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あらすじ
戦国の知将・石田三成の若き日々。のちの天下人・豊臣秀吉や親友・大谷吉継との出会い、軍師・竹中半兵衛との関わり、本能寺の変の裏側、忍城水攻めの真相、三成襲撃事件に隠れた友情、吉継との関ヶ原への誓い、そして――。三成の家族や恋人、妻子も登場させ、悩み、傷つき、笑い、親友・吉継と未来を開こうとする等身大の人間・三成の姿を描く。

 

ひと言
三成と吉継が子どものころ同じ観音寺で過ごしていた というような史実からは離れる内容の本ですが、ほんとうはそうであればいいのに……。と思わせてくれるような脚色で楽しませてくれる本でした。
三成と吉継の友情物語は、やっぱり人を感動させてくれます。

 

 

なんと賢い子か。 秀吉は馬上でひとりでに笑みがこぼれるのを禁じ得なかった。あんな子が欲しかった。 他人が何を欲しているか、瞬時に読み取って対応できる。 遠乗りで喉が渇いたという秀吉に、たっぷりの量のぬるいお茶を出した。秀吉は、ごくごくと渇いた喉を潤した。人心地ついて、もう一杯所望すると、ちょうどよい加減の量のお茶がちょうどよい加減の温度で出てくる。まだ少し渇きがあった喉を潤すとともに、お茶そのものも味わえる。ためしにもう一服所望した。そうしたら、今度は少量の熱いお茶が出てきた。もう十分喉は潤ったはず。どうぞゆっくり味わいながら身体を休めてくださいとでも言うようだ。 小気味のよい心遺いだ。 修行を積んだ大人でもなかなかできるものではない。 市や虎とあまり変わらない歳なのに。……。 あの佐吉という少年をどうしても、自分に仕えさせたい。
今日は住職は留守だった。日を改めて、もらい受けたい旨頼みに行こう。
(第一章 美しい誤解 ―― 出会いの三献茶)

 

 

「そうか」 吉継は、しばし視線を天井に向けてから、三成に戻し、 「治郎殿、大谷刑部、微力ながらお味方つかまつる」 そう言って、頭巾の中で破顔した。え。 三成は驚いた。 さっきまで、あんなに激しく反対していた吉継からの協力の申し出だ。驚くのも無理はない。 聞き違いか。と思うほどだ。だが、確かに、味方すると言った。 なぜだ。なぜ急に翻意した。ここに来て説得が受け入れられたとも思えぬし……。 「なぜ、急に……」 三成は、ぼそっと呟くように訊いてみた。 「お前と戦場で槍を交えるなど、わしにはできん。しかし、お前は挙兵をやめぬ。どうするか、お前とともに兵を挙げるしかないではないか」 「なれど、おぬしは、家康の天下になってもいいと思っている。それなのに、わしといっしょに家康を討つというのか」 「ああ、そうだ」 「なぜ、そこまで」 「友だからだ」 「友だから……それだけか」 「他に何か要る」 「そうか」
(第九章 友よ ―― 佐和山から関ケ原へ)

 

 

「その前に、頼みがある」 吉継が、改まった口調で言った。 「何だ、改まって」 「今何時だ」 「もうかれこれ七つになるが」 「では、まだ間に合うな」 「何だ」 「天守へ登らせてほしい」 「天守へ、わしは別に、かまわんが、おぬし大丈夫か」 「手数をかけることになると思うが」「それはよい。背負ってでも連れて行くが……。天守へ行ってどうする」「見たいのだ。琵琶湖に沈む夕日が」「見たいというて、お前……」 「まだ辛うじて、光の色はわかるのだ。長浜にいた時、よく二人で眺めた夕日、全く見えぬようになる前に、見ておきたい」 「わかった」
(第九章 友よ ―― 佐和山から関ケ原へ)

 

