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今日は用事で豊田に行くことがあり、帰りに イケア長久手店に初めて立ち寄りました。お昼を食べていなかったので1階のビストロでホットドックドリンクバーセットピクルス&オニオン付き(200円)をいただきます。
券を渡すとパンにソーセージを挟んだだけのホットドックが渡され、自分で好きなだけトッピングとケチャップ、マスタードをかけるというシステムです。
とにかく安くて、まあまあ美味しく十分ありです。次は2階のレストランにも是非行きたいと思いました。ごちそうさまでした。

 

イケア 長久手店
長久手市公園西駅周辺 IKEA長久手

 

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TVで紹介されていた一宮のサンドイッチのお店「3℃」に行ってきました。
メニューが一宮市の町名になっているサンドイッチが50種類以上も並んでいるガラスケースは壮観で、眺めているだけで楽しくなるお店です。
人気の今伊勢(430円)赤見(380円)浅井(420円)のモーニングセット(230円)+税 でいただきます。どれもおいしくて 次はフルーツやクリーム系も食べてみたいです。ごちそうさまでした。

 

3℃(食べログ)
一宮市富士1

 

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「全国夢チョコレートプロジェクト」という全国の福祉事業所が力を合わせてチョコレートを作り、障がい者の雇用はもちろんのこと、ショコラティエとして自立し、豊橋にある「久遠チョコレート」他で働いているというTV番組を以前に観ました。
障がい者の方が活き活きと働いている姿に、豊橋に行ったら必ず立ち寄ってみようと思っていたのですが、その「久遠チョコレート」が10月20日 星が丘テラスにオープンしました。下の娘にそちらの方へ行くついでのときでいいからとお願いしてあったのですが、今日買ってきてくれました。

 

ほうじ茶、ゆず、次郎柿、焦がしきな粉 etc という 何とも渋いテイストがそろったQUONテリーヌ(6枚入 1490円)をいただきます。
障がい者の方が作ったチョコで自立支援のためにというのではなく、唯々、純粋にとてもおいしいチョコレートだから、多くの人に食べてもらいたいと思いました。

 

 

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まだまだ「久遠チョコレート」のこと、星が丘テラス店がオープンしたこと を知らない方が多いと思いますが、もし「久遠チョコレート」を見かけたら、とてもおいしいチョコで後悔はさせませんから 一度味わってみてください。

 

 

久遠チョコレート
名古屋市千種区星が丘元町 星が丘テラスTHE KITCHEN 内

 

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今日 西尾張中央道を走っていると、「珈琲元年」の津島神守店が10月19日にオープンしていたのでさっそく入店。
以前 私のグルメの師匠に中川本店に連れてもらったことがあり、そのとき食べて美味しかったフレンチトースト(420円)とブレンドコーヒー(420円)をいただきます。駐車場も広く、スイーツメニューもおいしく豊富なので、これからもちょくちょく利用させてもらいます。近くにお店ができてよかったです♪

 

珈琲元年
津島市神守町東浦

 

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今日はもうすぐ結婚する娘の、色打掛の前撮りで名古屋城へ。2人の横を通る多くの人から「おめでとうございます」や「お幸せに」とお声をかけていただきました。ほんとうにありがとうございました。
少し遅いお昼になりましたが家族で金シャチ横丁 義直ゾーンにある老舗精肉店「スギモト」の牛鍋店で尾張牛すき鍋セット(1880円)をいただきます。さすが「スギモト」のお肉。柔らかくてとてもおいしいです。ただ伏見の本店だと人気No.1のすき鍋(1300円)なのに……。

 

観光客の多い金シャチ横丁とはいえ、少し値段が高めなのが気になりました。ごちそうさまでした。
末永く、幸せに!

