奄美 住用 西仲間 川内 人々 感謝 | 山と花と旅 Japan Alpine Flowersのブログ

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奄美大島に魅せられて

忘れ得ぬ奄美市2008年当時の住用総合支所の皆様方

住用総合支所長

メールで返信したくれた方

宿泊先まで迎えに来てくれた方

西仲間の名家のご夫妻 見知らぬ私を奄美山海のご馳走で歓待してくださいました。
 この日の日の出は名瀬で6時27分。日の入は18時33分。7時頃までベッドに入っていた。空模様が怪しい。突風が吹いた。旅と山野行に体調は重要。菓子パン、ヨモギモチ、タケノコ、タンカン。残っていた最後のおにぎりを1つ食べた。恩勝で分けていただいた食糧をまだ食べている。無理を言ってあのとき分けていただいて、よかった。8時40分にバンガローを出発。雨だった。昨夕の男の方が迎えに来てくれていた。後をついて走行した。西仲間の奄美市住用総合支所の支所長室。恐縮した。支所長さん手作りの「住用町紹介マップ」をいただいた。実にありがたい資料だった。心温まる返信メールは、行政トップの意向を踏まえてのことだったのかな。支所長さんが撮影した「イルカンダ(ウジルカンダ)A4版の写真」もいただいた。イルカンダの特徴をとらえた鮮明な写真だった。西仲間のアマミセイシカを3箇所案内していただいた。背丈より大きいアマミセイシカ。咲いていた。ツツジのような、シャクナゲのような、一重のサザンカのような、百合のような、アマミセイシカの花。花びらは朱鷺色。白い花びらのアマミセイシカの株もあった。天使のようなアマミセイシカ。南の島の雨に濡れて、ひときわ美しかった。

奄美の名家 3番めに案内していただいたお宅は名家。みごとな庭園。客間に招き入れられた。ご主人は支所長さんの同級生。柔道をされていた。床柱は太い無垢の槇。なげし付近が丸みを帯びた格天井。自家製の蓬餅。風味があっておいしい。パパイヤの漬け物。砂糖黍のざらめがついたチマキ。水飴色のなんともいえない色あい。清流の手長海老。喜界島の黒砂糖。奥様が陶器や漆器に載せて並べてくれた。びっくりした。これぞ奄美大島の珍味。胸にこみあげるものがあった。

奄美市 住用町 2度めの訪問 2009年4月26日4月30日
2009年3月24日 西表島大原港から石垣島石垣港へ

 2009年3月22日から24日まで、西表島に滞在しました。マリユドゥーの滝、カンピレーの滝のセイシカ、カヤックによる浦内川とその支流のセイシカ探訪、古見岳山腹のセイシカ、ユツン渓谷のセイシカ。3日間ともエコツアーガイドの方に案内してもらいました。24日は雨まじり。風も吹いていました。上原港は欠航です。「トイトイディスカバリーツァー」のエコツアーガイドの方は、大原港まで送ってくれました。大原港からの船は、来るときに高速船から見た客船でした。「まつやさんですか。今、石垣港にいます。一人ですが、今日、宿泊できますでしょうか。」「宿泊できますよ。素泊まりで3千円です。」「スカイレンタカーですか。明日の2時頃まで、またお願いしたいのですが・・・。」スカイレンタカーの係員が、石垣港まで迎えに来てくれました。翌日の25日は野底岳に行きました。
2009年3月26日 石垣空港から那覇空港に
 3月26日(木)は晴れ。予約しておいた飛行機は二つとも予定通り飛びました。ほっとしました。26日の朝「たまき荘」のご主人が石垣空港まで送ってくれました。私の本2冊を受け取っていただきました。8時50分発ジェット航空機NU600便は8時50分に石垣空港を離陸。大海原の上空を飛行し、9時40分に那覇空港に着陸しました。
那覇空港から奄美空港へ 先得割引無しなるほどの料金
 石垣島から奄美大島に飛ぶには、沖縄本島の那覇空港で乗り継がなければなりません。今度の旅では、5回、航空機に乗ります。那覇空港から奄美空港への航空料金は2万円余で、先得割引がありませんでした。どうしてだろうと思っていました。11時10分発 「琉球エアコミューターNU853便」に搭乗して、その理由がわかりました。「定員39人。搭乗者大人11人。子ども5人。」乗客16人では割引は難しい、と納得しました。高度5,200M。時速540KM。快晴の青空を50分飛行し、12時10分に奄美空港に着陸しました。奄美空港にはレンタカー会社の係員が迎えに来てくれました。

