ヒーリングセラピストになったきっかけ② | ソウルクリアリングセラピーで本来の自分らしく生きる Welina千恵子

ソウルクリアリングセラピーで本来の自分らしく生きる Welina千恵子

大牟田を拠点に、リモート、遠隔で活動中。
魂のクリアリング、ロミロミ・アロマトリートメント・レイキ・エンジェルヒーリング・レインドロップ・・のセッションやヒーリング系の講座をしています。

こんにちは、ヒーリングセラピーWelina 千恵子です。

 

二つ前のブログの続き。

んで、ひとつ前の続きでもある感じです。

私がヒーリングセラピストになるきっかけというのは

そのままスピリチュアルの探求のようなものでした。

 

 

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物心ついたころから、この世界に生まれてきたのは

魂を成長させるためなんだ という認識はなぜかはっきりしてはいたけど

 

 

その探求をしていくには

私に与えられた宗教のどれかを信心していくしか

すべがないのかもしれない と思っていた。

 

 

でもなんとなく、そこで言われていることに対して

諸々、枝葉部分ではとっても納得しつつ

根本的な部分での違和感があった。

 

なので、スピリチュアルな世界、特に地球という狭い範囲から飛び出し、宇宙レベルでのものの見方をすることをしって

 

私たちは苦行を「させられている」わけではなくて

自ら望んでそれらを体験しに地球にやってきている

という見方って、

単純にその視点になるだけでものすごく心が楽になるんじゃないの

ということに気が付き

そこからスピリチュアルなことを伝えるいろんな人の本を読んだり話を聞きに出かけたり

また講演会のお世話をしたりというのをするようになっていた。

 

 

そして区切りである2000年。

パソコンを買い、インターネットをするようになり

ネットを始めてすぐに

スピリチュアルなことを地元に届けたい という気持ちで

自分の惹かれるものだとか

受け取ったメッセージだとかを掲載した

ホームページを作り

 

 

雑誌で「ただ情報を受け取る」形から

交流したり発信したりできる形になり

 

いろんな、スピに興味ある人や活動すると人と

つながりが一気に増えた。

 

 

 

そうしながらも父がガンで他界し。

津留晃一さんが亡くなられ。

そしてネットで知ったとある方もその年に亡くなられて

 

身近な人の死だとかを経験するというのは

「生とは何か、死とは何か」

「ベストな死に方とはどういうものか」

「私だったら、どういう死に方をしたいだろうか」

「どういう生き方をしたいか」

「生きていることの意味とは」

そして

「この世とあの世とのつながりとは」

などなど、様々なことを考える機会となる。

 

 

 

 

 

 

 

父はもともとよっぽどでもないと病院に行きたがらない人だった。

その父が病院で検査を受けたのは、よほど体調がよくなかったのだろう。

 

入院してすぐに母は医師に呼び出され

検査の結果、胃がんだったこと、

そして余命が3か月だということを知らされた。

 

 

 

今はがんも治る病気になってきているので

「本人にがんだと知らせない」という提案をする医師は

そんなにいなくなってきている、、、、のかもしれない。

 

 

 

でも23年前のその時

母は、病院で呼び出しを受け

病室外で医師と面会し、

検査結果と父の余命とを知らされると同時に

「本人にがんだと知らせますかどうしますか」

という選択をその場で迫られた。

 

 

母だけでは心配だと同行していた姉、そして母は

考える時間もまともに与えられないまま、

「本人には知らせない」という選択をした。

 

そしてその余命宣告をうけてショックを受けたばかりで

心が張り裂けそうな状態なのに

 

病院側は「家族の方に来ていただいて検査の結果を知らせました」という報告だけは父にしていたらしく

その数分後すぐに父の病室に行き

「病気は胃潰瘍だったんだって。

たいしたことなくてよかったねー」と父にうそをつかなくてはいけなかった。

 

 

実家で待っていた私はそのことを聞き

あまりにも病院側に

患者の家族への配慮がないことに怒りがわいて仕方なかった。

 

そして、自分の病名を知らされないままの父が不憫でならなかった。

 

私が父の立場だったら、そんなこと耐えられない。

私だったら、自分の病名も知らず、余命宣告受けている事実も知らされずのままなんて耐えられない。

 

父には知らせない、という選択には反対だと伝えた。

 

 

 

よく考えれば、人の命なんて、いつどうなるかわからない。

そういう意味ではみんな平等ではある。

あと三か月の命です、と医師に宣言された父より

私のほうが先に交通事故とかで死んでしまう可能性とかもあるわけだし。

人の人生、いつどうなるかなんて誰にも分らないのだ。

 

 

でもやはり、自分があと3か月でこの世を去るかもしれない

と知ったら、残りどんな生き方をしたいか、

知っていると知らないとでは過ごし方は全然違うだろうし

いろいろと考える時間も出てくるだろうし

それこそ、自分と向き合う貴重な時間となるのではないか。

そう感じた。

 

