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今日は大阪からお袋と弟夫婦が来て、娘とその婚約者の計7名でお昼の予約を入れてあった「しば福や」へウナギを食べに行きました。

 

ひつまぶし、スタミナまぶし(白焼きのまぶしに特製のたれ)、まぶしば丼(どんぶりひとつで「ひつまぶし」と「うな丼」の両方が味わえる)、肝焼き を注文しみんなで分け合っていただきます。

 

 

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名古屋の名店「うな富士」で修業した大将のうなぎは外がカリっと、中はフワっとしてとてもおいしいです。特に肝焼きは今まで食べた肝の中で一番おいしいかも。

 

 

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白焼きに特製たれをかけたスタミナまぶしも絶品でした。

 

 

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今年の5月末に開店したお店なので店内はとてもきれいで2階のテーブル席をつけて7人がひとつのテーブルで食事ができたのもとてもよかったです。
おいしいうなぎで楽しいひとときを過ごすことができました。ごちそうさまでした♪

 

 

うなぎ家 しば福や(食べログ)
名古屋市西区那古野1

 

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今日は大垣の娘も帰ってきて、家族でららぽーと名古屋へ晩ご飯を食べに行きました。
私は「日本橋 海鮮丼 つじ半」のぜいたく丼特上(1706円)をいただきます。確かにおいしい海鮮丼ですが、保温ポットに入った鯛だし汁がぬるく、別皿の茶漬け用の刺身にかけても刺身の色が変わりません。やっぱり鯛茶漬けは熱々の出汁じゃなきゃ。でも出汁をかけた海鮮茶漬けはさすが「つじ半」おいしいです。

 

本店の半値ぐらいの価格設定なので、そこまで求めるのは酷なのかなぁ。でもあの有名店の「つじ半」がお手軽に食べられるのはうれしかったです。ごちそうさまでした。

 

 

 

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今日は仕事で栄に行くことがあり、今までずっと行きたいと思っていた名古屋めし 味噌カツ発祥のお店「叶」へ 元祖味噌カツ丼(1320円)を食べに行きました。一見濃いようで濃くない味噌ダレのカツと玉子がとてもよく合っておいしいです♪。さすが食べログとんかつ100名店 2017、2018に選ばれるだけのことはあります。ただ欲を言えばもう少しご飯の量が多い方がよかったかも。ごちそうさまでした。

 

味処 叶(食べログ)
名古屋市中区栄3

 

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あらすじ
どんな地獄だろうと構わない。でも、この秘密だけは、絶対に守り通す。刀根秀俊、美月、亮介、陽菜乃は仲のいい友達グループだった。中学2年の夏にあの事件が起こるまでは――恐怖、怒り、後悔、そして絶望。生涯拭えぬ過ちとトラウマを抱えたまま、各々の人生を歩んでいた4人。求め合う体と秘めたる想いが、さらなる苦悩を呼び、暴力の行き着く果てに究極の愛が生まれる。著者渾身の恋愛長編!

 

ひと言
他の人の読書レビューを参考に読んでみようと借りました。535ページの長編ですが、グイグイ引き込まれて2日で読了。この本のタイトルが「嘘 Love Lies」で「秘密」でもよかったんじゃないかと思い村山さん本人のインタビューを探してみました。
愛のためについた嘘が、人をどんどんややこしい場所へを追いこんでいく。そういう意味あいで付けました。……。リアルに、登場人物がどういう種類の嘘なのかを見抜けないまま葛藤したり苦しむさまを書きたいと思ったことが、このタイトルを付けた最初の理由です。
とのこと。やっぱり「嘘 Love Lies」のほうが深くていい。納得。

 

 

