12月25日 クリスマス。いつもの近鉄特急に乗って京都 北野天満宮の終い天神に行ってきました。

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今回は市バス一日乗車券(500円)を利用して、バスで京都を巡ります。
さすが毎年15万人が訪れると言われる終い天神、超満員の101系統のバスで北野天満宮へ。

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毎月25日は学問の神様の菅原道真(菅家)の誕生日(6月25日)と命日(2月25日)に因んだ「天神さんの日」。特に12月は終い天神と呼ばれ、無病息災を祈願して元日にお茶に入れて飲む大福梅(おおふくうめ)が授与されます(12月中旬からいただけます)。
ということで急遽、このたびは ぬさも取りあへずの天神さん詣でとなりました。

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終い天神、受験シーズンで すごい人です。

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うちにも受験生がいるので、木札やお守りをいただきます。

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北門近くの、多治比文子が菅原道真公を最初におまつりした文子(あやこ)天満宮にもお参りします。
あまり知られていないのか人もまばらなので記念写真を

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天神さんにおまいりした後は、定番の粟餅所・澤屋さんで紅梅(3個)450円をいただきます。
終い天神でかなり並ぶかなと思っていましたが、さっと入ることができました。

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北野白梅町から101系統のバスで大徳寺前へ、静かな大徳寺の境内を歩いて今宮神社へ。千利休で有名な山門も今回はパスです。

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大徳寺付近の八百屋の娘だったと伝えられる桂昌院(三代将軍 家光の側室で五代将軍 綱吉の生母)のゆかりの神社ということで「玉の輿神社」ともいわれる今宮神社。
阿呆賢(あほかし)さんと呼ばれる 手のひらで3度たたいて持ち上げ、次に願い事を心の中で唱え 手のひらで3度なでて持ち上げ、最初よりも軽く感じれば願いが叶うといわれる神占石も体験。

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おまいりを済ませ、お目当ての 東門を出てすぐのあぶり餅屋(一和&かざりや)へ。
う、うそだろ!!!2軒ともお休みです。それで、大徳寺も今宮神社もすいていたのか……残念。

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今宮神社前から46系統のバスで岡崎公園 平安神宮前へ。
目指すは京都で1番2番(もちろん2店とも百名店 2017)の2軒並んだうどん屋さんです。

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先にたまたま並ばずに入れた「岡北」で海老天ぷらのけいらんうどん(1200円)をいただきます。
アツアツのあんかけ、口に入れると生姜の風味が口いっぱいに広がります。

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「岡北」を出て、すぐ「山元麺蔵」の行列に並びます。京都で1位、日本全国でも9位 食べログ 3.89(12月25日現在)のお店です。外で長時間並んで待っているお客さんにあたたかいお茶を出したり、ブランケットを貸してくれたり、外で並んでいる間に注文を聞いてお店に入るとけっこうすぐに注文したおうどんを出してくれます。私も50分並びましたが、こんな気持ちのいい接客のお店は初めてです。

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人気の土ゴボウ天うどん+大根おろし(1020円)をいただきます。何これ!ゴボウってこんなに甘いの というくらいのおいしいごぼうの天ぷら。お皿に添えられたカレー塩をつけても絶品。うどんもお出汁もおいしくて大満足♪。

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5系統のバスで京都駅へ。イルミネーションスカイウォークの空中径路を歩き、東広場から22m のクリスマスツリーをバックに記念撮影。

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これからもいいことがいっぱいいっぱいありますように!来年もいい年でありますように!
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あらすじ
沖縄県本島南部にはガマとよばれる自然洞窟がいくつもある。半世紀前の戦争中にこのガマは避難壕として軍・民双方に使用されていた。本書に登場する「アブチラガマ」も「轟の壕」もそうした避難所のひとつだった。ガマでなにが起こっていたのか。人びとの忘却の彼方にあったこれらガマの記憶をたどる石原教授たちの調査行は、取材開始から25年の歳月を要することになる。半世紀をへて、よみがえる真実とはなんだったのか?裁かれざる「犯罪」は放置されたまま、闇のなかに眠るのか。「洞窟の惨劇」はいま姿を現そうとしている。

