今日のお昼、高倉 健さんが11月10日 午前3時49分 悪性リンパ腫のため83歳でお亡くなりになった。
という訃報が飛び込んできました。

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健さんらしい 世間を騒がせたくないという遺言だったのだろう、死後8日も経ってからの発表、近親者も健さんの遺志を汲んで一切沈黙を守ったことに唯々感動です。

黙っていても背中で男を演じることのできる 私が一番大好きな俳優さん。
やさしくて、誠実で、不屈の精神の持ち主で、寡黙で、不器用で、健さんみたいな男に一歩でも近づけたらいいなぁと、今も そしてこれからも ずっとあこがれの存在であり続ける健さん。

私が高校生の頃からコーヒーが大好きになったのも健さんが大のコーヒー好きということを知ったから…、
高校生のころ健さんの血液型が自分と同じB型だと知ってとても誇らしく思ったこともありました。

「八甲田山」(1977年)の徳島大尉、「幸せの黄色いハンカチ」(1977年)の島勇作、「駅STATION」(1981年)の三上英次、「海峡」(1982年)の阿久津剛、近いところでは「ホタル」(2001年)の山岡秀治みんなかっこいい男を演じてくれた高倉 健さん。

永い間ほんとうにおつかれさまでした。ありがとうございました。
健さんのことずっとずっと忘れないよ。安らかに眠ってください。


暗闇の彼方に光る一点を今駅舎(えき)の灯(ひ)と信じつつ行く
(「駅 STATION」より 降旗康男監督 1981年)

往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし 
(今日のお昼 マスコミに伝えられたファックスに添えられていた健さんの言葉)
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あらすじ
大手銀行にバブル期に入行して、今は大阪西支店融資課長の半沢。支店長命令で無理に融資の承認を取り付けた会社が倒産した。すべての責任を押しつけようと暗躍する支店長。四面楚歌の半沢には債権回収しかない。夢多かりし新人時代は去り、気がつけば辛い中間管理職。そんな世代へエールを送る痛快エンターテインメント小説。

 

「バブル入社組」世代の苦悩と闘いを鮮やかに描く。巨額損失を出した一族経営の老舗ホテルの再建を押し付けられた、東京中央銀行の半沢直樹。銀行内部の見えざる敵の暗躍、金融庁の「最強のボスキャラ」との対決、出向先での執拗ないじめ。四面楚歌の状況で、絶対に負けられない男達の一発逆転はあるのか。

 

 

ひと言
2013年の流行語大賞「倍返し」ドラマの最終回の視聴率は42.2%。
昨年の話題をさらった『半沢直樹』の原作本です。
先にドラマを見てから読んだので、どうしてもドラマのシーンを回想しながら読んでしまって、いまいち本に入り込めませんでした。やっぱり本を読んでから、ドラマや映画を見ないといけないなぁと思いました。

 

 

半沢はグラスを握る指に力を込めた。「オレは基本的に性善説だ。相手が善意であり、好意を見せるのであれば、誠心誠意それにこたえる。だが、やられたらやり返す。泣き寝入りはしない。十倍返しだ。そして――潰す。二度とはい上がれないように。……」
(入行組 第六章 銀行回路)

 

先日、部屋を片付けていたら、昔のお免状が出てきました。

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もう25、6年も前の昔ですが、お茶(表千家)とお花(小原流)を3年間習っていたことがあります。
お茶はお免状はいただけませんでしたが、お花はお免状をいただきました。
懐かしいなぁ。もう一度お茶を真剣に一からやりはじめようかなぁ。

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(小原流HPより)
10月30日 あっけない幕切れで今年の日本シリーズが終わってしまいました。

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1985年以来 29年ぶりの日本一を目指して、あっけなくロッテに4連敗で終わった2005年以来の9年ぶりの日本シリーズ。選手みんながすごく頑張ったんだけど、出てくる相手のピッチャーがみんな良くて なかなか打ち崩せませんでした…。