神道の成り立ちや全体像についてざっくりと説明した上で、重信は、神道と他の宗教とはある意味まったく別物なのだと言って皆を驚かせた。
「なぜかというとだね、仏教やキリスト教やイスラム教などと違って、神道には〈教え〉というものが存在しないからなんだ。ほかの宗教にはたいてい、聖典とされる書物がある。仏教ならばお経だし、キリスト教なら聖書、イスラム教ならコーランだね。そこにはっきりした〈教え〉が書かれているから、たとえば日本人がイスラム教を信仰することもできるし、アメリカ人が仏教を信じることもできるわけだ。しかし神道には、明確な創始者がいないから、もともと決まった〈教え〉というものがない。当然ながら聖典もない。『古事記』や『日本書紀』は神典とされてはいるけれども、ありがたい〈教え〉が書かれているわけではないからね。それなのに神道というくらいだから、神様は確かにいらっしゃるわけだ。きみたち、八百万の神々って聞いたことがあるだろう? 森羅万象のすべてに神様が宿っているという考え方だが、しかしこれも〈教え〉や〈教義〉と言うより、どちらかというと〈言い伝え〉に近い。いくら、社に祀られている鏡や刀や、大きな木や岩に神様が宿っていると言ってみたところで、それは昔から土地の人々がごく自然に信仰してきただけのことで、イエス・キリストやマホメットが提唱してきたような〈教え〉とは、根本的に異なるわけだ。わかるかな? こういった神道独特の信仰の感覚は、日本人にとっては不思議でも何でもない当たり前のものだけれども、よその国の人たちはどうも戸惑うようだね」
(第二章)

 

 

父親を本当に亡くすのと、いるのにいないも同然というのとでは、どういうふうに違うものなのだろう。いないほうが大変だろうな、という想像はつく。でも、いる相手にはつい、無駄だとわかっていても期待してしまうのだ。そのつど失望させられるのもそれはそれで辛い。
(第二章)

 

 

「ただ、さ。あの時、みんなを巻き込んだ俺が言うのもどうかとは思うんだけど、もしかしたら、俺たち全員に、別の未来があったのかもしれないなって」 「別の?」 「うん。その未来の中では、亮介はあんなふうに死ななくてよかったし、美月は父親のいない子を産まなくてよかったし、中村だって、もっと自由に生きられて、いろんなこと我慢しなくてよかったんじゃないかって。―― そんなこと、今さらどれだけ考えたってしようがないんだけどさ」 低く掠れた声は、ともすれば海風に吹き散らされる。耳を澄まして一言一句を受け取った陽菜乃は、少しの間それについて考えたあと、同じくらい抑えた声でささやいた。「刀根くんの言う意味は、わからないわけじゃないけど……でも、美月ちゃんはきっと、真帆ちゃんを産んだことをかけらも後悔してないと思うよ」 「あ、うん。それは俺もわかってる」 少し慌てたように彼は言った。「じゃあ、刀根くんは?」 「え、俺?」 「もしかしたらあったかもしれない別の未来の中で、刀根くんは、どうしたかった? どういうふうに生きたかったの?」 「俺のことは、いいよ」 「だめ。答えて」 いつになく強く言うと、彼が驚いたようにこちらを見た。目をそらさずに見つめ返す。太い眉の下の、黒々とした瞳。どうしたって嘘をつけない目だ。十代の頃と、少しも変わっていない。 「俺は……」一旦、唇をぎゅっと結んだ秀俊が、観念したように言った。「俺はただ……中村に、のんびり笑っててほしかった」 「え」 深いため息をつき、視線を波打ち際へと戻す。 「だって俺、あの頃、中村がいてくれることで、どれだけ救われたかわかんないもんな」 「そんなこと、」 「いや、そうなんだよ。そっちに自覚はなかったかもしれないけど、ほんとにそうだったんだ。だからこそ、中村が、何ていうかその……笑わなくなった後、どうにかしてもう一度前みたいに笑えるようにしてやりたかった。とにかく、中村にだけは幸せでいてほしかったんだわ」 照れ笑いのひとつもなかった。切れそうな視線を、今は海原の彼方へと投げて、秀俊は続けた。 「その気持ちは今でも変わんないよ。もしもの未来の話じゃなくて、中村にはこれから先も、いろんなことをあきらめてほしくない。絶対に、これまでよりも幸せになってほしい。そのために出来ることがあるなら、俺は何だってする。……俺も、もちろん美月も」 陽菜乃は、たまらなくなって、秀俊の横顔から目をそらした。 足もとの砂に視線を落とす。笑いたいような、泣き出したいような気持ちに、どう顔を作っていいかわからない。 
あり得たかもしれない、別の未来。秀俊がこの先もおそらく決して口に出すことのない望みは、自分が今までどうしても口に出せなかった望みと、少しは重なっているだろうか。そうだといい。そうであってほしい。言葉どころか声にすらならなかった想いをここで永遠に封じて、堅く閉じた貝のように、互いの胸の奥底深く沈めておきたい。 「…… 大丈夫だってば」 陽菜乃はかろうじて徴笑んでみせた。「そんなに心配しないで。今だって私、何にもあきらめてなんかいないから」 「そうか。……うん」 「でも、ありがとね。刀根くんがそういうふうに言ってくれて、すごく、嬉しい」 波打ち際で戯れる母娘を、陽の光が金色に彩る。逆光のせいで輪郭が柔らかく飛び、夢の中で見る光景のようにふわふわと儚い。 娘だけでなく、ようやく結ばれた秀俊のことも、美月はあんなふうにひたむきに愛するのだろうか、と思ってみる。きっとそうだろう。彼女は、愛情を注ぐことにかけて躊躇いがない。 心の底から祈らずにいられなかった。 あの小さな少女の未来が、どうか明るいものでありますように。試練はふりかかるかもしれない、それは仕方のないことだし必要なことでもあるだろうけれど、ただ、どうか ―― 彼女のゆく道が、何ものにも穢されませんように。ひとりで泣くのはほんとうに辛いから。そんな哀しい強さは、持たずに済むに越したことはないのだから。
(終章)

