こんにちは、ヒーリングセラピーWelina 千恵子です。
あっという間に10月ですね。
前回、セラピー名を変えようと思ったことを書きましたが
オリジナルという言葉は英語的に言うと、
「本来の」という意味なんですが
日本で「オリジナル」というと、「独自の」という意味合いのほうが強いのですね。
そして「独自の」というのを英語でいうと「ユニーク」なんですが
日本語圏内でいうユニークって
独自 という意味もあるけどどちらかというと
その独自さが「面白い」という意味合いが強い気がします。
その言葉の印象って、本当、それぞれですよね。
しょっちゅう思うんですが
「スピリチュアル」という言葉も、人によってとらえ方が違う。
スピリット、つまり私たちの本質を生きていく
ということなんですが
見えない世界のことだとか
オカルト的なとらえ方されていたり
そこから宗教とか洗脳とかの世界みたいに思う人もいたりするので
スピリチュアル嫌いな人も多く、
スピリチュアルかぶれ とか言われるし
スピリチュアルごっこ という言葉もあるし
スピリチュアルなことをやっている人たちの中でも
独自の見解や価値観が色々なんで
その言葉を聞く人はさらにいろいろ ですね。
話はそれましたが
逸れたついでに言うと、スピリチュアルという世界も
かなり多様化してきているし
目的がそれぞれだし
それさえ、二極化してきている気がします。
何を目的にスピリチュアル追及しているのか
それが違うのが二極化している理由ではあるけど
それは、この世界が二極化していることと
おんなじことだと思うのですね。
これまでの地球の価値観、とらえ方で行くのか
新しい価値観、とらえ方なのか。
二十年くらい前に、「引き寄せの法則」というのが流行りましたが
それって、「ザ・シークレット」という本と映画がヒットして
その内容が知られるようになったんですが
確かそれによると、「引き寄せの法則」に対する考え方は
かなり昔からあったもので、
ほんの一部の有識者の間にのみ知られて
その間でのみ活用されていた真実だと言っていたと思うのですね。
(本はとっくに手放したのでうろ覚えですが)
では何で秘密にされていたものが公開されるようになったのか?
最近私が感じていることはというと、
「実はそれを伝えていた人たちは、
もうそれらの情報は古いものと判断し
そこからさらに一歩先を行っている」
からなんじゃないかな、と。。。。。
もうそれを手放していいと感じたから
むしろ一般公開された。
先行く人はそれらさえ手放しているのかもしれないな、と。
確かに、この宇宙法則としては
「引き寄せ」という法則はある。
それ自体が、波動の法則でもありますので。
引き寄せというテクニックは
よりよい日常を送る上では、
素晴らしいものだと思います。
でも、それをマインドエゴを満たして
「テクニック的なものとして」活用されていくことにのみ使うと
魂の声からは遠ざかってしまうことにもなりうる
のですね。
私は
願いを叶える「方法」としては大まかに
・それに対してとにかく頑張り、それを手にする ということと、
・それを手放す ということ
このふたつがあるなと思っています。・、
全然、この説明じゃ訳が分かんないですね。
もうちょっというと、
「引き寄せるために、引き寄せている自分をイメージしたり、
その時の感情を味わう」とか「そうなったように過ごす」
「そうなることを信じる」などなどは
前者のほうですね。
これがいわゆる「引き寄せ方法」として広まったものです。
それに対して
「それを手放す」というのは、
そうなっていない状況をゆるす 受け入れる
「じゃないといけない」を手放す ということです。
必要ならそうなるよね
でもそうじゃない自分を楽しむことができるし
心の底から受け入れている。
本音ではほしいものを手に入れるために
意図的にそういう意識になるのではなくて
心の底から、そういう状態なのです。
叶えていない自分を心から受け入れ、そこにこだわらず
叶っていないことを楽しめる。
結果、軽い状態になるので
必要であればそれを受け取ることができる。
・・・で、この二つはどう違うのかというと
一つの見方としては、意識次元の違い
といえるかもしれません。
そして別の見方をすると、マインド優位なのか
スピリット優位なのか
という分け方もできます。
マインドは、基本、ああしたいこうなりたいこれ嫌あれ嫌い
と好き嫌いがはっきりしてたり
意思表示は得意です。
それに対してスピリットは
(毒されてない健全な状態であれば、ですが)
恐れを持ちませんので、オールOKでいつつ
現実創造する術を持ちます。
マインド優位は、「じゃないといけない」に集中し、
スピリットの力を借りて願いを叶える。
でもスピリット優位になると
「なんでもok」の状態なので、それが叶っていようが叶っていなかろうがどちらでもいいし、
マインドのいうことが必ずしもベストとは限らないから
もっと別の、もっとよいものを選ぶ場合もある。
いずれにしても、叶わないといけない という捉われからは解放されている。
ちょっとここで、「魂が毒されていなければ」と書きましたが
実際、魂の状態というのも人それぞれなので
場合によっては
魂をクリアリングする必要がある とか
魂を健全な状態に戻す必要があるかもしれません。
少し話を戻しますと
叶えたいという願いそのものを手放す というのは
叶っていない状況を受け入れる
つまり、「それが叶っている」一点しか許せなかった意識が
拡大し、いろんな状況を受容し
それを楽しめている状態と言えます。
これまでの地球次元は、
いかに頑張り、それに向かって進み、それを受け取るか
ということでした。
でも、これからの新しい次元は、
拡大し、受容していくほうに向かいます。
どんな状況であってもそれらを受け入れ受容し
楽しむ という方向になること。
「これが叶っていない私は幸せではない」という捉われや
「~じゃないといけない」から解放されることで
軽い状態、つまり、魂とのつながりを取り戻した状態
になっていくのです。
頭で思考してできた願いではなくて
本当の、魂の願いを叶えていくことになっていくのでしょう。
私が目指しているのは
やはり、後者なのですね。
でも、その経過に至るまでは
どうしても、いろんな抵抗も起きます。
マインド(心)と一言で言っても、いろんな要素はあります。
潜在意識や顕在意識、社会意識、感情、精神、
インナーチャイルド、エゴ・・・・
それらの中から、不必要になったものを手放す
という経過があるからです。
人によってはスムーズにいくかもしれないし
でも人によってはしんどいかもしれないし。
ちょっと覚悟は必要かもしれません。
やみくもに望むことを追いかけても
それが叶ったとき、幸せを感じるかどうかは又別。
不足感とか、じゃないといけない のところから
願いを創り出したとしたら
それが叶ったとしても、「じゃないと」のエネルギーは消えていないので
叶うことによる不安不足感は別の形としていつまでも残ることでしょう。
こうして人はいつまでも、今じゃないところを求め続けていく。
叶えたいものを叶えたはずなのに
いつまでも 満たされない。
本当は何を目指しているのか
どんな生き方をしたいのか
本当の幸せって何だろう??
そもそも、何をしにこの地球に来たのか
思い出していきましょう☆彡