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あらすじ
ジュエリーショップで、婚約指輪を見つめるカップルたち。親に結婚を反対されて現実を見始めた若い二人と、離婚を決めた大人の二人。それぞれの思いが形になる光景が胸に響く「消えない光」他23編。
人を好きになって味わう無敵の喜び、迷い、信頼と哀しみ、約束の先にあるもの
すべての大人に贈る宝石のような恋愛短編集。

 

ひと言
かなり短くてもう少し読みたいなぁとも思いましたが、ひとつひとつがとてもよくて、さすがにやっぱり角田光代と改めて感心しました。最初の「約束のジュエリー」もよかったですが、「おまえじゃなきゃだめなんだ」が角田さんらしい感じがして好きでした。実際に関東の方には「山田うどん」というお店があるらしく、もし機会があれば食べてみたいと思いました。

 

 

クリスマス前夜、理菜の出産祝いをすることになっている実家へと香菜は急ぐ。手にした袋には、両親と理菜夫婦への贈り物、それから七実への贈り物が入っている。ペビースプーンといっしょに、七実に贈るちいさな鍵のネックレスの包みもある。 「なあにこれ、すごくきれい! 赤ちゃんにはもったいない、私がもらう」包みを開けて言う妹に、「だめ、それは七実のもの」香菜は真顔で返す。そう。その鍵はこの世界にやってきたばかりのこの子のもの。 その鍵で開けた世界は、とんでもなくすてきなもので満ちているんだよ。私がちょっとだけ触れた、たくさんの人の人生のしあわせな欠片、だれかのたいせつな思い、だれかを思う気持ち、変わらないもの、消えないもの、だれにも奪えないものが、その世界にはいっぱいある。だから七実、この先、こわいことやかなしいことがあったときには、その鍵で開けた世界を見にいきなさい。 勢いよく泣き出す七実のちいさな手に、香菜はまあたらしい鍵をそっと握らせる。
(約束のジュエリー)

 

 

わたしはずっと、人生にはピークがあって、加齢とともに坂を下っていくものだとばかり思っていた。けれど最近では思うのだ。生きていくことは、ゆっくりゆっくり、自分の花を咲かせていくことなのではないか。ピークも下りもない、私たちはその花のいちばんうっくしいときに向かって歩いているのではないか。そうしていのちの最後に、わたしたちはだれもが自分の花を、存分に咲かし切るのだ。
三十代でわたしは結婚し、娘と息子がひとりずついる。もうじき彼らもわたしたちの家から巣立っていく。わたしは花のことを家族に話したことはない。子どもたちも、夫も、ひとつずつ花を持っている。どんな花なのか、今はまだわからない。あと十年後か、二十年後か、あるいは一年後か、わたしの頭にも花が咲くときがくる。それを見るのはこわくはない。いったいどんな花なのか、見てみたい気持ちのほうがまさる。そのとき花がみごとに咲き誇るように、いちばんうつくしくあるように、わたしは今日も一日を過ごす。平凡で退屈ななんでもない一日を、せいいっぱいに生きる。
(さいごに咲く花)

 

 