 

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今日は仕事がお休み。平日なので少しは空いているかなと思い、今話題の「ららぽーと名古屋みなと」へ行ってきました。
「つじ半」の海鮮丼を食べようと思って行ったのですが、甘し。これ軽く1時間以上並ぶよね というほどの人、人、人です。
こちらも20分ほど並びましたが、「香川 一福」のぶっかけ(冷)の小(480円)と釜玉うどんチーズの小(630円)をいただきます。

 

さすが食べログうどん100名店 2017、2018(2店舗)、2年連続ミシュランガイドのビブグルマン賞(星は付かないがコスパが高く、良質な料理を提供する飲食店に贈られる)受賞するだけあり、ぶっかけ(冷)などは感動の域のうどんです。おいしいうどんをありがとうございました♪。ごちそうさまでした。

 

 

香川 一福 ららぽーと名古屋みなと(食べログ)
名古屋市港区港明2 ららぽーと名古屋3F

 

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「ぎんぶた」のハヤシを食べた後は、松坂屋名古屋店で行われている大北海道物産展へ立ち寄ります。お目当ては、食べログスイーツ100名店 EAST2018にも選ばれている函館のお店「ペイストリー スナッフルス」のチーズオムレット(1296円 8個入り)です。評判通りの滑らか、ふわふわ、とろける、とてもおいしいです。ごちそうさまでした♪

 

ペイストリー スナッフルス
北海道函館市高丘町

 

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今日は自転車で伏見の長者町にあるオープンして2カ月の「ぎんぶた」へお昼を食べに行きました。「ゆで太郎 伏見店」の真ん前にあります。TVで紹介されていた名物の赤坂ハヤシライス(700円)をいただきます。とてもおいしいハヤシライスですが、この辺りはサラリーマンのランチ激戦区。もう少し安めの設定のほうが流行るだろうなぁと思いました。付近のまだのお店にも行ってみたいです。ごちそうさまでした。

 

 

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あらすじ
「戦場の知事」島田叡は昭和20年6月、沖縄・摩文仁の丘で消息を絶った。遺骨は現在も見つからない。東京帝大野球部OBの一人である。日本の野球史そのものである同部の歩みには、卒部生の数々の壮烈な人生が浮かび上がる。野球の「本質」とは何か。ひとつの目標に向かってひた走ることの「価値」とは何か。その原点を追う渾身のルポルタージュ。
「魂が神宮球場から離れない」――4年間80連敗のまま卒部した副将は、そう呻いた。2019年に「創部百年」を迎える東大野球部は、凄まじいまでの「敗北」と「葛藤」の歴史を持っている。ついには2015年、リーグ戦で一度も勝利を味わうことなく卒業した部員も現われた。

 

負けても負けても、それでも挑戦をやめない集団――史上最多の17勝をあげた伝説の大投手や、初優勝に“あと一歩"まで迫った「赤門旋風」の主役たち、150キロ左腕・宮台康平らへの徹底取材を通じて、すべてが解き明かされる。

 

 

