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この3連休、堺の実家に帰省していて 24日、前から行きたかった鶴橋の「三谷製?跟所」へつけめん(600円)を食べに行ってきました。食べログ ラーメン百名店 WEST に2年連続選ばれているお店で、ツルツルモチモチの麺が圧倒的においしいです♪。つけ汁も酸味が効いてとてもグッド!それにとてもお値打ちです♪

 

思わずカウンターの上に置いてある持ち帰りの麺やタレの注文用紙に中太麺(150g 100円!?)4玉、つけダレ醤油(1人前 250円)2人前と書き込んでお店の人に渡してしまいました。

 

 

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1つだけ残念なのは中太麺αの替え玉を追加しなかったこと。この麺食べてみたかったなぁ(この時点ではお好み焼きの「オモニ」の本店にも、この後行くつもりだったので…。結局「オモニ」はお休みで食べられませんでしたが…)。リピ確実のお店です。おいしいつけめん ごちそうさまでした♪

 

 

三谷製麺所
大阪市東成区玉津3

 

今日、お昼を食べに名駅へ行った帰り、よく当たると評判の名駅前宝くじチャンスセンターで年末ジャンボプチという宝くじを10枚買いました。

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宝くじを買うのはほんとうに10年ぶりぐらいで、昔はなかったプチという宝くじがおもしろそうなので買ってみました。1等は1000万円ですが1ユニットに100本も当たりがあり、1等7億円の年末ジャンボ宝くじの200倍の当選確率になります。
7億円も当たると間違いなく人生が狂ってしまいますが、1000万円だと車を買い替えて、みんなで海外旅行に行ってと抽選日の大晦日まで夢が広がってしばらくは幸せな気分になれます。
今年は娘がいい人と巡り会えて結婚し、ほんとうにいい一年でした。1年間ほんとうにありがとうございました。もうひとつ欲を言わせてもらえるならば、1000万円が当たるともっとうれしいです♪よろしくお願いいたします。
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今日はグルメの師匠とお店の前で待ち合わせて「中国料理 王宮」の【メインが選べるお得ビュッフェランチ】豆腐の梅菜あんかけ(1080円)を食べに行ってきました。
品数はあまり多くはありませんが、豆腐の梅菜あんかけや点心、中華粥もおいしく、杏仁豆腐は2つもいただきました。ゆったりとした席で特に時間の制限もなく、これで1000円はおすすめです♪。ごちそうさまでした。

 

中国料理 王宮(食べログ)
名古屋市中村区名駅3

 

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あらすじ
大手居酒屋チェーン「山背」に就職し、繁盛店の店長となり、張り切って働いていた健介が、突然自ら命を絶ってしまった。恋人の千秋は、自分を責めた――なぜ、彼の辛さを分かってあげられなかったのか。なぜ、彼からの「最後」の電話に心ない言葉を言ってしまったのか。悲しみにくれながらも、健介の自殺は「労災」ではないのか、その真相を突き止めることが健介のために、自分ができることではないか、と千秋は気づく。そして、やはり、息子の死の真相を知りたいと願う健介の両親と共に、大企業を相手に戦うことを誓う。

 

ひと言
2008年6月、大手居酒屋チェーン「ワタミ」で働いていた26歳の女性社員が入社してわずか2ヵ月で過労の末に自殺するという痛ましい事件がありました。
2015年12月、被告側が業務に起因する自殺であると認めて謝罪し、約1億3000万円を支払い、具体的な再発防止策を取ることで合意。遺族側の意向に全面的に沿った和解となりました。
ただ事件が起こってから7年半、こんなにも長い間、ご遺族が苦しまなければ和解できなかったのかと思うと残念でなりません。村山 由佳さんは最後の参考文献にも「検証 ワタミ過労自殺」と実名を挙げて書かれており、私もワタミの事件のことを調べてみましたが、この本に書かれているのとほとんど同じであることがわかります。自殺された方が女性であったのと、こんな痛ましい事件が二度と起こらないようにとの想いを込めて、村山さんはこの本を書いたんだと思います。
まだまだ外食産業やスーパー・コンビニなどでは慢性的な人手不足から過重労働の状態にある方が、ものすごく多数います。そういう方々が過労自殺という最悪の手段をとることがないように、国や企業がほんとうに具体的な働き方改革、意識改革を進めて欲しいと心から思いました。過剰なサービス、24時間営業などは、利用者にとっては少し不便だけれど、もう止めにしてもいいのではないでしょうか。
最後になってしまいましたが、過労の末に亡くなられたMさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

