平尾誠二さん

日本があの因縁のスコットランドに勝って、

念願の決勝トーナメントに進出したよ。

天国から見てくれていましたか?

 

スコットランドめちゃくちゃ強かったね。

それ以上に日本もめちゃくちゃ強くなったね。

 

次はちょうど平尾さんの命日の10月20日に

またあの南アフリカと戦います。

また4年前と同じ「ブライトンの奇跡」を起こすからね。

でも今度はもう奇跡じゃないよ。

平尾さん日本代表を見守っていてくださいね。

 

 

ありがとう日本。感動と勇気をありがとう

 
あらすじ
生き方、人生を見つめ直す時に、手にとりたい日本の名著として、今なお高い人気を誇る『歎異抄』。
その魅力は、「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」(哲学者・西田幾多郎)、「『歎異抄』よりも求心的な書物は、おそらく世界にあるまい。文章も日本文として実に名文だ。国宝と言っていい」(小説家・倉田百三)など、知識人たちの心をもとらえて離さない。『歎異抄』には、多くの謎が秘められている。「なぜ、善人よりも悪人なのか」「『念仏さえ称えていたら助かる』は、なぜ間違いなのか」幸せ観、人間観を一変させる、常識破りの発言の数々がそこにある。
 
ひと言
新聞で数回、この本の広告を目にすることがあり、もともと「歎異抄」には非常に興味がある上に、ベストセラー、35万部突破、ついにアニメ映画化 の文字に、読んでみようと図書館に予約を入れました。昔からですが、「歎異抄」の教えはどこかわかった気になっているだけで、ほんとうはわかっていないんじゃないかという思いがずっとあって…。今回、この本を読み終えた後も、以前とはあまり変わっていないのかもしれません。また折にふれて「歎異抄」と向き合ってみたいと思います。

「仏教」と聞くと、地獄や極楽など死後物語ばかりとされている。「弥陀の誓願」といっても、”死後の極楽参り”か、ぐらいに考えている人がほとんどだ。 万人のその誤解を正し、弥陀の救いは”今”であり、その救済は如何なるものかを明示し、人間の真の生きる道をひらかれたのが親鸞聖人である。 『歎異抄』全十八章の収まる第一章は、その聖人の教えの肝要を略説する極めて重要な内容を待つ。 まず、古今の人類が探求してやまぬ人生の目的を、「摂取不捨の利益(りやく)にあずかる」弥陀の救いであると開示し、その達成は、「弥陀の誓願不思議に助けられ『念仏申さん』と思いたつ心のおこるとき」であると説く。しかも救いは万人平等で、一切の差別がないと道破する。
(第2部「歎異抄」の解説(2))
 
「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えたのが親鸞聖人」という、広く世にひろまっている迷妄がある。 このお言葉は、その迷信を正すのみならず、『歎異抄』全体を通じて数ある誤解を正す、限りなく重い聖人の発言といっても決して過言ではない。 「弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず」 大海は芥(あくた)を選ばず、弥陀の救いには一切の差別はない。老人も若者も、世間でいう善人も悪人も区別なく、なんの隔てもなく救う弥陀の本願だが、「ただ信心を要とすと知るべし」と、クギをさされている。 「信心を要とす」と言うと、他宗教の信心と同じように、「親鸞も何かを信じよ、というのか」と思うかも知れないが、聖人の説く「信心」は、それらとは根本的に異なる、世間の蒙を啓くものである。一般には、金が儲かる、病気が治る、息災延命、家内安全などのゴリヤクを、仏や神に祈念することを「信心」と言われている。 また、神仏を深く信じて「疑わないこと」と考えている人がほとんどだ。 しかし、よく考えると、疑う余地のまったくないことなら信ずることは不要になる。「夫は男だと信じている」と言う妻はないだろう。疑いようがないからである。 ひどい火傷をした人は、「火は熱いものだと信じている」とは言わない。熱かった体験をしたからだ。 疑いようのない明らかなことは「知っている」とは言うが、「信じている」とは言わない。「信じる」のは「疑いの心」があるときである。 難関の受験生は、試験は水もの、発表までハッキリしないから、「合格を信じている」という。「合格を知っている」とは言わない。”ひょっとしたら失敗するかも”の、疑心があるからであろう。
(第2部「歎異抄」の解説(3))
 
『歎異抄』を総括する一章には、短い章にもかかわらず、「信」の文字が繰り返される。「往生をば遂ぐるなりと信じて」「しかれば本願を信ぜんには」「ただ信心を要とすと知るべし」聖人の教えにとって、いかに「信心」肝要か明らかだ。 肝心の「他力の信心」「信楽」(しんぎょう)を知らずして、『歎異抄』を知らんとするは、本に縁りて魚を求むるがごとし、と牢記すべきであろう。
(第2部「歎異抄」の解説(3))
 