ひと言
著者の門田 隆将さんが出演するTV番組で、この本のことを知り、東大野球部OBの島田 叡さんの足跡を追う間に東大野球部そのものを描くようになったという話を聞いてすぐに図書館に予約を入れました。
2011年の夏 家族旅行で沖縄へ行ったときには、勉強不足で沖縄県知事 島田 叡、沖縄県警察部長 荒井 退造 の2人の「島守」ことを知らず、平和祈念公園の「平和の礎」はお参りしたのに、そのすぐ近くの「島守の塔」へお参りしなかったことがずっとずっと心残りでした。
今年 2018年1月、仕事で沖縄へ行くことがあり、どうしてもお参りしたかった摩文仁の丘の「島守の塔」へやっと手を合わせに行くことができました。

 

 

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(上の写真は、そのとき撮ったものです。自分も写った記念写真を撮るのにはふさわしくない神聖な場所なので…)

 

 

この本のおわりにも書かれていますが、東大野球部は2015年から沖縄でキャンプを張るようになり、その沖縄キャンプで欠かせない行事が「島守の塔」への参拝。そして「東京大学」と刻印されたボールをお供えするとのこと。
この「島守の塔」への参拝こそが、東大野球部がいまも存続している理由を指し示しているのではないかと門田さんは言います。「敗れても 敗れても」、「次は勝つ」という思いを絶対に捨てず、この引き継がれる目標を追い求め、歴史と伝統を継承しようとする精神に、人々は応援し、拍手を送るのだと思いました。

 

 

敗れても敗れても、それでも挑戦をやめない一風変わった集団-それが東大野球部なのだ。私がこの部に興味を抱いたのは、ある人物の存在による。 島田叡。太平洋戦争末期、青酸カリと日本刀、そして『葉隠』と『南洲翁遺訓』という二冊の本を持って知事として沖縄に赴いた内務官僚である。
(はじめに)

 

 

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(上の写真は ネットより拝借です)
顕彰碑の碑文が朗読される。朗読するのは、島田叡氏事跡顕彰期成会の名嘉山興武副会長である。参列者が目を瞑って聴き入った。
「建立の詞 一九四五年一月、島田叡氏は、風雲急を告げる沖縄に、大阪府内政部長から第二十七代県知事として赴任しました。その頃、沖縄は、前年の″十・十空襲″の被災につづき、住民を巻き込んだ国内唯一の地上戦が始まろうとする直前でした。 それは死を賭した決断の着任でした。以来、五ヵ月に及ぶ苦難な戦火の沖縄で県政を先導し、献身的にしかも県民の立場で疎開業務や食糧確保につとめ、多くの県民の命を救いました。 最後の官選知事・島田叡は、沖縄戦で覚悟の最期を遂げ、摩文仁の『島守の塔』に荒井退造警察部長をはじめとする旧県庁殉職職員(四百六十九柱)とともに祀られています。沖縄県民からいまも『沖縄の島守』として慕われている所以です。享年四十三、兵庫県神戸市須磨区出身」
名嘉山はここでひと呼吸置くと、野球選手としての島田について綴った碑文の部分を、つづけて朗読した。
「島田叡は、高校、大学野球でフェアプレーに徹した名選手でもありました。野球をこよなく愛し、すべてに全力を傾けるそのスポーツ精神は、県政の運営にも通底し、つながったと思われます。一九六四年に、故郷・兵庫県の『島田叡氏事跡顕彰会』から沖縄へ『島田杯』が贈られました。そのことが(沖縄の)高校球児に甲子園への夢を育み、大きな励みになりました……」
島田がきっかけになって結ばれた沖縄県と兵庫県の絆は、沖縄の本土復帰のはるか以前から始まり、大きな果実を結んでいたのである。 顕彰碑の朗読が終わると、島田の出身地・神戸からはるばる駆けつけた井戸兵庫県知事も挨拶に立った。
「島田さんの没後七十年の今年、あらためて最期まで沖縄県民を守ろうとした島田さんの生きざまを学び、次世代へと語り継がなければならない責任を痛切に感じております」 井戸はそう静かに語り終えると、自作の歌を披露した。

 

 

島守の 形見に誰もが 涙せん
     崇める気持ち 赤裸に 出でん
(第一章 沖縄に散った英雄)

 

 

