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あらすじ
浜田省吾、1952年12月29日午前9時、広島県竹原市に生まれる。
角川書店の60周年の記念として、毎月一人の作家が編集長になって、すでに手に入らない絶版本の復刊を企画した。重松清さんが、この「陽のあたる場所」を何冊かの中の一冊に選んでくれて 2008年の7月に復刊。
「これは単純なサクセスストーリーではない。不器用でまっすぐな夢と、それを支える仲間たち。僕はこの本を青春小説として読んだ。」(重松 清)
浜田省吾の青春の軌跡を克明に追った、感動のドキュメント!

 

ひと言

 

 

この本も「こころ」に並ぶ愛読書の一冊で、この本が出た1988年から、忘れたころに読み返しています。1979年8月、日清カップヌードルのCMソング「風を感じて」が浜省との出会いで、大学時代には友達に録音してもらったカセットテープが擦り切れるくらい何度も何度も何度も聞き返していました。もう30年も経つんですね。
8月の広島の朝。一人の自動車修理工場で働く少年の目に映った広島を描くことでともすればおちいりがちな教条的な歌にならずに済んでいる。そして~八月になるたびに広島-ヒロシマの名の下に平和を唱えるこの国、アジアに何を償ってきた……という視点は、原爆の被害者としてしか広島を捉えないことへの批判でもあった。戦争にはいつも加害者と被害者がいる。そして、現代はそんな両者が複雑に絡みあって成り立っている。広島を語る時の、日本=正義という”反核の図式”への疑問でもあった。(第14章 I'm A J.Boy )

 

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あらすじ
「さあ、神無月だ--出番だよ、先生」神経衰弱と断じられ、大学の研究室を追われた28歳の「おれ」。失意の彼は、教授の勧めに従って2学期限定で奈良の女子高に赴任する。ほんの気休め、のはずだった。英気を養って研究室に戻る、はずだった。あいつが、渋みをきかせた中年男の声で話しかけてくるまでは……。慣れない土地柄、生意気な女子高生、得体の知れない同僚、さらに鹿…そう、鹿がとんでもないことをしてくれたおかげで、「おれ」の奈良ライフは気も狂わんばかりに波瀾に満ちた日々になってしまった!

 

ひと言
文句なしにおもしろいお勧めの作品です。ドラマ化されていたんですね。全然知りませんでした。剣道の試合の描写も イトの闘志や緊張感が伝わってきてよかったです。一番のお気に入りは表紙の挿絵のイトかな。

 

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あらすじ
昭和6年、若く美しい時子奥様との出会いが長年の奉公のなかでも特に忘れがたい日々の始まりだった。女中という職業に誇りをもち、思い出をノートに綴る老女、タキ。モダンな風物や戦争に向かう世相をよそに続く穏やかな家庭生活、そこに秘められた奥様の切ない恋。そして物語は意外な形で現代へと継がれ……。最終章で浮かび上がるタキの秘密の想いに胸を熱くせずにおれない上質の恋愛小説。(143回 直木賞受賞)

 

ひと言
とても読みやすい文章で、戦争をまったく知らない我々のような世代でも 膨大な資料を読み込み、それらをうまく咀嚼 (そしゃく) して こんなにリアルな文章が書けるんだと驚きました。この時代を生きたと思われる方が 「この小説でたった一つの誤りは 1941年12月8日のこの開戦発表の時間で,JOAK は早朝から大本営陸海軍部発表文を流し続けだった」と書かれていました。さすが直木賞受賞作。納得の上質な本でした。
僕は帆布のバッグの底をさらい、例の封書を引っ張り出した。……「明日、昼の一時にお訪ねくださいませ。どうしても、お会いしたく思います。必ずお訪ねくださいませ。 板倉正治様 平井時子」読みながら、僕は経験したことのない混乱に襲われた。…… 大伯母のノートの端が覗いた。…… ノートを拾い上げてページを繰った。記憶違いでなければ、大伯母は書いていたはずだった。入営のために弘前に帰る夜行に乗るはずのその日、板倉正治が平井時子を最後に訪ねてきた午後のことを。(最終章) 