 

ひと言
以前読んだ田村 洋三さんの「沖縄の島守」にも、この本の内容が引用されていたり「轟の壕」のイラストが使われたりしていて読んでみようと図書館に予約を入れてかりました。軍事機密を知る非戦闘員の住民に対して敵に投降を絶対許さない「軍官民共生共死の一体化」こそが、こんなにも激烈な沖縄戦における住民犠牲を生むことになった最重要「キーワード」であるという言葉がすごく心に残りました。

 

 

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轟の壕は、土地のことばでカーブヤーガマと呼ばれている。カーブヤーはコウモリのことで、ガマは自然洞窟のことである。コウモリがたくさん棲息していたからその上うな名がついたのであろうか。
(プロローグ 日本ノ兵隊 生カシマスカ 殺シマスカ)

 

 

一九四五年六月二十五日前後のことである。轟の壕で、米軍が住民の救出をしていた。そして、救い出した住民を現在の壕の出入ロ階段付近にひとまず集めた。救い出されたとたんに哀弱がひどく気を失ってしまう人たちもいたという。壕から救い出されたばかりの住民の前に米軍将校がやってきて、片言の日本語で話しかけてきた。「下二日本ノ兵隊イマスカ?」と尋ねられ、大勢の母親、年寄りが、口々に「たくさんいる、たくさんいる」と答えた。すると、そのアメリカ兵は「日本ノ兵隊 生カシマスカ 殺シマスカ?」と聞いてきた。すると、「殺せ! 殺せ!」といっせいに答えた。
(プロローグ 日本ノ兵隊 生カシマスカ 殺シマスカ)

 

 

『隈崎手記』によれば、島田知事は六月十五日に沖縄県庁の活動を停止し、職員の自由行動を許すと決定した。それから三日後の十八日から、この轟の壕は米軍の「馬乗り攻撃」をうけることになった。その攻撃をうけることは、もはや夜中であっても壕の外へは出られなくなるということである。四、五百人の避難民の食糧は底をつき、数日後に餓死者が続出し始めた。『隈埼手記』は当時の様子を以下のように記している。
「馬乗りして米兵は小銃や小型爆弾で執拗に壕内に向かって攻撃していたが、小川のある北側の壕の入口は岩壁が扉のようになっていたので、初めのうちは弾は壕内に届かなかったが、三日程して入口の岸壁は爆破されて大穴が開いてしまった。敵の手榴弾等が壕内で炸裂するようになったが、いちばん厄介なのは、ドラム缶の攻撃だった。 ガソリンの入ったドラム缶に爆薬を仕掛けたのを落とし込む。作裂と共に点火したガソリンが辺り一面に飛び散る。それを浴びて兵や住民たちが火傷し死傷した。全身焼け爛れた若い兵が痛さに耐えかねて川の中を這い廻り乍ら、『班長殿!班長』と、泣き叫んでいた。川縁には既に幾人かの屍体が転がった儘である。 焦熱地獄とは此の様なものか、目を背けずに居られなかった。
(第一章 沖縄県庁職員)

 

 