大和、失敗を恐れず果敢に打球に向かって飛び込んでいく華麗な守備に何度も助けられたよ。

メッセンジャー、いいピッチングをしてくれたのに味方の援護がなくてごめん。第5戦 おれが頑張って投げてみんなを甲子園に連れて帰るんだっていう気迫をすごく感じた最高の投球だったよ。

岩田、魂のこもった128球 すごく感動させてくれて、元気づけられたよ。7回 空振り三振を取ったときのガッツポーズ すごく恰好よかったよ。

呉 昇桓、前日サヨナラ3ランを打たれた中村に、全球 同じインコースで勝負してねじ伏せたね。男のプライドを感じさせる見ていてすごく気持ちのいいピッチングだったよ。

他の選手、一人一人 コメントがなくてごめん。

阪神タイガースの選手 みんな 夢と感動をありがとう♪

大好きな浜省を聞いて、明日から俺もみんなに負けないように頑張るね。



君が人生の時 (浜田 省吾)

激しく寄せては 引いてゆく波よ
時は無口な旅人 夢は欠けてゆく

喜び悲しみ今日も つづれ織りながら
明日へと 心をつなぎ ひたすら生きてくだけ

たとえそれが 思い通りに
行かないとしても

time of your life
抱きしめるがいい
ただ ひとつの 君が人生の時

夢から覚めてもまた 夢追いかけたい
人は 寂しい旅人 いつも風の中

あふれでる愛をいくつも 誰かに注いで
傷つき そして立ち直り ひたすら愛するだけ

見果てぬ夢と 満たされぬ愛
両手に かかえて

time of your life
想いを馳せれば
心 高鳴る 君が人生の時

time of your life
想いを馳せれば
心 高鳴る 君が人生の時
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あらすじ
「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」「ムー一族」…昭和のテレビドラマ黄金期を創った著者、最後のエッセイ集。

 

 

ひと言
ラジオで約40年(1973年~2012年)も続いた小沢昭一の小沢昭一的こころのような本でした♪。
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
意味は諸説あるが
「子どもが遊ぶときは、時の経つのも忘れて、夢中になる。子どもが遊ぶみたいに、夢中で生きたい
ということのようだ。自分の生活信条として心がけているような言葉で、これからもこの言葉を忘れずに毎日を過ごしていこうと気持ちを新たにしました。

 

 

 

 

平安のころに庶民の間で歌われた〈今様〉を集めた、『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)の中にこんな文句があります。年甲斐もなく、来る日も来る日も遊び呆けながら、私はいつも胸の底で、言い訳がましくこの文句を呟いているのです。

 

 

 

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ
(神武綏靖)

 

 

俗に言う〈通し〉、つまり自分のテンパイを〈相棒〉にこっそり通報するというだけの話なのだが、それだけでも他の二人に比べて格段に有利になる。たとえばタッグのAが大きな手をテンパイしている。どうしても上がりたい。するとBは、自分も高い手を作っているように装って、危険牌をあえて振り込むのだ。断っておくが、〈タッグ〉の二人は一晩の勝負が終わった後、月夜の露地で戦果を山分けするのだ。だからAとBのグロスでプラスになっていればいい。逆にBが安い手を作っている。他の二人の手はかなり大きそうだ。するとAはさっさとBに放銃してしまい、相手に上がらせない。いずれもお互いのテンパイを知っていなければ、できないことだ。どうしてテンパイを報せ合うか。それが〈符牒〉という姑息な手口である。狂四郎は暗い声で私の耳に囁いた。「オダワラツギアタミ」――「小田原次ぎ熱海」とはいったい何のことだろう。まだそのころ新幹線は走っていなかった。東海道線の急行では、なるほど小田原の次の駅は熱海である。――つまり、こういうことだった。〈オダワラツギアタミ〉の九つの文字は、それぞれ一から九までの数字を表しているのだ。〈オ〉は数字の〈一〉、〈ダ〉は〈二〉、〈ア〉は〈七〉を意味する。これでテンパイの〈スジ〉が容易に解る。だが、それをどうやって相棒に解らせるのか。ここからが笑ってしまうのだが、会話の〈アタマ〉に件(くだん)の文字を発音するというのである。たとえば五八ピンの待ちなら、「ぎのチャンスを待つか」と独りごつ。五ピンを切っていてハピン待ちの引っ掛けなら、「すけて下さいよ」という具合である。ただでさえセミプロの腕どうしだから、牌の種類なんか考えるまでもない。〈四〉の〈ラ〉は「ラララ」と鼻唄を唄えばいいと、狂四郎は嬉しそうに笑った。
こうして振込みを避け、あるいはわざと放銃牌を打って、相棒に上がらせる。負けるわけがない。子供の尻取りではないが、ちょっと考えれば日常の〈言葉〉なんか幾らだってある。
(小田原次ぎ熱海)

