平尾誠二さん
日本があの因縁のスコットランドに勝って、
念願の決勝トーナメントに進出したよ。
天国から見てくれていましたか?
スコットランドめちゃくちゃ強かったね。
それ以上に日本もめちゃくちゃ強くなったね。
次はちょうど平尾さんの命日の10月20日に
またあの南アフリカと戦います。
また4年前と同じ「ブライトンの奇跡」を起こすからね。
でも今度はもう奇跡じゃないよ。
平尾さん日本代表を見守っていてくださいね。
ありがとう日本。感動と勇気をありがとう
平尾誠二さん
日本があの因縁のスコットランドに勝って、
念願の決勝トーナメントに進出したよ。
天国から見てくれていましたか?
スコットランドめちゃくちゃ強かったね。
それ以上に日本もめちゃくちゃ強くなったね。
次はちょうど平尾さんの命日の10月20日に
またあの南アフリカと戦います。
また4年前と同じ「ブライトンの奇跡」を起こすからね。
でも今度はもう奇跡じゃないよ。
平尾さん日本代表を見守っていてくださいね。
ありがとう日本。感動と勇気をありがとう

あらすじ
選手、指導者、ドラマ『スクール☆ウォーズ』の登場人物のモデルなど、多岐に渡る活躍で日本のラグビー界を長年牽引し、2016年に胆管癌で逝去した平尾誠二氏。iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授。すでに偉大な業績のあるふたりが40代半ばで知り合い、そこから深い友情を結んで来たことは、本書の刊行前まであまり知られて来なかった。最期までけして諦めなかった平尾氏の闘病生活に、山中教授が全力で併走したことも。抑えた筆致ながら読者の涙を誘わずにはいられない、感動のノンフィクション。
ひと言
ラグビーワールドカップ2019 でアイルランドに勝利した翌日。図書館で特設されたラグビーコーナーでこの本を見つけました。平尾誠二さんのお別れの会で、山中伸弥さんが「きみの病気を治すことができなくて、本当にごめんなさい」とお別れの言葉を述べられていたのを見て、初めてお二人の交友関係にびっくりしたのを覚えています。平尾さんのご命日の10月20日は日本が予選リーグ1位通過をすればプールBの2位通過の南アフリカ(あくまでも今日現在の予想)との対戦になります。平尾誠二さんに捧げる勝利を!頑張れ日本。平尾誠二さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
二〇一七年二月十日に、平尾さんをしのぶ「感謝の集い」が開かれました。僕は平尾さんに、こう語りかけました。
〈平尾さん、久しぶり。相変わらずかっこいいですね。 僕はきみと同い年です。高校生の時からずっときみに憧れてきました。出会ってからはきみのことが大好きになり、そしてものすごく尊敬するようになりました。きみは、病気がわかってから、さらに格好よく立派でした。 きみの病気がわかった時 …… それはずいぶんと癌が進行していて、普通の人だったら呆然として何もできないような状態だったと思います。でも、平尾さん、きみは最後の瞬間まで病気と闘いましたね。 いろいろな治療を試しました。ある時、平尾さんに「この治療は世界初で、まだ誰もやったことのない治療だから、どんな副作用があるかわからない」と言いました。するときみは、心配するどころか顔がぱっと明るくなって、 「そうか先生、世界初なんか。けいちゃん聞いたか? 俺ら、世界初のことやってるんや」 そんなふうに言いましたね。 ある時、僕が病室を訪れたあと、きみはこう言ったらしいですね。 「なんか先生、元気なかったなあ。大丈夫かなあ」 平尾さん、きみのことが心配だったんです。僕がきみを励まし、勇気づけなければならないのに、逆にいつも僕が平尾さんに励まされていました。 きみが亡くなる前の日、病室でお会いしましたね。声がなかなか出せず、うまく聞き取ることができませんでした。でも僕が、「平尾さん、もうすぐ孫が生まれておじいちゃんやな」と言ったら、はっきりとわかる声で「まだまだですわ」と、はにかみながらとても嬉しそうに言いました。 それがきみとの最後の会話になりました。でも僕は、最後の会話がそんな内容だったことを嬉しく思っています。 きみが元気な時、一緒に呑みに行って、たくさんのことを教えてもらいました。いちばん心に残っているのは、「人を叱る時の四つの心得」。そのことを、亡くなってから思い出しました。
――プレーは叱っても人格は責めない。
――あとで必ずフォローする。
ところが、なんということでしょう。二つしか思い出せません。どうしてもあとの二つが、共通の友人に聞いてもわからないのです。平尾さんが、「なんや先生、忘れたんか。本当に(ノーベル)賞もろうたんか」と笑いながら言っている声が聞こえてくるようです。 でも二、三日前、ふと「もしかしたらメールにも書いてくれたんちゃうか」と思いました。たくさんもらったきみからのメールを、時間をかけて一つひとつ読み返しました。そしたら、やっぱり書いてくれていました。
――他人と比較しない。
――長時間叱らない。