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
『歎異抄』でも特に知られる、日本思想史上、もっとも有名な言葉といわれる。衝撃的な内容だけに、大変な誤解も生んだ。 「善人でさえ浄土へ往ける。まして悪人は、なおさら助かる」と聞けば、「悪をするほど浄土へ往けるのか」と、誰でも思うだろう。 実際、”悪をするほど助かるのだ”と好んで悪を行う「造悪無碍」とよばれる輩が現れ、「悪人製造の教え」と非難された。 それはまた、今もある『歎異抄』の根深い謬見(びゅうけん)でもある。 かかる誤解を正すには、親鸞聖人の「善人」「悪人」の認識を、徹底して明らかにするしか道はない。それなしに、三章は勿論、『歎異抄』をいくら熟読しても、論語読みの論語知らずにならざるを得ないであろう。私たちは常に、常識や法律、倫理・道徳を頭に据えて、「善人」「悪人」を判断する。だが、聖人の「悪人」は、犯罪者や世にいう悪人だけではない。極めて深く重い意味を持ち、人間観を一変させる。……。……。 
人間はみな煩悩の塊、永遠に助かる縁なき「悪人」と阿弥陀仏は、知り抜かれたからこそ”必ず救う”と誓われたのだ。これぞ、弥陀の本願の真骨頂なのである。聖人の言われる「悪人」は、このごまかしの利かない阿弥陀仏に、悪人と見抜かれた全人類のことであり、いわば「人間の代名詞」にほかならない。では聖人の「善人」とは、どんな人をいうのであろうか。”善を励んで助かろう” ”念仏称えて救われよう”と努める人である。励めば善ができ、念仏ぐらいは称え切れると思っている人だから、「自力作善」の善人と聖人はおっしゃる。 ”諸善も念仏も、いずれの行もおよばぬ悪人”と見極められて建てられた、弥陀の本願を疑っている人だから、「疑心の善人」とも言われている。 そのような自力におぼれている人は、自己の一切の思慮分別を投げ捨てて、弥陀にうちまかせる心がないから、弥陀の本願の対象にはならないのだ。
(第2部「歎異抄」の解説(9))
 
 

 

あらすじ
世界の強豪、南アフリカを撃破した「ブライトンの軌跡」から4年。 2019年9月20日からいよいよ始まるラグビーワールドカップ日本大会。 日本代表キャップ98の歴代最多を誇り、過去3度のワールドカップに連続出場、 41歳にして今なお現役選手として活躍する鉄人・大野均が、 これまでの激闘の記憶をたどりながら、日本初開催となったワールドカップ、 そして日本代表への思いを語り尽くす。 誰よりも日本代表候補選手たちを知り、ワールドカップを知る男が、自らが経験した日本ラグビー苦闘の歴史を語るとともに、注目の代表候補選手たちを紹介し、エールを送る一冊。
 
ひと言
連日素晴らしい試合が続く「ラグビーワールドカップ2019」。アイルランド戦での興奮はもちろんのこと。ニュージーランドVS南アフリカ、フランスVSアルゼンチン などの熱戦。ニュージーランドチームの日本に対するリスペクトのお辞儀。負けたアイルランドが桜ジャパンのために作った花道。ウルグアイVSフィジーで、8歳の「マスコットキッズ」が選手とともにスペイン語でウルグアイ国歌斉唱 それも被災地 釜石で…。などなど……。外国チームの日本に対する「リスペクト」、それに応えようとする日本の「おもてなし」。ラグビーってほんとうにいいなぁと心の底から思います。今日はサモア戦。桜、咲け! 日本。
 
 
15人制のラグビーのスクラムは、敵味方8人同士で組み合います。 8人を3列に分け、前からフロントロー3人(両サイドのプロップ十真ん中のフッカー)、セカンドロー2人(ロック)、バックロー3人(両サイドのフランカー十真ん中のナンバーエイト)という布陣です。 列で言うと、このように3-2-3ですが、実際には3列目のフランカーは2列目のロックの横に入ることがほとんどですから、フォーメーションの形は3-4-1になります。 この形で両チームが組み合い、ボールを入れて押し合うのです。
(第1章 その時、日本ラグビーの歴史が変わった!)
 