 

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今日は女房の誕生日。
女房がモンブランケーキが好きなので、もうずっと前から いつも新栗の「中津川モンブラン」(540円)を買って帰るようになりました。
何をいまさらの感がありますが、やっぱりおいしいものはおいしいのでこのブログに書くことにします。
最初 ここのモンブランを食べたときは、「なに、これ!こんなおいしいモンブラン、食べたことがない!」と涙が出そうなくらい感動したのを覚えています。

 

他のモンブラン系の新作ケーキが出るとつい試してみるのですが、やっぱり「ナカツ」が1番です。
そういえば もう1つのレニエの定番「新キャベツ」は最近食べてないなぁ。

 

 

2015.10 追記

 

 

今年の誕生日は「レニエ特製モンブラン」(3024円)にしました。ホールのモンブランを食べるのははじめてです。これもとてもおいしいのですが、やっぱり9月中旬あたりの出たての新栗の「ナカツ」が一番かも。

 

 

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レニエ
名古屋市西区五才美町18

 

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名古屋でわらび餅といえばまちがいなくココ。
食べログでも4.04(10月20日現在)の驚異の評価。
前から行きたかった芳光さんにやっと行くことができました♪。
10月1日から販売の餡入りわらび餅(295円)。わらび餅は時間が経つと特に風味が落ちるので、お店の中で1ついただきます。
多くの方が絶賛されているように、口の中で自然と溶けてなくなっていきます。甘さを抑えた上品な餡とわらび餅とのバランスが絶妙。まちがいなくうまい♪絶品です。

 

餡入りでは、自分の中では京都の月餅屋 直正さんのわらび餅よりおいしいと思うのですが、やっぱり餡を入れることによってどうしてもわらび粉の風味が少し失われてしまい、芳光さんでも感動とまではいきませんでした。こちらの期待が大きすぎたのかもしれません。
あと残された餡入りわらび餅は、京都の嘯月さんのわらび餅。いつか必ず予約を入れて食べに行きたいと思います。

 

 

芳光(食べログ)
名古屋市東区新出来1

 

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あらすじ
人生の壁にぶっかったとき、これから先が見えなくなったとき、この場所がいつも僕を救ってくれた。かつて愛する人を守るために死んでいった若者たちがいた。「特攻隊」とよばれた彼らが、人生最後の数日を過ごし、そして飛び立っていた場所、鹿児島・知覧。彼らが自分の命と引き替えに残した未来への思い。
「人生に迷ったら、知覧に行け」答えは必ず、見つかります。

 

ひと言
年間70万人が訪れる知覧特攻平和会館。今年は、映画「永遠の0(ゼロ)」の効果で来館者が増えているということだ。この本を読んで知覧に行きたいと思う人も増えるだろう。九州の小中学校の社会見学や修学旅行等で訪れる人も多いと思うが、私の住む東海地方から、あるいはもっと遠い東北、北海道から、どうしても訪れたくて何日かをかけて知覧に向かう人も多いのだろう。
そんなに遠くないいつか、必ず会いに行きます。それまでもうしばらく待っていてください。

 

 

 

 

「あなたの大切な人は笑っていますか?」
「僕たちが残したかった未来の日本はどんなふうになってる?」
「いま、日本はいい国ですか?」

 