 

8月17日~19日 下の娘とばあちゃんの3人で四国旅行にいきました。

1日目 明石海峡大橋を通り高松自動車道の府中湖スマートICで降りて山越(やまごえ)うどんへ直行。うまい!
これなら全国から高い本州四国連絡橋を渡り2時間並んでも食べたいという人の気持ちがわかります。
我々は10分ほど並んだだけで食べることができました♪。

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腹ごしらえをして金刀比羅宮へ。こんぴらさんの御本宮までの石段は785段。
実際は786(なやむ)段あるということですが 縁起が悪いので、途中1段下がる石段があります。
(奥から手前方向に進みます)

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それからは松山へ。どうしても道後温泉本館の霊の湯3階個室へ入りたかったので待ちを覚悟で行きましたが
こちらもラッキーなことに10分ほどの待ち時間で入ることができました♪。もちろん神の湯にも入りました。
有名な「坊ちゃん泳ぐべからず」の木札がかけてありました。

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2日目 ホテルの近くの正岡子規記念博物館へ
2010年7月12日の大雨で全壊した愚陀佛(ぐだぶつ)庵(夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した際、下宿していた上野家の離れを当時の雰囲気そのままに復元したもの。正岡子規が療養のために52日間居候し、1階に正岡子規、2階に夏目漱石が住み俳句づくりに没頭した庵)を模した一室も展示されていました。

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宇和島へ行く前に CBCテレビの地名しりとりでワッキーが松山に来るごとに訪れたという
JR松山駅内の安岡蒲鉾の手作りじゃこ天を食べました。

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国道320号を通って四万十川沿いにドライブ。岩間の沈下橋を車で渡り橋のたもとでしばらく水遊び。

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四万十川沿いの国道381号で窪川を通って高知へ。
二十数年前に高知へ来たときは立ち寄れなかった念願の桂浜へ。

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はりまや橋近くのお店で鯨とかつおを食べましたが、かつおがとてもおいしかったです。
路面電車に乗ってホテルへ帰りました。

3日目 朝8時から開館している龍馬の生まれたまち記念館へ行きました。

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高知自動車道の大豊ICから国道32号を大歩危まで走り、そこから祖谷(いや)のかずら橋へ、
あめご(地元ではあまごをこう言うらしい)の塩焼きがとてもおいしかったです♪。

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国道32号を北に上がり徳島自動車道を通って鳴門北ICで降りて鳴門の渦潮を高速道路の下を歩いて見ることのできる渦の道へ立ち寄り再び橋を渡って帰りました。

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全走行距離 1385kmの旅でした。
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8月17日 いつも雑誌やニュースで取り上げられている山越うどんに行ってきました。ここは讃岐うどんのかまたま発祥のお店ということで有名で、前から四国に行ったら是非食べに行きたいと思っていたお店でした。平日の10時過ぎに着き、ラッキーなことに10分ほど並んだだけでいただけました。もちろん 釜上げ玉子うどん(通称 かまたま)の 大(300円)をいただきました。
 
山越うどん
香川県綾歌郡綾川町
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あらすじ
「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟はいった。坂本竜馬は幕末維新史上の奇蹟といわれる。かれは土佐の郷士の次男坊にすぎず、しかも浪人の身でありながらこの大動乱期に卓抜した仕事をなしえた。竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く長篇小説。質・量ともに坂本龍馬伝の最高峰である。坂本龍馬像を決定的なものにし、現在、龍馬を語る上で本書の影響を受けなかったものというのは皆無といってよく、また、坂本龍馬が好きだという人のほぼ全てが何らかの形で影響を受けている作品である。

 