山田じゃなきゃだめなんだ、と思わず口走った芦川さんの声がよみがえる。 私は本当は、そう言われる女になりたかったのだ。ずっとずっと。おまえじゃなきゃだめなんだ。うどん屋だからって、最高値が五百円くらいだからって、なんであんなに怒ったのだろう。なんで馬鹿にされたと思ったのだろう。あんなにたのしくリラックスして話した時間を、どうしてぶちこわしたのだろう。ほかの男たちが下心を抱いてしてくれたあれやこれやを、なんであんなふうに話せたんだろう。なんで恥ずかしくなかったんだろう。宗岡辰平の前で、どうして泣かなかったんだろう。どうして納得なんかしたのだろう。別れないと叫んだって辰平は私ではないほうを選んだのだろうが、でも、叫べばよかったかもしれない。
どうして私は選ばれなかったんだろう。どうしておまえじゃなきゃだめだと、だれも言ってくれないのだろう。だれにも言ってもらえないまま、こんな年齢になったんだろう。 うどんが。鼻水のせいで味がわからなくなり、ティッシュを取り出して鼻をかむ。うどんをすする。うどんが。こんなうどんが、「おまえじゃなきやだめだ」と言われているのに、私は。私ときたら。 涙でぐしゃぐしゃになりながら食事する私を、だれも見ていない。さっきと同じか、それとも入れ替わったのかわからない作業服の男性たちも、老婦人も、母子連れも、新しく入ってきたらしい学生服の男の子たちも、それぞれ自分たちの時間に没頭して、だれも私のことなど見ていない。
若いときは気づかなかったのだ、私のことなんか、だれも見ていないということに。だれかと比較することなく、だれにどう思われるかなんて気にすることなく、自分のことだけにせいいっぱいかまけていればよかったのだ。どうしてわからなかったのだろう。 私はうどんの汁をぜんぶ飲み干した。……。……。
ふだんだったら、みんな、ろくでもないやつだったし、不幸になっていればいいと思うのだけれど、このときはなぜか、みんなそれぞれの場所で、しあわせともふしあわせとも思いつかないような、そんな何気ないおだやかな日々を、だれかと懸命に過ごしていればいいなと思った。そんなふうに思っても、傷つかなかった。たぶん、私の胸にあらたな野心が生まれたからだ。おまえじゃなきゃだめなんだと言ってくれるだれかと、これから私は出会うのだ。うどんに負けるわけにはいかない。待ってろよ。そんな野心が。
(おまえじゃなきゃだめなんだ)

 

 

――結婚ってなんなんだろう?
この一カ月、耕平はずっとそう考えていた。結婚というのは、好き、とかいっしょにいたい、とかの、もっとずっと先にあるものなんじゃないか。その、ずっと先にあるものの正体を、じつはだれも知らなくって、知らないからこそ指輪や結納や式や新婚旅行なんかをするんじゃなかろうか。それらが結婚というものの正体をわかったような気にさせてくれるから。
(消えない光)

 

 

「婚約指輪には、あの、ダイヤモンドってのが常識なんでしょうか」 「いいえ。ほとんどの方がダイヤを選びますけれど、ダイヤでなければいけないという決まりはございません。ブルーサファイアを選ばれてもいいと思いますよ。価格もずいぶん抑えられます」スタッフは笑顔で言い、またもや指輪をいくつか並べる。 「でも、あの、そのブルーナントカは、ダイヤを買えない人が買うとか……」 「いえいえ、そうじゃないんです。サムシング・ブルーってお聞きになったことはないですか? 結婚式のときに花嫁は何か青いものを身につけると幸福になれるという言い伝えがあるんです。ダイアナ妃の婚約指輪は、このブルーサファイアだったんですよ」
(消えない光)

 

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14日清水寺の「千日詣り」の帰り、JR大阪駅の構内にある「デリチュース」のチーズケーキ デリチュース(中)(2200円)をおみやげに買いました。箕面に本店がある2018百名店のケーキ屋さんで、聞いたこともない名前ですがチーズの王様「ブリー・ド・モー」を使った ベイクドなのにレアのようななめらかで濃厚な味で、他では食べたことがないようなおいしいチーズケーキでした。ごちそうさまでした。

 

デリチュース
大阪市北区梅田3 JR大阪駅構内

 

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「かん袋」のくるみ餅と並んで堺が誇るおいしい穴子寿司のお店「深清鮓(ふかせずし)」の上穴子にぎり(2646円)をお盆のお供えとして買いに行きました。
今まで深清鮓の穴子はいただいたことはありますが、上穴子ははじめて。なにこれ!!ふわふわトロトロで、今まで食べたことのない感動の穴子でとてもおいしいです♪。
亡くなった親父のお供えだから奮発して上穴子にしてよかったです。親父、おいしい穴子を教えてくれてありがとう♪