一九四四年二月、米機動部隊は日本の絶対国防圏内にあるマリアナ諸島のトラック島を皮切りにサイパン、テニアン島を空襲した。日本軍は、予想をはるかに上回る米軍の進撃速度に深刻な衝撃を受けた。そこで政府はただちに「決戦非常措置要綱」を発表したので、国民はいよいよ本土決戦が間近いことを察知し、緊張が高まった。 県内にあっては、他府県出身の県庁役人や寄留商人などの家族がいっせいに本土へ引き揚げはじめた。そして、一九四四年三月二十二日、サイパン島の第三一軍に続く第三二軍・沖縄守備軍が「皇土防衛」の最前線に位置付けられた沖縄に創設された。
四月以降、中国大陸や日本本土から続々と日本軍部隊が沖縄に移駐してきた。兵舎はほとんど準備できていなかったので学校校舎、村屋・字事務所・倶楽部(=すべて現在の公民館)、住民の生活している民家が、兵舎・糧秣倉庫・慰安所に使用され、「軍民同居」の形になった。そして、各部隊はただちに全島要塞化のため飛行場建設工事や陣地構築作業に取りかかったが、兵員不足のため、児童生徒、男女中等学校生徒をはじめ足腰の立つ住民を総動員せざるを得なかった。 軍部にとって、部隊の編制・動向、陣地という絶対に知られたくない重要な軍事機密が信頼できない住民(「地方人」)に知れ渡ることになった。このことは自国軍隊が自国民を殺害するという沖縄戦の悲劇をもたらす直接的要因となった。
(沖縄戦の経過)

 

 

軍事施設など深刻な被害を受けた日本軍は、補給路も断たれた状態なので、「一木一草戦力化すべし」という「現地自給」の方針を具体化していった。住民を巻き込んだ日米両軍の地上戦闘は、もはや時間の問題という情勢になった。そこで沖縄の日本軍は、「軍官民共生共死の一体化」を県民指導の方針として、地上戦闘に臨むことにした。これは、軍事機密を知る非戦闘員の住民に対しても敵に投降を絶対許さないことを意味しており、この「軍官民共生共死の一体化」こそが沖縄戦における住民犠牲の実相を知る最重要「キーワード」なのである。
(沖縄戦の経過)
 
沖縄戦の特徴を短くいえば、「不沈空母(1)の島をめぐる、長い(2)、激しい(3)、住民をまきこんでの(4)の地上戦(5)の結果、多くの住民犠牲(6)をだした戦闘」ということになる。
これに少しコメントをくわえると、 
(1)歴史的に軍隊や軍事施設と縁のなかった島々がなぜ日米最後の決戦場となったのか?
(答)太平洋戦争は大艦巨砲主義から航空主力主義に流れをかえた。日本軍は昭和十九年春からにわかに沖縄の島々に十五もの巨大な飛行場を建設、沖縄は「不沈空母の島」と化した。これが日本本土進攻をめざす米軍にとって絶好の標的となった。
(2)なぜ三ヵ月以上もの長期戦になったのか?
(答)大本営(軍中央)は沖縄守備軍(第三二軍)に本土決戦の準備のための時間かせぎを期待した。守備軍は突撃戦法をさけて地下陣地や洞窟にたてこもり持久作戦をつづけた。
(3)なぜ。″鉄の暴風″といわれるほどの激しい戦いになったのか?
(答)米軍は沖縄作戦の重要性から太平洋部隊の総力(総兵力約五五万)を沖縄本島に集中した。また日本の連合艦隊が壊滅したため米艦隊は艦砲射撃を陸上攻撃にふりむけることができた。対する日本軍は、空からの特攻機、海上からの特攻艇、陸上では爆雷を背負っての肉弾攻撃という全面的な特攻作戦で対抗したため予想以上の激戦となった。
(4)なぜ一般住民をまきこんだのか?
(答)劣弱な部隊を補強するために現地召集や防衛召集をおこなったほか、各地の飛行場建設や陣地構築のために老幼婦女子まで根こそぎ動員して戦闘に協力させた。最終的に四十数万の一般住民が孤島にとりのこされ、ついには守備軍の玉砕の道連れにされた。
(5)なぜ米軍は地上戦闘を徹底したのか?
(答)米軍の戦略目標は沖縄の航空基地を確保することであり、基地の安全確保のために敗残兵と避難民が雑居する地下洞窟をシラミつぶしに爆破し生き埋めにしていった。その結果、米軍は半世紀後も使用しつづける「太平洋の要石」を手にいれたわけである。
(6)沖縄住民の犠牲が多いのはなぜか?
(答)現在ほぼ確定された沖縄戦における日米両軍の戦死者数は、米軍約一万四千人、日本軍約七万五千人であるが、沖縄出身兵や一般住民はまだ推定しかできないがおよそ十四万人余になるだろうと思われる。いずれにしても沖縄住民(防衛隊や学徒隊もふくめて)の犠牲者が正規軍人のそれをはるかに上回ることほまちがいない。その数は沖縄本島だけをみると三人に一人、県全人口では四人に一人という割合になる。 しかも敵弾にやられただけではない。いわゆる「集団自決」の強要や、スパイ狩りを名目にした「住民虐殺」など、日本兵による忌まわしい事件があった。沖縄県民は根こそぎ動員されて軍の戦闘準備に協力させられたため軍の機密を知りすぎる立場にあった。米軍が上陸してくると軍にとって危険な存在となった。敵の手におちれば味方の軍事機密を漏らすおそれがある、すなわち沖縄住民は潜在的なスパイ容疑者ということになって、「敵に投降する者はスパイとみなして処刑する」という方針がでた。住民の側にも「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓の影響で″捕虜″になることを拒む傾向もあり、犠牲をさらに倍加させることとなった。
(洞窟(ガマ)の闇の中から)