(2015南アフリカ戦)後半28分、五郎丸のトライはマイボールラインアウトからのサインプレーで奪いました。 これはジャパンのコーチングコーディネーターの沢木敬介さんが考えた作戦で、エディーさんと意見が分かれたそうですが、沢木さんが押し切ったようです。まずフッカー翔太のスローインをロックのトモ(トンプソンルークの愛称)がキャッチし、スクラムハーフ日和佐 篤につなぎました。 そこからセンター立川理道、スタンドオフ小野晃征、ウイング松島幸太朗と流れるようにパスが回り、最後は右サイドを駆け上がった五郎丸がインゴール右隅に飛び込みました。
コンバージョンゴールも決まって29対29の同点に追いついたプレーですから、記憶している人も多いと思います。実はこのサインプレー、練習中に一度も決まったことがないものでした。それが会心のトライとなるわけですから、やはり五郎丸は何かを“持って“いたのでしょう。 後半32分、相手のペナルティゴールが決まり、29対32。 ここで、またしても南アフリカはショットを選択します。手堅く勝ちを狙った南アフリカに場内からブーイングが浴びせられました。16分のときと同様に、南アフリカが弱気になっていることが見て取れました。
試合終了間際、ジャパンは敵陣でペナルティーを獲得します。ここでキャプテンのりーチは、同点狙いのショットではなくスクラムを選択、一気に逆転を狙う大勝負に出たのです。 実は、エディーさんからショットの指示が出ていたという話は、ラグビーファンの皆さんなら先刻、ご存じでしょう。 実際、あのときの映像を見たらわかりますが、スタッフがエディーさんから指示を受け、キックティーを持ってグラウンドに入ってきているんです。 リーチはそれを追い返していましたね(笑)。 あれはまさに、リーチだからこそできた決断でした。 南アフリカがシンビン(10分間の一時退場)で1人少ない状況だったこと、それまでのスクラムに手応えがあったこと。そうしたことから、リーチにはトライをとれる確信があったのだと思います。 だからこそ、ショットで3点入れて同点にするよりも、スクラムからのトライでの逆転を迷わずに選んだのでしょう。
見ている僕もリーチと同じ気持ちでした。「ここはショットじゃなくてもいい」と思いました。 ピッチにいたトモも「歴史変えるのダレよ!?」とフォワード陣に発破を掛けたといいます。 あのリーチの決断ですが、ヘッドコーチの指示を無視した大胆な選択と思われるかもしれません。野球でバントやヒットエンドランのサインを選手が無視することはまずありえませんから、ラグビーではそんなことが許されるのかとびっくりされた方もいることでしょう。
実は試合当日の午前中、エディーさんとリーチは2人でミーティングをしているんです。そこで「最後の決断はお前に任す」と確認していたそうです。 リーチがスクラムを選択したときには、コーチングボックスで無線機を投げつけるほど怒り狂ったエディーさんですが、リーチはその前にジャッジー任の約束を取り付けていた。つまりあの場面、彼にはスタッフを追い返す権利があったのです。
ベンチにいた僕はリーチの選択に胸が熱くなりました。 結果がどう出ようとも、ワールドカップという大舞台で強豪南アフリカ相手に逆転のトライを狙いにいく。大げさでなく、まさに日本のラグビーの歴史が変わるかもしれない大勝負です。しかも勝算のない勝負ではなく、勝算のある決断ですから、胸が熱くならないわけがありません。 それでも最後の最後にウイングのカーン・ヘスケスのトライが決まるまでは、正直、まさか勝てると思っていませんでした。 日和佐、立川、ナンバーエイトのアマナキ・レレィ・マフィと繋ぎ、最後にボールを受けたヘスケスがインゴール左隅に飛び込んだ瞬間、驚きと感動が入り混じった歓声で会場は地響きがするほど沸き返りました。
今振り返っても、勝った瞬間、白分がどういう感情だったか思い出せません。それぐらい必死な思いで見守っていたんでしょうね。 言うまでもなく、南アフリカはワールドカップ2度の優勝を誇る強豪。それに対して日本は、1991年のワールドカップで1勝した経験があるだけ。まさにジャイアント・キリングです。 僕にとってもジャパンにとっても、ずっと欲しかったワールドカップでの1勝を、あの南アフリカからもぎ取ることができた。感無量とは、このことです。
(第1章 その時、日本ラグビーの歴史が変わった!)
 
釜さん(東芝 釜沢 晋)からはロックの醍醐味も教えていただきました。 「自分でトライを取ることではない。自分の出したボールを誰かがトライをしてくれることだ」 それが釜さんの口グセでした。 ロックは何よりも気持ちが重要なポジションです。僕はウイングも経験していますが、試合後の体の痛みは比べものになりません。気持ちが強くなくてはやっていけません。 ニュージーランドの子供たちが最も憧れるポジションはロックだと言われています。
(第4章 ジャパンの誇り)
 