 

深清鮓(食べログ)
堺市堺区出島町1

 

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仕事で大垣に住んでいる娘が、お盆の帰省に大阪へ持って行ってと予約を入れてくれていた「御菓子 つちや」のみずのいろ(1080円)。TVでも取り上げられることが多い人気のお菓子で、観て楽しむだけで味は…。と思っていましたがこれがまたなつかしい味でおいしかったです♪。多くの人にあげたくなるような素敵な和菓子でした。ごちそうさまでした♪

 

御菓子 つちや
岐阜県大垣市俵町

 

平成最後の夏 8月11日~15日 実家の大阪の堺へ帰省しました。
朝、この夏帰省できないけど、お供えの和菓子を持って行って欲しいという 今は仕事で大垣に住んでいる娘の家に寄り、渋滞の名神で大阪へ。

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私の中では昭和の象徴である「太陽の塔」を平成最後の夏にすぐ近くで観たくて千里万博公園に立ち寄ります。

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近くで見る太陽の塔は大人になった今でも とても大きくて、泣きそうになるくらい唯々なつかしい。
記念グッズを買い、ネットで見たキャンセルがあった場合には入館できることがあるという書き込みを信じて受付の人に尋ねましたが、やっぱり無理でした。残念。

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私も入ることになるお墓です。もう早いもので親父が亡くなって4年半になります。お袋の方のお墓にもお参りします。

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前々から眼がみえなくて、よく人や物にぶつかっていましたが、最近は網膜色素変性症がかなり進んで一人では歩けないお袋と手をつないで親戚の家々をお参りにまわります。

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14日は親父の月命日。久しぶりに京阪電車に乗って、たった1日の参拝で1000日詣でたのと同じご利益や功徳があるとされる清水寺の「千日詣り」に行きました。

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今秋の娘の結婚。お袋の眼。親戚、身内の癌の発症。自分の力ではどうすることもできなくて、仏にすがり、唯々祈ることしかできません。本堂 内々陣の入り口でおロウソクを2本いただき、願い事を書いて正面左へ献灯します。

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内々陣の入口から一番奥のところに置いてあるこの期間だけに授与される特別なお札「千日詣りお守り札」もいただきました。

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五色の「結縁の綱」を握ってお祈りします。お前立の千手観音がすぐ目の前に…。
とても厳かな千日詣りでまたお詣りしたい、次はみんなでお詣りしたいなぁと思いました。
(もちろん撮影禁止ですので、上の写真は清水寺のHPから拝借させていてだきました。無断借用ごめんなさい)

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夏越の祓で上賀茂・下鴨神社にお参りしたときには、立ち寄れなかった地主神社にお参りして帰ります。(こちらもすごい人でまともに写真が撮れないのでネットより拝借です)

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檜皮屋根の葺き替え工事のために「素屋根」ですっぽりと覆われているため、子安の塔へ来る人はほとんどいません。でも私はここから眺める清水の舞台が一番好きで、清水寺に来た時には、ほとんどいつも立ち寄ります。

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15日はTVの戦没者追悼式で黙とうをささげます。ありがとう昭和、ありがとう平成。平成最後のお盆 次の時代はどんな時代になるんだろう。ただお盆はいつの時代になっても少なくとも自分にとっては変わらないんじゃないかなと思いながら名古屋への帰路につきました。
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あらすじ
日本人が出場した初めての国際的な競技大会となった一九一二年のストックホルム・オリンピック。この大会でマラソンにエントリーした金栗四三選手は、レースの途中で姿を消してしまう―。現地ではそのとき何があったのか。その後、金栗四三はいかにして「箱根駅伝」の創設に尽力したのか。その真相に迫る。

 

