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今日のお昼は職場の人と「つけ麺丸和 名駅西店」へ。春田の本店へは何度か食べに行ったことがあるのですが、名駅西店は初めてです。
相変わらずの人気で、我々の前も後もひっきりなしの待ちができています。シンプルに丸和つけ麺 中盛り300g(830円)をいただきます。嘉六もいいけどやっぱり濃厚な丸和スープはうまいなぁ。平日は追加料金無料の大盛り400gにすればよかったかなぁ。

 

ほんとうに久しぶりの丸和。とてもおいしかったです。つけ麵ではマイベストかも。ごちそうさまでした♪

 

 

つけ麺丸和 名駅西店(食べログ)
名古屋市中村区亀島2

 

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あらすじ
限りない喪失と再生を描く究極の恋愛小説!
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。

 

ひと言
この2月は平昌オリンピックのTV中継のおかげで圧倒的に読書時間が減りました。30年ほど前にバカ売れした「ノルウェイの森」。恥ずかしながら今まで読んだことがなかったので何を今更…の感もありますが読んでみようと借りました。春樹が読者に伝えたかった生と死については十分に理解できたとは思いませんが、さすが世界の春樹だけあり内容はともかく、とても読みやすい文章で引き込まれて読ませてもらいました。

 

 

しかしどれだけ忘れてしまおうとしても、僕の中には何かぼんやりとした空気のかたまりのようなものが残った。そして時が経つにつれてそのかたまりははっきりとした単純なかたちをとりはじめた。僕はそのかたちを言葉に置きかえることができる。それはこういうことだった。

 

 

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

 

 

言葉にしてしまうと平凡だが、そのときの僕はそれを言葉としてではなく、ひとつの空気のかたまりとして身のうちに感じたのだ。文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白の四個のボールの中にも死は存在していた。そして我々はそれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸いこみながら生きているのだ。 そのときまで僕は死というものを完全に生から分離した独立的な存在として捉えていた。つまり〈死はいつか確実に我々をその手に捉える。しかし逆に言えば死が我々を捉えるその日まで、我々は死に捉えられることはないのだ〉と。それは僕には至極まともで論理的な考え方であるように思えた。生はこちら側にあり、死は向う側にある。僕はこちら側にいて、向う側にはいない。しかしキズキの死んだ夜を境にして、僕にはもうそんな風に単純に死を(そして生を)捉えることはできなくなってしまった。死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ。あの十七歳の五月の夜にキズキを捉えた死は、そのとき同時に僕を捉えてもいたからだ。
(第二章)

 

 

そんな風に彼女のイメージは満ち潮の波のように次から次へと僕に打ち寄せ、僕の体を奇妙な場所へと押し流していった。その奇妙な場所で、僕は死者とともに生きた。そこでは直子が生きていて、僕と語りあい、あるいは抱きあうこともできた。その場所では死とは生をしめくくる決定的な要因ではなかった。そこでは死とは生を構成する多くの要因のうちのひとつでしかなかった。直子は死を含んだままそこで生きつづけていた。そして彼女は僕にこう言った。「大丈夫よ、ワタナベ君、それはただの死よ。気にしないで」と。 そんな場所では僕は哀しみというものを感じなかった。死は死であり、直子は直子だからだった。ほら大丈夫よ、私はここにいるでしょ? と直子は恥かしそうに笑いながら言った。いつものちょっとした仕草が僕の心をなごませ、癒してくれた。そして僕はこう思った。これが死というものなら、死も悪くないものだな、と。そうよ、死ぬのってそんなたいしたことじゃないのよ、と直子は言った。死なんてただの死なんだもの。それに私はここにいるとすごく楽なんだもの。暗い波の音のあいまから直子はそう語った。 しかしやがて潮は引き、僕は一人で砂浜に残されていた。僕は無力で、どこにも行けず、哀しみが深い闇となって僕を包んでいた。そんなとき、僕はよく一人で泣いた。泣くというよりはまるで汗みたいに涙がぼろぼろとひとりでにこぼれ落ちてくるのだ。 キズキが死んだとき、僕はその死からひとつのことを学んだ。そしてそれを諦観として身につけた。あるいは身につけたように思った。それはこういうことだった。
「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」
たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育くんでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかった。直子の死が僕に教えたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立だないのだ。僕はたった一人でその夜の波音を聴き、風の音に耳を澄ませながら、来る日も来る日もじっとそんなことを考えていた。ウィスキーを何本も空にし、パンをかじり、水筒の水を飲み、髪を砂だらけにしながら初秋の海岸をリュックを背負って西へ西へと歩いた。
(第十一章)

