競って良かったと思えたこと | ぼりすのブログ

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大切な母を癌で亡くしたことがきっかけで、ふと、自分が歩んできた人生を振り返ってみたくなりました。
私自身の成長過程で起きた出来事や、学生時代に抱えていた悩み、仕事、転職、結婚し不妊治療に取り組んだこと、などなど、記録していきたいと思います

人生において、

他人と競い合う場面が多々ありますよね。


幼稚園のかけっこ

パン食い競争

騎馬戦…

(今はあまり順位づけしないと聞きますが汗うさぎ


私の幼稚園時代。


引っ込み思案のくせに負けず嫌いで、

かけっこでは肘で人を押しのけガーン、お面取り競争では友達が先に手にしたものを横取りするガーン、という姑息な行動をとっても勝ちたい気持ちが強かった。

(もちろん、母にはこっぴどく叱られました)


そんな私も小学校にあがると、

早々に私の実力ではかなわない、と悟り、負けず嫌いの性格は弱まりました。

毎年の運動会ではそこそこの成績。

勉強も中の上といったところ。

それで満足でした。


ただ一つ、憧れていたポジションがありました。


それは学校のマーチングバンドの総指揮者。


各楽器、ポジションはそれぞれテストがありますが、総指揮者だけは、学業の成績も加味され総合的に判断されます。


担任の先生からの推薦がきっけで、母に相談したところ、まだ受かってもいないのに大喜び飛び出すハート


私たちの時代は子供が多く、競争率も高かったのですが、総指揮者に応募したのは4名。

指揮棒を振りながら歩くテストなどがあったと思います。


ど緊張の中での試験でしたが、開き直ったのか自分でも信じられないくらい堂々と胸をはって指揮棒を振れ、受けたことに意味がある!落ちても仕方ない!と思えるほど、やり切った感がありました。


それがら功をそうしたのか、成績も身長も見た目も、勝ち目がないと思われたライバルを押しのけ、合格しましたニコニコキラキラ


5年生後半からの6年生秋までの1年間、貴重な経験をさせてもらいました。


30名くらいのチームをまとめ、練習を重ねて運動会で成果を発表します。


私にはカリスマ性もないし、統率力もない。

2名の副指揮者にいろいろとサポートしてもらいました。


1人だけ違う衣装を着て、全体を見渡しながら長い指揮棒を振り、笛を吹くルンルン


みんなに助けてもらいながら、母に見守られ、無事、良い演技ができ、運動会を終えることができました。


あんな光景はなかなか見れないな、と思います。


そんな私たちのチームは、

卒業後、先生から一本の電話が電話


卒業したのに、私たちが地元の市のイベントに参加することになりました。


みんなで久しぶりの衣装に袖を通し、

快晴の中、市長とともに街中を練り歩き、演奏しました。


まさかのオファーでしたが、楽しんで参加できました。


いつも普通、いつも中位のところにいる私が、

唯一といっても過言ではないほど誇れる、競って勝って得たポジション。


素養、素質だけで先生が勝手に決めるのではなく、当日の演技も見てもらえるオーディション制にしてくれてよかったな、と思います。


忘れられない思い出のひとつですラブ