ひと言
金栗四三さんのことやこの本のことが紹介されたTV番組を観て、すぐに図書館に予約を入れました。読んでいくうちに付箋がどんどん増えてきて、このブログに抜粋する文章を選ぶのに苦労しました。
54年と8ヵ月もの永い間、日本のスポーツ界の牽引のために走り続けていただきありがとうございました。お疲れのところ申し訳ありませんが、あともう少し、東京オリンピックまで、日本のスポーツ界を見守り続けていただけますか?。著者が最後に書き残した「黎明の鐘」が東京オリンピックにあわせた形で実現してくれればいいなぁと心より思いました。いい本に出会えて光栄でした。

 

 

「精力善用」とは、どういうことなのか。それが「自他共栄」と同じ意味になり得るというのは、どういうことなのか。 これまでに説明されているところによると、つまり、こういうことらしい。人との出会いで、相手が強い力で向かってきたとき、こちらも力で対抗すれば、当然、衝突が起こり、相手はさらに力を出す。力に対して力で報いるのは、相手にさらなる力を出させることで、決していい方法とはいえない。 こんなとき、相手と対立し、対抗するのではなく、逆に相手の力を利用するような受け止め方をすれば、相手に十分に力を出させないで済む。私心なく、謙虚にし、むしろ相手に利するようにすることが、かえって自分を生かし、双方に幸いをもたらす結果を生む。「柔よく剛を制す」とはこれを指すのだろう。対立と衝突によって互いに破壊し合うより、協調によって共栄するほうが、どれだけ賢明かしれない。
(第二章 嘉納治五郎と金栗四三)

 

 

水谷豊氏著の『白夜のオリンピック 幻の大森兵蔵をもとめて』が『熊本日日新聞』の記事として掲げられているところから引用させていただくと、金栗選手は嘉納にこう訴え出ていたのだという。
「先生、私には荷が重すぎるようです。羽田のレースでは勝つことができました。しかし、十分の練習も準備もできていないまま、たとえ三、四ヵ月のトレーニングを積んだとしても、まったく自信はありません。行けばぜひ勝ちたいと思うでしょう。また勝たねば、期待してくれる国民諸君に申し訳けありません」
だからこそ、嘉納治五郎は繰り返し、同様のことを伝えたのだ。
「これからは、国内の学生たちも、学問だけでなく、新しい方向へも発展しなければならない。スポーツもその一つだ。学生が先頭にたって国民の体育熱をふるいおこすのだ。私は講道館をっくり柔道熱をあおった。しかし、残念ながら柔道はまだ国内だけのものだ。君の脚で、君のマラソンの力で、日本スポーツの海外発展のきっかけを築いてくれ。勝ってこいというのではない。最善を尽くしてくれればいいのだ」
金栗四三の気持ちは、それでも変わらなかった。嘉納はさらに言葉を継いで彼の翻意を促した。有名な「『黎明の鐘』となれ」の言葉は、このときのものだ(『走れ二十五万キロ』豊福一喜・長谷川孝道著)。
「何ごとも初めはつらい。自信もなかろう。しかし苦労覚悟で出掛けていくことにこそ人間としての誇りがあるのではなかろうか。スポーツにしてもしかり、捨て石となり、いしずえとなるのは苦しいことだ。敗れた場合の気持ちもわかる。だが、だれかがその任を果たさなければ、日本は永久に欧米諸国と肩を並べることができないのだ。このオリンピックを見逃したら、次の機会は四年後にしかやってこない。もう四年の空白を指をくわえてまつ時期ではないのだ。金栗君、日本スポーツ界のために『黎明の鐘』となれ」
(第三章 オリンピック予選会)

 

 

