まっつんのブログ

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民族楽器演奏家まっつんの居酒屋まっつん3号店。
音楽の事、ライブの情報、旅の事、食の事など、色々載っけていきます。

これは祖母の訃報を受けて富山から岡山に帰る時の話。


富山を出て約1時間、石川の徳光サービスエリアで昼ごはん。

そして、徳光を出て高速道路に合流した時に、妙な振動を感じましたが、この時はスルー。

舞鶴若狭道でもイヤな予感がして、加斗のパーキングで足回りをグルッと見て回りましたが何も見つけられず、その後、強くなる振動、明らかに左の後輪に異常があると確信した私。

中国道に入り、加西サービスエリアに到着して左の後輪を見ると…


おっ


なんか嫌な予感が…


そしてタイヤの内側を覗き込むと


ワイヤーはみ出てるやん!

下手したらバーストするやん!


ここに来て一気にヤバい!って気持ちになった私。

岡山の家まではまだ1時間以上かかる!

そして現在17時!さぁどうする⁈

加西サービスエリアにはガソリンスタンドがあるし、タイヤ交換もしてもらえそうですが…


悩みに悩み、最寄りのインター付近にあるガソリンスタンドに電話。事情を話し、タイヤの在庫を確認後、80キロの低速走行で現場まで向かう事に。

加西サービスエリアからスタンドのある山﨑までは約30分、低速とは言え80キロ、ドキドキな30分のドライブでした。


現場で暖かく迎えてくれたスタンドの皆さん。

タイヤを確認するなり、「うわっ」とか「怖っ!」という声が。ほんと、バースト寸前の状態でした。


ゆっくり1時間かけてタイヤの履き替えをしてもらい、その間に兄にLINEで連絡してると、今いるガソリンスタンドが兄の会社でお世話になっている所だという事が判明、さすがに奇妙な縁を感じました。

私としては命を助けて頂いたようなもの、気持ちの良い取引ができ、ニコニコしながら帰路につきました。


そして、アレよアレよという間に祖母の葬儀が進み、火葬、精進落としと終わり、収骨のために火葬場に再び行くと、何か歩きにくい。

何だ?と、靴の裏を見ると


靴の裏がペローンって剥がれてるやんか。


私の革靴もここで使命を全うしたようで、このまま実家に置いて帰る事に。


靴くらいならどうって事ないですが、タイヤは気をつけないとダメですね。勢いで夜に出発しなくて良かったです。

足元、気をつましょう。


と、これを書きながら車の12ヶ月点検で持ち込んだスタッドレスタイヤが交換時期!という事で注文…また出費がかさみます…泣

2025年11月5日

祖母 宏子逝去 享年101歳(満100歳)


写真は岡山県津山市にある光井産婦人科で生まれたばかりの私を抱く祖母、多分50歳位。

後ろに手があるのは兄の手です。

忙しい母に代わって育児を一手に引き受けてくれた祖母、「私は3人子育てをした」と言っていたそうだが、あながち間違ってないだろう。




今は亡き祖父・照夫氏とはお互いバツ2だったとか。手芸が趣味だったという祖母は、母に女の子を望んだそうですが、残念ながら孫は2人とも男でした。そして、初のひ孫は女の子でした!が、この頃になると得意の手芸はできなくなっていたそうです。


2017年、岡山市内の病院に入院した際にお見舞いに行った時。この時ですでに92歳。


2019年、地元久米南町の老人ホームにて。

この頃になると私は富山で結婚して、今の仕事についていました。帰省した際に会いに行ってきましたが、認知症が出ていて、それはゆっくりと進行していきました。しばらくは母の事はわからずとも息子である父の事はわかっていたのですが、それもやがてわからなくなってきたそうで、この時には父もショックを受けていたそうです。


今年の4月には100歳になり、老人ホームでお祝いの場を設けていただき、その時の様子は地元の広報誌にも掲載されました。

しかし、それから約1カ月後の5月のゴールデンウィークにひ孫にあたる長男を連れて帰り、会わせた時にはコミュニケーションは全く取れず、写真も撮れませんでした。聞けばこの頃にはごはんを食べる事が難しくなっていたそう…

そして、この後に病院に入院し、点滴で生きながらえる日々がスタートしました。

父が亡くなった際には、伝えないでおこう、と家族で決めましたが、その父の納骨である四十九日法要から三日後、祖母は後を追うように逝ってしまいました。

最後を看取った母が言うには、心臓が止まってからもしばらくは呼吸をしていたそうで、最後に大きく息を吸って、それで終わったそうです。



自宅に帰ってきたばかりの時。この時は化粧してないからか、あ、おばあさんの顔だ〜と言える、いつものおばあさんの顔でした。

体を洗ってもらい、大島紬を着せてもらい、化粧をした姿は…おばあさんっぽくなかった。しわがなくてきれいなのはきれいなんですけどね。


振り返ると、祖母はとても信心深い人でした。

導師である住職もそう言っておられました。

葬儀は家族葬で小さく執り行わせて頂きました。

葬儀が終わり、火葬、精進落としと続きますが、予定より早く火葬場から連絡が来たあたり、100歳という年齢の事が影響しているのかもしれませんね。


ちなみにこれは祖母の名付けに関するもの。

越前徳川正統…とか書かれていますが、これを説明できる人はもういません。


さて、亡き祖母は向こうで祖父、父と親子3人仲良くやってるのかもしれませんが、この短期間で2人の葬儀、兄、母、そして私、そうとうキてます…

父の相続のこともまだ終わらないうちに〜うわぁ〜といった感じです。納骨は12月、これは不参加の予定ですが、来年の1周忌は2人分&祖父の13回忌も一緒にやる事になるでしょう。

大変だぞ、兄、母!


何はともあれ、大正・昭和・平成・令和と四つの時代を生き、大往生だった宏子さん。ご冥福をお祈りします。



本日、祖母が亡くなりました。


大正14年生まれの100歳。

今年の4月には表彰して頂きましたが、5月にひ孫にあたる長男蒼を連れて帰った時には全くコミュニケーションがとれず。その後は施設から病院へ移動し入院。父の四十九日法要の際に、大部屋から個室に変わった、という話を聞いてはいました。

父の納骨を待っていたのでしょうか?

農業一筋の祖父の元に嫁いだ祖母、実は祖父、祖母、共にバツ2だそうだ。

丑年らしく、ゆったりおおらかな人でした。

昔は自宅で豆腐を作ったりもしてました。

祖母が作るお好み焼きは美味かったですよ。

大正、昭和、平成、そして令和。

1世紀を生きるというのはなかなかできない事ですね。

土曜日に自宅にて通夜、翌日に葬儀。

今回は身内のみで細やかに送りたいと思います。