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あらすじ
2012年NHK大河ドラマ『平清盛』を、番組脚本をもとに完全ノベライズ。今からおよそ900年前、混迷を極めた平安末期。この国の行く末を示すべく生まれたひとりの男 ― 平清盛。本当の親を知らないまま、武士の新興勢力・平氏のもとで育てられた少年は、養父・忠盛とともに海賊討伐をおこない、やがて一人前のサムライへと成長していく。青春期の清盛像を生き生きと描く、シリーズ第一巻。

 

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あらすじ
清盛、武士の世をひらく
妻・明子の死後も、祇園社の争いや一門の不和などさまざまな試練が清盛を襲う。悩み惑う清盛だが、父・忠盛の死をきっかけに平氏の棟梁として武士の世を切りひらくことを決意する。一方、鳥羽院亡きあとの朝廷では政争が激化。1156(保元元)年、後白河帝と崇徳院、関白忠道と弟頼長の対決が清盛ら武士を巻き込み、「保元の乱」が勃発する。シリーズ第二巻。

 

 

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あらすじ
武家の覇者、この国の覇者
保元の乱でその力を世に知らしめた清盛は、1159(平治元)年、信西暗殺に端を発した争乱「平治の乱」で盟友・源義朝と太刀を交えた。勝利した清盛は、武士として初めて公卿(くぎょう)となり宿願を果たす。太政大臣までのぼりつめた清盛だが、古い政治体質に失望し、わずか百日で辞職。出家後、福原に移り住み、宋との交易を中心とした理想の都づくりをはじめる。シリーズ第三巻。

 

 

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あらすじ
栄華の果て、清盛の夢
清盛は、日宋貿易を中心とした新たな国づくりを進めていた。1176(安元2)年にライバル・後白河法皇との橋渡し役であった建春門院が亡くなると、清盛は反平家勢力を一掃し、都を福原(神戸)に移す。権勢をほしいままにする清盛の専制は貴族・武士双方の反発を招き、東国では、政子との婚姻を通じて北条氏の後ろ盾を得た源氏の御曹司・頼朝が立ち上がろうとしていた。 シリーズ完結編。

 

 

 

ひと言
全4巻 約1200ページ。読むのに10日ほどかかりましたが大河ドラマの脚本通りの本で、ドラマでの配役やセリフを思い出しながら読みました。ドラマもよかったですが、好きな場面をすぐに読み返すことができる本もいいですね。

 

 

 

着物を洗っていた舞子が、小さな声で歌を口ずさんだ。

 

 

♪遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ動(ゆる)がるれ

 

 

「……なんだその歌は」 「今様にござります」 「流行り歌か。のんきな歌だな。遊ぶため、戯れるために生まれてきたとは……。生きることは子どもの遊びのように楽しいことばかりではない」 「……されど、苦しいことばかりでもありませぬ。子どもが遊ぶときは、時のたつのも忘れて、目の前のことに無心になっておりまする。生きるとは、ほんとはそういうことにござりましょう。うれしいとき、楽しいときも。また、つらいとき、苦しいときさえも。子どもが遊ぶみたいに夢中になって生きたい。そういう歌だと思って、私は歌うておりまする」「夢中で……、生きる……?」 忠盛は、あたかも自問するかのように繰り返した。舞子が洗濯した着物を絞り、それを広げて血の匂いを確かめた。「やはり取れませぬね」 舞子はそう言いつつ、忠盛ににっこりと笑いかけた。「いつか、わかるのではござりませぬか。夢中で生きていれば。……なんのために太刀を振るっているのか。なにゆえ武士が今の世を生きているのか」
(第一章 ふたりの父)

 

 

牛車は璋子の別宅に入った。璋子はここの一室で、堀河局や女房たちと歌合せを楽しもうというのだ。堀河局は才色兼備で知られる女流歌人だけに、和歌は得意とするところだ。

 

 

長からむ 心も知らず わが袖の 濡れてぞ今朝は ものをこそ思へ

 

 

堀河局が詠んだ歌に、「なんと艶めかしい」と女房たちからため息が漏れた。「殿方がどう感じたものか、聞いてみとうござりまするな」 など言い出した女房がいて、北面の武士から適当にひとりが選ばれた。「はい。後朝の別れのあと、男への思いと疑いに心乱れ、涙に袖を濡らすさまが胸に迫りましてござります」 さすが文武両道に長けた北面の武士だけあって、歌に詠まれた女心をすくい取ってみせた。……。
次に義清が感想を求められた。「みなの申すとおり、よい歌と存じます。されど……『長からむ』と始めたのなら、『わが袖』よりも『黒髪』を持ってきてはいかがにござりましょう」 義清の指摘が鋭く、堀河局は不意を衝かれた。「で、では『濡れてぞ』はどうなりまする」「『乱れて』となさってはいかが」 璋子が声に出して詠んでみる。