「健ちゃん、好き。大好き」 「ん。俺も」 想いが募ると、言葉はどこまでも単純になるのだと知った。心に追いつける言葉など無い。だからこそ、ひとは抱き合う。言葉では伝えられないものを手渡すにはもう、その方法しか残されていないから。
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〈疲れた〉 LINEでそうくり返し、憔悴しきって、ついには自ら死を選ぶほどにまで追い詰められていた健介に向かって、自分はあの時、何を言った?〈健ちゃんだったら大丈夫。絶対、自分の壁を乗り越えられるよ〉〈今度は、健ちゃんが頑張ってみせて〉返事をしない彼に宛てて、LINEでまで書き送った。〈明日も頑張って!〉 〈暑そうだけど、健ちゃんも頑張って〉 どんなに本気で心配していようが、所詮は他人事としか思えないようなそんな軽い言葉で、なおさら彼から逃げ場を奪い、追い詰めたのは自分ではなかったか。それどころか、もしかして ―― 最後に六階から地面を見下ろす健介の、もうこれ以上何をどうやっても頑張れなくなってしまった背中を後ろから押したのは、いちばん近しい恋人であるはずの自分からの、ああいう言葉だったのではないのか。
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「三年もの時間があったのに、あなたは、いまだに、何ひとつわかってないんですね」 山岡誠一郎が、ほう、というふうに片方の眉を上げ、目を眇めて千秋を見下ろす。
「私は……私たちは、あきらめたりしません。とことんまで、あなたと闘います。誰の益になるとかならないとか、どうでもいい。仕返ししたいだの、苦しめたいだの、そんなくだらないことじゃありません。私たちはただ、亡くなった藤井健介の名誉と尊厳を守り通したいだけです。亡くなったのは決して、彼が弱かったからじゃない。あんなに前向きだった彼が、まともな判断もできなくなるほど疲れ果てて、救いのない精神状態まで追い込まれたのは、まぎれもなくあなたと、あなたの会社の責任だということを、世の中に向けてはっきりさせたい。その事実を、あなたがたに認めさせるまでは絶対にあきらめませんから。絶対に」 声の震えなど、もう気にしていられなかった。
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今日は娘夫婦が訪ねて来たので、晩ご飯にみんなで「こころ 美和店」へ、こころ名物ひつまぶし(3218円)を食べに行きました。カリっと焼かれた香ばしいうなぎがおいしい地元のお店です。
ここは来客があったときに伺わせてもらうお店で、前は弟夫婦が来た時だから、ほんとうに久しぶりで、もう何年前だろう。コスパのいい、おいしいうなぎで楽しいひとときを過ごさせてもらいました。ごちそうさまでした♪

 

こころ 美和店(食べログ)
あま市北苅三本柿

 

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ウィークリーグルメで22日までJR高島屋に来てくれている京都の「グランマーブル」。一番人気の京都三色(1080円)をいただきます。
高級食パンのお店はたくさんありますが、こちらはデニッシュパンで 抹茶、苺、プレーンを混ぜ込み、見た目もすごくきれいで美味しいです♪。「グランマーブル」のマーブルデニッシュが名古屋で買える幸せ。

 

お店は京都祇園の花見小路にあるのですが、とても趣のあるステキなお店で、京都祇園に行ったときには是非とも立ち寄ってもらいたいおすすめのお店です。(写真はネットより拝借)

 

 

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次は食べたことのないもっと高級なマーブルデニッシュを買ってみようかな。ごちそうさまでした♪

 

 

グランマーブル
京都市東山区祇園街南側

 

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今日 JR高島屋へ立ち寄ると、地下1階の「銘菓百選」に最近TV等でよく取り上げられている「OHAGI3」のおはぎ4個入(648円)があったので迷わず購入。お抹茶を点てていただきます。
暁月(あかつき)つぶ餡、宵月(よいづき)黒ごま、満月(まんげつ)大人のきなこ、ともう1つは不明の4つが入っていました。最近のインスタ映えしそうなおしゃれな箱に入ったおはぎで味もおいしいです。小振りなので一度に4ついただきました。ごちそうさまでした。

 

OHAGI3
名古屋市守山区長栄

 

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昨日、3人旅で熱田神宮へ行った帰り、久しぶりに神宮商店街にあるメロンパンの専門店「ポポ 名古屋1号店」でメロンパン(150円)をお土産に買いました。下の娘がここのメロンパンが大好きで、このメロンパン一種類でやっているだけあっていつもながら美味しいです。