 

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今日は職場の人と3人で10月末に行われた「ラーメン女子博 in 名古屋」に出店して気になっていた「らーめん臺大(だいだい)」へお昼を食べに行きました。評判の 塩くもたま麺(780円)をいただきます。まろやかなとじた玉子に黒胡椒がピリッと効いてとてもおいしいです♪。みのもんたさんの「秘密のケンミンSHOW」でも紹介されたという「くもたま麺」。くせになる、また是非に食べに行きたくなるお店でした。ごちそうさまでした♪

 

らーめん臺大(食べログ)
名古屋市西区中小田井3

 

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「米寅」でのおいしいランチの後、12月4日にミッドランドスクエアの地下にオープンした「サワムラ」へ。以前も行ったことがあるのですが、すごい行列であきらめていました。今日は入口を出てすぐぐらいの列。おいしそうなパンがいっぱいです♪。
写真の長いパンが小倉バタースティック(名古屋限定)(280円)。時計まわりに 安納芋デニッシュ(320円)旬の地野菜カレーパン(250円)チーズクッペ(270円)+税 をチョイスします。

 

レジ待ちの間、店員さん同士の会話でクロワッサン(240円)が後5分で焼き上がることが判明、待ちの番号札をもらい、焼きたてのクロワッサンを店内でいただきます。

 

 

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大混雑で忙しいのにわざわざ手拭きと一緒にトレーに乗せて持ってきていただきました。感謝!どのパンもおいしいのですが、焼きたてのクロワッサンは、また格別においしいです。さすが軽井沢や東京での人気店。接客も味もとても満足のお店でした。ごちそうさまでした♪

 

 

ベーカリー&レストラン 沢村
名古屋市中村区名駅4 ミッドランドスクエア B1F

 

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今日のお昼は、前から行きたかったお米がおいしいと評判の「米寅」です。人気のとろ鯖の塩焼き定食(1000円)を注文します。メニューにも書いてありますが店員さんが「お時間がかかりますがよろしいですか」と確認してくれます。25分ほど待つと、食べなくても見るからにおいしいとわかる鯖の塩焼きとつやつやの銀シャリのごはんが運ばれてきます。う、うまい!大根おろしもたっぷりと盛られて大、大満足のランチでした。

 

次はランチでは提供されませんが、ご飯が炊きあがってから10分間しか提供されないメニュー(あらかじめ予約しておけばOKらしい)の「玉子かけご飯」と「塩むすび」を食べてみたいです。ごちそうさまでした♪

 

 

米寅(食べログ)
名古屋市中村区名駅2

 