 

 

「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ……」

 

 

「後朝の寝乱れた美しい黒髪が、千々に乱れる女心を絵のように表し、ますます艶やかな調べになると存じます」
(第四章 殿上の闇討ち)

 

 

『日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたうかすみたるに紛れて、かの小柴のもとに立ち出でたまふ……清げなるおとな二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て、走り来る女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、うつくしげなる容貌なり……雀の子を犬君が逃がしつる。伏龍の中にこめたりつるものを。とて、いと口惜しと思へり』 時子はうっとりと『源氏物語』を閉じた。「若紫」の巻である。 「ああ……これが光源氏と紫の上の出会いなのね。閉じ込めておいた雀の子が、龍から逃げてしまった。これはお告げなのですね。幼い紫の上の、まだ胸の奥の奥に閉じ込めてある、人を恋うる心が、やがてぱあーっと飛び出すときがくることの!」 時子は王朝文学にあこがれ、恋に恋する十歳の乙女だ。……。……。
「……見くびるでない」 静かな憤りが、清盛の口を衝いて出た。 「俺が住吉明神のお導きでそなたを想うておると申すか。見くびるでないぞ! 俺は、そなたを見たとき、なんと清げなる女かと思うた。そなたの作った夕餉を食い、毎日食いたいと思うた。海賊や唐船の話に目を輝かせているそなたを見て……生涯、俺のそばにおってほしいと思うた。俺は俺の心に従い、そなたを妻にしたいと申しておるのだ!」 清盛の熱い告白が、明子の頑なな心をとかし、明子の双眸から涙がこぼれ落ちた。 「……海に、行きとうござりまする。海に行って、船に乗って。見てみとうござりまする……清盛様の目に映っている、広い広い世を」 明子は涙をぬぐい、まっすぐに清盛を見た。 「お供させていただけまするか?」 「……きっとじゃ。きっとそなたを海へ……広うておもしろい世へ、運れていってやる」 明子が涙に潤んだ目をしている横で、基章が感無量の面持ちをしている。 時子は小柴垣からそっと離れた。『源氏物語』をしっかりと抱え、通りを小走りに行く。 「……雀の子を、犬君が逃がしつる。伏龍の中に、こめたりつるものを……」 時子は潤んだ目で諳んじた。胸がぎゅーっと締めつけられている。これまで感じたことのない甘美な痛みだった。
(第七章 光らない君)

 

 

同じ頃、忠正は四人の息子たちを連れて、崇徳院方が本陣を置く白河北殿にいた。頼盛から忠正の離反を知らされると、清盛はただちに連れ戻そうとした。頼盛が乗っていた馬を奪い、騎乗しようとした清盛を、家貞が必死にしがみついて止めた。 「殿! なりませぬ。もとより忠正様の心の軸は平氏を守ること。こたびの戦、断じて平氏を絶やさぬために戦う覚悟なのでござります!」 「生きるも死ぬももろとも! それが平氏の絆じゃ。絆を断ってなにを守れるというのじゃ!」 清盛は力任せに家貞を振りほどこうとした。 「きっとそう仰せになるであろうと。叔父上よりお言伝がござります」 頼盛は涙ぐみ、忠正の言葉を伝えた。
(清盛。お前とわしの間に、絆など、はなっからないわ)
清盛は地面に座り込み、何度も何度も拳を叩きつけた。「叔父上……!」 忠正はとうとう清盛に笑顔を見せなかった。にもかかわらず、清盛は熱いまぶたの裏に、忠正の笑顔を見たような気がした。
(第二十章 前夜の決断)

 

 

平清盛、源義朝ともに後白河帝に味方して戦ったが、勝利の代償はとてつもなく大きかった。清盛は叔父・忠正、義朝は父・為義、いずれも崇徳院方についた身内の命を絶つという悲痛を味わう結果となった。敗者側に苛酷な裁断を下した背景には、武士の力を利用する一方、この機に乗じて長く続いた藤原摂関家の権力を削いでしまおうという策謀があった。その策謀を仕組んだ者こそ、清盛の人生に大きな影響を与えた知者であり、御白河帝の乳父でもある信西だった。
(第二十四章 清盛の大一番)

 

 