酒にまつわるマナーについて言えば、ニュージーランドやオーストラリアの選手は「右手で酒を飲むな」と言われるそうです。 ラグビーでは試合後にアフターマッチファンクションという、両チームの選手がちょっとした食事をしながら親睦を深める場が設けられています。そこで選手同士で握手して会話する際、向こうの人たちは「左手は不浄」という考え方が強いようで、必ず右手で握手を求めてきます。 右手でグラスを特っていると、左手を差し出すことになってしまい失礼です。また、いったんグラスを置いて右手を出すのも、冷えた酒を注がれていると手が冷たくなってしまっているため、これまた相手に失礼に当たります。
彼らの表現を借りれば、「バッファローのひづめ」です。もし右手でグラスを持っているのが見つかったら、一度、酒を飲み干して、左手に持ち替えないといけない。これがアンリトンルール(書かれざるルール)です。だから、ラグビー部の飲み会に行くと、皆、自然と左手でグラスを持つようにしていますね。
(第4章 ジャパンの誇り)
 

あらすじ

選手、指導者、ドラマ『スクール☆ウォーズ』の登場人物のモデルなど、多岐に渡る活躍で日本のラグビー界を長年牽引し、2016年に胆管癌で逝去した平尾誠二氏。iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授。すでに偉大な業績のあるふたりが40代半ばで知り合い、そこから深い友情を結んで来たことは、本書の刊行前まであまり知られて来なかった。最期までけして諦めなかった平尾氏の闘病生活に、山中教授が全力で併走したことも。抑えた筆致ながら読者の涙を誘わずにはいられない、感動のノンフィクション。

 

ひと言
ラグビーワールドカップ2019 でアイルランドに勝利した翌日。図書館で特設されたラグビーコーナーでこの本を見つけました。平尾誠二さんのお別れの会で、山中伸弥さんが「きみの病気を治すことができなくて、本当にごめんなさい」とお別れの言葉を述べられていたのを見て、初めてお二人の交友関係にびっくりしたのを覚えています。平尾さんのご命日の10月20日は日本が予選リーグ1位通過をすればプールBの2位通過の南アフリカ(あくまでも今日現在の予想)との対戦になります。平尾誠二さんに捧げる勝利を!頑張れ日本。平尾誠二さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

二〇一七年二月十日に、平尾さんをしのぶ「感謝の集い」が開かれました。僕は平尾さんに、こう語りかけました。

〈平尾さん、久しぶり。相変わらずかっこいいですね。 僕はきみと同い年です。高校生の時からずっときみに憧れてきました。出会ってからはきみのことが大好きになり、そしてものすごく尊敬するようになりました。きみは、病気がわかってから、さらに格好よく立派でした。 きみの病気がわかった時 …… それはずいぶんと癌が進行していて、普通の人だったら呆然として何もできないような状態だったと思います。でも、平尾さん、きみは最後の瞬間まで病気と闘いましたね。 いろいろな治療を試しました。ある時、平尾さんに「この治療は世界初で、まだ誰もやったことのない治療だから、どんな副作用があるかわからない」と言いました。するときみは、心配するどころか顔がぱっと明るくなって、 「そうか先生、世界初なんか。けいちゃん聞いたか? 俺ら、世界初のことやってるんや」 そんなふうに言いましたね。 ある時、僕が病室を訪れたあと、きみはこう言ったらしいですね。 「なんか先生、元気なかったなあ。大丈夫かなあ」 平尾さん、きみのことが心配だったんです。僕がきみを励まし、勇気づけなければならないのに、逆にいつも僕が平尾さんに励まされていました。 きみが亡くなる前の日、病室でお会いしましたね。声がなかなか出せず、うまく聞き取ることができませんでした。でも僕が、「平尾さん、もうすぐ孫が生まれておじいちゃんやな」と言ったら、はっきりとわかる声で「まだまだですわ」と、はにかみながらとても嬉しそうに言いました。 それがきみとの最後の会話になりました。でも僕は、最後の会話がそんな内容だったことを嬉しく思っています。 きみが元気な時、一緒に呑みに行って、たくさんのことを教えてもらいました。いちばん心に残っているのは、「人を叱る時の四つの心得」。そのことを、亡くなってから思い出しました。
――プレーは叱っても人格は責めない。
――あとで必ずフォローする。
ところが、なんということでしょう。二つしか思い出せません。どうしてもあとの二つが、共通の友人に聞いてもわからないのです。平尾さんが、「なんや先生、忘れたんか。本当に(ノーベル)賞もろうたんか」と笑いながら言っている声が聞こえてくるようです。 でも二、三日前、ふと「もしかしたらメールにも書いてくれたんちゃうか」と思いました。たくさんもらったきみからのメールを、時間をかけて一つひとつ読み返しました。そしたら、やっぱり書いてくれていました。
――他人と比較しない。
――長時間叱らない。
きみのようなリーダーと一緒にプレーでき、一緒に働けた仲間は本当に幸せだったことでしょう。もちろん、僕もきみと一緒に過ごせて最高に幸せでした。 平尾さん、ありがとう。そしてきみの病気を治すことができなくて、本当にごめんなさい。また、きっとどこかで会えると信じています。そのときまでしばらく……。 また会おうな、平尾さん〉

