あらすじ
2001年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、王宮で国王をはじめとする王族殺害事件が勃発する。太刀洗はジャーナリストとして早速取材を開始したが、そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女の前にはひとつの死体が転がり……。「この男は、わたしのために殺されたのか? あるいは――」疑問と苦悩の果てに、太刀洗が辿り着いた痛切な真実とは?
(2016年本屋大賞 6位)
ひと言
400ページ超の本ですが、引き込まれてどんどん読み進められました。ミステリーと思って読んだ人には物足りないかもしれませんが、ジャーナリズムとは何か。あるべき姿とはを考えさせられる一冊でした。
「確かに信念を持つ者は美しい。信じた道に殉じる者の生き方は凄みを帯びる。だが泥棒には泥棒の信念が、詐欺師には詐欺師の信念がある。信念を持つこととそれが正しいことの間には関係がない」
(9 王とサーカス)
一九九一年、長崎県。雲仙普賢岳で、大規模な火山活動が観測された。噴煙が噴き上がる中、間近に迫った噴火を報じようと、複数の記者が現地に入っていた。彼らの一部は、迫力のある映像を撮るため、立入禁止とされた区域にまで入り込んだ。大規模な火砕流が発生し、麓に押し寄せた。火山活動は先が読めない。突然の火砕流に、逃げる時間はほとんどなかった。普賢岳の取材は四十三人の死者および行方不明者を出す惨事となった。わたしはその頃、高校生だった。後に東洋新聞に入社した時、先輩からこう教わった。「事件の前線に出る以上、記者が危ない目に遭うのは、ある程度は仕方がないとも言える。だがな、憶えておけ。俺たちはもう絶対に、タクシーの運転手まで巻き込んではいけない」普賢岳の取材事故では、深入りした記者を引き返させようとした地元消防団の人間や、迫力のある写真が撮れる場所まで記者を連れていったタクシー運転手も犠牲になった。彼らの死は巻き添えであり、原因を作ったのは間違いなく記者だった。無関係の人間を死なせてしまったという痛恨の念は受け継がれ、いまもわたしたちの意識の底流にある。……少なくとも、万が一の時に浴びる社会的な批判を恐れ、危険地帯での取材には報道機関の社員ではなくフリーの人間を送り出すという傾向が生まれた。
(11 注意を要する上出来の写真)
ラジェスワルが言ったとおりだ。このニュースを日本に届けたところで、どこかの国での恐ろしい殺人事件として消費されていくだけだろう。「安全第一が報道の原則なら、「悲劇は数字になる」は報道の常識だ。一国の皇太子が国王と王妃を殺害して自殺したというニュースは、さまざまな陰謀説も含めて、ひとときの娯楽を提供するだろう。……そして、次のニュースに押し流される。たぶん東名高速の玉突き事故か、政治家の失言か、そんなニュースに。ニュースのほとんどは、ただ楽しまれ消費されていく。後には、ただかなしみを晒されただけの人々が残る。
(11 注意を要する上出来の写真)
知りたいと思うことはエゴかもしれないけれど、そこには一抹の尊さがあると信じる。ただ知ることを求め、一心不乱に調べ学び続ける人間は、美しくさえあるだろう。けれどそれを他人に伝え広める理由はどこにあるのか。
(12 茶話)
「『ハゲワシと少女』になりそう」報道写真に与えられる最高の名誉、ピューリッツァー賞を得た写真のことを連想する。一九九三年、内戦が続くスーダンで、報道写真家ケビン・カーターは一人の少女を発見した。四肢は痩せ衰え、栄養失調で腹ばかりがふくらんだ少女が、乾いた大地にしゃがみ込んでいる。その数メートル後ろでは、地面に下りた一羽のハゲワシが少女の方を向いている。写っているものは、それで全てだ。けれどこの写真は強い連想を呼び起こす。ハゲワシはなぜそこにいて、しゃがみ込む少女を見ているのか。……間もなく命尽きる少女を、餌食にするためだ。飢餓ゆえに人間が死に、鳥がそれを食おうとしている。
この写真は、その内包するメッセージの強さゆえにピューリッツァー賞を得た。しかし写真家は賞賛だけでなく、大きな批難にも晒された。「なぜ」と批判者は言った。「なぜ、少女を助けなかったのか? その場にいながらあなたはただそれを撮るだけで、死のうとしている少女のためには何もしなかったのか?」写真家は反論した。そうではない。見殺しにしたわけではない。私は、少女が自力で立ち上がって配給所へと歩き出すのを確かめてから、その場を立ち去ったのだ、と。しかし、少女の無事を見届けるカメラマンを撮った写真はない。疑問と批難の中、ピューリッツァー賞受賞者ケビン・カーターは、自らの命を絶った。「ハゲワシと少女」は、ジャーナリズムに根本的な問いを突きつけた。この世の悲惨を伝えられるということは、その場に立ち会っていたということだ。なぜ助けなかったのだ。お前は何をしていたのだ――。
(14 ハゲワシと少女)
もしわたしに記者として誇れることがあるとすれば、それは何かを報じたことではなく、この写真を報じなかったこと。それを思い出すことで、おそらくかろうじてではあるけれど、誰かのかなしみをサーカスにすることから逃れられる。そう信じている。
(23 祈るよりも)