 

しかし母と姉は、父が自分の病名を知ってショックを受けることを回避したいのが優先のようだった。

 

私の提案むなしく、父には嘘をつき続けることになってしまった。

 

 

父の入院の合間にも

余命宣告された患者の心のケアもする病院に転院することも

提案としては出てきたのだけど

やはり母はうそをつき続ける選択をし続けた。

 

 

が、胃がんなので食事もまともに取れないのだろう

父はみるみるやせ細っていって、

結構頻繁にお見舞いに行っているのに、

行くたびにどんどん父がやせていくことに

「流石に嘘をつくのは無理があるよね‥‥」と感じたし

きっとそうみんな思っていただろう。

 

 

 

実際、無理があった。

危篤状態を2度ほど繰り返したのち

ほとんど動けなくなった父が

「本当はとっくに自分の病気のことはわかっていた。

騙されてるふりをしていた」ということを伝えてきたとき

「ああ、やっぱり最初から本当のことを言えばよかった‥‥」

とすごい後悔の念がわいた。

 

そしてその2日ほど後に父は亡くなった。

医師の宣告通り、三か月で。

 

 

 

 

 

その三か月、父のほうも私たちのほうも

騙しあいながら過ごしてきた事実。

 

 

父の最期の三か月という貴重な時間なのに

お互い、本音でものを言い合うことができなかったのだ。

だまし続けているつもりの私たちと

騙されているふりをしている父。

 

その貴重な時間を本音を言い合えないままで

父がこの世を去る2日前に

やっと、母は父に本音で話せ

母や私たちも父の本音をようやく聞いた。

 

 

 

父はきっと本音を言えないままで寂しかっただろうと思う。

 

父にそんな最期を送らせたいわけではなかったはずなのに。

 

父の精神的な苦痛を味わわせたくない

そういう思いで選択したことのはずなのに。

 

何度かの危篤状態を越しつつ、父は衰弱しきっていた。

そんななかでやっと互いの本音を言い合えたとしても

たくさん話ができる状態でもなかった。

もっと、いろんな本音を伝えたかったし聞きたかった。

 

そして静かに父は息を引き取った。

 

 

 

 

 

父が亡くなる数年前、私の祖母二人も続けて亡くなっていたのだけど

私の上の子が生まれて3週間ほどに父方の祖母が

そして下の子妊娠後期中に母方の祖母が亡くなっていた。

 

その時も、人がこの世に生まれること、

そしてこの世を去るということ、

そのことについて考える機会があった。

 

が、それ以上に

父の死をきっかけに

「この人生、死んだらそこで終了。

だったら悔いのない生き方をしたい」と思うようになり

そして「ではどんな生き方だと悔いがないことになるのか」

ということも考えるようになった。

 

 

 

そのころ、ネットで知ったとあるホームページも

病院の医療ミスにより6年間意識不明になってる女性とそのご両親を応援するサイトだった。

 

毎日のように、祈る気持ちでそのページを覗きに行っていたり

応援メッセージを何度も送ったりしていたが

その年にその女性はそのまま意識を復活させることなく、

亡くなられた。

 

 

そしてある日。

津留さんも亡くなられたことを

知人から送られたFAXで知った。

 

 

 

 

 

どんな人でも必ずいつかはこの世を去る時が来る。

 

 

 

 

 

 

地球での体験はこれまでも何度もしてきていて

死んだとしてもまたそのうちまたこの地球に生まれてくるのだろう。

でも、その時は私は別の人間となっていて

別のテーマ、別のなしたいものがあるかもしれない。

 

今世、私が私として生まれてきて

私でいるうちになしたいものはなんだろう。

 

 

 

 

これまで私が教わってきたことは

「こういう考え方、行動、生き方をしなさい」

というものだった。

人にやさしくし、いろんな努力をし、

精一杯働き、向上心絶やさず・・・・

そうすると死んだ後もよい世界に行けて

来世もよいものになる‥‥らしい。

 

 

とすると、私たちは神から最も遠いところにいる存在

だからこの世は困難に満ちている。

霊性を高めたり努力し徳を積むことが人生の目的。

そうすることで少しずつ神に近づき、幸せを得ることができていく。

・・・的な。

 

 

でも。

 

私たちはもともとが罪人だったり

神から遠い存在なのではなくて、

神であり創造主なのだ。

 

 

 

 

教わっていることはすべて

逆だったのだ。。。

 

 

 

それを知った時

私たちは魂のパワーを取り戻せる。

 

大きな見えない何かが動かしたり管理したりしているなかで

人生を送らされているものから

 

この世界自体を「生み出す」ものへと。

 

 

 

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てことで。

③に続く予定です(*´ω`)

まとめられるのかどうか…不明。