いまだに僕は、「助けてあげられなくてごめんなさい」と心のなかで言い続けています。
(第1章 平尾誠二という男)


地元の病院に入院していた頃、ラグビーワールドカップで日本が強豪・南アフリカに勝った直後には、本当に明るい顔で病室に入ってこられ、「こんなこと、あるわけないですやん」 と嬉しそうに言い、 「平尾さん、頑張りましょうね。次のワールドカップは日本やし、絶対に一緒に観に行きましょう」 と、おっしやいました。 ベッドの上で起きていた主人はそれには答えず、ただ笑っているだけでした。その時にはすでに、覚悟を決めていたのだと思います。できない約束はしない人だから、こんな時でもそうなんだ。きれいごとじゃないんだ ―― と、胸を衝かれました。
(第2章 闘病 ―― 山中先生がいてくれたから)

 

生前、主人が私たち家族にいつも言っていたのは、 「山中先生に診ていただくということは、世界でいちばん最先端のことができるということや。これでだめやったら、本当にだめなんや」 ということです。 癌が判明したあと、私たちは病名を公表せず、親しい知り合いにも話しませんでしたが、テレビなどに出演した主人の痩せた姿から「平尾誠二は癌だ」という噂が流れました。すると、本当に多くの方から、「ぜひ、この人に診てもらいなさい」「この治療を受けてほしい」といったアドバイスが届くようになりました。 家族としては心が揺れました。「こんな治療があるのなら受けてほしい」と思うこともあり、私から主人にそう言ったこともあります。けれど主人は、 「僕はもう、山中先生を信じるって決めたんや。そういうことをするのは、山中先生にすごく失礼なことだよ。僕は山中先生を信じる。だから他のことはしたくない」 と言い続け、私の話も聞こうとしませんでした。 主人が亡くなるまで、治療方法の選択肢はすべて山中先生が挙げ、どれを選択するのが最善かアドバイスしてくださいました。そのおかげで私たち家族は、治療法の選択に悩んだことがありません。先生を心から信頼し、すべてをお任せしていました。 「全部、自分が決めたことです。でも、もっといい判断もあったんじゃないか。自分はご家族にとって不本意なことをしていたんじゃないか。病気を治せなくて本当にごめんなさい」 主人の死後、山中先生はこう頭を下げられました。 知佳さんにもお礼のメールを出したところ、こんな返事をいただきました。「お気持ちにそぐわないことも多々あったと思いますが、いつも山中のアドバイスを大らかに受け入れていただき、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです」 知佳さんは、家族葬の時にも私のところに来て、 「山中は、わたしがこれまでに見たことがないほど勉強していました」 と、おっしゃいました。 先生は献花の時に主人の棺の前で、「平尾さん、治してあげられなくて本当にごめんなさい」と泣かれていました。 謝ることなどないのです。家族だけでは最善の治療法を選択することはできませんでした。本当にありがたいと、いつも心の中で手を合わせていました。悔いはまったくありません。そして山中先生は、ずっと主人を守ってくださいました。偉いお医者さまやラグビー関係者から主人の病名や症状を訊かれても、先生は何もおっしゃらなかったと、チームの方から聞いています。
(第2章 闘病 ―― 山中先生がいてくれたから)

 

彼は、ラグビーの魅力を「ボールを持って走れること」と言っていました。 他のスポーツはボールを持って走ってはいけなかったり、走ってもいいが歩数に制限があったりする。でも、ラグビーにはそういう抑制がなく、すべてが解き放たれている爽快感がある、と。 平尾さんの心はまさにラグビーと同じで、いつも自由に解き放たれていて、そばにいる僕らに爽快な風を送ってくれたのです。
(第3章「僕らはこんなことを語り合ってきた」)

 

あらすじ

戦国乱世を生き抜き、徳川の天下となったのちも、大名として、茶人として名を馳せた小堀遠州。おのれの茶を貫くために天下人に抗った千利休、古田織部とは異なり、泰平の茶を目指した遠州が辿り着いた“ひとの生きる道”とは。「白炭」「投頭巾」「泪」…茶道具にまつわる物語とともに明かされるのは、石田三成、伊達政宗、藤堂高虎など、戦国に生きた者たちによる権謀術数や、密やかな恋。あたたかな感動が胸を打つ歴史小説。

 

ひと言

超有名な作庭家としての小堀遠州(政一)は知っていたのですが、「綺麗さび」と称される武家茶道の遠州流の祖であることは恥ずかしながら知りませんでした。また築城で有名な藤堂高虎の娘婿という血縁関係にもびっくり!。さすがにこれは作り話かなと思って調べてみると、養女にした藤堂嘉晴の娘を妻にしています。少しは聞いたことのあるお茶の名物もたくさん出てきてとても楽しく読ませてもらいました♪。
 