表敬訪問
 奄美大島の北部は平地です。竜郷奄美空港線で南の山地帯に向かいました。明神崎。神の子海岸。「赤尾木」から奄美大島の幹線道路58号線を走行します。「なつかしいなあ。」奄美大島には1度しか来たことがないのに、親しみと郷愁を感じました。奄美大島には、人々の生活の中にも、人々の心の中にも、奥深い自然の中にも、「日本の原風景」が息づいているからかもしれません。屋入トンネル。中勝川。名瀬市。海と山の風景が広がります。今度の旅に出発する前に、奄美大島から茨城まで、自作のDVDを送付してくれた方がいます。「奄美大島」「奄美大島の植物と山・奄美の辺境・海と島・浜遊び・奄美の植物・奄美の
ハブ・パッションフルーツ」「諸鈍シバヤ・秋の奄美大島」「やちゃ坊岩屋」「どんぐりの森植樹」「霧島の自然」「笠の原の歴史・韓国苗代萩塚」のDVDです。視聴して心がかきたてられました。私が旅に出て知りたいと願っていたもの以上が、これらのDVDに、芸術性高く簡潔に表現されていたのです。
 前回の旅で「奄美大島住用に生まれ奄美の海と川と山で育ち奄美市の振興に多方面で貢献されてきた方」が、私をタンギョの滝やフナンギョの滝に案内してくれました。この方の紹介で、一度も面識のない私に、学術的で香り高いDVDや奄美大島の地理全般に渡る最新資料を送ってきてくれたのです。

 名瀬市の官公庁で、この方に表敬訪問をさせていただきました。多忙であるはずなのに、温かく迎えてくれました。心から感謝の気持ちを伝えました。
 この方から紹介された古本屋に立ち寄り、前橋松造「奄美の森に生きた人」を購入しました。東洋文庫・平凡社の「南島雑話Ⅰ・Ⅱ」は無かったので、帰路、奄美空港で購入しました。
内海公園バンガロー
 朝戸トンネル。和瀬漁港。内海湾。58号線を走行して、「
内海公園バンガロー」に着きました。「黒潮の森マングローブ道の駅奄美大島住用のアマミセイシカが咲いていますよ。」内海公園バンガローを管理しているご夫妻は、昨年と同じように、温かく迎えてくれました。昨年奄美大島を訪ねる前に、私の問い合わせに、丁寧に返信を繰り返してくれた方も立ち寄ってくれました。
 その夜、「奄美大島農林水産の振興に貢献され奄美のGPS林道測量資料・地理・自然・歴史・民俗に造詣が深い方」「奄美大島の森林保存に尽力し固有種・絶滅危惧種の保護に貢献されてきた」「奄美大島住用に生まれ奄美の海と川と山で育ち奄美市の振興に多方面で貢献されてきた方」「奄美大島の貴重な植物の写真などを新聞に掲載している女性の方」が訪ねてきてくれました。
 昨年住用見里のあるお宅を訪ねたとき山海のご馳走を出してくれた同じ方が、海の幸や奄美料理を用意してくれていました。すごくおいしかったです。「日本にはこんなにお料理の得意な方がいるんですね。」「奄美の女はみんな料理が得意なんだよ。」川内に住んでいる方が言いました。28日(土)に、湯湾岳の山腹を案内していただけることになりました。

2009年3月27日 タンギョの滝
 2009年3月27日にも、タンギョの滝が見えるところまで行ってみました。昨年のように、縦一筋に美しくは見えませんでした。樹木が生い茂ってしまったせいでしょうか。斜面にある細い林道の谷川の高いところが崩落してしまったせいでしょうか。タンギョの滝が見える谷側の高いところを見逃してしまったせいでしょうか。住用川を遡って行きたいとも思いましたが、単独では危険なのであきらめました。
2009年3月26日 道の駅奄美住用マングローブパーク
 「道の駅奄美住用マングローブパーク」に行ってみました。昨年3月17日に行ったときには蕾でした。今年は早く咲き始めて、少しだけ咲き残っていました。住用川の河口付近を撮影しました。この川を遡ってみたいなあ。上流を遡ることができたとき、はたしてどんな動植物を見ることができるのでしょうか。変化に富んだ渓谷の急な地形とハブのために遡るのは無理のようです。
2009年3月27日 三太郎峠
 「三太郎峠」。なぜか心に残る響きのある言葉です。奄美大島についてほとんどなにも知らなかったとき、「アマミセイシカ」とはいったいどんな花なのだろうか。アマミセイシカのある「住用」とはいったいどんなところなのだろうか。好奇心が芽生えて、本やホームページを見るようになりました。「三太郎峠を越えると・・・。」「三太郎トンネルを抜けると・・・」「三太郎峠近くにイッペイの花が咲いていました。」などの記述がありました。2008年にタンギョの滝が見えるところまで案内してくれた川内に住んでいる方の知人の方から、パソコンのメールなどを通して、いろんなことを教えていただきました。「奄美大島農林水産の振興に貢献され奄美のGPS林道測量・地理・自然・歴史・民俗に造詣が深い方」です。現在は鹿屋市在住です。この方からのメールの一つです。

