あらすじ
遺族の深い悲しみを、生きていく力に変える。
震災後、ボランティアで300人以上を復元した女性納棺師が綴る、生と死のドラマ。
残された人が、大切な人の死を受け容れ、また生きていけるように。故人がどんな状態にあったとしても、生前と同じ表情、できるだけ微笑みをたたえたお顔に戻すことにこだわり、全国でも稀有な復元納棺師として活動している笹原留似子さん。
東日本大震災時には、発生後まもなく沿岸地域に入り、津波や火災で大きな損傷を受けたご遺体を生前の姿に戻す「復元ボランティア」として献身。これまでの忘れられない納棺現場でのエピソードと、復元ボランティアの体験を綴った初の著書!
ひと言
この本と絵日記の両方を予約して借りました。歳を取って涙腺がもろくなってきたのか、ずっと泣きながら読みました。隣に人がいるのに大粒の涙があふれてとまりませんでした。
あの大震災の中で、こんなにも尊い仕事をボランティアとしてされていた笹原 留似子さんに唯々頭がさがります。
一人でも多くの人に読んでもらいたい。笹原 留似子さんのことを知ってもらいたいと思いました。笹原さんが戻してあげられなかった3才の女の子のことも、多くの人の心にいつまでも残るように、女の子の絵も載せさせてもらいました。
まだまだたくさんの行方不明の方々がみえますが、1人でも多くの方が見つかり、ご家族のもとに戻られることを心よりお祈りしています。
彼女と出会ったのは、陸前高田の安置所でした。東日本大震災でいったい何が起きたのか、初めてわたしがはっきりと知った場所です。ブルーの大きなビニールシートが敷き詰められた床の上に、大人のなきがらにまじってぽつりと置かれていた、その小さな小さななきがらは、わたしの心に突き刺さりました。
震災から九日目。三歳くらいの、かわいい女の子でした。変わり果てたその姿を、わたしはなんとかしてあげたかった。きっと元のかわいい、愛らしい女の子に戻してあげられる。その技術を、わたしは持っていたのです。 しかし、それはできませんでした。身元不明だったからです。法律の壁が、わたしの目の前に立ちふさがったのでした。思えば、このときの悔しさがすべての始まりでした。
(はじめに)
死化粧というと、化粧で変える、作る、というイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、そうではありません。あくまで、戻す。だから、復元なのです。そして、とりわけわたしが大きなこだわりを持っているのが、微笑みを戻すことです。
(第一章 かけがえのない瞬間だからこそ)
安置所となった体育館のなかを歩き、わたしは手を合わせながらひとりひとりのなきがらにお声をかけました。「早くご家族に会えますように」 「早く大切な人に会えるといいですね」 そして、あるなきがらに釘づになりました。それは、小さな小さな、なきがらでした。大人用の納体袋が大きすぎて、警察の方が下半分を折ってくれていました。おそらく三歳くらいでしょう。女の子でした。大人のなきがらの間に、ぽつんとひとり、置かれていました。納体袋の胸の部分に、「身元不明」と書かれています。 死後変化が始まっていました。皮膚の一部が薄い緑色に変わっています。津波にのまれたのでしょう。顔に少し陥没があり、たくさんの細かな傷がありました。身体全体に膨らみも出てきていました。真っ先にこみ上げてきたのは、この思いでした。
「戻してあげたい」 たくさんのお別れを見てきたわたしは、なきがらの状態によって、ご家族の気持ちが大きく変わることを知っていました。状態が悪くなってしまっていればいるほど、ショックは大きいのです。触れることもできない家族だっている。お迎えにきてくれるご家族のためにも、かわいい女の子に戻してあげられたら……。 車のなかには、処置をするための道具も積んでありました。戻すことで、この子のお母さんやお父さんに、早く見つけてほしかった。そしてめいっぱい、抱きしめてあげてほしかった。そうすれば、この子も、家族も、どんなにうれしいだろう……。ところが、それは叶いませんでした。身元不明者のなきがらに触れることは、法律で禁じられているのです。そこにいた警察の方にもお願いしました。復元納棺師をしている。この女の子を戻してあげたい。しかし、警察の方は首を横に振りました。 技術的にはできたのです。道具もそろっていた。つらくて、苦しくて、切なくて、自分のちっぽけさを知りました。思わず涙が出てきました。
安置所を離れてから、わたしははげしく後悔しました。何がなんでも、あの子を戻してあげるべきではなかったか。もしも、あの変わり果てた姿をご両親が見たらどう思うか。わたしが戻してあげていたなら……。 状態は悪かったけれど、きっとものすごく愛らしい女の子になる。絶対になる。それでも、手を出せなかった。触れることもできなかった。 自分はどうしてこれほど無力なのか……。