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あらすじ
戦後60年の節目に怒濤の400枚で問う。『戦争論』『台湾論』から5年。構想、執筆1年。戦後60年の節目に、大幅書き下ろし、怒濤の400枚で問う問題作。これはゴーマニストから日本人への新しい挑戦状だ!紫外線の中、恐る恐る沖縄に降り立ったゴーマニストは、沖縄の基地、現状を目の当たりにし、やがてその深層に潜む沖縄のアイデンティティと歴史へ足を踏み入れていく。沖縄の戦後史を救ったある政治家の一生、最後に降り立った「神の島」で捧げた祈り…これまでの対立軸に凝り固まったイデオロギーではとうてい立ち向かうことのできない思想的挑戦! しょくん!受けて立てるか!?

 

ひと言
まずゴーマニズムとは傲慢からの造語で、自分の直感と常識を頼りにあえて傲慢をつらぬく、という意味が込められた小林よしのりさんの言葉。沖縄のことを若い人にも読んでもらえるようにと漫画にした小林よしのりさんの本。内容がかなり詳しくて、少し前のページを読み直しながら次に進むという読み方で けっこう時間がかかりました。「屈辱の日」や「コザ騒動」のことは知らなかったので勉強になりました。

 

 

 

米軍は、沖縄を占領統治する際、沖縄人に日本への帰属意識を持たせたくないので、自治政府(自治といっても形式のみ)の名を「琉球政府」とした。その名残で、米国が主導して作ったものには「琉球」の名が、沖縄人が作ったものには「沖縄」の名がついたものが多い。
(第1章 けなげだぜ自衛隊)

 

 

 

1952(昭和27)年4月28日は、サンフランシスコ講和条約の発効により、沖縄が正式に日本から切り離された日。日本が沖縄を見捨てて本土だけ独立した日である。沖縄ではこの日を「屈辱の日」と呼ぶ。
(第1章 けなげだぜ自衛隊)

 

 

思いやり予算とは? 日米地位協定で米側が負担することが明記されているにもかかわらず、日本側が負担している米軍基地の駐留経費。法的根拠のない支出であり、その点を問い質された金丸信防衛庁長官(当時)が、「思いやりが根拠だ」と言ったことから、こう呼ばれる。
(第3章 原宗教から現代の無関心の獄)

 

 

1970(昭和45)年12月20日、米兵が連続して起こした2件の交通事故と、MP(米軍憲兵隊)の威嚇発砲をきっかけに、5000人を超える暴動が発生。「コザ騒動」である。
米兵は1970(昭和45)年、具志川市で女子高生を刺傷し、糸満市で酔っ払い運転の米兵が主婦を車でひき殺し、その米兵は軍法会議で「証拠不十分」で無罪になった。民衆の怒りが臨界に達したその4日後にはまたコザ市で米人乗用車が沖縄人をひき倒し、事故処理中の米軍憲兵隊が被害者を放置して事故車を持ち去ろうとしたため、1000人近い群衆がMPを囲んだ。事態は一旦沈静化したが、米軍憲兵隊が民衆へ威嚇発砲したため、ついに民衆の怒りは爆発した。
(第10章 占領への抵抗は豊かさに負けるか?)

 

 

1953(昭和28)年12月、奄美大島が日本に返還された。だがそれは、沖縄の基地強化という条件と引き換えだった。
(第16章 国旗掲揚は反逆罪だった!)

