10月15日 飛鳥駅前の2人乗りの超小型 レンタル電気自動車 MICHIMO(ミチモ)で西国三十三所の札所を巡ってきました。

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2年前の夏、レンタサイクルで壷阪寺へ行ったのですが、最後の山道がきつくて熱中症になりかけたことがあります。


レンタサイクルでの壷阪寺は避けたいなぁ
原付バイクか電動自転車を予約しようとネットで探しているときに MICHIMO を見つけました。


大和八木方面から来る場合は、橿原神宮前駅から飛鳥駅までの移動に時間がかかる場合があるので下のお店の方がいいかもしれません。


10時過ぎに飛鳥駅に到着。3時間(3240円)。最初20分ほどの講習を受けて6番 壷阪寺に向かいます。

結構スピードが出て、あの山道もスイスイと登って行きます。iPad のナビも付いているのでどこへ行くのもとても便利。でもウインカーとワイパーのレバーが左右逆なので、右左折時にワイパーを作動させてしまいやすいです。

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普通の車と同じように駐車場に停めるのですが、壷阪寺は MICHIMO だと駐車料金をタダにしてくれるのでラッキーでした♪

現在西国三十三所 草創1300年の記念事業として各札所の絶品スイーツを食べ歩く「スイーツ巡礼」なるものが行われています。

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岡寺推薦スイーツ9つの中から「今西誠進堂」のかめ団子(110円)を迷わず選んで MICHIMO を走らせます。

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明日香の亀石にそっくり

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すごくかわいくておいしいお団子でした♪

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行ったことのない甘樫丘などにも寄りたかったのですが、9番 南円堂もまわっておきたかったので1時過ぎに MICHIMO を返しに飛鳥駅へ。お店の人に記念写真を撮ってもらいました。

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南円堂にお参りして、興福寺に来たらやっぱりここだけは外せない国宝館の阿修羅像にご対面。
もちろん撮影禁止なので写真はネットからです。

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帰りは三条通りを歩いて、「中谷堂」の高速餅つきの実演を2回も観ました。
(HPからYouTube 動画が見られるので一度見てみてください)


つきたてのよもぎ餅(130円)をいただきます♪

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このお餅も外せない逸品ですね♪。

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今日は MICHIMO のおかげで楽しく短時間で札所を巡ることができ、久しぶりに阿修羅像にもお会いできました。ありがとうございました。

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あらすじ
ゆるされている。世界と調和している。それがどんなに素晴らしいことか。言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。」 ピアノの調律に魅せられた一人の青年。彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。
(2016年 第13回 本屋大賞受賞)

 

ひと言
もうすぐ2017年の一次投票が始まりますが、やっと借りることのできた2016年の本屋大賞作品。すごくわくわくして読みましたが、これが今年の大賞?と思ってしまう本でした。
決して悪い本ではないけれど、本屋大賞にはこういう音楽系の小説がノミネートされる傾向が強く、多くの音楽好きな書店員にベスト3に選ばれ、結果として大賞になってしまうのでしょうか? それに今年は ノミネート10作に4冊が選ばれ、13回目の本屋大賞で初の大賞を受賞した文藝春秋。
東山彰良の『流』や又吉直樹の『火花』は【売りたい】と思わなくても勝手に売れるから8位や10位でいいけれど、本屋大賞は、【売りたい】文藝春秋ではなく、こんないい本があるから多くの人に【読んでもらいたい】本を もう少し心がけて本のプロに選んで欲しいと思いました。
でも星座の数もピアノの鍵盤の数も両方とも88だとは知らなかったので勉強になりました。

 

 

多くのものをあきらめてきたと思う。山の中の辺鄙な集落で生まれ育った。家に経済的な余裕があるわけでもなかった。町の子供たちが当然のように受ける恩恵が、まわってこないことも多かった。あきらめる、という明確な意思はなかったにしろ、たくさんのことを素通りしなければならなかった。でも、つらくはなかった。はじめから望んでいないものをいくら取りこぼしてもつらくはない。ほんとうにつらいのは、そこにあるのに、望んでいるのに、自分の手には入らないことだ。
(P84)

 

 

音楽は人生を楽しむためのものだ。はっきりと思った。決して誰かと競うようなものじゃない。競ったとしても、勝負はあらかじめ決まっている。楽しんだものの勝ちだ。
(P146)

 

 