 

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今日は国府宮のはだか祭り、明日からは弥生3月 これからの春を元気に乗り切ろうと今日のお昼は昨年の10月にオープンした「ステーキハウス インディアンズ 名古屋本店」へ総重量600g 1日20食限定の ステーキ丼(1058円)を食べに行きました。
平日のランチサービスでスープとサラダは自由にセルフで盛って1杯無料、フリードリンク、ライスが足りなければおかわり自由。

 

ワサビや大根おろしも好きなだけ盛ることができ、お肉もこれで980円というぐらいたくさん盛られていて味もグッド。11時30分の開店直後に伺いましたがあっという間に待ちができるほどの人気です。お腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした♪

 

 

 

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今日も職場の人と「手打うどん 牛コロ 宮内」へお昼を食べに行きました。
名物の牛コロにするか牛ニコにするか迷ったのですが、店内の多くの人がまだ寒いのに牛コロを食べていたので、店の名前にもなっている牛コロ(800円)と梅のおにぎりを注文。コロなので冷やしうどんに冷しゃぶの霜降り肉がのせてあり そのお肉が柔らかくて少し甘めの汁にとてもあっておいしいです♪。丼のふちに盛られたワサビをつけて食べると味がまた締まってグッド。リピート確定。
次は牛ニコも食べてみたいです。ごちそうさまでした♪

 

 

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今日は職場の人と「活魚料理 志の島 浄心本店」へお昼を食べに行きました。お目当ては、一日10食限定の大あさりカツ丼(864円)です。ラッキーなことにまだあるとのこと。
大あさりのカツに野菜や魚のカツがこれでもかと盛られていて、塩味の効いたシラス、シソ、キャベツのご飯によく合います。赤だし 香物もついてこの値段はかなりお得でおいしかったです♪ごちそうさまでした。

 

 

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今日は二十四節気の雨水。少しは寒さも一段落の感があるけど、まだまだ寒いので今日のお昼はカレーうどん。前から行きたかった「黄金家」でカレーうどん(710円)をいただきます。ほんとうはカツカレーうどんを食べたかったのですがカツが品切れとのこと。結構太めの麺にまろやかなとろみのあるルー。もう少しスパイシーでもいいかなと思うぐらいの味ですが、とてもおいしいカレーうどんでした。ごちそうさまでした。

 

黄金家(食べログ)
名古屋市中村区則武2

 

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抹茶パフェを食べた後、歩いて名駅に戻る途中、師匠に「一朶(いちだ) 名古屋店」に連れて行ってもらいました。
南区の豊田にお店がありTVでもよく取り上げられていて一度伺いたいなぁと思っていたお店の2号店です。人気の豆餅(185円)と草餅(170円)をいただきます。
豆餅もとてもおいしいのですが、やっぱり「出町ふたば」が永遠のマイベスト。草餅はとてもおいしかったです。名古屋高速の名駅乗り口のすぐ近くで、お店も注意していないと見落としちゃいそうな店構えで、ここなら気軽に買いに寄れるし、まだあまり知られていないので穴場的なお店です♪。次は他のメニューもいただいてみたいです。ごちそうさまでした。

 

一朶 名古屋店(食べログ)
名古屋市中村区名駅4

 