( 先日の「三太郎古道歩こう会」で配られた完歩賞の裏に次の紹介がありました。
「三太郎峠の由来
 三太郎峠とは,畠中三太郎の名に,基づいて寸けられた地である。
 三太郎こと畠中三太郎は,安政5年(1858年)薩摩半島の川辺郷田部田村に生まれる。明治22年(1889年)各郡役所に農業技手の配置が始まり,これを契機に当時,三十代だった三太郎は農業指導員として奄美大島に来島,後に住用戸長役場に雇われて西仲間に住み,お茶栽培などの指導に奔走する。41歳になった明治32年(1899年),三太郎峠の山林を入手,妻(シゲ)とともに開墾をはじめたのである。峠への山道は,江戸時代のフルミチに代わって,明治20年代に住民の手でシンミチが作られ人々を結んでいた。更に大正6年(1917年)新たな県道が完成し,次第に乗合自動車の時代へと移っていくのだが、三太郎夫婦はこの土也を離れることがなかった。昭和7年(1932年)7月,三太郎が到れ9月には後を追うように妻(シゲ)が鬼籍に入る。三太郎75歳,シゲ76歳であった。二人の墓は峠からも見下ろせる城の内海の入口にある墓所であった。だが昭和14年(1939年),台風が海へと流してしまっ
た。 このように三太郎の生涯が明らかになったのは,前橋松造著 『奄美の森に生きた人』(平成13年刊)によってである。同書の結びには流された墓所を前にした老女の言葉が紹介されている。「ノーギヌイジタ。カケハシバワタティ,チジチモドタンダロヤー。(虹が出た。かけ橋を渡って,峠に帰っただろうね。)」そして今,ここに立つ私たちは峠を吹く風とともに三太郎夫婦を想いながら,森のしずくと海のかけらをそっと手に入れることができるのです。 
参考文献  前橋松造「奄美の森に生きた人」より」
○ 三太郎峠旧道はトラックも通れる舗装道路でした。
○ (三太郎峠旧道の一つの入り口) 内海湾近く川内川河口付近で58号線から曲がり山の方に通じる舗装道路に入ります。すぐに東城小中学校があります。この舗装道路が三太郎峠旧道なのかなと思いました。「東仲間」付近を右に左に曲がりながら登坂していきます。小さな渓流や小滝が幾つもあります
。三太郎峠の高いところから奄美の原生林の中に「赤みを帯びた木」が遠望できます。花の咲いたアマミセイシカです。アマミセイシカは奄美大島の原生林や民有林に広く散在しているようです。
○ (三太郎峠旧道のもう一つの入り口) やがて下りになります。右に左に曲がりながら下って行きます。「西仲間」の「奄美市住用総合支所」で、58号線に合流します。雰囲気のある峠道でした。
2009年3月27日 スタルマタ林道(スタル俣林道)
 「スタルマタ林道」。心惹かれる謎めいた林道の名前です。NK氏からの情報もあり、走行できそうなので、行ってみたいと願うようになりました。内海湾近くで山側に曲がり、川内川に沿って走行しました。すぐに東城小中学校があります。この舗装道路を右に左に曲がりながら登坂していきます。三太郎峠の最高地点付近に右折できる林道がありました。「スタルマタ林道」でした。標高は400Mを少し超える程度のようです。走行してみました。奄美大島の中央付近。原生林の中の林道です。舗装してありました。林道脇のさらに細い林道に停車している車がありました。「マングースの駆除をしています。5年前から始めています。だいぶ減ってきました。ケナガネズミが増えて
きています。スタルマタ林道のそこここにアマミノクロウサギの糞がありますよ。」優しいまなざしで温かく説明してくれました。「三太郎茶屋跡地」がありました。「民俗学者の柳田國男」がこの地まで訪ねてきて、「三太郎とやりとりした会話」などが記されていました。スタルマタ林道からも、「赤みを帯びた木」が遠望できました。花の咲いたアマミセイシカのようです。アマミセイシカは神屋原生林から湯湾岳山麓一帯にかけて、広く散在しているようです。さらに走行すると三叉路がありました。舗装されていません。「奄美中央林道」のようです。右折すると、金作原原生林や名瀬市に行けるようです。左折すると、宇検村に行けるようです。この奄美中央林道は舗装されていません。ここで昼食をとることにしました。ここから引き返すことにしました。奄美大島の山深いところの全体像がなんとなくわかってきた感じです。「丸山旅館」のお弁当を食べました。奄美大島産の食材のまごころお弁当でした。よもぎ餅もありました。あたりにはアマミノクロウサギの糞がたくさんありました。
丸山旅館 2009年3月27日28日と、丸山旅館に2泊しました。奄美市住用の役勝にあります。山の中です。「前は工事の人でいっぱいでした。」奥に長い建物で部屋数はたくさんあります。2泊しましたが、宿泊客は私一人でした。刺身。蟹。薩摩揚。山芋。納豆。海苔。温かいご飯と温かいみそ汁。遠来の客に温かく接してくれました。温厚な男の方がいました。「私は徳之島生まれです。ここの親戚です。鹿児島で学生寮をやっています。ラサール高校生を預かっています。巣立っていった生徒たちが一流大学を卒業し各界で活躍しています。生き甲斐がありますよ。私が子どもの頃は、徳之島のあちこちにオオシロショウジョウバカマがありましたよ。」親戚の小学生なのでしょうか、春休みで泊まりに来ている女の子もいました。「明日は7時前に朝食をとりたいのですが。お弁当もお願いします。」「いいですよ。」翌朝6時には私の朝食が机の上にありました。畳みの細長い食事部屋の机の上に、自家製の蓬餅が並べてありました。海の幸や山の幸を食材にして自分たちで作っています。原材料は、餅米、ヨモギ、黒砂糖、水飴。サネン葉でくるんであります。絶妙な甘さと風味。身近にあるものを伝承してきた知恵でおいしく健康にいいものにして生活しています。こんなところにも、奄美大島の人々の生活の中に、「日本の原風景」が息づいていると感じました。「また来るんだよ。」別れ際に民宿の方が言いました。
1度めの訪問
奄美群島国定公園 特別保護区域  Photo 2008 3 18 19
奄美大島 奄美市 住用町 住用川 川内川 2008年3月
アマミセイシカ タンギョの滝 フナンギョの滝 内海公園バンガロー マングローブパーク
Japan Amamioshima Sumiyo-Town Sumiyo-River Kawauchi-River     
マングローブパーク
 午後2時頃、役勝まで走行してきた。やくがちと言っているようだ。民宿の方はやんがちと言っていた。奄美の山々の中に、小さな集落があった。明日18日に予約してある民宿を確かめた。「道の駅奄美住用マングローブパーク」に向かった。内海湾に出た。2時30分頃、黒潮の森マングローブパークに着いた。観光遊覧船貸しボート、カヌーツーリングなどができる。観光バスが来ていた。「アマミセイシカの木があると聞いて、茨城県から来ました。どこにあるんでしょうか。フロントの若い女性が玄関の前のアマミセイシカまで案内してくれた。高さは数メートル。花は咲いていなかった。幹に触った。アマミセイシカ。やっと出会えた。撮影していると、メールのやりとりをしてくれた方が出てきてくれた。「メールでの返信、ありがとうございました。しっかりした幹。つぼみが幾つかありますね。初めてアマミセイシカを見ました。はるばると来た甲斐がありました。今日の宿は決まっていないんです。公衆電話がありますか。内海公園バンガローに電話してお願いしてみたいんですが。」その方が内海公園バンガローに電話をしてくれた。「だいじょうぶです。宿泊できます。」ほっとした。ありがたかった。