 

「生きていたかった。人間ですもの。でもね、『お母さん、死にたくないよ』と遺書にしてしまうと、お母さんは一生その思いを抱えて生きていかなければならなくなります。『僕のことを誇りに思ってください』と書いたのは、いつか、息子は国のために役に立ったのだと納得すれば、母が、いつかまた前を向いて生きることができるようになるかもしれない。そんな優しさからの言葉だと思うんです。死を目前に控えて、それでもなお、残された人の未来を気遣う。この精神性の高さには、心から脱帽します」と。
確かにそうなのかもしれない。この遺書については、戦後いろんなことを言われる。「書かされた」「本心ではなかった」。しかし、本当の気持ちは本人にしかわからないし、あとに残された人間がとやかく言うことではない。
逃げたくなる気持ちもあったと思う。しかし、自分が逃げると、ふるさとにいる両親や親戚が非国民としてののしられることになる。嘘みたいだが、そんな時代だったのだ。実際に遺書を目にすると、行間からあふれる無念や愛、一言ではくくれない、いろんな感情が伝わってくる。
かつて特攻隊は「軍神」と呼ばれた。しかし戦後、「無駄死に」や「軍国主義の象徴」と一転して蔑まれるようになった。特攻という作戦、そして戦争は絶対に起こしてはいけないし、賛美するものではない。
しかし、時代の波の中で、地位や名誉、そして自分の未来を捨て、大切な人を守るために一瞬一瞬を命がけで生きた、そんな心優しき男たちがいたということ、そして、いま、僕たちが生きているこの日本は、特攻隊員さんをはじめ、戦争に行かれた方々、そして、戦後の焼け野原の中から、いまの経済発展を生み出してくれた日本の先人たちの土台の上に成り立っているということだけは忘れてはいけない。
そして、戦後、彼らを単に臭いものにフタをするようにタブー化し、約70年近くも隅に置いてきた事実はしっかりと反省しなければいけない。あの人たちを、そして土台になってくださった日本の先人たちが残した遺志を無駄にするのか、それとも光あるものにするのかは、いまを生きる僕たち一人ひとりによって決まる。……。
あなたは過去から何を受けとり、そして未来に何を残しますか?
(第1章 いま、なぜ「知覧」なのか)

 

 

藤井中尉は教え子だけを特攻に行かせて、自分は安全なところにいる現実に、自分を責め続けていた。精神教育の柱として、そして自身の座右の銘として、「言行一致」をあげ、その言葉通り、自らも特攻を志願した。こういう人は他にもいたかもしれないが、実際に本当に実行した教官はほとんどいない。軍部はその申し出を受けなかった。それには理由がある。まず年齢的に29歳というのは、特攻要員としては年をとりすぎていた。また妻と二人の子どもがいたことも理由の一つだった。年長で、面倒を見なければならない家族が多い将校などは、原則として特攻には採用されない。それより何より、精神教育担当であった藤井中尉には、実戦経験がない。つまり飛行機を操縦できない。しかし、それでも藤井中尉は嘆願した。そして、この願いはもっとも悲しいかたちで成就されることになる。1944年12月15日朝、夫の特攻への決意、そして家族がいるためにその願いが受理されないことを知った藤井中尉の妻の福子さんは、こう書き遺した。
「私たちがいたのでは、後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に待っています」
そして、幼い長女と次女に晴れ着を着せ、厳寒の荒川に身を投げたのだった。その訃報を聞いて現場に駆けつけた藤井中尉は泣き叫んだという。
(第2章 愛する人を守る)

 

 