家族の述懐に、知事公邸から帰ってきた島田のようすが残されている。 美喜子夫人と二人のお嬢さんが待つ家に戻った島田は、にこにこと笑っていたという。 「沖縄県の知事への内命があったよ」 家庭で一度も声を荒げたことのない夫は、いつもの柔和な表情でそう言った。驚いたのは美喜子である。一瞬、美喜子は、全身の血が退いていくのを感じた。 「それでお受けになったのですか」 「もちろん受けてきたよ」 平然と答える夫に、美喜子はわれを忘れて、 「私たちはどうなるのですか!」 思わず、そう叫んだそうである。沖縄への赴任は「死」を意味している。残される私たちは、いったいどうなるのかと。前出の評論家の中野好夫は、このときのようすを夫人から聞き、昭和三十一年発行の文藝春秋別冊に「最後の沖縄縣知事 人間・島田叡氏の追憶」と題して、こんな一文を寄せている。
私たちなんにも悪いこともしないのに、沖縄にやられるなんて、そんな内務省なら、いっそやめてしまいましょう、とも歎いたそうだ。いわれない女のグチだなどと思ってはいけない。人間の自然だと私は思う。自然なるが故に美しいとさえ思う。作り上げられた烈婦傳などは眞平御免だからである。
だが、叡さんは答えたそうである。どうしても誰か行かなければならないとすれば、云われた俺が断る手はないではないか、と。また、これが若いものならば、赤紙一枚で、否応なしに行かなければならないのではないか。それを俺が固辞できる自由をいいことに断ったとなれば、俺はもう卑怯者として外も歩けなくなる、とも云ったという。(別冊 文藝春秋第50号記念特集)
それは、家族の思いも振り切った、覚悟のうえでの赴任だったのである。
(第一章 沖縄に散った英雄)

 

 

 

「沖縄本島を脱出して戦さの実相を本土に報告せよ」 牛島司令官からその命令を受けた報道班員たちは、六月十九日、海上班と陸上班の二班に分かれて脱出をはかっている。そのなかで戦後まで生き残ったのは、野村ひとりだけだった。 脱出する日の昼、野村は島田知事を訪ねている。ここでのやりとりも胸を締めつけられる。 「しっかり頑張ってください。成功を祈ります」 野村の手をしっかり握った島田は、そう励ました。お互い明日の命は知れない。万感こみ上げた野村は、島田にこう問うた。 「知事さんは、これからどうされますか」 この場に至っても、自分の命を心配してくれる野村に、島田は思わず微笑んだ。 「軍と最期をともにします」 そう言うと、島田はこうつけ加えた。 「見苦しい身体を残したくありません。遠い海の底へ行きますかな」 島田はそう言って笑った。 野球で鍛えた島田の身体は、食べるものもほとんどなく、赤痢が蔓延する壕から壕へという逃避行のなかでも、まだ頑健さが失われていなかった。しかし、ノミや虱で、威風堂々としていた頃とは比べものにならなかった。 死ぬときを絶対ともにする、と固い決意でついてきた警察部長の荒井退造も、さすがに体力が尽き果てていた。(島田知事は、惨めな骸を人目にさらさないかたちの死を決意している……) 野村は、そのことを悟った。 (知事は、入水するつもりだ……) 野村はそう直感したが、□には出さなかった。先述したように島田は、これまでに多くの県民の遺骸を見てきている。そのたびに合掌する島田の姿を部下が目撃している。 死んだあとの自身の屍が人々の迷惑となってはならない。島田は、そこまで自分の「始末」を考えていたのである。いかにも、信念と気配りの能吏、島田らしかった。そして、それが島田と交わした野村の最後の会話となった。野村はこう書いている。「これは私の最後に使うんだ」といって持っておられた薬(筆者注=青酸カリ)もあったし、最後の言葉からしてもおそらく島田さんは摩文仁の沖へ出て、立派な最後を遂げられたと思う。多数の県民を失った責任を強く感じておられた島田さんだから、あの場合到底生きようとはされまいが、まことに惜しい人を失った。島田さんのような本当の民主的な人をほしい今日である。十九年目のご命日を前にして島田さんのご冥福を心から祈りたい (『沖縄の島守 島田叡』)
「見苦しい身体を残したくありません」 その言葉どおり、島田と荒井の遺体は、ついに見つからなかった。自らの身体の「始末」を完全につけて、二人は、この世から去ったのである。

 

 

 