清盛たちも、衣ずれの音とともに現れた重盛に驚いた。 「……重盛。その姿はなんとした」 「父上こそ、そのお姿は、なにごとにござりますか」 「しばらくの間、法皇様にこの館においでいただこうと思うてな」 「……なんと情けないお言葉。一門の運も尽き果てたのでござりましょう。人は運が傾き始めると、必ず悪事を思いつくものにござります」 「これは悪事ではない。国づくりじゃ」 「法皇様がおられてこその国でござりましょう」 「それはやってみねばわかるまい。この平清盛がやって見せてやると言うておるのだ」 重盛は面やつれした顔で、目だけ鋭く清盛を見据えた。 「……わかりました。では法皇様の御所は私が警固いたします。五位に叙せられてからこちら、法皇様のご恩を受けなかったことなど一度もござりませぬ。その恩の重さをたとえれば、千粒万粒の宝玉よりも重く、その恩の深さをたとえれば、幾重にも染めた紅の色よりも深いでしょう。ゆえに私は御所へ参り、いくばくかのわが手勢を連れて法皇様をお守りします」 「……重盛。いま一度言う。これはわしの国づくりじゃ。それを阻むと言うのじゃな? 平家の棟梁たるそなたが。わが子であるそなたが」 清盛と重盛は、いずれも信念を貫こうとして相手を睨み据えた。 みなが静まり返り、固唾をのんでふたりを見守る中、重盛の双眸からはらはらと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……悲しきかな、法皇様に忠義を尽くそうとすれば、須弥山の頂よりもなお高き父上の恩をたちまち忘れることになります。痛ましきかな、父上への不孝から逃れんとすれば、海よりも深き慈悲をくだされた法皇様への不忠となります。ああ。忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず。進退これきわまれり。是非いかにもわきまえがたし……!」 
重盛は滂沱(ぼうだ)の涙に頬を濡らして訴え、清盛の前に手をついた。 「かくなるうえは――この重盛が首を召され候え……! さすれば御所を攻め奉る父上のお供もできず、御所の警固もできますまい……」 清盛が諦めたように苦笑をもらした。 〈重盛の命がけの懇願に、清盛も析れざるを得なかった。だがこの重盛の一途な忠義、孝行こそが、後白河院のつけ入る隙でもあった〉
(第四十三章 忠と孝のはざまで)

 

7月15日 今日は祇園祭 宵々山。山鉾に上がったことがないし、以前から鞍馬温泉にも行ってみたいと思っていたので2週続けて同じ特急で京都へ行ってきました。

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先ずは「くじ取らず」で毎年先頭の長刀鉾にご挨拶。まだ11時前なのに 粽(ちまき)か御朱印なのか とにかくすごい行列で四条烏丸の交差点を北に曲がったところまで行列です。さすが長刀鉾。

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山鉾屈指の装飾品の豪華さと言われる人気の月鉾です。けっこう行列でしたが、ちまきをいただき、鉾に上がらせていただきました♪。

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「くじ取らず」で前祭の最後から2番目の岩戸山では鉾の前で「食べられるちまきです。どうどすえ」ときれいなお姉さんが通る人に声をかけていました。

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車につける交通安全のちまきをいただき、山鉾に上がらせてもらいます。「動く美術館」と言われるだけのことはあります。

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白楽天山で合格手形をいただいたりして数台 山鉾を観てまわりましたが、とにかく暑い!!。汗だらだらです。「暑くなければ祇園祭じゃない」ですが、この後 鞍馬の山を歩きまわらないといけないので 名残惜しいですが出町柳へと向かいます。

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出町柳といえば「出町ふたば」。先週の「ふたば七条」の味を思い出しながら名代 豆餅(180円)をいただきます。ん…。塩味がちょっと薄い!ふたば七条と同じ味。今日も汗だくで体の塩分がぬけているのかなぁ…。

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駅で叡山電車の乗車券(420円×2+貴船口―鞍馬 210円)と鞍馬寺の入山料(300円)それに鞍馬温泉の露天風呂の入浴券(1000円)がセットになった鞍馬・貴船散策チケット(1800円)と、出町柳駅の志津屋でサンドを買って電車の待ち時間に昼食です。

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30分ほどで鞍馬駅に到着。ここからは牛若丸も歩いただろう山道をひたすら歩きます。

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ケーブルカーには乗らず鞍馬の火祭(時代まつりと同じ10月22日)で有名な由岐神社にお参りします。

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(写真はネットより拝借)

すごい汗です。冗談ではなく途中ハンカチをしぼりながら汗を拭きふき九十九折参道を登ります。そのご褒美のような鞍馬寺の本堂へ続く新緑が美しい石段の景色です。

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鞍馬寺から奥の院への道も一本道で迷うことはありません。途中木の根道で記念写真。