ひと言
司馬遼太郎の代表作「竜馬がゆく」(全8巻)に挑戦! 9月7日読了!
各巻ごと印象に残った個所を書き留める。
「学問も大事だが、知ってかつ実行するのが男子の道である。詩もおもしろいが、書斎で詩を作っているだけではつまらない。男子たる者は、自分の人生を一編の詩にすることが大事だ。楠木正成は一行の詩も作らなかったが、かれの人生はそのまま比類のない大詩編ではないか」といった。むしろ松陰という人は、小五郎にこれだけのことを教えたにすぎなかった。が、このことばが、桂小五郎の一生を決定してしまった。(第1巻 二十歳)

 

 

「うまく言えん」竜馬にはわかっている。花は咲いてすぐ散る。その短さだけを恋というものだ。実れば、恋ではない。別なものになるだろう。これでいい、と竜馬はおもっている。利口なお初も、それを知っているのだ。「ちゃんと言ってください。女は言葉に出していってくださらなければわからないのです。いってくだされば、そのお言葉を一生の宝にします」といってからお初は何かを懸命にこらえていたが、……「あんた、きっとえらくなるわ」「えらくはならん。しかし百年後に、竜馬という男はこういう仕事をした、と想いだしてくれる人がいるだろう。そんな男になる」(第2巻 萩へ)

 

 

「日本では、戦国時代に領地をとった将軍、大名、武士が、二百数十年、無為徒食として威張りちらしてきた。政治というものは、一家一門の利益のためにやるものだということになっている。アメリカでは、大統領が下駄屋の暮らしの立つような政治をする。なぜといえば、下駄屋どもが大統領をえらぶからだ。おれはそういう日本をつくる」竜馬のこの思想は、かれの仲間の「勤王の志士」にはまったくなかったもので、この一事のために、竜馬は、維新史上、輝ける奇蹟といわれる。めしを食いおわると、竜馬は大刀をとりあげて、部屋を出た。「どこへいらっしゃいます」おりょうは、肩すかしを食ったようなおもいである。「兵庫へ。--」(第3巻 京の春)

 

 

「竜馬、この塾があたらしい日本を動かす軸になるぜ」勝は、激しい音をたてて、たくあんを噛んだ。竜馬はこの期間、国もとの乙女姉さんに手紙を書いている。手紙の末尾が、「エヘンエヘン、かしこ」でおわる大得意の文章である。「このごろは天下無二の大軍学者勝麟太郞といふ大先生の門人となり」と、大が二つも重なって、乙女姉さんをこけおどししている。その大先生の門人だから自分も偉くなったものだ、というところであろう。「ことのほか可愛がられ候て、まづ客分のやうな者になり申候。近きうちには、大坂より十里余りの地にて兵庫と申す所にて大きに(大いに)海軍を教へ候所をこしらへ、また四十間五十間もある船をこしらへ、弟子共にも四五百人も諸方より集まり候事」
「達人(自分のこと)の見る眼は恐ろしきものとや、つれつれにもこれ有り。猶、エヘンエヘン、かしこ。竜」
高知城下本町筋一丁目の坂本屋敷でこの手紙を見た乙女姉さんは、ころがってわらった。(第4巻 神戸海軍塾)
 
「金庫にかねはいくらある」ときくと、ざっと五百両はあるという。「それをみなに分配しな」そう命じた。しかし陸奥は不服だった。「塾は解散してもこれから一旗あげるんでしょう。その資金に必要ですよ」「ばかめ」竜馬はぎろりと陸奥をみた。「塾生の大部分は藩に帰る。残留してわしについてくるのは一割ほどの人数だ。その一割ほどの人数が金を独り占めした、と評判がたてられてたまるか」「しかし」「も、くそもない。さっさと分配するこった。なるほど浪人会社をおこすにはこのさき金が頼りだが、金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然とあつまってくるさ」「なるほど」「そういう不思議なものが、会社(カンパニー)というものだ。五百両ばかりの金に目がくらんで天下が取れるか」「ははあ、それもそうだ」陸奥は、愉快になってきた。(第5巻 摂津神戸村)