 

 

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スギモト牛鍋店(食べログ)
名古屋市中区三の丸1 金シャチ横丁 義直ゾーン

 

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あらすじ
お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる……季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている! 」その感動を鮮やかに綴る。

 

ひと言
9月15日に亡くなられた樹木 希林さんが、お茶の先生役で出演された映画「日日是好日」の原作本です。20代のころにお茶を3年間習っていて、今では帛紗さばきも怪しくなってしまいましたが、おいしいお菓子が買えたときにはお抹茶を楽しむようにしています。映画の予告編で樹木 希林さんが「私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができるってことが 幸せなんだなーって」というセリフにハッとさせられました。
同じことができる幸せを感じるこころを忘れず、でもその同じようにみえる一瞬一瞬は、二度と巡り逢うことのない素敵な一瞬であることを忘れずに、その一瞬一瞬を精一杯大切に生きないといけないなぁと改めて思いました。
樹木 希林さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

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世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。「お茶」って、そういうものなのだ。
(まえがき)

 

 

ものを習うということは、相手の前に、何も知らない「ゼロ」の自分を開くことなのだ。それなのに、私はなんて邪魔なものを持ってここにいるのだろう。心のどこかで、「こんなこと簡単よ」「私はデキるわ」と斜に構えていた。私はなんて慢心していたんだろう。 つまらないプライドなど、邪竃なお荷物でしかないのだ。荷物を捨て、からっぽになることだ。からっぽにならなければ、何も入ってこない。(気持ちを入れかえて出直さなくてはいけない) 心から思った。「私は、何も知らないのだ……」
(第一章「自分は何も知らない」ということを知る)

 

 

その時、ふと、まだ今日一度も、床の間を見ていなかったことを思い出した。私は、何気なく、後ろを振り返った。体をねじって見上げた視線の先に、かけじくがある。 短いかけじくに、大きく二文字、書かれていた。「雨聴」 (……「雨を聴く」!) 私はかけじくから目を離せなくなった。「ザァ ――――!」  雨音に包まれながら、私はその時、決定的な場面に立ち会ったように感じた。まるで符牒が合って、開かずの扉か開いた瞬間みたいだった。
 実は、前にもこのかけじくを見てはいた。けれど、「雨が降ってるから、雨のかけじくなんでしょ?」 としか思わなかった。私は、「文字」という記号しか見ていなかったのだ。「雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある」 私たちはいつでも、過去を悔やんだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。どんなに悩んだところで、所詮、過ぎ去ってしまった日々へ駆け戻ることも、未来に先まわりして準備することも決してできないのに。 過去や未未を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ……。
雨は、降りしきっていた。私は息づまるような感動の中に座っていた。 雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。……どんな日も、その日を思う存分味わう。 お茶とは、そういう「生き方」なのだ。  そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないのだ。 私たちは、雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」などと言う。げれど、本当は「悪い天気」なんて存在しない。 雨の日をこんなふうに楽しめるのなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に……。(「毎日がいい日」?) 自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。覚えがあった。どこかで出会っていた。何度も、何度も……
その時、自然に薄暗い長押(なげし)の上に目が行った。そこに、いつもの額がある。「日日是好日」(……!)(毎日がよい日) なんだろう、この奇妙な符合……! ゾクゾクした。 自分を含めて、そこに存在するすべてのものが、織り込まれた一枚の布のようにつながっていた。「日日是好日」の額は、初めて先生の家に来た日から、いつもそこに掲げられていた。初めてお茶会に連れて行ってもらった日には、かけじくに書かれていた。その後、何度もこの言葉を見てきた。 ずっと目の前にあったのに、私には記号にしか見えなかったのだ。
「目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる。そして、人間は、そのことに気づく絶好のチャンスの連続の中で生きている。あなたが今、そのことに気づいたようにね」 そのメッセージが、ぐんぐん伝わって胸に響く。 二本の脚ですっくと大地に立って、全身に雨を受け、世界と対峙しているような気がした。 深く息を吸い、心の中ではっきりと思った。(今のこの瞬間の感覚を、忘れずに生きよう!)
(第十三章 雨の日は、雨を聴くこと)

 

 

「こうしてまた初釜がやってきて、毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけど、でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」 お茶はたしかに繰り返しだった。春→夏→秋→冬→春→夏→秋→冬……と、毎年、季節のサイクルをグルグル回っている。
(第十五章 長い目で今を生きること)

 

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あらすじ
遺族の深い悲しみを、生きていく力に変える。
震災後、ボランティアで300人以上を復元した女性納棺師が綴る、生と死のドラマ。
残された人が、大切な人の死を受け容れ、また生きていけるように。故人がどんな状態にあったとしても、生前と同じ表情、できるだけ微笑みをたたえたお顔に戻すことにこだわり、全国でも稀有な復元納棺師として活動している笹原留似子さん。
東日本大震災時には、発生後まもなく沿岸地域に入り、津波や火災で大きな損傷を受けたご遺体を生前の姿に戻す「復元ボランティア」として献身。これまでの忘れられない納棺現場でのエピソードと、復元ボランティアの体験を綴った初の著書!