(第六章 あの日。3・11)
子どものなきがらに向かっていると、封印していた感情が湧きだしてくるのを抑えることができませんでした。初めて陸前高田の安置所で見た、三歳くらいの女の子です。わたしは再び、自分を責めるようになっていました。かわいく戻してあげられたのに、わたしは無力だった……。 誰かに話を聞いてもらいたかった。気がつけば、僧侶の宣承さんに電話をかけていました。押しこめていた感情が堰を切ったようにあふれて、泣いて取り乱して、宣承さんに訴えました。どうしてできなかったのか。どうして強引にでも戻さなかったのか……。 宣承さんはいいました。
「起きたことを変えることはできません。その子を大切に思い続けることができれば、戻してあげられなかったご縁も、またご縁ではないですか。ご縁には、本当にいろいろなものがある。これをひとつのご縁と考えて、一緒に進んでいきましょう」
わたしのなかで、何かが変わりました。もう、こんな形での後悔はしないようにしよう。そう思えるようになるためのご縁にしたならば、どうだろうか。これから同じ後悔をしないためには、いまの自分ができることを精一杯やろう。その場でするべきこと、できると思ったことをやる。あの女の子は、そのことを教えてくれた。そうすれば、この悲しい縁を、かけがえのない縁にできる。復元ボランティアを支えてくれていたのは、あの女の子でした。彼女がわたしを深く後悔させてくれたからこそ、わたしは同じ後悔をしたくないと思ったのでした。わたしは、わたしにできることのなかで、やるべきことをやる。そのための勇気を、彼女にもらったのです。 こうも思いました。もしかすると、あの女の子との出会いがあったからこそ、復元させていただくひとりひとりに心を込めて、向き合うことができるのだと。
今も思いだします。あの女の子の表情を戻してあげられたら、どれほどかわいかったか。愛らしかったか。 戻してあげられなくて、ごめんね。
(第七章 復元ボランティア)
復元ボランティアで走りだしたばかりのときのことです。 ご自宅で、津波で亡くなったお嬢さんの復元をさせてもらい、対面していただいた後で、その子のおばあちゃんに手招きされました。 「ちょっと、こっちに来て」 わたしは何かへまでもしたかと思ってちょっとドキドキしながら、おばあちゃんの後について廊下に出ました。 「あのね……」 話しだしたおばあちゃんに、わたしは身を乗りだしました。すると、小さなしわしわの手で、両手をぎゅっと握られました。 「あなたのこの手は、これからたくさんの悲しみに出会うんだね。頑張れるように、おばあちゃんが魔法をかけてあげる。頑張れなくなったら、これを思いだして。わたしは、ずっとあなたを応援しているから」 わたしだって、ただの人間です。連日のように、つらい現実と対峙するのは、本当に苦しいことでした。実は精神も肉体も、ギリギリの状態でした。 手がしびれ、何度となく右手が上がらなくなりました。棺に向かって左側からの復元が多かったので、身体のバランスも歪んでいました。あちこちが痛いのをご家族に悟られないように、踏ん張っていました。 おばあちゃんのやさしさに懸命に涙をこらえながら、わたしはいいました。
「ありがとうございます。もう一度、わたしの手に魔法をかけてもらえませんか。それから、今だけ涙を流してもいいですか?」 おばあちゃんは、小さな身体でわたしを抱きしめてくれました。わたしは子どもに戻ったように、心地よいぬくもりのなかで泣きました。ひとしきり泣いたあと、おばあちゃんはいいました。
「さあ、行きなさい。次の人が待っているんでしょう」
(第八章 支えられて)
おもかげ復元師の震災絵日記(笹原 留似子)
あらすじ
あのとき出逢った、ひとりひとりを忘れない──
東日本大震災後、津波被害の激しかった沿岸地域で300人以上のご遺体をボランティア復元した女性納棺師が描いた絵と言葉。 実際のスケッチブックを、そのまま本にしました。
全ては安置所で この子を復元出来なかった、深い後悔…… そこからはじまった…。
身元不明…。 3才…。 法律を変えて…!! そう願った。私、抱きしめてあげたかった。
迎えに来てくれる、お父さんとお母さんのために、 復元したかった…。
ごめんね。
「笹原さんの手は、これから沢山の悲しみに出逢うんだね…」
お孫さんを亡くしたおばあちゃんに、魔法をかけてもらった、
私の手… ガンバレ!!
「マスカラを付けていたから 「高校生なのに!」って怒ったことがあって…。
世界一きれいなお化粧とマスカラをお願いします…。」
お母さんから、最後のプレゼント、お化粧のお許し…。
かわいいよ… とっても、とっても…。