顔を上げて、マシュウは言った。「皇祖たちが辿り着いたのは、豊かな水源に恵まれ、寒ささえ克服できれば大豊作を見込める平原だったのだ」そこまで聞いたとき、あることが頭に浮かび、アイシャはつぶやいた。「……もしかしたら」マシュウが目顔で促したので、アイシャは言葉を継いだ。「『旅記』がそこで終わっているのは、途中で終わらせたわけではなくて、そこが終点だったから……?」とたんに、マシュウが破顔一笑した。「君は、本当に鋭いな!」毛羽立った書物をふりながら、マシュウは言った。「これを読んだとき、おれもそう思った。帝都を現在の場所に築いたのは後のことで、アミル=カシュガたちはまずユイノ平野で暮らし始めたのではないか、それを暗に示すために、いかにも中途半端で、心にひっかかるような形でこの書を終えたのではないか、と」アイシャは荒涼たる大平原に立つ人々の姿を思った。
(第三章 異郷から来た者 八、皇祖が来た道)


アイシャは、「旅をしているのは、別の理由もあるのですけれど」と、言った。「別の理由?」「私、自分が知り得たことを、多くの人に伝えておきたいのです。―― みんなが自分で判断できるように。自分の行動が何に繋がり、どんな結果をもたらすのか、想像できるように」「……」「ヒシャが現れた時点で、シダラ栽培地の農夫たちが、ヒシャの恐ろしさを知っていたら、事態は変わっていたかもしれません。他の栽培地に広がる前にここで止めよう、と思う人もいたかもしれない。稲を焼くのはつらいことですから、そんな決断しなかったかもしれないけど、でも、焼かなかったら何か起こるか想像できていたら、したかもしれない……」アイシャは夕暮れの草地を見つめて、言った。「知識さえあれば、辺境の農夫たちだって、自分たちの未来を、自分たちで救えたかもしれない。―― でも」つっとアイシャは、顔を歪めた。「私の存在が、そういう可能性を妨げてしまっています。万象を知る神がいるのだから考えるのは任せて、その言葉に従えばいいと思わせている。万象を知るどころか、知らないことだらけの、こんな私が香君なのに」ため息をつき、首をふって、アイシャは言った。「香君がいることは、帝国が民を支配するには都合がいいのでしょうけれど、でも、それは、とても危ういことです。恐ろしいことです。―― ひとつの声で、多くの人々を従わせてしまうのは」ユーマはしばらく黙って考えていたが、やがて、口を開いた。「……私もずっと同じようなことを考えて来ましたから、貴女のご懸念はよくわかります。しかし、ヒシヤの災いを経験してみて、私は、むしろ、貴女が言う、ひとつの声が、実に大きな力を発揮することを痛感しました。人は様々です。自らの利益を決して譲りたくない人も多い。彼らの意見を尊重していたら、目を覆うような事態になっていたはずです。アイシャは、うなずいた。「どんな道にも、それぞれの難点がありますね」ため息をつき、アイシャは夕暮れの空を見上げた。「それでも、私は香君を神にしない道を探したいです。ここで変えなければ、同じことが繰り返されてしまう……。
(終章 香君の道)

 

 

今日のお昼は、最近TV等でよく取り上げられる「名古屋ちゃんぽん 時鳥 (ホトトギス)」へ。お店おすすめ数量限定の特製ころちゃんぽん(1350円)をいただきます。カウンターに座って作る過程を見ていると海老、ホタテ、ゲソ、タコ、鶏チャーシュー、味玉 etc…がどんどん載せられていき、とても美しい盛り付けでインスタ映え間違いなし。肝心のお味もグッド。普通はこれぐらい大きい海老の頭は食べないのですが炙ってあるのでバリバリとすべて完食。別皿で柚子胡椒とミョウガもあり味変もグッド。ごちそうさまでした♪。

 

名古屋ちゃんぽん 時鳥

名古屋市中川区尾頭橋3