 

移動販売等の予定がフェイスブックに載っているので、今度は家から近い移動販売で買おうかな。ごちそうさまでした♪

 

 

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メロンパン ポポ
名古屋市熱田区神宮3 神宮商店街

 

12月 8日。約2年5ヵ月もの間 中断していた3人旅が復活し、リーダーのIさんがめっぽう詳しい熱田神宮とその周辺を散策してきました。

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9時30分 名鉄の神宮前駅の改札口に集合。久しぶりの再会を喜び、いざ熱田神宮へ。

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東門から入り、日本三大燈籠の一つである佐久間燈籠、草薙神剣が二度とこの地から移動することがないようにと閉ざした清雪門、素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお祀りした南新宮社。正門で記念撮影をし、熱田の大国様・恵比須様として知られる大国主社・事代主社、歴代の武将が戦勝祈願に訪れた別宮八剣宮をお参りしました。境内の太郎庵椿が2輪咲いていてとてもきれいでした。

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先日結婚した娘が子宝に恵まれますようにと「子安の神」とも呼ばれる楠御前社にもお参りします。

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二十五丁橋と言われる名古屋最古の石橋が、神宮の西を走る国道19号の工事のためにこちらに移築されたという話しや、太鼓橋の形は神様が地上に降りてくる際に渡ったとされる虹からきているというような、Iさんの博識に唯々驚き、興味深い話についつい聞き入ってしまいます。

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弘法大師が手植えされたと言われる大楠。この大楠をバックに写真を撮り持ち歩くと運気がアップすると言われています。

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本宮にお参りし、左へ進むとちょうど結婚式が執り行われていました。お幸せに!。

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こころの小径を通って、熱田大神の荒魂(あらみたま「勇気」)が祀られている一之御前神社へ。

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清水社へ向かう途中に何も立札等もない場所があり、Iさんが、草薙神剣は、パンフ等には明治26年までは土用殿に奉安してあったと書いてあるが、戦時中はこの奥に避難されていたと言われている。という興味深い話をしてくれました。

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最近、また見えにくくなってきたというお袋の目。眼病平癒のご利益があると言われている清水社にお参りし、熱田神宮で一番の人気パワースポットである「楊貴妃の石塔」に3回お水をかけてお袋の目がよくなるようにお祈りします。

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名古屋大空襲で熱田神宮のほとんどの建物も焼失したということですが、唯一焼失を免れたのが西楽所というIさんの話。

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秋葉山 圓通寺にもお参りして、駅前の「あつた辨天」で、数量限定の鰻ひつまぶしときしめんのセット(2400円)で腹ごしらえ。午後は神宮の周辺を散策します。

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旧東海道を歩き、徳川家康幼時幽居跡や裁断橋を巡ります。

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あつた蓬莱軒本店前 宮の渡し という名前がついた歩道橋を渡り景清社へ。清水社の、あの平景清です。

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あつた蓬莱軒 本店の前を通って七里の渡しへ。蓬莱軒は1時過ぎで90分待ちでした。ダクトからウナギのとてもいい匂いがします。

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以前この3人旅で桑名の七里の渡し公園に行き、すぐ近くの「れすとらん あずまや」でおいしい蛤を食べたのを思い出しました。昔のようにここから船で桑名に渡ってみたいなぁ。

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大瀬子橋を渡り、6月9日の熱田空襲の爆撃の跡が残る堀川護岸壁の一部の慰霊碑と愛知時計電機の正門前にある慰霊地蔵尊にもお参りします。

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日本武尊の御陵との説がある白鳥御陵にお参りし、旗屋町の交差点のすぐ近くの金刀比羅神社へ。昔の人はここに金刀比羅神社を建てて海上交通の安全を祈願したんだなぁと納得。
すぐ近くの源頼朝の出生地の跡地に建てられた誓願寺へ。頼朝の産湯に使った井戸もありました。

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頼朝の母 由良御前は、熱田大宮司の藤原季範の娘。その大宮司が熱田神宮へ行くときに渡る橋が二十五丁橋でここに架かっていたという興味深いIさんの話でした。案内板の尾張名所図会にもちゃんと橋が残っていました。

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神宮駅前のきよめ餅の売店でお抹茶ときよめ餅のセット(540円)をいただきます。

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もう一人のYさんが持っていた万歩計を見ると16723歩(約11km)を歩いたことになります。次は3月ごろに中村公園、荒子観音を3人旅で行こうと打ち合わせました。