 

ひと言
この本と絵日記の両方を予約して借りました。歳を取って涙腺がもろくなってきたのか、ずっと泣きながら読みました。隣に人がいるのに大粒の涙があふれてとまりませんでした。
あの大震災の中で、こんなにも尊い仕事をボランティアとしてされていた笹原 留似子さんに唯々頭がさがります。
一人でも多くの人に読んでもらいたい。笹原 留似子さんのことを知ってもらいたいと思いました。笹原さんが戻してあげられなかった3才の女の子のことも、多くの人の心にいつまでも残るように、女の子の絵も載せさせてもらいました。
まだまだたくさんの行方不明の方々がみえますが、1人でも多くの方が見つかり、ご家族のもとに戻られることを心よりお祈りしています。

 

 

彼女と出会ったのは、陸前高田の安置所でした。東日本大震災でいったい何が起きたのか、初めてわたしがはっきりと知った場所です。ブルーの大きなビニールシートが敷き詰められた床の上に、大人のなきがらにまじってぽつりと置かれていた、その小さな小さななきがらは、わたしの心に突き刺さりました。
震災から九日目。三歳くらいの、かわいい女の子でした。変わり果てたその姿を、わたしはなんとかしてあげたかった。きっと元のかわいい、愛らしい女の子に戻してあげられる。その技術を、わたしは持っていたのです。 しかし、それはできませんでした。身元不明だったからです。法律の壁が、わたしの目の前に立ちふさがったのでした。思えば、このときの悔しさがすべての始まりでした。
(はじめに)

 

 

死化粧というと、化粧で変える、作る、というイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、そうではありません。あくまで、戻す。だから、復元なのです。そして、とりわけわたしが大きなこだわりを持っているのが、微笑みを戻すことです。
(第一章 かけがえのない瞬間だからこそ)

 

 

 安置所となった体育館のなかを歩き、わたしは手を合わせながらひとりひとりのなきがらにお声をかけました。「早くご家族に会えますように」 「早く大切な人に会えるといいですね」 そして、あるなきがらに釘づになりました。それは、小さな小さな、なきがらでした。大人用の納体袋が大きすぎて、警察の方が下半分を折ってくれていました。おそらく三歳くらいでしょう。女の子でした。大人のなきがらの間に、ぽつんとひとり、置かれていました。納体袋の胸の部分に、「身元不明」と書かれています。 死後変化が始まっていました。皮膚の一部が薄い緑色に変わっています。津波にのまれたのでしょう。顔に少し陥没があり、たくさんの細かな傷がありました。身体全体に膨らみも出てきていました。真っ先にこみ上げてきたのは、この思いでした。
「戻してあげたい」 たくさんのお別れを見てきたわたしは、なきがらの状態によって、ご家族の気持ちが大きく変わることを知っていました。状態が悪くなってしまっていればいるほど、ショックは大きいのです。触れることもできない家族だっている。お迎えにきてくれるご家族のためにも、かわいい女の子に戻してあげられたら……。 車のなかには、処置をするための道具も積んでありました。戻すことで、この子のお母さんやお父さんに、早く見つけてほしかった。そしてめいっぱい、抱きしめてあげてほしかった。そうすれば、この子も、家族も、どんなにうれしいだろう……。ところが、それは叶いませんでした。身元不明者のなきがらに触れることは、法律で禁じられているのです。そこにいた警察の方にもお願いしました。復元納棺師をしている。この女の子を戻してあげたい。しかし、警察の方は首を横に振りました。 技術的にはできたのです。道具もそろっていた。つらくて、苦しくて、切なくて、自分のちっぽけさを知りました。思わず涙が出てきました。
安置所を離れてから、わたしははげしく後悔しました。何がなんでも、あの子を戻してあげるべきではなかったか。もしも、あの変わり果てた姿をご両親が見たらどう思うか。わたしが戻してあげていたなら……。 状態は悪かったけれど、きっとものすごく愛らしい女の子になる。絶対になる。それでも、手を出せなかった。触れることもできなかった。 自分はどうしてこれほど無力なのか……。
(第六章 あの日。3・11)