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今日は仕事もお休み。師匠と名駅で待ち合わせてお昼を食べてグローバルゲートへ。
デザートに「西条園抹茶カフェ グローバルゲート店」のプレミアム抹茶パフェ(580円)をいただきます。
西尾の有名なお抹茶の老舗「あいや」さんとシェ・シバタのコラボのスイーツだけあってとてもおいしく、安くて量もたっぷりで大満足♪。ごちそうさまでした。

 

名古屋市中村区平池町 グローバルゲート 1F
西条園抹茶カフェ グローバルゲート店(食べログ)

 

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あらすじ
人間としてあるべき姿を求め続けるコペル君とおじさんの物語。出版後80年経った今も輝き続ける歴史的名著が、初のマンガ化!人間としてどう生きればいいのか、楽しく読んでいるうちに自然と考えるように書かれた本書は、子供はもちろん多くの大人たちにも共感をもって迎えられてきました。勇気、いじめ、貧困、格差、教養、昔も今も変わらない人生のテーマに真摯に向き合う主人公のコペル君と叔父さん。二人の姿勢には、生き方の指針となる言葉が数多く示されています。

 

ひと言
出版社の発表(2/1)で漫画版170万部、新装版40万部、計210万部突破の、今話題の本を運よく読むことができました♪
すべてをマンガにするのではなく、おじさんがコペルくんに宛てたノートという形で、「ものの見方について」や「人間の悩みと、過ちと、偉大さについて」などがちゃんと文章で書かれ、読み手に伝えらているところが、子どもにも読ませたいと思う大人の間でベストセラーになっているのかなぁと思いました。小中学生でなければ、新装版のほうがいいかもしれませんね。

 

 

コペル君! 「ありがたい」という言葉によく気をつけてみたまえ。この言葉は、「感謝すべきことだ」とか、「お礼をいうだけの値打ちがある」とかという意味で使われているね。しかし、この言葉のもとの意味は、「そうあることがむずかしい」という意味だ。「めったにあることじやあない」という意味だ。 自分の受けている幸せが、めったにあることじゃあないと思えばこそ、われわれは、それに感謝する気持ちになる。それで、「ありがたい」という言葉が、「感謝すべきことだ」という意味になり、「ありがとう」といえば、お礼の心持ちをあらわすことになったんだ。
(人間であるからには(おじさんのノート))

 

 

――君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いがということを、おいおいに知って来るだろう。
世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。 人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。 君も、いまに、きっと思いあたることがあるだろう。
(偉大な人間とはどんな人か(おじさんのノート))

 

 

僕はその日こんなことを考えた。
世の中を回している中心なんて もしかしたらないのかもしれない
太陽みたいにたったひとつの大きな存在が 世の中を回しているのではなくて
誰かのためにっていう 小さな意志が ひとつひとつつながって 
僕たちの生きる世界は 動いている
(11、春の朝)

 

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食べログの百名店 ピザ2017に選ばれている愛知県の4店のうちの3店がソロピッツァ ナポレターナ。そのうちの1店 大名古屋ビルヂング1Fの「ソロピッツァ ナポレターナ 名古屋駅店」へお昼を食べに行きました。
2010年ナポリで行われた世界大会で牧島昭成オーナーが世界最優秀ピッツァ職人に輝いたときのピザ マルゲリータ エクストラ(918円)をいただきます。う、うまい!それに安い!ビンのコーラとセットで1080円 そして大きくて量も十分です 。

 

やっぱりピザにはコーラの方が合うよなと思いながら美味しくいただいて、何気なく隣の席を見ると若い女の人が一人でビールを飲みながらピザを食べていました。 おねえさんはこの後 仕事とかないの? いいなぁ~。
とてもおいしいピザでした ごちそうさまでした♪
 
ソロピッツァ ナポレターナ 名古屋駅店(食べログ)
名古屋市中村区名駅3 ダイナゴヤビルヂング 1F