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義経堂にお参りします。

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やっと鞍馬寺西門に到着。奥の院魔王殿からの下りは段差がきつく、もう膝もガクガクです。

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貴船神社にお参りします。「恋の宮」と言われるだけあり、本宮にお参りする長い行列は女の人やカップルでいっぱいです。

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七夕飾りがとてもきれいでした。今年の旧暦の七夕は8月28日

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水占みくじをやりました。水に浮かべると文字が浮き上がってきます。結果は大吉でした♪

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貴船神社の参拝には順序があり、本宮 奥宮 結社の順にお参りしなければならないとのこと。もう足もガクガクで早く鞍馬温泉に行きたいところですが頑張って奥宮へ。

途中、川床で流しそうめんがお値打ちな値段で食べられるという 「ひろ文」 さんの横を通ります。

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奥宮 結社にお参りして、貴船のバス停へ。当初は貴船口駅まで30分ほど歩くつもりでしたが、もう足が……。ガーン!すごいバスを待つ人の行列。貴船の神様、予定通り歩け!ということなのですね…。

歩いたご褒美なのか、貴船口駅から一駅ですが、乗りたかった展望列車「きらら」に乗ることができました♪。

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再び鞍馬駅に降りると、電車の時間に合わせて送迎のマイクロバスが待ってくれています。ありがとう。もう歩きたくないのでとてもうれしいです。

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(写真はネットより)

お風呂は15人ほどの人で、ほとんど外人さんばかりでした。少し熱めですが、疲れが取れてすごく気持ちがいいです♪

予定ではこの後 京阪電車の祇園四条で降りて 提灯に灯の入った山鉾を再び観に行く予定でしたが、そのまま丹波橋まで乗って、18時52分発の近鉄特急で帰りました。

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(もし行ってたら こんな感じ 15日午後7時17分 京都新聞より)

15日の京都の気温は35.8度。ほんとうに熱中症になりそうなくらい暑く、足がガクガクになるくらい歩きましたが、山鉾にも上がれて大満足の京都旅でした。
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今日から始まる名古屋タカシマヤの四国瀬戸内味めぐり。香川県坂出市の「日の出製麵所」がイートインと販売で出店するということなので 初日で混んでるとは思いましたが、どうしても食べたくてお昼を食べにいきました。

 

このお店、あくまでも本業の製造、卸の製麵所にこだわり11時30分~12時30分の昼間1時間しか店頭での打ち立てうどんが食べられないのです。わざわざ香川に行ったとしても食べられるという保証がないお店なんです。そのお店が、私たちにおいしいうどんを食べさせてあげようとわざわざ名古屋に来てくれました♪。他のお客さんもよく知っていて、多くの人が並んでいます。20分ほどで席に案内されました。チラシに載っていた、限定100食のすだちうどんに似た ひやかけうどん(1151円)と釜玉うどん(432円)の2つをいただくことにします。
2食は食べ過ぎかもしれませんが、また 食べられるという保証もないし…、ほんとうはぶっかけも食べたかったくらいです……。さすが王道の日の出の釜玉、一口食べて笑顔がこぼれてきます。すだちうどんは初めてでしたが、こういう味、こういううどんの食べ方もあるんだと新発見でした。家でも食べられるようにとお土産も……。

 

 

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おいしいうどんをほんとうにありがとう♪ごちそうさまでした。

 

 

日の出製麺所
香川県坂出市富士見町1丁目

 

7月8日 今日はお天気もよく 以前 「笹屋伊織」のブログで書いたように、京都の教王護国寺(東寺)と蓮華王院(三十三間堂)に行ってきました。

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近鉄蟹江を7時20分発の急行に乗り、伊勢中川で8時34分発の京都行特急に乗り換えます。大和八木での乗り換えなしに そのまま京都まで行っちゃう電車なんて初めてです。楽だし 特急料金1320円だし 癖になりそう♪。10時21分に京都駅に到着。ひと駅 東寺まで戻ります。

東寺のHPにもあるように、まずは弘法大師がおはします御影堂(改修工事中でした)へ、ちょうど11時のお勤め?なのかお経が始まり、ご一緒させていただくことができました♪。

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講堂の立体曼荼羅、金堂の薬師三尊像と薬師如来を下から支える十二神将も見事でした。いつもは西国三十三所巡りの京都で、十分な時間を取れないことが多かったですが、ゆっくりたっぷり観てまわれて大満足の東寺でした。

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次は是非宝物館の両界曼荼羅図の特別公開のときに訪れたいです。

観智院を拝観し洛南高校の横を通り、大宮七条の「ふたば七条」まで歩きます。

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「出町ふたば」から暖簾分けを許されたお店で、もちろんいただくのは豆餅(150円)。次の三十三間堂へ行くバスを待つ間にいただきます。