1992年(平成4年)4月22日。数えきれないほど多くの人を救った鳥濱トメさんは、その激動の生涯を終えた。89歳だった。……。……。やりたいこともたくさんあった、未来に夢もあった若者たちだったんだよ。でもね、生きることを許されなかった。それなのにまわりの人の心配ばっかりしててね、まるで神様みたいだったんだよ。本当に本当に優しい子たちだったんだよ。
『おばちゃん、僕たちがいって日本を守るから。おばちゃんたちは幸せに生きてくれよ』っていつも言っててね。いまでも目を閉じたら、あの子たちが生きてるみたいだよ。だからね、あの子たちが一生懸命残してくれたこの日本に住む私たちはね、あの子たちの分まで一生懸命に生きなくちゃならないんだよ」
この言葉は、明久氏の心に深く根づいていった。
(第3章 覚悟を決める)

 

 

「あの頃の若者の千分の一、万分の一でいいから、大切な人や、日本という国のことを思って生きてほしい」
(第4章 フォー・ユーの精神で生きる)

 

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あらすじ
仕事も、家も、家族までも失った男が旅にでた。最後のパートナーに選んだのは愛犬・ハッピーだった。自由気ままだったはずの「長いさんぽ」、その末にたどりついた場所とは。日本中が涙した大ヒット作、感動はコミックにとどまらなかった。深い物語性に胸打たれた『カフーを待ちわびて』『キネマの神様』の著者が、小説として心を込めて書き下ろす。望み続けるその先に、きっと希望があると思う。

 

ひと言
前にも書いたことがあるが、こういう犬の本を読むと小学生3、4年の時に拾ってきてしばらく飼っていた雑種の犬のことを思い出す。そんなに可愛がってあげたわけでもないのに…。俺の顔を見ると、うれしそうにシッポを振っていた姿がよみがえってくる。俺みたいな飼い主のもとで、幸せだったのだろうか?犬ってどうしてこんなに一途で、やさしく暖かいんだろう。「もっと、恐れずに、愛すればよかった」という言葉に、もう涙で前が見えなくなった。

 

 

 

もう長いこと、私はひとりだった。ひとりきりで、生きてきた。それは普通のことだったし、悲しいともさびしいとも思いはしなかった。あまりにも長いことひとりだったから、もはや「ひとり」を意識することもなくなっていた。初めて「ひとり」を意識したのは、もう三十数年もまえのこと 私が十八歳のとき、祖父が脳卒中で急逝した。庭先のひまわり畑で発見されたときには、もう冷たくなっていた。まったくあっけなく、言い残す言葉のひとつもなく、祖父は、私の前からいなくなった。けれど――。すべての血のつながりを失った私の傍らに、犬がいた。通夜の弔問客がひと通り帰ったあと、かつては祖母の寝室だった部屋に設けられた祭壇の前で、私はひとり、膝を抱えてうなだれていた。胸がもやもやと塞いでいたが、気が張っていたのか、泣いてはいなかった。あまりにも突然過ぎたので、自分が天涯孤独になってしまったことに、まだ気づいていなかったと思う。ふと、カリカリとサッシ戸を引っ掻く音がする。見ると、祖父がこしらえたテラスに、バンが訪れていた。のんきなことに、口にはボールをくわえている。私は戸を開け、テラスに出ると、思いのたけ、バンを抱きしめた。バンはしっぽをしきりに振って、私の頬をなめた。その拍子に、くわえていたボールがぽとりと落ちて、寂しい音を立ててテラスを転がっていった。バンはその後を追おうとしたが、私は彼を離さなかった。そのぬくもりにしがみつきながら、私は悟った。あの日、子犬を連れ帰った祖父は、このときがくるのを盧って、こいつを家族の一員に迎え入れたのだと。その瞬間、私の中でいっぱいに膨れ上がった何かが、かすかに揺れた。それは、静かにこぼれて、あふれ出した。バンを精一杯に抱きしめながら、私は泣いた。(ひまわり)

 

 

 

