先日の韓国語教室で、ひょんなことからお墓の話になりました。
日本にも韓国にも、仏教徒がたくさんいますが、同じ仏教でも日本と韓国では考え方が根本的に違うんだということにとても驚きました。
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お寺とお墓
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日本では霊園が併設されているお寺が多くありますが、韓国にはないそうです。
韓国でのお寺の役割は、キリスト教の教会と同じで、説法をして現世に生きる人を救うための活動をする場所であり、亡くなった方々の供養をする場所ではないとのこと。
お墓は各地の霊園にあり、先祖の供養のためにお墓の前でお坊さんにお経を詠んでもらう習慣はないそうです。
日本では亡くなった方の供養を、一周忌、三回忌。。。。。三十三回忌と、決まった年数ごとに
行いますが、韓国にはそういうことはせず、正月と秋夕に「차례」という儀式を行います。
また、命日には祭祀を行います。
このような法事の際には、親戚が集まり、たくさんの料理をご先祖に捧げます。
私の実家の墓は、父が建てました。先祖代々の墓ではありますが、入っているのは母だけです。
お墓はお寺の敷地内にあり、お寺さんが管理してくれています。
ついでに言うと、そのお寺さんは私立高校を経営しており、高校もお墓とお寺に面しています。
その高校では、生徒が悪いことをすると、罰としてお墓の掃除をさせられるので有名でした;
韓国には、そんな高校に子供を入学させる親はいないでしょうね(笑)
お寺の敷地内には納骨堂もあります。そちらにはお骨はないけれど(お骨はお墓に入ってます)小さな仏壇のようなものがあり、お位牌が置いてあります。
お墓参りをするときは、まずお墓にお参りしてから、納骨堂でも手を合わせます。
よく考えるとちょっと不思議ですね。なぜお墓のほかに納骨堂があるんでしょう?
母はお墓と納骨堂、どっちにいるんでしょう?
答えは「どちらにもいない」です。
ではなぜ、お参りをするのか?
ここにまた、韓国と日本の大きな違い「あの世」に対する考え方の差があるのに気が付きました。
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この世に生きる人、あの世で暮らす人
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韓国の仏教徒のお宅には仏壇がありません。
これは本当に大きな違いだと感じたのですが、日本人にとって「死」や「あの世」は自分が感じていた以上に身近なもののようです。
韓国では「あの世」は本当に現世とは切り離されたものであり、家の中に仏壇があるなんて信じられないことだそうです。
亡くなった方は、生きている人への思いを断ち切ってあの世に行くものだし、生きている人は、毎日仏壇で故人に話しかけたりして、この世に縛ってはならない。
もちろん、故人への想いはあるけれど、それよりももっと生きている人間は、この世で精いっぱい自分の生を生きなければならないという想いのほうが強いのだと感じました。
日本の場合、都会では住宅事情から難しくなってきているけれど
田んぼの中に先祖の墓があることも多いし、家に仏壇があるお宅も多いですよね。
仏壇を守り受け継ぐのは長男の義務でもあります。
でも仏壇やお位牌に先祖の魂が直接入っていると思う人は少ないんじゃないでしょうか?
個人的な考え方ですが、先祖はすでにあの世で暮らしており、仏壇やお位牌は亡くなった方に通じる通路のようなもの。でもその通路に出入り口はありません。
だから仏壇に手を合わせて、亡くなった方に話しかけたとしても、あの世の人々をこの世に呼び寄せることも、執着させてしまうこともない。
難しいけど、私の感覚では電話ボックスから留守電にメッセージを送る感じかな?
想いは届くけど、返事が来ることもなく、相見えることなど有り得ない。
実家のお寺さんに、お墓があり、納骨堂もあり、家には仏壇があっても何の違和感も感じないのはお墓にも納骨堂にも仏壇にも母はおらず、ただあの世にいるはずの母へと通じる道が幾通りかあるというだけのことだと思うからでしょうね。
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死への畏れ
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恐れ・畏れ、どちらもあると思うけど、韓国の人々のほうがいづれの感情も日本人より強いと感じました。
日本でも、通夜や葬儀に出席して帰宅したとき、身に塩を振って清める習慣があるわけで、死を穢れと見なしているのかもしれないですね。どちらかというと、神道の考え方だとは思いますが。
韓国ではそれがもっと顕著だなあと感じるのは、まず亡くなった方の姿を見ないようにすること。
ご遺体の前には屏風を立てて、直接目にしないようにするそうです。
お通夜のとき、ご遺体のすぐそばでお線香とろうそくを絶やさないようにする日本とは違い、屏風の前で火の番をするそうです。
韓国の仏教には四十九日の考え方がないのでしょうか?よく分かりません。
亡くなった途端、生前とはあまりにも違って、故人を恐れ(畏れ)る気持ちが強くなる韓国の人がちょっと不思議です。
四十九日かけてあの世へ旅立つ準備を故人と家族が共にする日本の仏教とはかなり違いますね。
また、棺桶の小窓から亡くなった方のお顔を拝見しつつ最期のお別れをするという習慣も、韓国にはないそうです。
とにかく、ご遺体を見るというのはとても怖いこと。
結婚の日取りが決まっている方、妊娠中の方はお葬式には行かないそうです。
死という穢れを受けないためなんでしょうね。
日本人なら、親しかった人であればあるほど、最後に一目見てお別れしたいというのが自然な気持ちなんじゃないでしょうか。
愛おしい人ならば、故人に触れることも当たり前ですが、韓国の方からしたら驚くべき行動に映るのかもしれませんね。
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最後に
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いろいろ書いてみましたが、もちろんどちらがいいとか悪いとかいう話ではありません。
「韓国の人々」、「日本人」という言葉を使いましたが、全ての韓国人、日本人がそれぞれ同じ価値観や感覚で生きているはずがありません。
地方によっても、あるいは細かい宗派によっても様々な慣習があるでしょう。
私が今回とても驚いたことは、無宗教である自分が、こんな風に「死」や「あの世」を捉えていたたことです。
本音を言えば、「あの世」があるとも思っていないくせに、なんでこんな風に感じるんだろうと
自分が不思議でなりませんでした。
でもそれは、私が日本人だから。日本で生まれて今まで暮らす中で自然に培われた感覚があるから。
それは当然、韓国の人々の心にも存在する感覚なわけで、私はそれが知りたくて韓国語を勉強しています。
自分と違うから、理解できないから、と拒絶するのは簡単です。
だけどその違いをきちんと知ることが、相手を尊重する第一歩であると同時に、自分を知ることでもあるのだと気づきました。
違うというのは意味のあること。もっともっと、その違いを知りたくなりました。