 

 

子どものなきがらに向かっていると、封印していた感情が湧きだしてくるのを抑えることができませんでした。初めて陸前高田の安置所で見た、三歳くらいの女の子です。わたしは再び、自分を責めるようになっていました。かわいく戻してあげられたのに、わたしは無力だった……。 誰かに話を聞いてもらいたかった。気がつけば、僧侶の宣承さんに電話をかけていました。押しこめていた感情が堰を切ったようにあふれて、泣いて取り乱して、宣承さんに訴えました。どうしてできなかったのか。どうして強引にでも戻さなかったのか……。 宣承さんはいいました。
「起きたことを変えることはできません。その子を大切に思い続けることができれば、戻してあげられなかったご縁も、またご縁ではないですか。ご縁には、本当にいろいろなものがある。これをひとつのご縁と考えて、一緒に進んでいきましょう」 
わたしのなかで、何かが変わりました。もう、こんな形での後悔はしないようにしよう。そう思えるようになるためのご縁にしたならば、どうだろうか。これから同じ後悔をしないためには、いまの自分ができることを精一杯やろう。その場でするべきこと、できると思ったことをやる。あの女の子は、そのことを教えてくれた。そうすれば、この悲しい縁を、かけがえのない縁にできる。復元ボランティアを支えてくれていたのは、あの女の子でした。彼女がわたしを深く後悔させてくれたからこそ、わたしは同じ後悔をしたくないと思ったのでした。わたしは、わたしにできることのなかで、やるべきことをやる。そのための勇気を、彼女にもらったのです。 こうも思いました。もしかすると、あの女の子との出会いがあったからこそ、復元させていただくひとりひとりに心を込めて、向き合うことができるのだと。
今も思いだします。あの女の子の表情を戻してあげられたら、どれほどかわいかったか。愛らしかったか。 戻してあげられなくて、ごめんね。
(第七章 復元ボランティア)

 

 

復元ボランティアで走りだしたばかりのときのことです。 ご自宅で、津波で亡くなったお嬢さんの復元をさせてもらい、対面していただいた後で、その子のおばあちゃんに手招きされました。 「ちょっと、こっちに来て」 わたしは何かへまでもしたかと思ってちょっとドキドキしながら、おばあちゃんの後について廊下に出ました。 「あのね……」 話しだしたおばあちゃんに、わたしは身を乗りだしました。すると、小さなしわしわの手で、両手をぎゅっと握られました。 「あなたのこの手は、これからたくさんの悲しみに出会うんだね。頑張れるように、おばあちゃんが魔法をかけてあげる。頑張れなくなったら、これを思いだして。わたしは、ずっとあなたを応援しているから」 わたしだって、ただの人間です。連日のように、つらい現実と対峙するのは、本当に苦しいことでした。実は精神も肉体も、ギリギリの状態でした。 手がしびれ、何度となく右手が上がらなくなりました。棺に向かって左側からの復元が多かったので、身体のバランスも歪んでいました。あちこちが痛いのをご家族に悟られないように、踏ん張っていました。 おばあちゃんのやさしさに懸命に涙をこらえながら、わたしはいいました。
「ありがとうございます。もう一度、わたしの手に魔法をかけてもらえませんか。それから、今だけ涙を流してもいいですか?」 おばあちゃんは、小さな身体でわたしを抱きしめてくれました。わたしは子どもに戻ったように、心地よいぬくもりのなかで泣きました。ひとしきり泣いたあと、おばあちゃんはいいました。
「さあ、行きなさい。次の人が待っているんでしょう」
(第八章 支えられて)

 

 

 

おもかげ復元師の震災絵日記(笹原 留似子)
イメージ 2 あらすじ
あのとき出逢った、ひとりひとりを忘れない──
東日本大震災後、津波被害の激しかった沿岸地域で300人以上のご遺体をボランティア復元した女性納棺師が描いた絵と言葉。 実際のスケッチブックを、そのまま本にしました。

 

 

 

全ては安置所で この子を復元出来なかった、深い後悔…… そこからはじまった…。 
身元不明…。 3才…。 法律を変えて…!! そう願った。私、抱きしめてあげたかった。
迎えに来てくれる、お父さんとお母さんのために、 復元したかった…。 
ごめんね。

 

 

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「笹原さんの手は、これから沢山の悲しみに出逢うんだね…」 
お孫さんを亡くしたおばあちゃんに、魔法をかけてもらった、
私の手… ガンバレ!!