 
私は、見知らぬ町の電光掲示板で、あのニュースを目にした瞬間から、ずっと心に募らせていた問いへの答えを、見出したような気がした。すべてを失い、長い旅路の果てに、見知らぬ土地にたどり着き衰弱し、やがて死んでしまった人間と犬。誰に見とられることもなく、ひっそりと、朽ち果てた植物のように打ち捨て それでよかったのだろうか。彼らは、それで、幸せだったのだろうか。その問いに、私は、ようやく答えをみつけた。そう。それでよかったのだ。彼らは幸せだったのだ。最期まで寄り添い、互いを思い、恐れずに愛したのだから。私は、どうだろう。幼い頃に両親を亡くした。祖母を亡くし、やがて祖父も亡くした。
愛すれば、別れがつらい。求めて、与えられれば、失うのがつらい。だから、誰かを愛することに臆病になった。愛さなければ、傷つかずにすむ。望んでも得られないのならば、最初から望むまい。そんなふうに、自分の中で、ブレーキを踏み続けていた。私は、最後に残された家族である犬すらも、まっすぐに愛することができなかったのだ。私は、私の犬に何をしてやったか?馬鹿だな、私は。私は、もっと――。もっと、恐れずに、愛すればよかった。彼が、彼の犬をまっすぐに愛したように。
(ひまわり)

 

 

 

バンは、もう立っていられない、という様子で、私の足もとに身を投げた。ぱさりと乾いた音がした。どうしたっ、と私は身を乗り出し、バンの上半身を抱えようとした。すると、バンは、ふらふらと立ち上がり、何かを捜すようにして、あたりをうろつき始めたのだ。私は息をのんで、バンを見守った。もう、どこにいて、何をしているのかもわかっていないようだった。意識が混濁している。おぽつかない四つの足を引きずるようにして、バンは、口に泡を吹き、あたりの地面に鼻を押しつけ、蠢き回った。そして、吸い込まれるように犬小屋の後ろへ行ったかと思うと、再び私の足もとへと、よろめきながら戻ってきた。思いがけないものを口にくわえて。それは、野球のボールだった。少年の日々、祖父と、友人たちと、キャッチボールをして遊んだ野球のボール。ごくたまにだったが、それを使ってバンと遊んだこともある。私がボールを投げれば、バンは勢いよくその後を追った。すぐさまそれをみつけて、口にくわえ、私の手へと戻してくれた。さあもう一度。もう一度、あそんでください、とせがむように。そんなことも忘れて、少年の私は、そのボールをバンの鼻づらめがけて投げつけたりしたのだ。それっきりなくしてしまったはずのボール。それっきり忘れ去ってしまった、少年の日のボール。あそんでください……もう一度。そう言うように、バンは、くわえたボールをそっと私のほうへ差し出した。私は震える手で、それを受け取った。そして、何ごとかを祈るような心持ちで、彼の足もとにボールを放ってやった。もしも私の犬が、あの少年の日の彼だったなら、どんなに遠くヘボールを放っても、たちまち風になり、それをみつけに走っただろう。けれど、彼にはもう、ボールを拾い上げる力すら残っていなかった。バンは、一瞬、うれしそうな表情を浮かべたかのように見えた。かすかに笑ったようにすら、私には思えた。バンは、静かにくずおれた。その目は、私をみつめながら、ろうそくの灯火を吹き消すように、光を消した。そうして、私は、最後の家族を失った。ほんもののひとりぼっちになって、ようやく、私は自分自身に問うた。
 私の犬は、幸せだったか?もっと、遊んでやればよかった。もっと、たっぷり散歩させてやればよかった。無理矢理リードを引っぱらず、気の済むまで、ガードレールやら、縁石やら、電柱のにおいをかがせてやればよかった。そしてもっと、恐れずに、愛すればよかった――と。
(ある日のニュース)

 

 

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あらすじ
「原子炉が最大の危機を迎えたあの時、私は自分と一緒に“死んでくれる"人間の顔を思い浮かべていました」。食道癌の手術を受け、その後、脳内出血で倒れることになる吉田昌郎・福島第一原発所長(当時)は、事故から1年4か月を経て、ついに沈黙を破った。覚悟の証言をおこなった吉田前所長に続いて、現場の運転員たちは堰を切ったように真実を語り始めた。2011年3月、暴走する原子炉。現場の人間はその時、「死の淵」に立った。それは同時に、故郷福島と日本という国の「死の淵」でもあった。このままでは故郷は壊滅し、日本は「三分割」される。 使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した男たちは、なぜ電源が喪失した放射能汚染の暗闇の中へ突入しつづけることができたのか。