川内川
 まだ、3時。川内川付近に行ってみよう。三太郎トンネルを越えた。川内川沿いに上流に向かった。一車線くらいの道路になった。舗装道路から砂利道の道路になった。ブルドーザーで道路工事が行われていた。その手前の草地に駐車した。ゴ-ゴ-と音がした。川内川に下りた。上流に見える大きな堰を流れ落ちる川内川の水の音なのだろうか。狭い河原を上流に向かって歩いてみた。ところどころ川の中を歩いた。登山靴の中に水が入ってきた。童心にかえれて楽しくなった。渓流魚が泳いでいた。おめあての花は無かった。車に戻った。実は駐車したところから山の方を遠望すれば、そこからフナンギョの滝は見えたのだ。ゴ-ゴ-という音はフナンギョの滝の音だったのかもしれない。そのときは気づかなかった。
わだつみ館
 わだつみ館に行った。「奄美の絶滅危惧植物」と「奄美の野生蘭」を購入した。カウンターで紅茶を飲んだ。奄美大島に来てはじめての温かい飲み物だった。「茨城の方ですか。」上品な方だった。「温かい電話の応対をしてくださり、ありがとうございました。今日は内海公園バンガローに泊まり、明日は役勝の民宿に泊まります。」「お買い求めになった本に、山下弘の学名がついた植物が複数載っていますよ。」その方からキヌランのことなどを聞いた。わだつみ館の大窓から内海湾が見えた。野鳥の餌台にメジロが来ていた。イソヒヨドリも飛んできた。カウンターの隣の座席に座っていた方からタンカンをいただいた。
内海公園バンガロー
内海公園バンガロー ~ フナンギョの滝 約5KM 近くまで小型車で行ける。  
内海公園バンガロー
 ~ 神屋バス停 約5KM ~ 舗装道路 約1KM ~ 右方向に上がる細い林道(原則徒歩・安全確保・自然保護) ~ タンギョの滝が見える所まで 約2KM  合計約8KM
 奄美大島に来る前から想定した以上に、行程は順調にきている。早めの夕食をとって、眠ろう。西仲間付近の国道を行ったり来たりした。レストランなどが少ない上に、月曜日で休みだったり、5時過ぎてしまっていたり。摺勝の物産品販売所「サン奄美」で、菓子パンとよもぎもちを買った。6時頃、内海公園バンガローに行った。内海湾の沖あいで、魚がしきりに跳ねていた。受付の若い女の方は温かく応対してくれた。宿泊するバンガロー近くに駐車した。男の方が出てきて、話しかけてくれた。「この木はさがりばなの木です。」「沖縄本島や石垣島などには大きな松はありませんでした。奄美大島には大きな松があちこちにありました。男松とか赤松とかですか。」「リュウキュウマツですよ。」旅先でのこのようなやりとりはうれしいものである。
 2階建てのバンガロー。2階にベッドが四つあった。風呂に入った。いい気持ち。出てきて下着でいた。コンコン。「こんばんは。」男の方が訪ねてきてくれた。「明日住用支所に来てください。支所長が待っていますよ。」びっくりした。「裏口からそっと入って、なんどもメールを返信してくれた方に、お礼のあいさつをしようかどうか迷っていたんです。」「伺います。9時ちょっと前でいいでしょうか。」その方の携帯電話に、だれかが電話をかけてきた。親しげに話し始めた。温かい響きの言葉が続いた。ほとんどわからなかった。「バラフエダイを釣った話
をしていたんですよ。」南の島に来たんだなあ。旅心が深まった。その方が帰った後、菓子パンを食べた。ヨモギモチを食べた。絶妙な甘さと風味。真空パックになっていて、開封しなければ日持ちがするらしい。おにぎりを一つ食べた。恩勝の佃煮ふうタケノコを食べた。タンカンを3つ食べた。タンカンの果汁が口いっぱいに広がり、食道をおりていった。元気がよみがえった。熟睡した。ときどき目を覚ました。風の音。雨の音。明日の空模様が気になった。
3月18日(火)午後 西仲間
 この日の日の出は名瀬で6時27分。日の入は18時33分。7時頃までベッドに入っていた。空模様が怪しい。突風が吹いた。旅と山野行に体調は重要。菓子パン、ヨモギモチ、タケノコ、タンカン。残っていた最後のおにぎりを一つ食べた。恩勝で分けていただいた食糧をまだ食べている。無理を言ってあのとき分けていただいて、よかった。
 8時40分にバンガローを出発した。雨だった。昨夕の男の方が迎えに来てくれていた。後をついて走行した。西仲間の奄美市住用総合支所の支所長室。恐縮した。支所長さん手作りの「住
用町紹介マップ」をいただいた。実にありがたい資料だった。心温まる返信メールは、行政トップの意向を踏まえてのことだったのかな。支所長さんが撮影した「イルカンダ(ウジルカンダ)A4版の写真」もいただいた。イルカンダの特徴をとらえた鮮明な写真だった。
 西仲間のアマミセイシカを3箇所案内してい
ただいた。背丈より大きいアマミセイシカ。咲いていた。ツツジのような、シャクナゲのような、一重のサザンカのような、百合のような、アマミセイシカの花。花びらは朱鷺色。白い花びらのアマミセイシカの株もあった。天使のようなアマミセイシカ。南の島の雨に濡れて、ひときわ美しかった。