 
千利休以降の茶人を評して、
――織(おり)理屈、綺麗キツハハ遠江(とおとうみ)、於(お)姫宗和(そうわ)ニ ムサシ宗旦(そうたん)
という言葉がある。古田織部は奔放でありながらも理屈っぽい、「綺麗寂び」と言われる遠州の茶は美しく立派であり、これに比べ金森宗和はお姫様好みでおとなしく、「姫宗和」などとも呼ばれ、千利休の孫である宗旦はわびに徹し素朴なだけに、むさくるしいという意味である。 この中でも遠州は利休、織部に次ぐ大茶人であるという声もあった。 織部亡き後は大名茶の総帥として多くの大名茶人を指導した。慶長十三年に従五位下遠江守に叙せられ、遠州と呼ばれるようになったのである。
(白炭)
 
遠州はさりげなく口にしてから、ふと傍らに置いてある茶入れに目を遣った。肩衝である。茶入れは高さ二、三寸の小さな壷だが、丸い形のものを茄子、肩が張ったものを肩衝などという。茶人は茶入れを愛好した。中でも天下三肩衝として、将軍足利義政が命名した端正な姿の、
――初花肩衝
 
 
優美な形から名品の誉れ高く唐物肩衝の第一とされた、
――新田肩衝
さらに、釉薬が濃い飴色であることから「恋」にかけて、『万葉集』巻十二にある、
 み狩する雁羽(かりば)の小野の楢柴のなれはまさらず恋こそまされ
の歌に因んで名づけられた、
――楢柴肩衝  
が名高い。
(肩衝)
 
利休が秀吉の怒りを買い、堺に追放されたときは細川忠興とふたりで見送った。切腹を命ぜられた利休は、茶杓を削り、最後の茶会に用いて織部に与えた。 織部はこの茶杓を収める筒を作った。筒には長方形の小窓が開けられており、織部は窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだ。利休が作った茶杓は白竹を材に樋(とい)が深く通って、薄作りにできており、銘は、
――泪である。
(肩衝)
 
 
〈此世〉は一見、香炉というより、小さな壷にしか見えない。地肌の色や釉薬のかかり具合が井戸茶碗を思わせる。特異な姿をしているわけではないが、小品ながらも堂々とした風格を感じさせる。
 
 
〈此世〉の銘は『後拾遺和歌集』にある和泉式部の歌の、
あらざらむ此の世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな
にちなんでつけられたと伝えられている。香炉には見えない姿を歌の意に重ね合わせているのであろう。
(此世)
 
「石を立てるとは、すなわち、怨霊を鎮めることであるという。庭とは亡き人を祀るところではないのか」
賢庭は厳しい視線で遠州を見つめながら応じた。「仰せの通り、庭は造った者にゆかりのあるかつて見送ったひとを祀った場所でございます。小堀様なれば、さしずめ千利休様や石田三成様、古田織部様でございましょう。亡きひとを祀る気なくして、作庭はできません。さようなお気持があられましょうか」
「されば、まずは一服、飲んでいただこうか」 遠州は静かに賢庭の膝前に茶碗を置いた。賢庭は気負うところのない所作で茶碗をロ元へ運んだ。 遠州は賢庭に目を向けずに口を開いた。           
「わたしは、茶室で向かい合う相手に生きて欲しいと願って茶を点てる。ひとを祀る場所としての庭を造るということがどのようなことかわかるか、と問われれば、まことにわかっているとは言えぬと思う。しかし、ひとに生きて欲しいと願う心は取りも直さず亡きひとを祀る心に通じるのではないだろうか。生きて欲しいと思う気持があればこそ、祀る心にいたるのだとわたしは思う」
(此世)
 
「それにしても茶人である遠州様が慣れぬ普請の奉行をようなされましたなあ」 左京が感心したように言うと、遠州は微笑んだ。 「初めは何もわからずに手こずったが、普請や作庭は茶の心で行うのがよい、とわかってからは、却ってやりがいを覚えるようになった」 「茶の心でございますか」 栄が興味深げに訊いた。 「そうだ。建物や庭の形を見るのではなく、それらを眺めるひとの心を見つめねばならぬと思った。それは、すなわち、茶の心だ」 遠州が言うと、皆、感慨深けにうなずいた。
(夢)
 
遠州が語り始めた。 「利休様が切腹されるにあたり、堺に向かわれるおり、弟子の中でわが師である古田織部様と細川三斎(忠興)様のお二人だけが見送られた。利休様は茶杓を削って織部様にお与えになった。その茶杓が〈泪〉という銘であり、織部様がその後、窓のある筒に入れて位牌のように拝まれたことは皆、知っておろう。実はそのおり、利休様は三斎様にも茶杓を与えられた。この茶杓の銘は〈ゆがみ〉という。
 