いつか柳さんとレストランの喩え話をした。誰が食べるかわからないから、どんなお客さんにも最初のひとくちでインパクトを与えられるよう苦心するのだ、という話。誰が食べるかわかっていれば、その人に照準を合わせることができる。好みのおいしさを提供することができる。調律も同じだ。誰が弾くかわかっているのなら、その人に一番似合う音色、その人の一番欲しい音色をつくればいい。
(P198)

 

 

「調律師に一番必要なものって何だと思いますか」思い切って聞いた。……。「根気」柳さんだった。「それから、度胸」秋野さんもぽつりと答えた。「あきらめ」口々に、思い思いの回答が出る。才能とか、素質とか、聞きたくなかった答えが出ないことが、今の僕には泣きたいほどありかたい。……。 「で、あきらめって、なんですか」……。「どれだけやっても、完璧には届かないよ。どこかで踏ん切りをつけて、これでおしまい、仕上げ、ってあきらめをつけなきや、ってこと」「あきらめなかったら、どうなるんです?」僕も聞きたかったことを柳さんが聞いてくれる。「いつまでもあきらめられなかったら、いつか気が狂うんじゃない」秋野さんはさらりと答えた。みんなが黙っているのは、同意のしるしだろうか。完璧を追い求めて、いつまでもあきらめられなかったら、気が狂ってしまう。一瞬でも、その危険を感じたことがあるのだろうか。
(P223)

 

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あらすじ
日本版「フランダースの犬」の誕生! 第二次世界大戦で両親をなくした少年、ツヨシ。幼い彼の前に現れたのは、虐待同然に働かされ、捨てられた大型犬だった。ツヨシはその犬に「ソラ」と名付け、家族同然に生活を共にし始める。生まれて初めて平穏な日々を過ごすことになった犬が心に宿した、飼い主への感謝と愛。しかし、別れのときは刻一刻と近づいてくる。「犬の愛」が最後に行きつくところとは、いったいどこなのか。「フランダースの犬」へのオマージュとして描かれた、傑作長編小説。

 

ひと言
テルアビブ?イスラエルの?何か違和感のある題名だなと思いながら、その意味は思い出せないまま読み進んでいき、最後の部分で、そうだ!昔テルアビブの空港で乱射事件があったことを思い出しました。読み終えて1972年のその事件について調べてみました。ツヨシ(剛)、風砂子(房子)、康三(公三)その実行犯や日本赤軍の幹部の名前が使われた小説。無差別テロについて多くの人に考えてもらいたいという作者のメッセージなのかもしれませんが、こういう描き方しかないの?。私は虚しさしか感じることができませんでした。

 

 

指の力をゆるめて手のひらを開き、少年はその石を見た。「ほおっ」と、感嘆の滲んだため息が出た。犬の瞳の色にそっくりな、青い石。大きさは、さくらんぼくらいか。「なっ、きれいやろ? 気に入ったか? それはな、トルコ石いうんや。よう覚えとき」「はい」そのあとに、少年が思っているのと同じことを、老婆は言った。「あんたのワンちゃんの目に、似てるやろ? 別名をターコイズいうてな、友情の石なんや。日本語では『空の石』ともいうんよ」「ソラの石? 友情の石、ですか?」「そうや、あんたらにぴったりな石やろ? 大事にしいや。石も友情もな」少年はぱっと顔を輝かせて、大粒のトルコ石を左の手のひらの上に載せかえると、右手の指先でそっと、撫でてみた。気に入った石を拾ったときには、いつもそんなふうにして、石を撫で、石に話しかけてきたものだった。話しかけたり、願を掛けたり。「ありがとうございます。大事にします」立ち上がった少年に、老婆は畳みかけた。「その石は、あんたを守ってくれる。ターコイズには、災難や危険や事故を遠ざけてくれる、厄除けの力があるんや。悪いモンからあんたらを守り、あんたの夢や信念や目標が達成できるような、そういう力を与えてくれる。がんばって、生きていきや。勇気と希望と行動力を持ってな。何事も、辛抱が肝心や。人生、捨てたモンやない。あきらめたらあかんよ」
(第六章 危険)

 

 