 

 

すでに薩長は、歩みよっている。……。あとは、感情の処理だけである。桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。この段階で竜馬は西郷に、「長州が可哀そうではないか」と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。奇妙といっていい。これで薩長連合は成立した。歴史は回転し、時勢はこの夜を境に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。竜馬の沈黙は、西郷によって破られた。西郷はにわかに膝をただし、「君の申されるとおりであった」と言い、大久保一蔵に目を走らせ、「薩長連合のことは、当藩より長州藩に申し入れよう」といった。大久保は、うなずいた。締盟の日が、即座にきまった。あすである。(第6巻 秘密同盟)

 

 

「八策ある」と、竜馬はいった。海援隊文官の長岡謙吉が、大きな紙をひろげて毛筆筆記の支度をした。「言うぜ」竜馬は長岡に合図し、やがて船窓を見た。
「第一策。天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事」
この一条は、竜馬が歴史にむかって書いた最大の文字というべきであろう。…………
「第二策。上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」
この一項は、新日本を民主政体にすることを断乎として規定したものといっていい。余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている。
「第三策。有材の公卿・諸侯、および天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事」
「第四策。外国の交際、広く公議を採り、新たに至当の規約(新条約)を立つべき事」
「第五策。古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事」
「第六策。海軍よろしく拡張すべき事」
「第七策。御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事」
「第八策。金銀物貨、よろしく外国と平均の法を設くべき事」
後藤は、驚嘆した。「竜馬、おぬしはどこでその智恵がついた?」「智恵か」思想の意味である。竜馬は、苦笑した。後藤のような田舎家老にいっても、ここ数年来の竜馬の苦心は理解してもらえない。
「いろいろさ。」(第7巻 船中八策)

 

 

西郷は一覧し、それを小松、大久保にまわし、ぜんぶが一読したあと、ふたたびそれを手にとり、熟視した。(竜馬の名がない)西郷は、不審におもった。薩長連合から大政奉還にいたるまでの大仕事をやりとげた竜馬の名は、当然この「参議」のなかでの筆頭に位置すべきであろう。たとえ筆頭でなくても土佐藩から選出さるべき名であった。(ない)
……。
「わしァ、出ませんぜ」と、いきなりいった。「あれは、きらいでな」なにが、と西郷が問いかけると、竜馬は、「窮屈な役人がさ」といった。「窮屈な役人にならずに、お前さァは何バしなはる」「左様さ」竜馬はやおら身を起こした。このさきが、陸奥が終生わすれえぬせりふになった。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
陸奥がのちのちまで人に語ったところによると、このときの竜馬こそ、西郷より二枚も三枚も大人物のように思われた、という。さすがの西郷も、これには二の句もなかった。横の小松帯刀は、竜馬の顔を食い入るように見つめている。古来、革命の功労者で新国家の元勲にならなかった者はいないであろう。それが常例であるのに竜馬はみずから避けた。小松は竜馬を愛慕しつづけてきた男だけに、この一言がよほどうれしかったのであろう。「竜馬は、もはや世界が相手なんじゃろ」と、おだやかに微笑した。
……。
藩論不統一な土州が前面に出れば、革命のエネルギーは分散するばかりだということを、竜馬はたれよりもよく知っている。西郷は、暗黙裡にそれを察した。「心得た」と小さくいった。(第8巻 近江路)

 

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おいしいお店ではないのですが、なめらかプリンで有名なパステルで、「極」(525円)という至上のプリンを見つけたので思わず買ってしまいました。
ライアテア島産のタヒチバニラ、那須御養卵など とことん素材にこだわり、それをプラスチック容器ではなく、特製の美濃焼の器に入れて目でも楽しませてくれるなんとも贅沢なプリンでした。
看板商品のなめらかプリンよりも濃厚な味でとてもおいしかったです。
 