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おいしい豆餅ですが、「出町ふたば」とはちょっと違うかな。「出町ふたば」のおいしさは「塩梅」。絶妙な塩味だと思っているのですが、「ふたば七条」さんのは塩味が少し薄いかな…。それとも今日は暑く、汗をかいて体の塩分が抜けているからそう感じるのかな…。

「笹屋伊織」さんのちょうど向かいのバス停から急行110系統で三十三間堂へ。
先に、堂のすぐ南にある「お好み焼 吉野」さんへ。

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口コミで話題のホソ玉をそば入り(1180円)でいただきます。 ホソとは京都でよく言われるホルモンの部位で牛の小腸ということですが、このホソのお好み焼きがめちゃくちゃおいしいです!

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さすが京都 No1(食べログ 7月8日現在)のお好み焼きだけのことはあります。とても気さくなおばちゃんと息子さんが切り盛りしているお店でおすすめです。

ホソ玉を食べ終えて、三十三間堂へ。太閤塀などを先に観て、外から三十三間堂の大きさを体験。

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千体千手観音立像とご対面です。もう言葉にできないぐらい圧巻です!

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(写真はネットの写真を拝借しました)

京都駅の志津屋(SIZUYA)で元祖ビーフカツサンド(500円)やカルネ(180円)などを買って電車に乗ります。カルネは ほんとうに久しぶりで懐かしく美味しかったです。

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最近車を新しくしたので、お土産に三十三間堂の交通安全錫杖守りをいただきました。

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8日の京都市の最高気温は35度でした。祇園祭も始まり、ますます暑くなる京都ですが また ゆっくりと巡りたいです♪。
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今日は七夕。名古屋タカシマヤのチラシに載っていた「鈴懸」のなゆた(400円)【7月1日~7日の限定販売】が食べたくて買いに行きました。那由他(なゆた)とは 一、十、百、千、万、億、兆 ……のような数の単位の一つで10の60乗を表す数です。
4種の羊羹を重ね、なゆたの輝きを放つ星を表現。上段のイエローはレモン風味でさっぱりと涼やかに
(チラシのキャッチコピー)

 

「なゆたの輝きを放つ星」。ハートを撃ち抜かれたような素敵なフレーズに、いつ食べるの?七夕の今でしょ。運のいいことに一日20個限りの 陽の雫(443円)もまだ残っていました♪。
おいしいお菓子 ごちそうさまでした。ステキなひとときをありがとう。

 

 

鈴懸
名古屋市中村区名駅1 ジェイアール名古屋タカシマヤ B1F

 

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あらすじ
帝国主義戦争の時代にあって、漱石は何を問いかけ、恋愛や明治の精神を作品化したのか。現代の状況とも重ね合わせて漱石の世界に誘う。生徒との交流も踏まえて前編書き下ろし。そこには新たな発見が!

 

ひと言
図書館のジュニアの新着コーナーにあり、ぱらっと見てみると中高生向けとは思えないくらいしっかりした内容の本(失礼しました)なので借りました。東京大学の大学院で夏目漱石研究を専攻されている教授の本だけあり、えっ、こんな難しい本を中高生が読むの?!と驚きの連続でした。
例えば 「意識の流れの一瞬を微分的に図式化すると先の波形の図になるのだが、それを逆に積分すると「一時間」、「一日」ともなり、……。」
帯にもあるように、へぇそうだったんだと再発見させてくれたり、漱石と著者との出会いの記述も面白く、少し難しいですが、未来を担う中高生に是非読んでほしいと思う本でした。

 

 

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」とはじまるこの小説は、「名前はまだつけて呉れないが欲をいっても際限がないから生涯此教師の家で無名の猫で終る積りだ。」という一文でしめくくられている。
「名前」が「無い」こと、つまり「無名」であることが、『吾輩は猫である』という小説の枠組になっている。飼い猫であるにもかかわらず、「名前」をつけない苦沙弥の態度は、この物語の大切な前提でもある。 外界のモノやコトに「名前」をつけることは、それ自体として存在する対象を言葉に置きかえ、そうすることによって人間の意識の内側に取り込んで認識し、その認識を同じ言葉で外側の他者とのやりとりを可能にする、人間独自の営みに組み込むことにほかならない。言葉を操る生き物としての人間が外界とかかわるときの、最も基本的な姿勢である。 その意味で『吾輩は猫である』は、語り手としての「吾輩」という猫に、名前が与えられていないことにおいて、人間の言語活動そのものの基本的な在り方を強く意識化させる小説なのである。
(二章 帝国主義戦争下での作家的出発)