 

 

戦後の日本の経済成長は、米軍の駐留によって軍事費をGNP1%以下に抑えてきたからだ。アメリカの核の傘のおかげだ。
(最終章 歴史とクニガラ)

 

 
グランカルビーを買ってエスカレーターに乗ろうとすると、毎週月曜日 午後1時からの京都銘菓直行便「出町ふたば」の行列が目に留まりました。時計を見ると1時まであと10分ほど、並んでいる人を数えると11人(まず必ず買える)。もう並ぶっきゃないでしょう。販売開始の1時には30人弱の列になっていました。
今までもう十数回 出町の本店、京都高島屋、それに「ふたば七条」にも出かけて大好物の豆餅をいただいてきましたが、JRナゴヤ高島屋で買うのは初めてです。もちろん名代豆餅5個入(900円)をいただきます。

 

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この塩梅 たまらん!。彦摩呂でもこの美味しさを言葉にすることはできないでしょう。食べた人にしかわからないおいしさです。ほんとうにごちそうさまでした♪♪♪

 

 

出町ふたば(食べログ)
京都市上京区出町通今出川上ル

 

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大阪の阪急うめだ本店でしか売っていない「グランカルビー」が今月28日までJRナゴヤ高島屋で買えるということなので買いに行ってきました。
カルビーと阪急百貨店のコラボ商品で もう発売開始から3年半ほどになりますが、発売当初は3時間以上もの行列 とニュースにもなりました。
しお味、北海道バター味、カマンベールチーズ味(各、580円)をいただきます。普通のポテトチップスの3倍もあるような厚み、「炙り」をプラスしてさらなる旨み などのコピーが目を惹きます。確かにおいしいですが、ただ小袋4つで580円は……。話のネタにいただきました。ごちそうさまでした。

 

 
グランカルビー(食べログ)
大阪市北区角田町8 阪急うめだ本店 B1F

 

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あらすじ
範子―偶然目にした詩が、自分たちを捨てた父親の記憶を呼び起こした。陽菜子―意識不明の夫が毎月お金を振りこみ続けていた人物を訪ねて妻は高知へ。静かな町並みに響く路面電車の音。咲子―不倫と新たな恋。病気を告知され、自分の願いがはっきりわかる。麻理子―行方不明の親友と暮らしていたNYのアパートを、7年ぶりに訪れて。―その瞬間、4人の女性は何を決意したのか?『カフーを待ちわびて』から2年。日本ラブストーリー大賞作家が、揺れ動く女性たちを描いた4つの感動小説集。

 

ひと言
1つめの「天国の蠅」は、「えっ これ角田光代をかりたんだっけ」と思うような作品。2つめの「ごめん」を読み進めて『土佐の高知のちんちん電車、東はごめん、西はいの』というフレーズを目にしたとき、「あっ! この本 以前に読んだことがある」とやっと気づきました。
じつは同じ4編を収めた「夏を喪くす」というタイトルの文庫本を2015年7月に読んで、その感想をこのブログに書いていた のです。そのときの感想も「天国の蠅」を角田光代のように感じたと書いてあります。以前に読んだ本をまた借りて読むということがあったからこのブログを始めたのに……。でも本のタイトルは違うのに内容が同じ本なんて そりゃないんじゃない。

 

 