 

 

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「マスカラを付けていたから 「高校生なのに!」って怒ったことがあって…。
世界一きれいなお化粧とマスカラをお願いします…。」 
お母さんから、最後のプレゼント、お化粧のお許し…。 
かわいいよ… とっても、とっても…。

 

 

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昨日のTVで、ジャニーズの風間俊介さんが、名古屋に来た時には必ず買って帰るという「大口屋」の餡麩 三喜羅(あんぷ さんきら)(951円 6個入)が紹介されていました。
以前にいただいたことはあるのですが、久しぶりに無性に食べたくなって風間さんもここで買うという名駅のグランドキヨスク名古屋(新幹線の中央改札の隣)へ買いに行きました。
甘さを抑えた上品なこしあんと塩漬けされたサルトリイバラの葉につつまれた生麩とのバランスが絶妙でお茶菓子にとても合っておいしいです。

 

江南市の布袋本店や一宮店へ行かなくても、名駅で買えることに感激。これからは時々お茶菓子に買いに行こ。ごちそうさまでした♪

 

 

大口屋
名古屋市中村区名駅1丁目

 

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あらすじ
最愛の家族や愛しい人を大津波でうしない、悲哀の中で生きる人びとの日常に、突然起きた不思議な体験の数々。愛する亡夫との〝再会″で、遺された妻に語られた思いは……。津波で逝った愛娘が、母や祖母のもとに帰ってきた日に……。死んだ兄から携帯電話にメールが届いて……。〝霊体験″としか、表現できないこうした〝不思議でかけがえのない体験″によって、絶望にまみれた人びとの心は救われたのだった。「今まで語れなかった。でも、どうしても伝えたい」という遺族たちの思いが噴き出した、初めての〝告白″

 

ひと言
今年の5月、「遺体 震災、津波の果てに」という3.11関係の本を久しぶりに読んで、まだまだ知らないことが多いことに気づかされました。あの震災のこと、亡くなられた方々のことを忘れないようにするためにも、と思い図書館で借りました。この本を読んで、まだご遺体が見つかっていないのに、ご遺族の夢の中に現れることがあることを知って、少しはホッとした気分になりました。今までは亡くなった方のご冥福を祈っていましたが、成仏しなくてもいいから、ご遺族のそばにずっといて見守っていてあげてほしいとも思うようになりました。

 

 

「死の間際に亡くなった両親があらわれた」といったように、自身の死の間際にすでに亡くなった人物や、通常は見ることがない事象を見ることを「お迎え」というが、僕の小さい頃は日常的に使われていた言葉だった。それがいつの間にか幻覚・せん妄になっていたのである。それが僕の中でずっと未消化のまま残っていて、岡部さんに会ったとき、ちょっと失礼かなと思いながらこうたずねた。 「お迎えって信じますか?」 すると岡部さんはじろっと僕をにらみ、「お迎え率って知らねえだろ。うちの患者さんの四十二%がお迎えを経験してるんだ。お迎えを知らねえ医者は医者じゃねえよ」 伝法な口調で吐き捨てた。 僕はうれしかった。
(旅立ちの準備)

 

 

「石巻のあるばあさんが、近所の人から『あんたとこのおじいちゃんの霊が大街道(国道三百九十八号線)の十字路で出たそうよ』と聞いたそうだ。なんで私の前に出てくれないんだと思っただろうな、でもそんなことはおくびにも出さず、私もおじいちゃんに逢いたいって、毎晩その十字路に立っているんだそうだ」 切ない話だったが、それを聞いてほっとすると同時に、思わず胸が高鳴った。これまで霊を見て怖がっているとばかり思っていたのに、家族や恋人といった大切な人の霊は怖いどころか、それと逢えることを望んでいる。この人たちにとって此岸と彼岸にはたいして差がないのだ。たとえ死者であっても、大切な人と再会できて怖いと思う人はいない。むしろ、深い悲しみの中で体験する亡き人との再会は、遺された人に安らぎや希望、そして喜びを与えてくれるのだろう。
(旅立ちの準備)

