住宅振興課(?)みたいな名前だったと思う……。




私はさっきと同じように




「すみません」




と、声をかけた。




「はーい、どんなご用件ですか?」




ここで対応してくれたのは、年配の、これまた感じの良い女性だった。




「市営住宅についてお伺いしたくて…」




私が言うと、




「あ~、市営住宅についてはここではないんですよ…住宅供給公社というのがあって、そちらになってしまうんです」




と、地図を手渡してくれた。




「あ……そうなんですか……」




少し戸惑った私に、その人は




「こちらでわかることならお答えいたしますよ。」




と声をかけてくれた。




私は、随時入居できるのか、子供の学区内での住宅に入居できるのか、これから離婚をするのだけど、申し込み時にまだ離婚が成立していないかもしれない、と聞いた。




その人は、市営住宅は募集期間があり、その期間でなければ申し込みができないこと。




入居住宅は希望区は選べるが、学区までは選ぶことができないこと。




申し込み時に婚姻状態であっても、入居時に離婚が成立していれば母子家庭として入居できること。




それらを丁寧に教えてくれた。




私はこんな状況になって、初めて世間の暖かい部分を知った。




今まで、人間の汚い所冷たい所ばかりを見てきた。




今までの私が、人の暖かい部分に気付かなかっただけなのかもしれないが…。




「世の中なんてそんなもん」と、自分の中でそう思っていた。




だけど、友達や同僚が私のことを気にかけてくれている。




そして、今日のように親切丁寧に色々教えてくれる人もいる。




(頑張れ!母子家庭!)




私は意地とかじゃなく、とても穏やかな気持ちでそう思った。




そしてその人にお礼を言い、彩花の小さな手を握って、区役所を出た。



これから始まる三人の子供達と私の生活に、不安が無いわけではない。




だけど、まだ見ぬ壁を不安に思っていても仕方ない。



壁にぶち当たったら、一つずつ乗り越えればいい。




進むしかない。




次の入居申し込み時期まで、あと半年。




まだ大好きだけど、別れると決めたトシと、あと半年。




私のように、好きなのに別れることが決まっている人と暮らすのと、




浅〇とトシのように、好きなのに自由に会えないのと、




一体、どっちが辛いんだろう……。
私は、トシと別れる決意をした。




しかし………




「直ぐに」という訳にはいかない………




帰る実家もなければ、まとまったお金もない………。




私一人ならなんとかなるけど………




三人の子供を抱えて、後先考えずに飛び出すことはできない………




それにつまらない財産分与で揉めたくない。




子供達がいてくれれば、それだけでいい………




トシを好きなまま別れたい………




(準備を整えてから……。子供達もできれば転校なんてさせたくないし……。今話題の離活ガーンだな……)




まずはお金………




これから母子家庭になるのに、借金はしたくない。




手元にあるのは……およそ100万……。




家を借りて、必要最低限の家具を揃えて……




それから……車………




やっすい中古で探すとしても………




………100万なんてすぐ終わっちゃう………




……………




…………母子家庭




結局、母親と同じ道…………




ううん!私はあの人とは違う!!




結菜達を捨てたりしない。




こんなに愛しい子供達の手を離すことなんてできない。




これから先、あの子達を守れるのは私だけ。




しっかりしなくちゃ。




そーいえば、県営とか市営住宅ってどうよ?




下手に民間で借りるより、安いはず。




確か、片親の家庭は優先順位が上の方だ。




(区役所行って詳しく聞いてこよ……。離婚届も貰ってこなくちゃ。)




私の心は離婚の準備に向かって動き始めた。




休みの日、私は彩花を連れて区役所へ向かった。




まず、市民課。




彩花の手を引いて、私は窓口へ向かった。




一番手前にいた、ちょっと年配の男の人に声をかけた。




「すいません」




その人はすぐに私の前へきて




「ご用件は?」




と、優しく聞いた。




私はハッキリとした口調で言った。




「離婚届をいただきたいのですが」




その人は、私の言葉を聞くと、




「ちょっとお待ちくださいね」




と、さっきよりももっと優しく言った。




そして必要な書類をまとめ、記入の仕方、揃える書類等、とても丁寧に教えてくれた。




私はその人の対応を




(こんなふうになる前は、トシも優しかったな……)




と、ぼんやりしながら見ていた。





しかし、書類の入った封筒を手渡されると




(ぼーっとしてる場合じゃないよ……汗




と、正気に戻った。




(次は………市営住宅)




私は離婚届の入った封筒を手に、次の窓口へ向かった。
それから私は、トシのために自分にできることを、思い付く限り精一杯やった。




トシのお弁当に「いつもお疲れ様」「いつもありがとう」と、一言書いたカードを入れるようにした。




いつも溜め気味だったワイシャツに、こまめにアイロンをかけるようにした。




夕食も、トシの帰りを待つようにした。




週末の買い物は午後、トシと一緒に行くようにした。




そして何より、




トシの話をちゃんと聞くようにした。




私が変わることで、家の中の空気が変わってきたように感じた。




トシとの会話が増えて、




笑顔が増えて、




今までの家族の姿に戻り始めていた。




少なくとも、




私はそう感じていた……。



だけど………




私は取り戻せそうな幸せを感じながらも、




時々思い出したように不安に襲われていた……。




突然心拍数があがり、息苦しさを感じたり、




急な不安感が込み上げてきたり、




何かにとりつかれたように悲しくなったり……。




そんな日は、「駄目だ」とわかっていながら




トシの携帯や通勤かばんの中をチェックした。




私は、トシの携帯や通勤かばんの中に安心感を求めた。




「女の影はない」




それを確認することで、自分に纏わり付く『不安』を振り払った。




そんな日々がしばらく続いたある日、




トシの定期入に、キティちゃんのシールが貼られているのを見つけた……。




そう………




前にも貼ってあった……




(あの時、確かに剥がしたのに……)




薄れ始めていたあの時の思いが込み上げてくる………




(またここに貼ってあるってことは……まだ会ってるんだ……)




私はまた、あの時と同じようにシールを剥がした。




(やっぱり、もう駄目なんだ……)




漠然とそう思った………




だけど、人間ってスゴイ………




トシの浮気が発覚した当時は、あんなに怒り狂って、自分の感情がコントロールできなくて………




どうしようもなくなったのに………




二度目になると、怒りも悲しみもなく………




ただ………




落胆………




あの時と同じ思いをしないようにと、脳みそが私の心にバリアを張ったみたい………




同じ苦しみを感じないように………自分があの時以上に辛くならないように………




トシの裏切りがこれ以上心に突き刺さらないようにと、壁ができているのを感じた………




そして、この時私は、トシと別れる決意をした。