 

 

意識の流れの一瞬を微分的に図式化すると先の波形の図(省略)になるのだが、それを逆に積分すると「一時間」、「一日」ともなり、さらには「一年十年に渡るF」をもそれぞれ抽出することができるのである。これを大別すると、「(一)一刻の意識に於けるF」、「(二)個人的一世の一時期に於けるF」、「(三)社会進化の一時期に於けるF」に分けて考えることができると漱石は述べ、「(三)」のレベルに関してはこれは「所謂時代思潮(Zeitgeist)」であると夏目金之助は定義している。
(【注】Fは焦点的印象又は観念を意味する)
(二章 帝国主義戦争下での作家的出発)

 

 

ではなぜ朝日新聞側は漱石夏目金之助を、専属の新聞小説作家として雇ったのか。そこには日露戦争後の新聞をめぐる厳しい状況があった。新聞が最も儲かるのは戦争報道である。その戦争が終ってしまったのだ。 「強制徴兵」制の大日本帝国が初めて行った大規模な対外戦争が日清戦争(一八九四〜九五)であった。海外で戦争を遂行している場合、前日の戦闘の状況、すなわち「強制徴兵」で戦地に出ている家族の一員である兵士としての男性の安否を知る手段は、電信や電報で現地から戦況情報が送られてくる、天皇直属の陸軍参謀本部と海軍軍令部に入ってくる「官報」を新聞で読むしかなかった。……。 現在あたり前になっている、朝起きると新聞が各家の新聞受け(郵便受けを兼ねる)に配達されているというシステムも、日露戦争のときに全国に拡がっていったのである。新聞記者が取材のための努力をしなくても、毎日読者がお金を払ってまでも知りたい、「強制徴兵」された身内の男性たちの安否と生死を知ることのできる情報媒体は新聞だけであり、戦争は確実に刻一刻と「強制徴兵」による大日本帝国陸海軍人、すなわち強制的に兵士にされた身内の男性の生死という、最も価値の高い情報商品をもたらしていたのである。
しかし、一九〇五(明治三八)年九月五日のポーツマス講和条約以後、戦争情報は無くなってしまう。日露戦争後の新聞読者の新しい市場を切り開くため、朝日新聞主筆池辺三山は、社会面の改良と小説欄の充実に乗り出した。この年の末には政治小説作家であった須藤南翠(一八五七〜一九二〇)や、初代主筆でもあった小宮山天香(一八五五〜一九三〇)などを退社させ、新時代の小説家としての夏目漱石の獲得に三山は動いた。結果として一九〇七(明治四〇)年の入社となった。
(三章 日露戦争後文学を担う新聞小説作家誕生) 

 

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あらすじ
花も鳥も風も月も 森羅万象が、お慕いしてやまぬ女院のお姿。なればこそ北面の勤めも捨て、浮島の俗世を出離した。笑む花を、歌う鳥を、物ぐるおしさもろともに、ひしと心に抱かんがために……。高貴なる世界に吹きかよう乱気流のさなか、権能・武力の現実とせめぎ合う“美"に身を置き通した行動の歌人。流麗雄偉なその生涯を、多彩な音色で唱いあげる交響絵巻。

 

ひと言
707頁 けっこう読みごたえもあり、少し難しいので、古語を引きながらの読書でしたが、楽しく読ませてもらいました。恋愛小説のような西行と待賢門院との描き方もロマンチックでよかったです。

 

 

願ひおきし 花のしたにて をはりけり 蓮(はちす)の上も たがはざるらん

 

 

藤原俊成がこんな泣かせる歌を詠んだから、願はくは…… がこれほど有名になり、西行が伝説の人になったんだろうなぁ。 本書の締め括り

 

 

仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば

 

 

も泣かせてくれます。とても素敵な本をありがとうございました。

 

 

「畏れ多いことでございます」義清は冠をかぶった頭を深く下げました。「これから、北面をお暇いただきましたら、義清は浮世を出離し、ひたすら虚空を我身に引き受け、そこに見えてくる花の懐しさ、月の懐しさを言葉の器に掬いあげる所存でございます。それにしましても、このようなご厚情をかけていただいた院との契りの有難さを思うと、とても、川に舟を乗り出すようには、お別れ申しあげることはできません」義清の言葉は涙で跡切れました。「今はただ、花の懐しさ、月の懐しさに出遇うために、院とお別れさせて頂きとう存じます」鳥羽院も涙を浮べ、義清のほうをじっとご覧になりました。「もう一度、離宮の庭で、義清の見事な蹴鞠を見たかった」鳥羽院が立たれたとき、義清は歌を認(したた)めた短冊を差し出しました。