弱り切った足を動かし、せいいっぱいの速さで、しんしんと凍てつく暗い夜の雪道を、犬は駆け抜けていった。老犬の願いはただひとつ、自分の生涯の友である少年を追いかけ、追いつくことだった。走りながら、犬は問いかけた。何度も、何度も。忘れたのですか? あなたは、わたしが犬だということを。人ならこういうときには、まず自分が助かり、自分が暖まり、自分が満たされることを願います。そのあとに、他人のことを考えるのです。でも、犬は違います。犬はまず、愛する者のことを思うのです。愛する者が満たされていなければ、犬は決して、充足できないのです。自分のことは、あとまわしでいいのです。いちばん最後でいいのです。ツヨシ、あなたは、あなたと離ればなれになったまま、わたしがあの家でぬくぬくと、食べたり眠ったりできるとでも思っていたのですか?年老いた犬は、道ばたで死にかけていた自分を見つけ出し、助け出してくれた少年と老人の親切と、そのあとに施された愛情を未だに忘れてはいなかった。それどころか、まるできのう起こった出来事であるかのように、思い出すことができた。彼らの親切と愛情は、犬の体のなかに宿っていた。。生命そのものになっていた。その力がこの犬を突き動かしていたのである
(第八章 さようなら、愛しい者)

 

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けいすけでラーメンを食べて、KITTE名古屋に立ち寄ると「ジュヴォー」の生ロカイユ バニラ・カフェ(各 324円)が並ばずに買えました♪。
なかなか買えなかった生ロカイユですが、生ロカイユを食べた人から「すごく甘い」と聞かされていたし、所詮メレンゲを焼いたものがうまいはずはないだろうと、もうあまり期待はしていなかったのですが、やっぱり自分の口で確かめないと と思い食べてみました。
確かにとても甘くてたくさんは食べられませんが、外はサクッ、中はトロッの食感がよく、カリッとしたヘーゼルナッツがいいアクセントになっておいしいです♪。

 

失礼しました。さすが南フランスの代表的なお菓子です。ごちそうさまでした。

 

 

 

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今日は久しぶりの自転車通勤。ということでお昼は大名古屋ビルヂングに駐輪して「肉そば けいすけ」へ 肉そば醤油 味玉入り(880円)を食べに行ってきました。
東京系の醤油の真っ黒なスープは意外にスッキリあっさりして、醤油の風味もいいです。丼を覆い隠す程のチャシューから出る脂がスープに甘みを添えてとてもおいしいです♪。ごちそうさまでした。

 

 

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今日は8の日(28日)。前から行ってみたいと思っていた「はちの巣カフェ 西区店」へパンケーキ(セレブ)を食べに行ってきました。
8の日は、いつもは6枚のパンケーキが8枚になり、1050円が888円になりとってもお得なのです。シンプルだけどふわふわのパンケーキでメイプルシロップ、生クリーム、抹茶とバニラのアイスクリーム、それにフルーツも添えてあり飽きがこなくておいしいです。でもそれも3,4枚目まで、もう5,6枚でおなかがいっぱいで「げー!まだ2枚も残ってる……」最後はおいしさを通り越して憎しみの心が芽生えてきます。

 

わたしの世代の人間には基本的に残すという選択肢はありません。無理矢理完食。
普通8枚もパンケーキ食べられるわけないやろ!8の日は6枚→8枚というメニュー設定自体おかしいやろ!。でもおいしいパンケーキなので、次は「ジュニア(3枚)」にします。カップルで注文するのなら楽しくおいしいひとときを過ごせるかも…。

 

 

はちの巣カフェ
名古屋市西区城西5

 

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あらすじ
最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない――。虐待事件の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に自らを重ねていくのだった。社会を震撼させた乳幼児虐待事件と家族であることの光と闇に迫る心理サスペンス。

 

ひと言
これぞ角田光代というような本でした。日々の子育てで 追い込まれていく母親の心理を怖いほどに淡々と描いて、多くの女性が自分と里沙子や水穂を重ね、ゾッとしているのが伝わってくるようでした。
里沙子が裁判員ではなく、補充裁判員とした設定の、角田さんの意図が少し気になりました。
それにしても裁判員裁判の趣旨はある程度理解できなくもないが、もし自分が裁判員裁判に選ばれたら絶対に断るか、どういう罪になるのかわからないけど呼び出しを無視しようと思いました。(こんなこと書いてもええのかなぁ(汗)…)

 

 

長い時間のおすおり。まわりの子はまだだけれど、パッ、マーと言うことができる。水穂はきっと、育児書を読みふけり、出かける機会があればまわりの赤ん坊たちをじっくりと観察していたのだろう。この月齢では寝返りができて、自分のところよりちいさい子がもうはいはいしている……。里沙子にはその気持ちがよくわかった。どうしてあのとき、そんなことは意味がないとわかっていながら、まわりと比べることをやめることができなかったんだろう。あの子よりお行儀がいいと優越感を感じ、あの子より体重が軽いと劣等感に苛まれたのだろう。今だって完全に周囲を気にしないなんてことはないけれど、あのときは異常だった。そして不安のひとつひとつを、当然のことながら自分の母親になんて言えるはずがなかった。様子を見にこられたらいやだからじゃない、できていないと指摘されるのがいやだったからだ。里沙子はその思いつきにはっとする。そうだ、きっとそうだ。水穂も、あの母親にだめだと断じられるのがいやだったのに違いない。だから、…。
(公判六日目)