Pastel 極
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あらすじ
生まれつき乱暴でいたずらが過ぎ、両親にかわいがられなかった坊ちゃん。唯一、細やかに面倒を見てくれた下女の清と離れ、一人で四国の中学校に赴任した。しかし、江戸っ子で生一本、無鉄砲に育ってきたせいで、田舎での生活は我慢ならないことばかり。同僚教師との衝突に、東京へ帰ることも辞さないが…。波瀾万丈の日々をユーモアたっぷりに描く、不朽の名作。

 

ひと言
お盆明けに松山の道後温泉に行く予定なので、こどものころを思い返しながら読みました。
無鉄砲な正義感は、やっぱり爽快です。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。……。小使に負ぶさって帰つて来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと言ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。」
「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に決めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。…… 温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢だと言い出した。よけいなお世話だ。…… ところがある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗いて見ると、大きな札へ黒々と 湯の中で泳ぐべからず とかいて貼りつけてある。」

 

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あらすじ
激動する時代に、トップを目指す生き方なんてアホらしい。メジャーの陰に隠れた二番手グループにとって、不況こそチャンスなのだ。「老人の身で忙しい中年にゆとりを説教するのは少し気がひける。しかし、忙しいからこそゆとりが必要。序列があるのなら、そこでちょっと身をはなして二番手。それは、自分自身にゆとりを維持するためにある」(本書より)。名物京大名誉教授、自称フリーターの森毅が贈る、軟体動物的処世術のススメ。

 

ひと言
7月24日、82歳でお亡くなりになった森毅さん。もう四半世紀以上も前、縁があって森毅さんの講義を受けたが、いつも灰皿と2、3本のチョークだけを持ってきて、講義室の机の上に腰かけて講義をされていた姿を思い出しながら読ませてもらいました。心よりご冥福をお祈りいたします。
「ある日の午後、別の友人とぼんやりしていたら、もう一人の友人がやってきた。「おい、煙草ないか」友人がすかさず、「切らしてるんや。それより、金持ってないか」「無一文や」彼がいなくなったところで、おもむろに煙草に火をつけて、遠くを眺めると、無一文の男は煙草屋で金を出して煙草を買っていた。考えてみると、ぼくも含めて、これらの友人みな、後には大学教授になった。(嘘つきごっこ)大学にいたころ、学生によく説教したものだ。若いうちから、あらゆることに関心を持ち、あらゆる人と交われなどと無理なことは言わぬ。関心やつきあいの幅の狭いのも、若いからしかたがない。一途なのも悪くない。その代わり、関心や人づきあいの幅を一生にわたって限定するな。決まった枠で安心していては、その枠が自分を縛る。最初は狭くてもそこから広がるか、広いところから狭まっていくか、それで人生は決まる。(シルバー文化学)」 

 

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あらすじ
弟の同級生であった顔見知りの少年を欲望のおもむくまま殺害し、首から上を切断。さらにその生首を自分の通う中学の校門に声明文とともに放置した恐るべき殺人鬼。1997年、日本中を震撼させた神戸児童殺傷事件の憎むべき犯人は、14歳の少年だった。これほどまで凶悪な事件を犯した少年に対し、向けられる社会の矛先と言えば、まず家庭環境だ。しかし、本書を見る限り、少年犯罪につきものの「家庭不和」は手記の中には出てこない。ここでは少年Aの生い立ちや両親の少年Aに対する愛情が「親の目線」で、言い方を変えれば「実に平凡」に書かれている。

 

ひと言
あの衝撃的な事件からもう13年が経ったが、読んでいて強く「違和感」を感じた。両親が事の重大さに気づいていないかのようにさらりと平凡に手記にしているように感じた。天国の土師 淳くん 山下 彩花ちゃんのご冥福を あらためて ただただ心よりお祈りするばかりである。