 

 

惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をも助けめ

 

 

歌を読み終ったとき、鳥羽院は義清のそばに片膝を突き、義清の手を執ってこう言われました。 「天位、臣ヲ以テ報ハルというが、それは、義清のような臣を持つことであろうな」 それから侍従二人を従え、寝殿の奥へ遠ざかってゆかれました。義清は頭をあげることができませんでした。その義清の身体を包むようにして、八条第を囲む木々から一段と喧しい法師蝉の声が止むことなく鳴きしきっていたのでした。
(七の帖)

 

 

「あの事件(得子さま呪胆事件)がかかわりないとは申しません。でも、そのことがなくても、出家するつもりだったことは本当です」 「法金剛院の建立を思い立たれた頃でございますか」 「その頃から御仏のご慈悲なしには生きてゆくことはできないことは知っておりました。でも、出家のことまでは思っていませんでした」 「では、こんどはじめてご決心を……」 「そうも言えませんね」待賢門院さまは一瞬面映ゆいように微笑されました。「あなたは義清が訪ねてくれた春の夜を覚えていましょうね」 「はい、桜の花に月がかかっておりましたことも」 「あの人が出家したと、堀河が私に話してくれたのですよ」 「そうでございました」 「あなたは義清が、いえ、西行でしたね、西行が、森羅万象(いきとしいけるもの)をいっそう美しく見るために、浮世を離れるのだと話してくれたのです。覚えていますか。私はあなたの言葉を聞いて、身体が震えるように思いました」  「よく覚えております」  「私はそれまで出家遁世とは、厭離穢土のこととばかり考えていました。それを西行は別のものに変えてくれたのです。私が出家したい、出家して、いまの私には見えない浮世の本当の美しさを、心の底から味わってみたい、とそう考えるようになったのは、西行のことを聞いたときです」 「では、門院さまは西行どののように美しいものを求めて、出家なさると仰せられるのですか」  「森羅万象を曇りない眼で味わうために。たしか西行から贈られた歌に、そういうのがありましたね」  私は西行どのの歌を口ずさみました。

 

 

雲晴れて 身にうれへなき 人の身ぞ さやかに月の かげは見るべき

 

 

「その心ね。私も、いま何もかも捨て切って、西行が言ってくれたもののなかに、本当に抱いて貰える、と思えるのです」  「西行どのの申された?」  「堀河、いつか、あなたに、西行をいとしく思っていると話したことがありましたね」  「畏れ多いことでございます」 「あの人は、六道輪廻の涯まで魂を抱き、温め、私を決して一人ぼっちにはさせない、と誓ってくれました」  「門院さまは、畏れながら、それを……」
(九の帖)

 

 

「西行殿は出離遁世されても、この世の匂いは濃く持っておいでだ」 次兄の為業が感
に耐えぬといった面持でつぶやいた。「いや、西行殿は現世が嫌になられたのではない。現世が好きでたまらないので、遁世されたのです」三兄寂超は西行のことを口にするときのつねで、尊敬の色を浮べ、うやうやしげに為業に答えた。 「現世が好きなのに、現世を棄てる。これはどういうことですか」 為業は寂超ではなく西行にむかって訊ねた。しかし寂超が答えた。「現世に留まると、現世のしがらみにとらわれ、現世のよさが見えてこないのです。西行殿の歌を見て下さい」  寂超は低い声で次の歌を口ずさんだ。

 

 

身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ

 

 

「なるほど。私たち現世を棄てぬ人間のほうが、本当の生き方をしておらぬというわけですな」 長兄為盛は打ちつづく不遇の生涯を思い出したのか、ふと涙ぐむような調子で言った。
(十二の帖)

 

 

師西行は、私を呼んで「湖のあの青いきらめきをとても見通すわけにはゆかないな」と囁いた。 「歌でございますね」私はそう言うと、懐から矢立と料紙を取り出して師に渡した。「歌を詠まぬと祈誓したが、どの歌を最後にすると神明に申しあげなかった。今改めてこの歌を最後に、と祈誓しよう」 師はそう柔らかな笑顔でつぶやくと、

 

 

にほてるや なぎたるあさに 見わたせば こぎ行跡の 浪だにもなし

 

 

と書いた。慈円はすぐ、

 

 

ほのぼのと あふみのうみを こぐ舟の 跡なきかたに 行こころかな

 

 