 

 

そもそも、赤ん坊を自分で傷つけ、それを妻のせいにする、そんな男などいるはずがない。みんなそう思っている。第一そんなことをする理由がない。目的もない。意味もない。あの人たちは―……。―理解するはずがない。ただ相手を痛めつけるためだけに、平気で、理由も意味もないことのできる人間がいると、わかろうはずがない。相手といったって、恨みのある相手でもなければ、何かの敵でもない。ごく身近な、憎んでもいない、触れあう距離に眠るだれかを、自分よりそもそも弱いとわかっているだれかを、痛めつけおとしめずにはいられない、そういう人がいるなんてこと。
笑いがこみ上げてくる。そうか。そうだったのか。
(公判八日目)

 

 

憎しみではない、愛だ。相手をおとしめ、傷つけ、そうすることで、自分の腕から出ていかないようにする。愛しているから。それがあの母親の、娘の愛しかただった。それなら、陽一郎もそうなのかもしれない。意味もなく、目的もなく、いつのまにか抱いていた憎しみだけで妻をおとしめ、傷つけていたわけではない。陽一郎もまた、そういう愛しかたしか知らないのだ――。 そう考えると、この数日のうちにわき上がった疑問のつじつまが合っていく。陽一郎は不安だったのだろう。自分の知らない世界に妻が出ていって、自分にはない知識を得て、自分の知らない言葉を話しはじめ、そして、一家のあるじが今まで思っていたほどには立派でもなく頼れるわけでもないと気づいてしまうことが、不安だったのだろう。裁判というものが、彼にとってそれほどの脅威を持ったものだったのに違いない。気づいてみれば、こんなにかんたんなことになぜ今まで気づかなかったのか、と思いかけ、問うべくもなく里沙子の内にすぐに答えは浮かぶ。考えることを放棄していたからだ。
(評議)

 

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あらすじ
友達のいない少女、リストカットを繰り返す女子高生、アバズレと罵られる女、一人静かに余生を送る老婆。彼女たちの“幸せ”は、どこにあるのか。「やり直したい」ことがある、“今”がうまくいかない全ての人たちに送る物語。

 

ひと言
「幸せとは…」この言葉を聞くと、私はいつも相田みつをさんの

 

 

「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」

 

 

が思い浮かびます。これからもこの言葉を、何げない日々のちょっとしたことにも感動し しあわせを感じる心を、忘れないように生きていきたいです。

 

 

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「人は、悲しい思い出をなくすことは出来ないの。でも、それよりたくさんのいい思い出を作って、楽しく生きることは出来る。……」(3)

 

 

「いいか、人生とは、自分で書いた物語だ」……。
「推敲と添削、自分次第で、ハッピーエンドに書きかえられる。いいか、別に喧嘩しちゃいけないんじゃない。でも、喧嘩することと仲直りがセットだってこと、あの時の私には分からなかったんだ。でも、お前はかしこいから、分かるはずだ。お母さんが、授業参観に行けないって分かった時、お前と同じくらい悲しかったこと。一緒に遊べないのが、お前と同じくらいに寂しいこと。それでも、お前に大好きな料理を食べさせるために働いて働いて、その中で、お母さんがお前と夜ご飯を必ず一緒に食べてくれることの意味。お父さんが誕生日には必ずお前の欲しいものを買ってきてくれることの理由を分かってるはずだ」(5)

 

 

「アバズレさんは、結婚したい人はいるの?」「いない。私は、あんまり結婚しようと思ってないからさ」「どうして?」アバズレさんは、天井を見上げて「んー」と考えてから、答えました。
「プリン、みたいなものなんだ。子どもの時の恋は、甘い部分だけ見てればそれでいいし、それって凄く素敵なことだ。皆、それは分かってるんだ。だけど、大人になると、プリンには苦い部分があることも分かって、いつの間にか、よけて食べることが悪いことのように思えて、一緒に食べるようになる。だけど、私はコーヒーやお酒と違って、恋の苦い部分が嫌いなんだ。それに頑張ってそこをよける作業も面倒だから、段々食べなくなってきちゃった」「難しいのね」(6)

 

 