きみのようなリーダーと一緒にプレーでき、一緒に働けた仲間は本当に幸せだったことでしょう。もちろん、僕もきみと一緒に過ごせて最高に幸せでした。 平尾さん、ありがとう。そしてきみの病気を治すことができなくて、本当にごめんなさい。また、きっとどこかで会えると信じています。そのときまでしばらく……。 また会おうな、平尾さん〉
いまだに僕は、「助けてあげられなくてごめんなさい」と心のなかで言い続けています。
(第1章 平尾誠二という男)
地元の病院に入院していた頃、ラグビーワールドカップで日本が強豪・南アフリカに勝った直後には、本当に明るい顔で病室に入ってこられ、「こんなこと、あるわけないですやん」 と嬉しそうに言い、 「平尾さん、頑張りましょうね。次のワールドカップは日本やし、絶対に一緒に観に行きましょう」 と、おっしやいました。 ベッドの上で起きていた主人はそれには答えず、ただ笑っているだけでした。その時にはすでに、覚悟を決めていたのだと思います。できない約束はしない人だから、こんな時でもそうなんだ。きれいごとじゃないんだ ―― と、胸を衝かれました。
(第2章 闘病 ―― 山中先生がいてくれたから)
生前、主人が私たち家族にいつも言っていたのは、 「山中先生に診ていただくということは、世界でいちばん最先端のことができるということや。これでだめやったら、本当にだめなんや」 ということです。 癌が判明したあと、私たちは病名を公表せず、親しい知り合いにも話しませんでしたが、テレビなどに出演した主人の痩せた姿から「平尾誠二は癌だ」という噂が流れました。すると、本当に多くの方から、「ぜひ、この人に診てもらいなさい」「この治療を受けてほしい」といったアドバイスが届くようになりました。 家族としては心が揺れました。「こんな治療があるのなら受けてほしい」と思うこともあり、私から主人にそう言ったこともあります。けれど主人は、 「僕はもう、山中先生を信じるって決めたんや。そういうことをするのは、山中先生にすごく失礼なことだよ。僕は山中先生を信じる。だから他のことはしたくない」 と言い続け、私の話も聞こうとしませんでした。 主人が亡くなるまで、治療方法の選択肢はすべて山中先生が挙げ、どれを選択するのが最善かアドバイスしてくださいました。そのおかげで私たち家族は、治療法の選択に悩んだことがありません。先生を心から信頼し、すべてをお任せしていました。 「全部、自分が決めたことです。でも、もっといい判断もあったんじゃないか。自分はご家族にとって不本意なことをしていたんじゃないか。病気を治せなくて本当にごめんなさい」 主人の死後、山中先生はこう頭を下げられました。 知佳さんにもお礼のメールを出したところ、こんな返事をいただきました。「お気持ちにそぐわないことも多々あったと思いますが、いつも山中のアドバイスを大らかに受け入れていただき、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです」 知佳さんは、家族葬の時にも私のところに来て、 「山中は、わたしがこれまでに見たことがないほど勉強していました」 と、おっしゃいました。 先生は献花の時に主人の棺の前で、「平尾さん、治してあげられなくて本当にごめんなさい」と泣かれていました。 謝ることなどないのです。家族だけでは最善の治療法を選択することはできませんでした。本当にありがたいと、いつも心の中で手を合わせていました。悔いはまったくありません。そして山中先生は、ずっと主人を守ってくださいました。偉いお医者さまやラグビー関係者から主人の病名や症状を訊かれても、先生は何もおっしゃらなかったと、チームの方から聞いています。
(第2章 闘病 ―― 山中先生がいてくれたから)
彼は、ラグビーの魅力を「ボールを持って走れること」と言っていました。 他のスポーツはボールを持って走ってはいけなかったり、走ってもいいが歩数に制限があったりする。でも、ラグビーにはそういう抑制がなく、すべてが解き放たれている爽快感がある、と。 平尾さんの心はまさにラグビーと同じで、いつも自由に解き放たれていて、そばにいる僕らに爽快な風を送ってくれたのです。
(第3章「僕らはこんなことを語り合ってきた」)
あらすじ
戦国乱世を生き抜き、徳川の天下となったのちも、大名として、茶人として名を馳せた小堀遠州。おのれの茶を貫くために天下人に抗った千利休、古田織部とは異なり、泰平の茶を目指した遠州が辿り着いた“ひとの生きる道”とは。「白炭」「投頭巾」「泪」…茶道具にまつわる物語とともに明かされるのは、石田三成、伊達政宗、藤堂高虎など、戦国に生きた者たちによる権謀術数や、密やかな恋。あたたかな感動が胸を打つ歴史小説。
ひと言
約10年間 つれづれなるままに yahooブログに心にうつりゆくよしなしごとを書きつくってきましたが、この9月1日より yahooブログに新しい記事を投稿できなくなり Amebaブログに移行することにしました。
まだまだ慣れないことばかりだし、今までのじゃまさんのブログの移行に追われることになると思いますが、Amebaブログもよろしくお願いいたします。
2019.09.05 じゃまさん