 
遠州は慶長十七年(一六一二)に、京の龍光院に建てていた孤篷庵を寛永二十年、大徳寺の敷地内に移設するとともに茶室を設えて、忘筌(ぼうせん)と名づけた。
 
 
忘筌とは荘子の、――魚ヲ得テ筌(うえ)ヲ忘ル
 からとられている。 筌とは魚をとるための道具で、荘子の言葉は目的を達すれば道具の存在を忘れるという意味である。遠州は禅の境地を示す言葉として用いていた。 茶室は角柱に長押(なげし)つきの書院座敷でありながら、繊細な砂摺り板の天井を低く作り、静かで落ち着いた趣を醸し出している。 縁先に広がる中庭の風景を生垣で遮り、障子を立てた中敷居で手水鉢と石灯寵がある露地だけが茶室から見えるように工夫した。中敷居は上半分が明かり障子、下半分を吹き放しとして、にじり口に代わる席入りの口とした。舟屋の入り口のようでもある、この吹き放しは、露地を眺める際の額縁のような役目も果たしている。吹き放しから「露結」と刻まれた蹲(つくばい)が見える。 「露結」とは「露結耳」、すなわち兎を意味し、「兎を捕えてワナを忘る」という言葉を暗に示して忘筌の対句としていた。
(忘筌)
 
遠州はかつて智仁親王から言われた、「庭はひとをもっと広いところに連れ出すものやないか」という言葉を思い出した。
(忘筌)
 

約10年間 つれづれなるままに yahooブログに心にうつりゆくよしなしごとを書きつくってきましたが、この9月1日より yahooブログに新しい記事を投稿できなくなり Amebaブログに移行することにしました。

 

 

まだまだ慣れないことばかりだし、今までのじゃまさんのブログの移行に追われることになると思いますが、Amebaブログもよろしくお願いいたします。

 

  2019.09.05  じゃまさん 

 

 

 

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この夏の締め括りのお昼は、カレー通の人たちの間では有名なお店で、前から行きたかった「クミン」へ。ご主人は一昨年から8カ月間病気治療のため休業されていて、昨年の4月からは週休2日で営業再開。この後も治療や仕込みのため今年の1月からは月・火・水を定休日にして頑張ってこられていました。そして今年の4月・6月にTVで取り上げられからは、いつ前を通っても行列で、私も2度ほど断念していました。そんな折7月中旬からまたお店がお休みになって…。ご主人の体調がよくないのかなぁと心配していましたが、8月中旬に再開されたということを知って、今日はどうしても食べたくて40分ほど並びました。

 

野菜のカレーLマイルド(1030円)にイカフライ(240円)をトッピングしていただきます。カウンターから、休む間もなく働かれているご主人の姿を見ているだけで胸がいっぱいになります。大きな野菜がたっぷりと入ったスパイスがしっかりと効いたとてもおいしいカレーです。ただL(380g)は最近少し食べる量を減らし気味にしている身にはちょっと多すぎたかも…。次は一番人気のチャーシューカレーM(280g)に目玉焼きをトッピングしていただきたいです。とても美味しかったです。ごちそうさまでした♪ 
あまり無理をなされずお体には十分気をつけて、これからもずっと多くの人においしいカレーを提供していただけると嬉しいです。ありがとうございました。また近いうちにお伺いさせていただきます。

 

 

クミン(食べログ)
名古屋市中区千代田3

 

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あらすじ
〈年齢・性別ともに不問〉。離婚届に捺印した日、「ちぐさ台団地」の掲示板でそう書かれたメンバー募集の貼り紙を目にし、40歳の洋子は草野球チーム「ちぐさ台カープ」に入ることを決める。 チームメートは、故郷に要介護の親を抱えるキャプテン、かつての甲子園球児、チームの創立者で「カントク」と呼ばれる老人。洋子の中学生の娘も巻き込みながら、草野球チームを通して仕事や家庭でそれぞれの事情を抱える「ふつうの人々」の人生を鮮やかに描ききった傑作長編小説。

 

ひと言
500ページ弱の重松作品です。親子を書かせたら右に出る者がいないけれど、重松さんが書く野球もほんとうにいいなぁと思いながら読ませてもらいました。広島カープの黎明期のことも、重松さんのカープ愛もよく伝わってきて、1975年の広島初優勝を描いた小説『赤ヘル1975』も今度読んでみようと思いました。

 

 