「幸せとは、誰かのことを真剣に考えられるということだ」(8)

 

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あらすじ
ヒロシが小学1年生の時、父が交通事故で亡くなった。同乗していた会社の上司も一緒に。その日から、かあちゃんは笑わなくなった。一切の罪を一身に背負い、懺悔する日々が始まったのだ。それから20年以上の時が流れた。親友をいじめた。誰からも助けてもらえなかったあいつは、自殺を図り、学校を去った。残された僕たちは、それぞれの罪を背負い、罰を受けて、一人の年老いた「かあちゃん」に出会った。受け継がれてゆくものとは……。

 

ひと言
図書館でこの本を見つけ、「あれ、これ読んだことがない」と借りた一冊。
亡くなった人を忘れない。そうすればその人はあなたの心の中で生き続けるのだから…。これは昔、重松清さんに教えてもらったこと。これからもそのことを忘れずに毎日を生きてゆきたい。14日、親父の月命日の日に記す。

 

 

「ひとは、なして墓参りをするんじゃろうか」あんたはどげん思うな、と訊かれた。「……亡くなったひとの供養ですよね」……。「墓参りは、覚えとる、いうことじゃ」ヒバリが寺の真上で鳴きはじめた。その気ぜわしい声が、住職さんのゆっくりした口調に不思議と似合っていた。「墓に参って、手を合わせて、ああ、おかげさまでまた一年たちました、半年たちました、春が来ました、夏が来ました、いうて……おかけさまで元気で生かしてもろうております、いうて……忘れとりません、いうて……」歌うように言った住職さんは、石段を上ってきた人影に気づき、ああ、どうもどうも、と合掌して迎えた。
(第一章 アゲイン)

 

 

いじめっていうのは、居場所を奪うことなのかな――。ふと思った。好き嫌いとか、お金が欲しいからとか、ただ暴力をふるいたいからとか、遊び半分とか、いじめの表面的な理由はそれぞれでも、根っこにあるのは、その子から居場所を奪ってしまおうということなのかもしれない。だから苦しめる。ここにいてもキツいことしかないんだぞ、と思い知らせる。いじめに遭った子はどんどん居場所を奪われて、学校に行けなくなって、最後の最後は「生きていける場所」そのものがなくなってしまって……死を選んだりする。……。コージに脅されて黒川くんのいじめに加わった二人も、黒川くんの代わりに標的にされて、居場所を奪われるのが怖かったのだろう。「みんなと一緒に黒川くんをいじめる場所」しか、二人には許されていなかったのだろう。
(第三章 リピート)

 

 

お母さん――。ぼくたちは、まだ、終わってないよね――。ゆうべ森美帆に言われた言葉を思いだした。いままでのなにかを終わらせるためではなく、新しいなにかを始めるために、会わなければいけないひとが、いる。黒川の顔が浮かんだ。青い空が、まぶしすぎる。
(第六章 ドロップ)

 

 

千葉はつづけて言った。「謝ることと償うことって、違うよね。『謝る』は相手にゆるしてもらえないと意味がないけど、『償う』は、たとえ相手にゆるしてもらえなくても……っていうか、ゆるしてもらえないことだから、ずっと償っていかなきゃいけないと思うの」……。「河野くんに教えてもらったの、それ」「啓太に?」
(第七章 リメンバー)

 

 

ただ、今日、長かったなにかが終わるのだとは思う。おふくろが背負ってきた重荷は、捨て去って消えるのではない。背中の荷物を体の前に回して、いとおしそうに抱きしめることで、静かに溶けて、消えて、胸に染み込んでいくのだと思う。そして、今日からまた、なにかが始まってくれればいい、と思う。
(第八章 アゲイン、アゲイン)
 

 

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今日のお昼も、円頓寺商店街の「天寅」でミックス天丼(1050円)をいただきました。カウンターに座わり ご主人の手際のいい 揚げさばきを観ているだけでおいしいのがわかります。海老2尾(1尾はしそが巻いてあります)。キスともう一匹はわかりませんが魚2匹、えのき(こんなてんぷらもあるんですね)ピーマン、南瓜、蓮根、インゲン、大葉、ノリ…。1時過ぎでお客も一段落してたくさんの具材をサービスしてくれたのかもしれませんが、こんなに具材がたくさんの天丼ははじめてです♪。おいしい天丼ごちそうさまでした♪。

 

もっといろいろなお店にも行ってみたいと思わせる人情味あふれる円頓寺商店街でした。

 

 

天寅(食べログ)
名古屋市西区那古野1