奄美の名家
 3番めに案内していただいたお宅は名家。みごとな庭園。客間に招き入れられた。ご主人は支所長さんの同級生。柔道をされていた。床柱は太い無垢の槇。なげし付近が丸みを帯びた格天井。自家製の蓬餅。風味があっておいしい。パパイヤの漬け物。砂糖黍のざらめがついたチマキ。水飴色のなんともいえない色あい。清流の手長海老。喜界島の黒砂糖。奥様が陶器や漆器に載せて並べてくれた。びっくりした。これぞ奄美大島の珍味。胸にこみあげるものがあった。
タンギョの滝 落差100M前後(推測) (安全確保・自然保護)
 雨は降り続いていた。なのに川内に住んでいる方は、神屋原生林を案内してくれた。神屋林木遺伝資源保存林として保護されている。ヤクガチョボシ岳(役勝烏帽子岳)から住用川上流一帯の亜熱帯性天然照葉樹林である。アマミノクロウサギ、オオトラツグミ、オーストンオオアカゲラなどが生息している。住用川が谷となっている細い道を進んだ。傾斜のある斜面から水が流れ落ちていた。小さな滝だった。「沐浴をする聖なる滝です。ユタは奄美の神。ノロは沖縄の神です。」さらに細い林道を進んだ。谷がわの小高いところに案内してくれた。タンギョの滝が見えた。落差100M前後であろう雄壮な滝。白南風が吹き渡り雨がしぶきとなって降りしきる谷の彼方に、タンギョの滝が見える。幽玄の世界にいると実感した。日本の自然は奥深い。「この辺にはキスジボタルやアマミノクロウサギが生息しています。」はるばると来た甲斐があった。奄美の名瀑だった。斜面の苔に小さい白い花。川内の方がわだつみ館の山下さんから聞いて、後で「アマミイナモリ」と教えてくれた。枝先に白い花をつけていた木があった。これもシマイズセンリョウと教えてくれた。
 風雨の中、斜面に淡い桜色の花をつけた木があった。アマミセイシカだった。タンギョの滝の近くの山の斜面。自生のアマミセイシカ。背丈より高い。複数株あった。アマミセイシカの花は満開だった。夢にまで見た奄美山中、野生のアマミセイシカ。奄美の森の妖精。アマミセイシカ。水滴をいっぱいつけて咲いていた。