 

 

仏壇の前には大きな骨壷と小さな骨壷が並んでいた。妻と娘の遺骨だろう。子供を喪った遺族の多くは納骨していない。あの冷たい墓の下に置きたくないという気持ちがそうさせるのだという。繁さんもそうだった。 「納骨しないと成仏しないと言われますが、成仏してどっかに行っちゃうんだったら、成仏しない方がいい。そばにいて、いつも出て来てほしいんです」
(1 『待っている』『どこにもいかないよ』)

 

 

「今年(二〇一六年)の正月明けでした。これからどう生きていけばいいのか悩んでいたときです。このとき娘はいなかったのですが、これまでと違ってはっきりとした像でした。夢の中で妻はこう言ったんです。 『いまは何もしてあげられないよ』 そう言われたとき、あの世からそんな簡単に手助けはできないんだろうなと、私は夢の中で思っていました。死は最悪のことじゃないから、命に関わることでは助けてくれないのでしょう。すると妻はこう言いました。 『でも、信頼している』 私は、うんうんとうなずいていました。そのあとで『急がないから』、そして、『待っている』と言ったのです。この世に娘がいるのだから、まだあの世に来るのは早いという意味でしょうか。私は夢の中で『本当に?』とたずねていました。そして、じゃあね、約束だよという感じで妻と指切りをしたんです。
妻が言ったその言葉の一つ一つがすごくわかるし、何よりも『信頼している』と言われたのがすごく嬉しいんです。とくに『待っている』というのは、私にとっては究極の希望です。みなさんの言う希望は、この世の希望ですよね。私の希望は、自分が死んだときに最愛の妻と娘に逢えることなんです。死んだ先でも私を侍っていてくれるという妻の言葉こそ、私には本当の希望なんです。いつか再会できるんだという一縷の希望が持てたからこそ生きてこれたのだと思います。
もしかすると、こういう体験がなかったら生きられなかったかもしれません。妻と子供と家を根こそぎ失くしたんです。なぜ生きているのか、ときどきわからなくなることがあります。悲しい、寂しい、つらいばかりだったら身が持ちません。そういうとき、妻と娘は私に頑張れよと力をくれるんでしょうね。あの世で逢えるんだからって」 最近、夢の中に笑顔であらわれた妻は、「どこにも行かないよ」と言ったそうだ。繁さんは、妻は成仏せずにいつまでもそばにいてくれるんだと思い、安心したという。
(1 『待っている』『どこにもいかないよ』)

 

 

津波という不可抗力によって、大切な人を突然喪うという悲劇は、生き遺った人の心の中に大きな悲しみの澱(おり)を生んだ。ここに紹介した「亡き人との再会」ともいえる物語は、その悲しみを受け入れるためではない。むしろ大切なあの人との別れを認めず、姿は消えたがその存在を感じつつ、忘れることを拒否する自分を受け入れるためのように思う。きっとそれは、大切なあの人が、この世から忘れ去られないためでもあるのだろう。……。……。
イヤホンを耳にさしてある歌を聞いた。その歌声は、まるで津波で逝った死者たちが、僕に語りかけているように聞こえる。

 

 

百年前も 百年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く
         ――中島みゆき「永久欠番」――

 

 

僕は、遺族の言葉でしか逢ったことのない亡きあの人たちにつぶやく。あなたが生きたことは決して忘れませんよ。忘れないということが、僕にできるささやかな行為なのですから。そして、多くの人の記憶に残るように、いつまでもいつまでも僕はあなたのことを刻みつづけますからね、と。
(旅のあとで)

 

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今日のお昼は、20日に長野へ行ったときに買ったリンゴとJR高島屋のウイークリーグルメに今日から出店している「藤熊食品」の玉ねぎたっぷり天(297円 5個で1296円)です。
淡路島産の甘くてやわらかい玉ねぎを使ったさつま揚げ、かまぼこです。評判は聞いていたのですが、初めていただきます。何これ!というぐらいの感動のおいしさです。他の種類も食べてみたいなぁ、30日までだから、また買いに行こうかなぁ。とても美味しかったです。ごちそうさまでした♪

 

藤熊食品(食べログ)
大阪府茨木市宮島 大阪府中央卸売市場内