最後に、島田の生涯の師となった佐賀・龍泰寺の佐々木雄堂が亡くなる年(昭和三十九年)に記した絶文を紹介して、戦場の知事・島田叡への手向けとしたい。
先年当時の上司であり、後の内務大臣であった安倍源基氏のお話によると、十九年十二月、当時の沖縄県知事は病気と称して沖縄に帰任せず、各部長も各々口実をもうけて内地に引き揚げ、県庁内には荒井退造警察部長ただ一人とどまっているという状態で、県と県民とは完全に背離し、今一ヵ月知事着任がおくれたら陥落前内乱発生という異常な危険状態にあったとのこと。その殺気だった沖縄に着任した島田知事は、制空権を侵されている中を台湾に飛び島民の食糧を確保し、また玉砕後の沖縄再建の任を果たす者は現在の小学生ではないかと、当時中止されていた学童の九州疎開を、軍の反対を押し切って再開強行された。 この信念に生きて、その身心を傾けた実践は県民に強く印象され、今日なお島田知事を追慕すること深く、特に命の親と慕う当時の九州疎開の小学生たちは既に中堅層となり、たくましく沖縄再建の中核体となっている。八年前同志相結んで有名な「ひめゆりの塔」「健児の塔」と共に島田知事のために「島守の塔」を建設し、毎年六月二十三日の命日には盛大な祭典を催し、島民は尊崇とともに知事の志をつがんことを誓っている。文字通り島田知事こそは、「後から拝まれる」偉材であり、沖縄の歴史のつづくかぎり大空にかがやく明星のごとく沖縄再建の精神的原動力となることを私は確信する。(『師と友』〔昭和四十年九月発行〕に寄せた佐々木の絶文より)
(第一章 沖縄に散った英雄)

 

 

桐朋高校出身の初馬は、高校時代にはエースとして西東京大会のベスト16まで進出し、東大入学後もピッチャーとしてマウンドに立った。 しかし、二年の終わりに肩を痛めて一年を棒に振り、四年になるにあたって監督から″野手になって欲しい″と告げられ、外野手として打撃を生かすようになった。 「四年間勝ち星なし、というのは、東大野球部の歴史上ないので、汚点になるじゃないですか。先輩たちが築いてきたものを裏切ることだけはやっちゃいけない、と僕たちは思っていました。自分自身が勝ちたいという気持ち以上に、そういう″歴史を汚す″ことだけはあってはならないと思っていました。だから僕は、野手として残された時間が一年しかないので、すべてを野球に賭けたいという思いで、その時点で留年を決めました。八十回もやって勝てないというのは、もう悔しいというレペルではないですね。悔しさが積もりに積もって八十回。単純に八十回分積もっても、一回勝てばそれを吹き飛ばせるものだと信じていましたが、その吹き飛ばす機会を僕たちはもう得ることができません。だから、気持ちというか、″魂″が神宮に取りついて離れられないんです」神宮で勝たなければならなかったという思いは、今も初馬から離れないのである。
(第五章 連敗の苦悩)

 

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あらすじ
昔ながらの暮らしを守る国ルップマイゼで波乱に満ちながらも慎ましく温かい生涯を送った女性マリカ。彼女のそばにはいつも神様の宿る美しいミトンがあった。

 

ひと言
少し悲しいお話なのに、ミトンに包まれているような温かな気持ちにさせてくれる物語でした。ラトビアでは、イエスを意味する言葉がなくて、男性にプロポーズされた女性はミトンを編み、そのミトンをプレゼントすることでイエスの返事をする。ミトンが男性にぴったりだと幸せな結婚になるという。 なんて素敵な話だろう。大切な人を想い 祈りを込めて編むミトン、神さまが宿ると言われる美しいラトビアの手編みのミトンが欲しくなりました。
小川 糸さん、いつも素敵な本をありがとう。

 

 