一九〇八年の第四回大会は、ロンドンでのこととて、クーベルタンは最も大きな期待をかけた。しかし、ここにおいても彼はまたもや大きな落胆を味わうことになる。 スポーツの巨大勢力であるアメリカとイギリスが、競技を通じて対立してしまったのだ。 発端は、四〇〇メートル競走の決勝にあった。 アメリカは三人の選手を送っていたが、イギリスからはウインダム・ハルスウェル選手ただ一人だった。先頭争いは激しかった。最後の直線コースヘと出たところで、三番手の位置にいたイギリスのハルスウェルが、外側から前の二人のアメリカ選手を一気に技こうとしたとき、アメリカ選手カーペンターが肩で妨害したとの判定が出されのだ。競技場は大混乱となった。
混乱をただす方法はただ一つしかなかった。再レースをすることだった。それはその週の最後に行われることになったが、これをアメリカ選手全員が棄権。イギリスのハルスウェルだけが一人で走って優勝となった。 これが、歴史的に意味を持つようになったのは、実はこのあとの一件による。このアメリカ・チームが寺院での礼拝に集まったとき、エチェルバート・タルボット司祭が彼らを諭して言ったのが
「オリンピックで重要なことは勝つことでなく、参加することである」
という言葉だったからだ。この言葉に感激したクーベルタン男爵は、他の席での自身のスピーチにこれを引用した。そして、そのあとに「人生で一番重要なことは勝利者であるかどうかではない。その人が努力したかどうかである。堂々と奮闘することである」と付け足したというのが真相だ。
(第四章 ストックホルムへ)

 

 

一九二〇年(大正九年)、東京箱根間往復大学駅伝競走を企画した。 今ではお正月の風物詩とまでいわれる箱根駅伝、つまり、東京箱根間往復大学駅伝競走の誕生に、金栗四三が最も大きく係わっていたことは、最優秀選手賞に「金栗四三杯」の名が与えられていることからでもわかるだろう。
(第ハ章 駅伝)

 

 

一九六七年(昭和四十二年)三月、思いがけない知らせがストックホルムから舞い込んだ。一九一二年(明治四十五年)に開催されたオリンピックの五五周年行事に、金栗を招待したいというのだ。……。
マラソン部門での金栗選手が、スタジアムの門を出たことは明らか。しかし、ゴールインはしていない。かといって、棄権にもなっていないのだ。つまり、彼はまだ走り続けているということになった。それを完了させたいという願いが彼らに起こったものらしい。 普通、レース途中で倒れた者については、係の者が本人に会い、レース続行を放棄するという意志を確かめた上で「棄権」として処理する。しかし、金栗四三選手の場合は、その意志告示の確認が抜けていた。 日本に帰っているのなら、どこかにいるはずで、関係者は多分ペトレ家にも問い掛けたのだろう。金栗はペトレ家とは、つねに連絡を保っていた。そんなところから、彼が日本の九州にいると判明したものらしい。……。
しかし、その招待を受けない金栗では、もちろん、ない。 金栗四三は喜んでストックホルムを再訪した。彼は七十五歳になっていた。 オリンピック委員会では、スタジアムに正式のゴール・テープを用意していた。そのときの写真がある。彼はレースからほぼ五五年経って、やっとそのテープを切った。 アナウンスもあった。 「日本の金栗四三選手、ただいまゴールインしました。タイム、五四年と八ヵ月六日五時間三二分二〇秒三」 そして、さらにもう一言。
「これをもちまして、第五回ストックホルム・オリンピック大会の全日程を終了いたします」
柏手に包まれ「ゴール」したあとの金栗四三のコメントも残されている。彼はこう言っているのであった。「長い道のりでした。その間に、孫が五人できました」
会場からは大きな笑声と、さらに大きな拍手が湧いたということだ。
(第十章 幻の東京五輪、夢のストックホルム)

 

 

グリコの有名なゴールイン・マークについては、何度かの変更があったようであるが、調べてみると、初代のマークは一九二二年(大正十一年)生まれだとのこと。うしろに日の丸を背負っているところからしても、また当時の日本でオリンピック陸上競技の選手として常連となっていたのは金栗四三以外にないところからも、オリジナルなマークのモデルに彼がなっていたことは間違いない。その後、顔の表情を「もっと柔和に」との商業方針から、デザインが少々実物の金栗選手から離れていっているが、それも彼の責任というものではない。 ともあれ、長い間、彼金栗四三選手は日の丸を背に、キャラメルの図案に、あるいは大阪・道頓堀の巨大ネオンにおいても、今でも元気に走り続けていることはご存じのとおりだ。
(第十二章 人生という名のマラソン)

