介護休業と両親の存在 -再発 急性期- | 妻と私の異世界生活

妻と私の異世界生活

2020年の春
妻が統合失調症を発症

突然、異世界に放り出された妻と私の闘病記録

急性期、休息期を経て回復期に入り安定したのも束の間、2023年の夏、妊娠発覚と同時に再発、そして出産

いつかこのブログが誰かの助け舟になります様に。







-統合失調症 再発から1ヶ月半-
-妊娠7w-


初発の時はとらなかった介護休業という制度、

妻が入院後、次の日に会社に連絡をしました。








上司から言われたことは、

「介護休業を適応中だから」

「入院手続きや産婦人科の通院もあるなら」

「精神的疲労の回復のためもう少し休みなさい」

「今後の事も一緒に考えながら」

「少しずつ復帰を目指そう」







久しぶりに上司とゆっくり話をしました。

介護休業は最大93日で分割可能、

雇用保険から収入は67%が負担されます。








ただこの制度は1対象者(今回は妻)につき、

適応回数が1回のみとなります。








退院時期や出産時期にも、

残しておく必要がある事が容易に考えられます。

会社の規定では介護状態解除後、

面談を含めて2週間を復帰の目安とするそうです。









4年前は自分には縁のない制度、

親の介護の時くらいかなと思っていました。

今思うと本当に大切な制度だと思います。








高額医療制度、

精神疾患入院助成金、

自立支援制度、

障害年金制度、

健康であれば詳しく調べない制度や補助、

他国は知りませんが有難いと心から思います。









そう言うわけで、

今はゆっくり自分を休めつつ手続きをしています。









入院後、妻と2回面会をしました。

「今日襲われる」

「早くここからだして」

「私は任意入院だから出れるはず、約束が違う」

「家の方が安心できるから本当に助けて」

「先生に退院させるって言って!」

こんな感じでした。









必死の訴えに可哀想という理由で心が揺らぎます、

ただ話し方や表情、内容から今退院しても、

同じ事を繰り返すのは明白です。









妻は入院の時に医療保護入院となる説明を受け、

サインをしていましたが、

やはり任意入院と思っていたようです。


先生や看護師さんに、

その事について必死に訴えているようです。







面会では妻に、

「医療保護入院でサインしてたよ」

と言いました。

私はどんどん嫌われていくような気がして、

少し辛いですがここは仕方がないと踏ん張ります。









いつも安心したくて面会に行き、

モヤモヤした気持ちで帰ってきます。








そんな日々を過ごしていると、

私の両親が時間をつくり会いに来ました。







「嫌われるったって、あんた偽者なんでしょ?」

「6月に会った時は楽しそうだったのにね」

「難しいね、まぁまた元に戻るよ」

母の言葉に何の根拠はないのですが、

何故か妙にそんな気がしてきて不思議です。









妻の妊娠については、

「本来ならすごい嬉しいことなんだけどね」

「いろいろ不安だけど」

「私もまだ育てられるからさ」

妻の回復が思うようにいかなかった時のことを、

父も含めて話し合いました。









高齢出産の出生前診断も、

子育てにおける能力的な問題もあるので、

今回の場合は必要なんじゃないかと言われました。










来週9週目の心拍確認があります。

「妻ちゃんが現実を考えられない状況では」

「色々大変だけど後で頑張れないこともあるから」

「元に戻った時に整っているようにしないとね」

そうやって慣れないスマホで、

色々と調べてくれていました。








本来の母は、

「自分らで決めたらいいよ」

「だって私の子じゃないもん」

くらいのスタンスでくると思います。









いつになく真剣に、

「老眼でスマホ見えへんわー」

と言いながら調べていました。








父は時折、冗談を言うくらいで、

出産や子育てについては触れませんでした。

「俺はろくに子育てしてないからな」

「でも大変やって聞くから近くに住もうかな」

と言い土地を検索していました。








妻の兄弟姉妹も、

妻からの電話の内容を共有してくれ、

私の返信が遅いと大丈夫⁉︎

と家まで様子を見に来てくれようとしたりします。









1人じゃないんだと実感する、

いろんなことを整理して準備する、

そんな介護休業期間を過ごしています。


イベントバナー