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秋になるころ、マリカはひとつ、大きな決断をしました。ヤーニスのために、ミトンをあもうと決めたのです。 だって、告白なんて、恥ずかしくてできませんもの。言葉で伝えるかわりに、ルップマイゼ共和国の人々は、ミトンに想いを込めておくるのです。 ミトンは、言葉で書かない手紙のようなもの。 「好き」という気持ちも、文字や声で届けるのではなく、ミトンの色やもようで表現するのです。そうすることで、世界でたったひとつだけの「好き」が形になるというわけです。……。 完成したミトンを、マリカは秋分祭のとき、ヤーニスに渡すことにしました。 そよ風は、すでに秋のにおいをはらんでいます。だから早く、ヤーニスの手をあたためてあげたいと思ったのです。 けれど、面と向かって渡すことなど、恥ずかしくてできっこありません。マリカは、同じダンスクラブの仲間にたのんで、ヤーニスに渡してもらいます。 友人は、マリカからのミトンであることをヤーニスに伝えました。 こうして、マリカは人生ではじめて、だれかのためにミトンをあんだのです。それから、ミトンをあむことが、少しだけ好きになりました。
それは、建国十五周年をお祝いする式典のときでした。 マリカは、一瞬、あれ? とふしぎな気持ちになりました。 よく知っている色使いのミトンが見えたからです。しかも、はめているのは、ヤーニス! マリカは、うれしいのと驚いたのがごちゃまぜになり、その場でへんな声をあげそうになりました。それから、じわじわとよろこびの気持ちが胸にしみわたったのです。マリカがあんだミトンをはめてくれたということは、つまり、ヤーニスがマリカの気持ちを受け入れてくれた証です。そのころ、ルップマイゼ共和国にはまだ、「イエス」を意味する言葉がありませんでした。人々は、ミトンで気持ちを伝え合ったのです。
(第3章 初恋の花のお茶)

 

 

マリカは、釣り用のミトンをあみながら、ある大切なことに気づきます、それは、だれかにミトンをあんであげるということは、その人にあたたかさをプレゼントすることでもあるということ。 その人と直接手をつなげないかわりに、マリカはミトンをあんでいるということに、気づいたのです。ミトンは、マリカの手の温もりの分身でした。 マリカは、ヤーニスの指先がこごえませんように、というやさしい祈りを込めながら、毎年、心をこめてミトンをあみます。 美しくてあたたかいミトンをあむことが、マリカにとっての生きるよろこびになっていました。
(第5章 どんぐりコ-ヒーを飲みながら)
 
あれは、マリカが五つくらいだったでしょうか。クリスマスツリーにするトウヒを切りにお兄さんたちと森に来たとき、いちばん上の兄が、マリカにこう質問したのです。 「このクルミを、兄妹みんなか納得するように分けるには、どうしたらいい?」 マリカの足元には、ひと粒のクルミの実が落ちていました。 マリカは、大声で即答しました。 「土にうめる!」 お兄さんたちが、全員目を丸くします。けれど、マリカには自信がありました。 「クルミを土にうめて、大きくなって実がついたら、みんなでおなかいっぱいになるまで好きなだけ食べるの」 小さなひと粒のクルミを四人で分けるのではなく、マリカはその実は食べずに土にうめて、立派な実がつくまで待ち、そうなってからはじめて、みんなでおなかいっぱいになるまで食べようと提案したのです。 最初、お兄さんたちはあっけにとられていましたが、しばらくすると、それはいい考えだと思うようになりました。正解など、ないのです。 マリカは、もし今同じ質問をされたら、やっぱり同じように答えるだろうと思いました。自分がおなかをすかせているときも、目の前のクルミを食べるのではなく、がまんして土に植えて、大きくなってたくさん実をつけてから、ほかの人もいっしょにクルミを分かち合おうと考えるのです。それは、子どものころから少しもかわっていないのでした。
(最終章 ミトン)

 

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彼岸で、この秋の結婚を亡き親父に報告するために 娘も一緒に堺に墓参りの後、お袋も含め、みんなでお好み焼きを食べに「美佳味」へ行きました。
堺では昔から有名なお店で しばらくお店を閉めていたのですが、この8月末にリニューアルオープン。イカ焼きそばと豚チーズモダンをみんなでつつき、一人一人好きなお好み焼きを注文。私はミックス玉焼(690円)をいただきます。
自分で焼くこともできるのですが、焼いて持ってきてもらいます。鉄板の上でテコで切って熱々を口に入れると昔と変わらないふわふわのおいしい味が口の中いっぱいに広がります。

 

庶民的な安さ。堺では一番、いや大阪市内の有名店と比べても引けを取らないおいしいお好み焼きです。

 

 

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ずっと連れて行ってやりたいと思っていましたが、時間が取れないのと 人気でお店の駐車場になかなか車が止められないので 「美佳味」がはじめての娘も すごくおいしい!と大喜びでした。
ほんとうに久しぶりのおいしいお好み焼きをありがとう ごちそうさまでした♪

 

 

美佳味(食べログ)
堺市西区堀上緑町1丁