『土佐の高知のちんちん電車、東はごめん、西はいの』ゆうてね。西の終点は伊野、ゆうとこなんです。こっちは『ごめん』、で、こっちは『いいの』」 横断歩道を渡りながら、日枝は右左を指し示した。 「あやまられて、許しちゃってるんですか」 「そう。まっことあやまるがやったら、許しちゃる、いうことです」 ふたりは顔を見合わせて笑った。 ホテルの入り口までくると、陽菜子は日枝に向き合って礼を述べた。 「ほんとに今日はありがとうございました。夫がこんなときに……」 少し言い澱んでから、思いきって言った。「こんなときに、ごめん、なんですが。すっごく、楽しかったです」 日枝は日焼けした顔をほころばせた。 「いいの、いいの。それでいいの」 陽菜子も笑顔になった。……。
純一がよくなることなんて、このさきあるんだろうか。 可能性は低い、と医師からは告げられた。それでも、可能性はゼロだ、とは言われなかった。 〇・一パーセントの可能性。その微かな希望に、陽菜子はいっそ苦しめられていた。 よかった。生きてるんですね。 病室に入って口にした最初の言葉は、何も意図せずにこぼれ出たものだ。それが自分の真意なんだ、と思う。 けれど、このさきずっと歩んでいかなければならない道の遠さ。 その彼方に、あるかないかもわからない星の光。……。……。
手伝っていた若い男も帰って、おかみと陽菜子のふたりきりになった。陽菜子はずっと頬杖をついたまま、飽かずにおかみの顔を眺めている。あんまりみつめられて、おかみはとうとう笑い出した。「なんかあたしの顔についちゅうかね。お客さんみたいなきれいなお人に、そがに見られりゃあ、照れるがね」 少し据わった目でかまわずみつめながら、陽菜子はため息交じりの声で言った。 「おりょうさん、きれいだなあ、と思って」 「あらあら。お口がお上手やが。ほんならこの一本は、あたしのおごりにしちゃろ」 おかみは地酒の小瓶をひとつ開けると、陽菜子の空のコップに注いだ。もうひとつコップを取り出して、それにも注ぐと、「じゃ、乾杯」と、ちょっと持ち上げて飲み干した。細い喉がゆっくり動くのを、陽菜子はぼんやりと見ていた。
「だんながね。事故に遭っちゃって」 おかみの口からコップが離れるのを持って、陽菜子は唐突に言い出した。おかみはコップを両手で包みこんで、陽菜子のほうを向いた。「工事現場の監督してたんだけど、鉄骨が落ちてきて頭をやられて。意識不明で、ずっと眠ったまんま。何言っても答えないし、目も開けないし、動きもしない。ひとり息子だから、母親も狂ったようになっちゃって。事故から一カ月経ったんだけど、このさきどうなるのか、正直わかんなくて。死んでるみたいな、でも生きてるあの人を」コップに満たされた透明な液体をのぞきこみながら、陽菜子は吐き出すように言った。「このさき、あたしひとりで背負っていくの。重すぎるよ」 静かな空気が流れている。カウンターの板目に視線を落としたまま、陽菜子は動かなかった。安っぽい慰めの言葉をかけないおかみの優しさが沁みた。包みこむようなやわらかな沈黙のあと、陽菜子のコップの横に、空っぽのコップがすっと差し出された。かちん、と音をさせてコップを合わせると、「乾杯」とおかみが囁くのが聞こえた。 「おまさんの覚悟に」 陽菜子は顔を上げた。おかみは微笑して、 「いま、『あたしひとりで背負っていく』ってゆうちょったね。それがおまさんの覚悟ぜよ。だいじょうぶ、歩いていけるち。どげに重とうても」 そして、空のコップを掲げてみせた。……。
「で、あたし、浮気してました!」 おかみは驚きもしない。同じ笑顔で、うんうん、とうなずく。
 「だんなはすんごいいいヤツなのに、ずっとずっと嘘をついてたの。優しいから、なんでも許してくれるから。それに、甘えて。事故に遭ったときだって、実は彼氏と旅行中で」 うんうん、とおかみはうなずく。 「あたし、子供もできない体だし、浮気したって妊娠しないんだ、って調子にのって。あの人のことなんて、ちっとも考えてあげなかった」 おかみは、今度はうなずかなかった。 「馬鹿でしょ、あたし」 ひと言つぶやくと、目の前が薄ら暗くなった。そのままカウンターに伏せて、眠ってしまった。……。