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ほんとうに久しぶりのとても楽しい3人旅でした。今までもう20回以上は訪れている熱田神宮の知らない一面に触れることができて、とても勉強になりました。
もうみんないい歳になったので、もう無理なのかなぁと思っていた3人旅が復活してほんとうにうれしいです。お互い健康に気をつけて次回も楽しい旅にしましょう。楽しみにしています♪。
ほんとうにありがとうございました。
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あらすじ
結婚三年目、三十歳という若さで、朋子は逝った。あまりにもあっけない別れ方だった。男手一つで娘・美紀を育てようと決めた「僕」。初登園から小学校卒業までの足取りを季節のうつろいとともに切り取る、「のこされた人たち」の成長の物語。

 

ひと言
最近、ちょっとしたことにイライラしたり…。アラ還と言われる歳になっているのに、自分がほんとうにイヤになることがあります。そういうときに読みたくなるのが大好きな重松 清さんの本。図書館で見つけ「あっ、これ読んだことがない」とうれしくなって借りました。
重松さんの本を読んだ後は、いまよりも、もっと優しくなって、生きることに一所懸命になって、そういうふうに一所懸命に生きてるひとたちのことも、ちゃんと尊敬して、愛して、愛されて …… 自分もそんなふうになりたい、なってほしいと思いながら本を閉じました。
重松さん、いつも素敵な本をありがとうございました。(感謝)

 

 

 

遊んでほしくてもかまってもらえないときかある。抱っこしてほしくても、「ちょっと待っててね」と言われて、いつまでたってもケロ先生の体は空かずに、そのまま、というときもある。 「すみません、わたしの気配りっていうか、優しさが足りなかったんです」 「いや、でも …… それは他の子も同じなんですから …… 美紀のほうがワガママだったんだと ……」 僕の言葉をさえぎって、ケロ先生は「同じでも、違うんですよ」と言った。顔は笑っていたが、声は、ぴしゃりと耳に響いた。「他の子は夕方になったらママが迎えに来てくれます。家に帰れば、いくらでも甘えたり抱っこしてもらったり、遊んでもらったりできるんです。保育園は友だちと遊ぶ場所で、ママに抱っこしてもらう場所はウチなんです。でも …… 美紀ちゃんにとっては、保育園が、抱っこしてもらえる場所なんです」 僕は思わずうつむいてしまう。 ケロ先生は「あ、でも、パパが悪いんじゃないですよ」と言った。「美紀ちゃんも、パパにいつも抱っこしてもらってる、って言ってました」でもね ―― と、頬をゆるめてつづげた。 「パパの抱っこって、いそがしい、って」 わかる。 うつむいた顔を上げた僕は、「そうなんですよ」と認めた。 僕の抱っこは、美紀の寂しさを包み込むためのものではない。マンションの廊下を歩くとき、浴槽から洗い場に出るとき、リビングから布団を並べて敷いた和室に移るとき、混み合ったショッピングセンターで買い物をするとき ―― 美紀のペースに合わせると時間かかかってしまうから、抱っこする。手をつないで歩かせると危ないから、抱っこする。さっと抱き上げて、せかせかと動いて、ぱっと下ろす。それが僕の抱っこだ。 「な―んにもしない抱っこの時間も、子どもには楽しいんですよね。ペターってくっついて、お尻を支えてもらって、頭とか撫でてもらったりして、ぼ―っとして指でもしゃぶってるうちに寝ちゃう …… そういう抱っこも、子どもは大好きなんです」
(ケロ先生 5)

 

 

 

最後に市川さんが、「とっておきの話なんです」と立ち上がった。 六年生の秋、朋子の描いた絵が、市の絵画コンクールで入選した。夏休みに家族で出かけた伊豆旅行を描いた絵だった。そこまではみんな ―― 僕だって知っている。横浜の実家には賞状と一緒に、その絵も額に入れて飾ってある。 だか、市川さんの話には、誰も知らないつづきがあった。「その旅行のとき、途中でカメラが壊れちゃって、写真がぜんぶダメになっちゃったんですよね? で、家族そろって旅行に行くなんて何年に一度しかないし、お父さんの仕事が忙しいから、もうこれが最後かもしれないから、いつでもお父さんやお母さんが旅行のことを思いだせるように、写真のかわりにがんばって絵を描いたんだ、って……」 義母がハンカチを目元にあてた。バカ、泣くな、と小声で義母を叱った義父は、市川さんに深々と一礼したあと、しばらく顔を上げなかった。
(サンタ グランバ 5)

 

 