 

「死」を覚悟した極限の場面に表われる人間の弱さと強さ、復旧への現場の執念が呼び込む「奇跡」ともいえる幸運、首相官邸の驚くべき真実……。吉田昌郎、菅直人、班目春樹、フクシマ・フィフティ、自衛隊、地元の人々など、90名以上が赤裸々に語った驚愕の真実とは。

 

 

ひと言
「所長命令に違反 原発撤退」と書いた5月20日付の朝日報道に真っ先に異議を唱えたのが門田隆将さん。
そして9月11日の朝日の「吉田調書」捏造報道のおわび、取り消しにつながったのが、この本でした。

 

 

9月13日(日)、この本を読みたくて図書館に行ったのですが、貸出中で、門田さんの「記者たちは海に向かった」を借り、すぐにこの本の予約を入れました。ラッキーなことに9月30日に図書館からメールが入り、話題の本を借りることができました。

 

 

第二十一章 七千羽の折鶴 では、地震発生後3週間近くが経った3月30日、4号機タービン建屋の地下1階で発見された寺島祥希(享年21歳)さんのことが詳しく書かれていて、行方不明の2人が「現場から逃げた」「郡山で飲んでいる姿を見た」という心ない情報がインターネットで飛び交い、お母さんの寺島百合子さんは、地獄のような日々を耐えるために鶴を折り始めました。見つかったという連絡があったとき、家族はずっと寒いところにいた祥希さんに毛布とみんなで折った7千羽の折り鶴を持って生まれ故郷のむつに連れて帰るために迎えにいきます。そのほかにも、涙なしには読めない本です。
朝日の報道に真っ先に異議を唱えた、門田隆将さんらしく、実名をあげて、寺島祥希さんの名誉を守り、真実を伝えようとする門田さん。人の痛みや苦しみを全く感じることのできない朝日の報道にあらためて強い怒りを感じます。
職務を全うするためにお亡くなりになった寺島祥希さんとその同僚の方のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

時計は、間もなく午前三時を指そうとしていた。全員を見渡した伊沢が目を開いた。「みんな、聞いてくれ」息を吸い込んだ伊沢は、こう言った。「緊対からゴーサインが出た場合には、ベントに行く。そのメンバーを選びたいと思う」一同に緊張が走った。「申し訳ないけれども、若い人は行かせられない。そのうえで自分は行けるという者は、まず手を挙げてくれ」線量の高いところに、若い人間を行かせるわけにはいかない。そのことだけは、伊沢は決めていた。静寂が中操内を支配した。全員が伊沢の顔を見て、視線をそらさない。この時、伊沢の顔は、こわばっていたかもしれない。「この頃は、原子炉の状態が、普通じゃないというのがやっぱりわかっていますからね。そこに人を行かせるわけです。しかも、ベントというのは、われわれ運転員にしてみれば、最後の手段に近い。そこに私の命令で人を行かせるということですから、唇を噛みしめるような感じで、ゆっくり、一語、一語、話したように思います」伊沢はそう述懐する。大きな声ではなく、語り聞かせるような口調で、伊沢はそう一同に告げたのである。
五秒、十秒……誰も言葉を発しない。そこにいる誰もが自分が言うべき「言葉」を探していたのである。一瞬の間があいた。沈黙を破ったのは、伊沢自身だった。「俺がまず現場に行く。一緒に行ってくれる人間はいるか」そう伊沢が言った時、伊沢の左斜め後方にいた大友が目を開いた。「現場には私が行く。伊沢君、君はここにいなきゃ駄目だよ」すかさず右後方にいた平野が言葉を重ねた。「そうだ、おまえは残って指揮を執ってくれ。私が行く」二人の先輩当直長がそう言った瞬間、若手が声を上げた。「僕が行きます」「私も行けます」若い連中が沈黙をやぶって次々と手を挙げた。それは、あたかも重苦しい空気を破るための”堰”が切れたかのようだった。中操内は、薄ぼんやりしている。灯かりは、サービス建屋人口に持ち込まれた小型発電機につながれた二、三本の蛍光灯だけだ。伊沢には、手を挙げてくれた運転員たちの表情がよく見えない。それでも、伊沢には、それは驚き以外のなにものでもなかった。「私からすれば、手を挙げてくれたのが、若いクラスですからね。そんな人数は必要ないのに、人数以上に手が挙がりました。まだ三十そこそこの中堅クラスです。ビックリしました」伊沢は言葉が出なかった。申し訳ないけれども、若い人には行かせられない、とあらかじめ言ったにもかかわらず、中堅どころが次々と志願してくれたのである。(第八章 俺が行く)