監督は手の甲を将大に向けて指を立てた。右手の五本と、左手が三本 ―― 都大会の初戦で負けた年だった。 「八年もあるんだ、一勝もさせてやれなかった年が。それはつらいぞ、監督として、ほんとにつらくてな、三年生に申し訳なくてなあ …… だから、そいつらのことはいまでも忘れてない、忘れちゃだめなんだよ、絶対に。監督には来年があっても、選手には今年しかないんだから」 将大は黙ってうなずいた。監督ぱ愚痴をこぼしている感じではないし、まだ酔っているようにも見えない。ただ、なぜこんなことを話すのかが、わからない。 監督はビールをまた将大のコップに注ぎ、「不思議だよなあ………」とひとりごちるように言ったきり、しばらく黙り込んだ。 「なにが、ですか?」 将大がうながすと、「不思議っていうか、悲しいよなあ」と苦笑する。「だって、そうだろ? 野球でもサッカーでもラグビーでも、バスケでもバレーでも、高校生のスポーツはみんなトーナメントだ。プロや大学はリーグ戦で勝ったり負けたりできるのに、高校生だけ、一回負けたらおしまいなんだぞ」 言われてみれば、確かにそうだった。 「おまえも大学を卒業したんだからわかると思うけど、人生なんてリーグ戦だよ。勝ったり負けたりして、そりゃあ順位はつくかもしれないけどな、一回負けたら終わるなんて、そんな人生はないんだ、どこにも」 「……はい」 「最近よく思うんだ、じゃあなんで高校生にトーナメントを戦わせるんだ、って。俺はな、ずうっと、選手に勝ちつづけさせたくて監督をやってきたんだけど、最近はちょっと違うんだ、考えてることが。ひょっとしたらな、高野連とか文部科学省とか、そんなセコい話じゃなくて、もっと大きな …… 神さまみたいなのが、おまえらに教えてくれてるんじゃないか、って」 負けることを――。 負ける悔しさや悲しさを ――。 高校を出てからの、長い人生のために ――。 「だからな、俺はいま思うんだよ、ちゃんと負けさせてやるために、一度だけでも勝たせてやらなきゃいけない、ってな」 うん、うん、と監督は自分の言葉にうなずきながら、通りかかった店員を呼び止めて、日本酒を注文した。
(イニング8)

 

 

一つの家族が壊れるというのは、そういうことだった。洋子は形だけ笑って相槌を打ちながら、胸の奥にある苦いものをそっと噛みしめた。 封印しなければならない過去ができてしまう。子どもの思い出話のいくつかは、もう取り出せなくなってしまう。 英明と離婚したあと、洋子が真っ先にしたのは、アルバムの整理だった。新しいアルバムを買ってきて、いままでのアルバムに貼ってあった写真から英明が写っていないものをピックアップして、貼り替えていった。子どもじみた意地悪でそうしたわけではなかった。過去を切り捨てることで、先に進む力を得たかった。もうあの頃には戻れないんだ、と自分に言い聞かせることで、だからこれからがんばるんだ、と ―― 決して現実にはできない「自分で自分の背中を押す」手助けにしたかった。 それでも、おしゃべりをつづける香織を見ていて、いま、思う。決して後戻りすることのできない人生というのは、窮屈なものかもしれない。背水の陣はキツい。たまには一歩下がって水に濡れてしまうのだって、ほんとうは、「あり」でいいのに。……。……。アルバムから剝がした英明の写真は、クッキーの空き箱にまとめて入れて整理棚の奥にしまってある。今度、そこから何枚か、英明の写りがいいものを選んで、新しいアルバムに『あの頃コーナー』をつくってみよう、と決めた。
(イニング10)

 

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今日のお昼は「やっぱりステーキ 大須まねき猫前店」へ。今年の6月末にオープンした新しいお店です。近くに大須仁王門通店(今年2月オープン)もあり、沖縄発祥のステーキ店ですが、今、飛ぶ鳥を落とす勢いのお店です。赤身ステーキ200g スープ・サラダ・ご飯は自由(1000円)をいただきます。
や、柔らかい! このお値段のお肉でこの柔らかさは特筆ものです。ソースもテーブルの上に沖縄のA1ソースを始め、オーロラ、ワサビ、ニンニクと色々な味を楽しめるのもグッド!是非 他の部位のお肉も試してみたいです。ごちそうさまでした♪

 

 

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師匠ともう一軒はしごでこちらも前から行きたかったイオンモールナゴヤドーム前店の1Fにある「パンの田島+ドトール」へ。こちらでも2種類食べたいので切ってもらえますか?と聞くとOKとのことなので、からあげ(378円)とつぶあんきなこ(259円)をシェアしていただきます。柔らかくてコッペパンに具材もよくマッチしてとても美味しいです。牛乳ビンに入った紅茶ミルク(324円)もグッド!おまけにフライドポテトまでついてきて大満足。ごちそうさまでした♪

 

パンの田島+ドトール(食べログ)
名古屋市東区矢田南4 イオンモールナゴヤドーム前 1F