と和した。おそらく慈円も大きな鼻のほうへ近々と寄った眼で、師西行が漲り渡る白い光のなかに溶けてゆく姿を見ていたのではないだろうか。師は慈円との約束を果したことを何よりも喜んでいた。比叡山を下りたとき、大して疲れも見えなかったのはそのためだった。しかしその年の終り、弘川寺に戻ると、病はふたたび師西行の身体に忍び寄った。 年があらたまっても、師の病は恢復する様子に見えなかった。師は終日うつらうつら眠り、目覚めては窓を開けさせ、桜の木々に眼をやった。 「秋実、もう間もなく花が開くな」ある朝、師はほほ笑みを浮べながら言った。「春ごとに桜が咲くと思うだけで、胸が嬉しさで脹らむ。これだけで生は成就しているな。どうか私が死んだら俊成殿に伝えてほしい。桜の花が人々の心を浮き立たせるとき、その歓喜のなかに私がいるとな」私は師西行の手を握り、涙をこらえた。そしてかならず俊成殿に師の言葉を伝えると耳もとで言った。師は眼をつぶり、ほほ笑んでうなずいた。 私はふと、長楽寺の庭で初めて会った折の師の柔和な眼を思い浮べた。師はできるかぎりのことを成し終えて、いまここに横たわっている。思い残すこともなく、大いなる眠りに就こうとしている。そこには暗いものは何一つなかった。ただ桜だけがその美しさゆえに、私を孤独のなかに取り残した。桜は気品ある華麗な美しさで咲いた。だが決して温かな色ではなく、冷たく、無限に寂しく、儚いのだ。 師西行はこうして満月の白く光る夜、花盛りの桜のもとで、七十三年の生涯を終えた。 
のちに俊成殿が西行を偲んで次のように書いたのは、最後の師の言葉に強く心を動かされたからであった。

 

 

かの上人、先年に桜の歌多くよみける中に

 

 

願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃

 

 

かくよみたりしを、をかしく見たまへしほどに、つひにきさらぎ十六日、望日(もちのひ)をはりとげけること、いとあはれにありがたくおぼえて、物に書きつけ侍る

 

 

願ひおきし 花のしたにて をはりけり 蓮(はちす)の上も たがはざるらん

 

 

おそらく俊成殿のこの歌以上のことはもう書くことができないだろう。もし何かひとこと書くとしたら、桜の花に陶酔(うかれ)る日、ぜひその花の一枝をわが師西行に献じてほしいということだ。師は機嫌のいいある日私にこんな歌を示されたからである。

 

 

仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば

 

 

(二十一の帖)

 

6月30日 大安吉日。今日はずっと家族のために頑張ってくれた モビリオがお役目を終えて引退します。

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朝から激しい雨でしたが、仕事帰りに車屋さんに寄ったときにはすっかり雨も上がり、15年間 連れ添ってくれた相棒と最後に記念写真を撮ることができました♪。
平成14年9月に登録して、15年間。私たち家族の足となり頑張ってくれたモビリオ。事故や大きな故障もなく安全に私たちを色々なところへ連れて行ってくれて…。
車屋さんに持ち込んでエンジンを切る前に写したメータは 183374km。

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こんなにも長い時間 そして長い距離 頑張ってくれて……唯々 感謝 感謝です。
長い間 ほんとうにありがとう♪ お疲れさまでした。

次の車は娘たちが乗ることも考えて軽にしました。
新しい軽くん モビリオのように事故や故障もなく末永くよろしくお願いします。
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今日は29(ニク)の日、よく一緒にお昼を食べに行く職場の人の壮行会を兼ねて、新栄CBC隣の「にくきゅう」へお昼を食べに行きました。ステーキ丼 肉大盛(1390円)をいただきます。柔らかいお肉で、女の人でも食べやすいように切ってあり、焼き加減もばっちりでとても美味しかったです。ごちそうさまでした。今週は食べ過ぎなので、明日からちょっと抑えないと…

 

にくきゅう(食べログ)
名古屋市中区新栄1

 

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今日は前から約束してあった私のグルメの師匠とドイツ国家認定のハム・ソーセージマイスターのお店「アキタハム」のランチ プレッツェルセット(702円)を食べに行きました。師匠の話では、大人気のプレッツェルセットは早くに売り切れるらしいのですが、ラッキーでした。焼きたてでとても美味しいです。ドリンクのハム屋のトマトスープもグッド♪。ソーセージがゴロゴロ入って美味しいです。メインのソーセージにベーコンにハム(3種)もとても美味しくて、これで700円はすごくお値打ちです。

 

ここは必ずリピートしたいお店です。師匠、素敵なお店を教えていただきありがとうございました。ごちそうさまでした♪。

 

 

アキタハム(食べログ)
名古屋市中村区稲葉地町3