 

 

箱根駅伝には、最高殊勲賞にあたる「合栗四三杯」が二〇〇四年(平成十六年)の第八〇回大会に創設されたことはご存じのとおり。第一回の学連選抜の鐘ケ江幸治選手(筑波大)以来、それは毎年新春を飾るスポーツ・ヒーローを生んできた。受賞者には金栗の生まれ故郷和水町から「金栗四三杯」が贈られる。彼がストックホルム・オリンピックに向けて走った最初の国内予選で優勝したときのカップを複製したものというのも意義深い。 金栗四三が残したレースが起爆剤となって、今や全国にさまざまに長距離競走の大会が起こり、ランナー人口は確実に増えている。ランニングは楽しいものであることを伝えたいという彼の意図は、十分に果たされたといえる。 人生の最後まで、地元の学生たちや子供たちとのランニングを楽しんだ金栗四三。地元のマラソン大会では、いつもスタートのピストルを翁自身が撃ったが、いよいよ晩年になっては、それも楽にはいかなかった。 しかし、衝撃の反動を抑える者に腰元を支えられながらでも、最後まで号砲を放ち続けたという。一九八三年(昭和五十八年)、十一月十三日没。九二年の見事な人生だった。
(第十三章 勝者とは、敗者とは)

 

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食後のデザートに(どんだけ食べるねん!!)「プルシック 名古屋駅エスカ店」で人気No.1のプルシックプリン(380円)とNo.2のレトロプリン(380円)を買って帰りました。岐阜に本店があるお店なのですが、なかなか行きにくい所にあり、いつかは買いに行きたいと思っていたお店が今年の3月 名駅エスカ地下街にオープンしました。このお店、知る人ぞ知る あの「パステル」のなめらかプリンの生みの親、所シェフのお店なのです。

 

プルシックの方はほんとうに究極のなめらかプリンだし、レトロは少しかためで昔食べたような懐かしさを感じるプリン。人それぞれ好みは分かれると思いますがどちらもとてもおいしいプリンでした。ごちそうさまでした♪

 

 

プルシック 名古屋駅エスカ店 (食べログ)
名古屋市中村区椿町6 エスカ地下街

 

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赤福氷を先にいただいてしまいましたが、今日のお昼は KITTE名古屋「一番酒場 あぶりどり バリ鳥」がお昼にやっているランチ 名古屋コーチンの極上親子丼(850円)です。コスパ抜群のあぶり鳥の親子丼(540円)と迷ったのですが、”名古屋コーチン””極上”という言葉に負けてしまいました。ふわトロ玉子にカリッと炙ったコーチンの鶏肉。名古屋はおいしい親子丼のお店がたくさんあるので感動とまではいきませんが、とてもおいしい親子丼でした。ごちそうさまでした。

 

一番酒場 あぶりどり バリ鳥(食べログ)
名古屋市中村区名駅1 kitte名古屋 B1F

 

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今日も暑い一日、お昼を食べた後では かなり混むので先にJRタカシマヤの地下1階にある赤福茶屋へ。10分ほど並んで、赤福氷(520円)と赤福盆2個入(210円)をいただきます。実は赤福氷初体験です。最近はふわふわでとてもおいしいかき氷が多いので、氷は昔ながらのふつうのかき氷ですが中から出てくる赤福のこし餡と冷えて少し硬くなったお餅が氷に合ってとてもおいしいです♪。いつも結構な行列であきらめることが多かった赤福氷をやっといただくことができました。ごちそうさまでした♪

 

赤福茶屋 JR名古屋タカシマヤ店(食べログ)
名古屋市中村区名駅1 JR名古屋タカシマヤ B1F