「健一くん」表情はおだやかだったが、声は、ぴしゃりと強く響いた。ビジネスの世界で現役だった頃 ――「鬼の村松」と呼ばれていた頃の面影が、一瞬、よみがえった。 「他人事みたいに言うなよ」 「……そんなつもりはないんですが」 「だっていま、きみはなんて言った? つらいんだと思う、って …… そうじゃないだろ。美紀ちゃんのつらさをのんきに想像なんてしてる場合じゃないだろ」 形だけうなずいてはみたが、言いたいことがよくわからない。義母も、なにを言いだすんだろう、というふうに義父の横顔をうかがっていた。 義父はおだやかな表情のままつづけた。 「美紀ちゃんがつらいんだったら、きみもつらいんだ。親っていうのはそういうものだろ。子どもが悲しんでるとか苦しんでるとか、外から見るな。子どもが悲しんでるときは親も悲しいんだし、子どもが苦しんでるときには、親だって……へたすりゃ、親のほうがもっと苦しいんだ。そうだろ? そうじゃなかったら嘘だろう、違うか?」 僕をじっと見つめる。 「俺はつらいぞ、いま。美紀ちゃんよりも、健一くんよりも、俺がいちばんつらいぞ。なんでだか、わかるか」 僕は答えない。それは僕が答えてはならないことだった。「俺は …… 美紀ちゃんのじいさんで、朋子の親父で……血はつながってなくても、きみの親父だからだ」 ほんとうのお父さんには叱られるかもしれないけどな、と少しだけまなざしと口調をゆるめ、「でも」とつづけた。「きみは、俺の息子だ。そう思わせてくれ」 「……はい」 「息子が自分の苦しみを他人事のように言って、孫の苦しみを遠くから見ているようなモノの言い方をするのは、親父としてゆるせないよ、やっぱり」「……すみません」「謝ることじゃない。考えることだ。考えるより、なにか動くことだよ、そうだろ?」 義父は僕のグラスにビールを足して、「最初で最後の親父の説教だ」と笑った。
(ホップ、ステップ 4)

 

 

「会いたがってるんです、おじいちゃんに」 「会ってやってください」 「つらい思い出を増やすのはかわいそうだろう」 「つらくても …… たいせつな思い出になります」 僕たちはそうやって生きてきたのだ。 僕の胸の奥にはずっと、朋子を亡くした悲しみがあった。美紀はママのいない寂しさと一緒に大きくなった。 悲しみや寂しさを早く消し去りたいと思っていたのは、いつ頃までだっただろう。いまは違う。悲しみや寂しさは、消し去ったり乗り越えたりするものではなく、付き合っていくものなのだと ―― 誰かが、というのではなく、僕たちが生きてきた日々が、教えてくれた。 悲しみを胸に抱いたまま生きていくのは、決して悲しいことではない。そのひとがいないという寂しさを感じる瞬間は、そのひとのいない寂しさすら忘れてしまった瞬間よりも、ほんとうは幸せなのかもしれない。うまく伝えられただろうか。自信はなかったが、訥々(とつとつ)と、何度も言葉に迷って、つっかえながら、話をつづけた。
朋子は僕に、楽しかった思い出と、美紀というかけがえのない命と、悲しみをのこしてくれた。若い頃は、楽しかった思い出が美紀を育てる支えだと思っていた。だが、いま、僕は思うのだ。朋子が僕にのこしてくれた中で最もたいせつなものは、むしろ、悲しみだったのかもしれない。僕は美紀を育てながら、何度も何度も繰り返し、自分では気づかないうちに胸の奥の悲しみにそっと触れて、そこから力をもらってきたのかもしれない。だとすれば、僕が男手一つで美紀を育てたというのは嘘だ。朋子もずっと、一緒に、美紀を育ててくれたのだ。 「美紀はこれから、おじいちゃんとのお別れを思いだすたびにつらくなって、悲しくなって、寂しくなると思います」 「…… 忘れるさ、すぐに」 「忘れません」 強く言った。義父は、わかったわかった、と苦笑交じりに目をつぶる。 「でも、つらい思い出に触れるたびに …… 美紀は、優しくなってくれると思います。いまよりももっと優しくなって、生きることに一所懸命になって、そういうふうに一所懸命に生きてるひとたちのことも、ちゃんと尊敬して、愛して、愛されて …… そんなおとなになってくれると思うんです」 義父は目をつぶったまま、なにも言わない。「僕たちと一緒に、これからもずっと、美紀を育ててやってください」閉じたまぶたの隙間に、かすかに光るものが見えた。
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