 

 

人間である以上、線量が高くなっている建屋の中に踏み込むことに躊躇や逡巡があるのは当然だろう。だが、その恐怖を彼らは”何か”によって克服した。それが使命感なのか、責任感なのか、それとも、家族と故郷を守ろうとする強い思いなのか、彼らはその”何か”を語らない。いや、彼ら自身がそれが何だったのか、わからないかもしれない。しかし、それぞれが、それぞれの”何か”によって、恐怖に打ち勝ったのは確かだった。
(第八章 俺が行く)

 

 

「おい、もうやってんのか」「どうかしたんですか」「それまずい、それ」「どういうことですか」「とにかく止めろ」「なんでですか。入れ始めたのに、止められませんよ」吉田は武黒の”命令”に反発した。しかし、次の武黒の言葉はさすがに吉田を驚かせた。「おまえ、うるせえ。官邸が、グジグジ言ってんだよ!」「なに言ってんですか!」すさましいやりとりになった。だが、そこで電話はぷつんと切れた。(……)
吉田は、現場のトップとして、次々と新たな手立てを打たなければならなかった。六基の原子炉を抱える福島第一原発の所長として、それぞれを制御している責任者である。だが、本店とテレビ会議でやりあっている途中、あるいは、現場で部下たちに指示を与えているさなかに、官邸からの電話が入ってきたのである。しかも、それが、「官邸がもう、グジグジ言ってんだよ!」というレベルのお粗末な話である。なんで”素人”の理不尽な要求が直接、現場の最前線で闘っている自分のところに飛んでくるのか。吉田は、そのことが腹立たしくてならなかった。
直後に本店から、吉田に海水注入中止命令が下った。官邸の意向が本店に伝えられたに違いない。しかし、吉田は、直前に先まわりしてその「対策」を打っていた。「本店から海水注入の中止の命令が来るかもしれない。その時は、本店に(テレビ会議で)聞こえるように海水注入の中止命令を俺が出す。しかし、それを聞き入れる必要はないからな。おまえたちは、そのまま海水注入をつづけろ。いいな」テレビ会議の途中、吉田は、わざわざマイクに入らないようにして担当者にそう言い含めていたのである。海水注入しか方法がないことがなぜわからないのか、と吉田は思った。シンプルに考えれば、膨大な熱量を取り除くには、もう、”海”を使うしかないわけですよ。しかし、海を使うって言ったって、海の水を冷却用に使うRHR(Residual Heat Removal)という残留熱除去系というシステムが期待できなくなっているわけです。淡水なんかそんな大量にありませんので、最終的には海水を入れて冷やすしかないというのが、もう最終結論ですよね。とにかく冷やすしかないんだから、それはあたりまえのことなんです。こっちの頭はとっくにその方向に行ってましたけど、しかし、それを中止しろ、というんですからね」
その道理がわかる専門家が沢山いるはすの本店が、こともあろうに「中止」を命じてくるとは、吉田もさすがに腹に据えかねたのである。しかもそれが、海水注入によって「再臨界」になるのではないか、という官邸の懸念によるものだったことを知るのは、ずっとあとになってからである。
(第十三章 一号機、爆発)