フナンギョの滝  
 フナンギョの滝に向かった。「恩勝でおいしいタケノコの煮付けをいただいたんですよ。」「キョチクとマチクが食べられます。キムチ漬けにします。6月から10月にかけて収穫します。リョクチクとシキチクは食べません。」川内集落に入った。自宅に案内してくれた。屋根の高さほどに南国の赤い花が咲いていた。玄関に自作の絵が掲げてあった。自分で釣りあげたヒラアジの魚拓の額があった。「重量18KG。全長110.5CM」と添え書きしてある。川内川に沿って走行した。舗装された一車線の道路は砂利道になった。雨のためか、工事はしていなかった。行き当たりまで行った。「これがフナンギョの滝です。」山の斜面の樹木は風雨のためにざわめいている。横なぐりに雨が降っている。なん段かになってフナンギョの滝は流れ落ちていた。持参したカメラは2台ともレンズが曇ってしまっていた。「滝の向こうにやちゃ坊の岩屋があります。」案内してくれた方も、雨降る山の細い道をさほど気にしていないようだった。私は、むしろ、雨と風の中に五体をゆだね、五感で自然の奥深さに触れていることに、至福を感じていた。どこか自然児ということからは、二人とも、少しやちゃ坊になりかかっていた。摺勝に「木工工芸センター」があった。「こけしふうのアマミノムスメが特産品です。木の人形で瞳まで入れてあります。」
 石抱きガジュマルに行った。「メジロがたくさん集まるんです。小さい頃、この木でよく遊びました。」海岸近くの住用リュキュウマツのアマミビーナス、モダマの木、イルカンダの木のあるところなどに、案内してくれた。「ありがとうございました。」うれしくありがたい気持ちを言い尽くせなかった。
 レンタカーで役勝に戻った。民宿の風呂に入った。「車に忘れ物ですよ。」案内してくれた方が役勝まで届けに来てくれた。二重三重の旅の恩義。民宿の方と旧知の方だった。夕食はカシワ(鶏)のスープ。赤い焼き魚。奄美の煮物。奄美に来て初めてのあったかい食事だった。「役勝の言葉を教えて。」「少女はメラベ。美人はキラムン。美しいはキュウラサ。愛はカナ。いとおしいはキョラネセ。この辺のことを新村というのはね、昔は二軒か三軒だったんだよ。うちはね。大きな家だったんだよ。」古びた箱の中の巻物を見せてくれた。家系図だった。家紋は下がり藤。「子どもはね。一人は医者。それから東京の教員。わたしはね。小さい頃から十七まで、母親と白装束になり、みずのととりの日は、川や小さい滝壺に入ったの。榊を持って、ノロガミ様やミズガミ様を拝んだんだよ。」神屋原生林の中の小さな滝が脳裏によみがえった。
3月19日(水)
 雨はあがった。一人でタンギョの滝が遠望できる細道まで行った。車は下に駐車した。安全確保。自然保護。無舗装の細い林道を歩いた。奄美を体感しながら、ゆっくりと歩いた。黒潮に浮かぶ神々の島。奄美大島でも奥深い神屋天然照葉樹林帯。森と滝と渓流。今日は雨もあがった。風もない。タンギョの滝は谷の彼方になん段にもなって流れ落ちている。南の島の奥深さを堪能した。斜面のアマミセイシカの花。今日は幹も枝も揺れてない。花は静止して優しく咲いていた。ナンゴクネジバナがあった。まだつぼみだった。車に戻り、フナンギョの滝に向かった。昨日とは違って道が広い。どんどん高いところに行く。小さな滝が幾つもあった。右側に一の滝。二の滝。三の滝。左に四の滝。五の滝。峠まで走行してしまった。(翌年もこの道を走行したが、この道路は「三太郎峠の旧道」だった。)戻って昨日の道を探した。川内集落への案内表示があった。川内集落を通って、道路工事の場所まで来た。ここからは歩いても数分。「茨城から来ました。フナンギョの滝を撮影したいんです。歩かせてください。」ヘルメットの工事関係者に言った。「いいですよ。ここから見えるフナンギョの滝も撮ったらどうですか。」前方の山を眺めると、フナンギョの滝が遠望できた。リュウキュウマツと照葉樹とフナンギョの滝。私は2日間に3度、フナンギョの滝に来た。滝壺のところにしばらく身を置いた。さすがに少し疲れてきた。きのうレンズが曇ってしまって撮影できなかった石抱きガジュマル、海岸にあった住用リュキュウマツのアマミビーナス、モダマの木、イルカンダの木があったところへも行くつもりでいた。けだるさと眠さを感じた。仮眠をした後、住用を離れて、奄美空港近くのホテルに向かった。