屋台の外へ出ると、おかみは陽菜子の背中で揺れていたのれんをはずして空を見上げた。 「もう夜明けやき。今日も、いーい天気になるろう」 陽菜子は立ち上がって、おかみと一緒に空を見上げた。薄紫が次第に青色に変わりつつある空を眺めて、すぐ近くに海があることを思い出した。風にはほんのり潮の香が混じっている気がする。 「とっくに閉店時間、過ぎてますよね……すみません、さっさと帰ります。お勘定を」 すでに準備していたのか、おかみは割烹着のポケットから勘定書を出すと、そっと陽菜子に手渡した。 「0円」と書かれてある。陽菜子は大げさでなく目をこすった。 「そんな。あたし、すごい飲みましたよ。餃子も食べたし」 「えいわね。今日はあたしのおごり」 「でも、なんで」 おかみは答えなかった。 陽菜子は勘定書を握り締めると、バッグから財布を取り出して、勘定書の上に一万円札と小銭を載せた。「これ、受け取ってください」「だからえいき。また今度……」 「そうじゃなくて。もうこれが最後ですから。もう、振りこめないんですから」 一瞬、おかみの痩せた頬が微かにこわばった。そして、乱暴に握らされた手の中の金に視線を落とした。 一万二百十円。 陽菜子は、この店の赤提灯をみつけた瞬間に、帰り際に言おう、と決めていた言葉を口にした。 「領収書をください。宛名は、『杉本純一』で」 おかみはうつむいたまま、なかなか顔を上げようとしなかった。少し乱れた額の後れ毛が朝風にくすぐられるのを、陽菜子はじっと見守った。 おかみは両手で金を握り締めると、目を閉じた。何かが通り過ぎるのを待つように、しばらく目を閉じていた。そしてゆっくりとまぶたを開けると、陽菜子の目をまっすぐにみつめて、言った。 「ほんなら、ありがたくちょうだいさせてもらいます」 カウンターの上で、一文字一文字、おかみは丁寧に領収書を書いた。陽菜子はそれを受け取ると、壊れやすいものをしまうように、バックの中に入れた。 「これ、帰ったら杉本にみせます。驚いて、目を覚ますかも」 おかみはおだやかに微笑んだ。 言い訳はしない。 微笑は、そんなふうにも取れた。 陽菜子は「じゃあ」と、もう一度おかみに向き直った。 「もう行きます。ほんとに、ありがとうございました」 「こちらこそ。来てくださって、まっこと、ありがとうございました」 陽菜子は頭を下げたが、なかなか足が動かない。一番聞きたかったことを聞いていないからだ、とわかっていた。 陽菜子が躊躇するのを見て、おかみが囁くように言った。 「わかっちょります。ほんとは、聞きたいことがあるがやろう? このお金がなんながか」 陽菜子はひとつ、うなずいた。 「許してくれますか?」 もうひとつ、うなずく。真実だけを、知りたかった。 おかみは小さく息を吸いこむと、「流れた子供の供着料や、と」そう静かに言った。
大通りの赤信号で立ち止まった。 トトン、トトンと音がする。クリーム色の電車が近づいてくる。
 「嘘つき」 無意識に、陽菜子の唇が動く。その瞬間、電車のフロントガラスの真上に浮かび上がる行き先の文字が見えた。

 

 

ごめん

 

 

その行き先が、文字が、言葉が、陽菜子に向かって近づいてくる。どんどん、近づく。「いいの」 目の前をクリーム色の風がかすめて通り過ぎた瞬間、陽菜子は誰にともなくそうつぶやいた。
あたしのほうこそ。少し先の停留所に電車が停まる。やがて朝日に照らされたまっすぐな道を遠ざかっていく。その車体が見えなくなるまで、陽菜子は瞬きもせずに見送っている。
(ごめん)

 

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名駅のうまいもん通り 広小路口に本日オープンした「よもだそば」にお昼を食べに行ってきました。
ネットの口コミでは自家製インドカレーが評判で食べログ評価3.58のお店です。骨付き鶏モモ肉がのったスパイシーな本格カレーのよもだカレー(550円)をいただきます。
ただ東京の銀座や日本橋店では通常490円なのに、オープン初日で550円の設定はどう考えてもおかしい。

 

東海地方初進出です 3日間限定ですが 450円でご提供させていただきます。今後ともご贔屓に やろ。はっきり言って経営者がアホや としか思えん。次はそばも食べてみようかなと思っていましたが興ざめです。

 

 

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よもだそば
名古屋市中村区名駅1