神屋原生林
「神屋林木遺伝資源保存林」と入力し「検索」すると専門機関によるホームページが閲覧できます。
 奄美市住用町大字神屋にあり、面積は160Ha。標高441Mのヤクカチョボシ岳(山)の北東から住用川一帯に広がる亜熱帯性天然広葉樹林。タンギョの滝があります。この神屋原生林にアマミセイシカが自生しています。アマミノクロウサギなど、世界的に貴重な動植物の宝庫です。
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中央公論社 井上光貞監訳「日本書紀巻第二十六」から抜粋
 斉明天皇三年(657年)の秋七月の丁亥の朔己丑に、とからの国の男二人・女四人が筑紫に漂着し、「私どもは最初海見嶋(あまみのしま)(鹿児島県の奄美大島)に漂着しました。」と言ったので、駅馬に乗せて京に召した。
2008年3月在職時の住用支所長手作りの「住用町紹介マップ」から抜粋
 タンギョの滝 神屋の水力発電所の上流にある滝。タンギョとは方言で滝のことだと思われる。西仲間集落にはイシタンギョという滝が存在している。山間集落にもタンギョと呼ばれる滝が存在している。このことからタンギョとは滝を意味していると推測される。
 フナンギョの滝 川内集落から川内川に沿った道路を1.5KMさか登ったところにある。「船行の滝」「船木を伐りに行くところ」に由来し、フナンギョの滝と言われている。「船木を伐りに行く所の滝」のフナキタンギョがフナンギョになったとの説もある。
娘 美人 役勝の民宿の82歳の方の話 キュウラサ 川内生まれの若い女の方の話 キョムラン 
青年 美男子 役勝の民宿の82歳の方の話 キュウラネセ 川内生まれの若い女の方の話 キョラネセ
 島によって、住んでいる集落によって、年代によって、少しずつ違う。どちらからも魅力的な言葉の響きを感じます。
嘉原カヲリ著「奄美民和館19」より抜粋 アマミコ(女神)シニレコ(男神)
住用マングローブの郷パンフレットより抜粋 
 やちゃ坊の岩屋 島唄にも歌われたやちゃ坊は無法者で神出鬼没。世の掟にしばられない自然児ぶりは、黒糖地獄と呼ばれた奄美の中で、一種愛すべき存在だったようだ。やちゃ坊伝説は各地に残っている。ヤチャとはカワハギのこと。案内してくれた川内に住んでいる方がフナンギョの滝の彼方を指さして「あそこにやちゃ坊の岩屋があります。」と説明してくれた。
 
雨の中、沖縄本島ヤンバルの森を一人で歩いていたら、灌木に白い花が咲いていた。ハブに噛まれないように、細道の真ん中だけを歩いていた。亜熱帯の森の奥。ひそやかに咲く白い花。ツツジかな。シャクナゲかな。サザンカかな。細道から数メートルも離れた亜熱帯の森の奥に咲いている。薄暗い。なんの花かわからない。南方新社、片野田逸朗著「琉球弧野山の花」で調べてみた。この花の図鑑にアマミセイシカの花が掲載されていた。心惹かれる花だった。「98.3.14住用」と添えてあった。沖縄本島にセイシカは自生していないことがわかった。私が見たのは野生のサザンカだったのかもしれない。
 「奄美大島の住用」どんなところなのだろうか。行ってみたい。行けるだろうか。アマミセイシカの花に出会えるだろうか。「住用」とは平成の大合併前の「住用村」のことであり、貴重な動植物をはぐくんできた「住用川」のことであった。
 南の島10島めぐりの旅をしたことがある。ずっと前から西表島に行ってみたかった。美原から由布島に向かう牛車の屋根に「セイシカの花」の歌詞が貼ってあった。ますますセイシカの花を見たくなった。
 奄美大島に行きたい。アマミセイシカを見たい。奄美大島に行く旅費や滞在費を工面しよう。行けたとしても、花期の前後では残念である。なん月なん日に、奄美大島のどこに行けば、アマミセイシカの花が見られるのだろうか。しばらく思案した。奄美大島のなん箇所かにメールで問い合わせてみた。奄美大島観光物産協会やマングローブパークから返信メールをいただいた。奄美市役所住用支所のある方からは懇切丁寧な返信メールをなん度もいただいた。小さな行政機関であっても、メールでの問い合わせの窓を世界に開いている。多忙なはずの公務の中で、心のこもった返信メールで応対する住用支所。黒潮の島の小さな支所は高度情報化社会を駆使し、心豊かな行政を積み重ねている。「旧住用村」「奄美市住用町西仲間」「リュウキュウアユが泳ぎ上流の渓流のどこかにはアマミセイシカが自生しているかもしれない住用川・川内川・役勝川」少しずつ奄美大島のことがわかってきた。
 2008年の1月2月は寒かった。心身とも萎縮した。その間NHKハイビジョンでは、 浜田太さんがアマミノクロウサギを撮影した特集番組を繰り返し放映した。その番組の中で、アマミセイシカの花も放映された。大野隼夫著「奄美の四季と植物考」の一部がインターネットで閲覧できた。住用川上流域についてイメージがふくらんできた。南方新社「奄美の絶滅危惧植物」の著者、山下弘さんは、「わだつみ館」で写真を展示・公開しているようだ。畏れ多かったのだが、山下弘さんにも電話をさせていただき、アマミセイシカの開花時期などについて聞いた。「タンギョの滝」については、Masashi Koizumiさんのサイト記述が参考になった。私のブログのコメントは非公開にしてある。その非公開のコメント欄に、3度ほどコメントを寄せてくださった方がある。奄美大島固有の植物について詳しく知っている方だった。奄美大島の渓流などを歩き、植物を詳しく観察してきたようだ。この方の記述は、私の背中を押してくれた。住用近辺に住んでいるのかなと思ったが、関西在住の方らしい。
 このようなことから、下記の日程で「第1回めの奄美の花旅」が実現しました。

2008年(平成20年)
3月16日(日) 羽田発8:30 奄美空港着11:05 レンタカーで奄美空港発11:30 名瀬市まで1時間 大和村まで1時間 奄美野生生物保護センタ- マテリヤの滝周辺遊歩道徒歩1時間 大和村登山口から湯湾岳登下山1時間 宿泊 フォレストポリス 周辺散策1時間
3月17日(月) 宇検村登山口から湯湾岳登下山3時間 新小勝の滝(アランガチの滝)散策30分 マングローブパーク30分 フナンギョの滝 わだつみ館 宿泊 内海公園バンガロー 3月18日(火)雨 奄美市住用支所 神屋タンギョの滝周辺 フナンギョの滝 住用の貴重な植物が保護されている数か所 宿泊 やんがちの民宿
3月19日(水)曇りときどき晴れ 神屋タンギョの滝 住用川上流 川内川 フナンギョの滝 宿泊 奄美大島ホテルリゾートコーラルパームス
3月20日(木)本茶峠旧道 龍郷町奄美自然観察の森 笠利崎灯台 奄美空港発18:55 羽田空港着20:55 浜松町 秋葉原 つくばエキスプレス 守谷駅 水海道駅 帰宅 3月21日(金)0時30分

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