● 「パフォーマンス教」を軽く一蹴し粉砕する(笑)、正しすぎる、ぱるる的「センター」論(2) | 願いの花が咲く運命を信じて

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【「パフォーマンス教」と「正統派アイドル論(派)」との相克】
アイドル界の対立構造→パフォーマンス教 VS 正統派アイドル論(仮)

※ 「パフォーマンス教」の左側、「アイドル界」の外側に、普通の「アーティスト」が存在。

アイドル界においては、常にこれの相克、つまり、綱引きを繰り広げているというわけです。いわば、勢力争い?(笑)。

ことに最近は、AKB48の登場、そして、ぱるるの台頭などによって、右側の「正統派アイドル論」が優勢を極め、自らのポジションを確立しつつあります。

AKB48成立以前は、左のパフォーマンス教が支配する暗黒の世界でありました。だから、正統派アイドルは出てくることができない「不毛の地」であった。「アイドル冬の時代」。エイベックス系のアーティストやら、バンドブームといったものが支配的であったからです。

しかし、局面は打開されました。AKB48の登場によって、です。

(ただし、左の「パフォーマンス教」という表現は、「アイドル界に侵入したもの」という意味でありまして、本来は、アーティストやバンドというものは、「パフォーマンス」を追求するのが当たり前なのです。それとは別のものとして、当該発想を、アイドル界に「不当に」持ち込んだものとして、かつ、急進的で先鋭化を帯びているという意味で、「パフォーマンス教」としております。)

【「パフォーマンス教」打倒のためのAKB48の登場】

本来なら、これは、お互い違うジャンルとして共存すべきなんですよね。「アイドル」というのは、「パフォーマンス中心」のアーティストとは一線を画しているわけですから、混同する方がおかしい。

以前は、このような相克はありませんでした。当然、アイドルはアイドルとして認識されてましたから。そこに、アーティスト性を求める人は皆無だったと思います。

そこで、バンドブームだとかエイベックス系アーティスト隆盛の時代を経、SPEEDや後期モーニング娘。などの、「中途半端な」パフォーマンス路線を信奉するアイドルによって、「正統派アイドル」=「素人のたいしたものではない」との認識を頒布してしまったという。

まさに、「パフォーマンス教」によって、アイドル界を暗雲で覆い尽くしたといえましょう。こんな状況下で、正統派アイドル、ひいては、ソロのアイドル歌手など台頭しようがありません。

そんな惨憺たる状況下、産声を上げたAKB48という存在が「パフォーマンス教」打倒のために立ちあがりました(笑)。

【「パフォーマンス教」サイドからの攻撃に日和ることの危険性】

AKB48は、登場して以後、「会いたかった」を始め、明確に、パフォーマンス教とは一線を画す路線をひた走り、当初は苦戦を強いられるも、「大声ダイヤモンド」でのろしを上げ、「ポニーテールとシュシュ」という、"正統派アイドルキラキラソング"にて一気に勢力を拡大し、パフォーマンス教をメッタメタにしました。

ところが、パフォーマンス教側から当然、「正統派アイドル路線」の勢力拡大をいぶかしく思い、攻撃を仕掛けてくるという。
(M)一般アーティスト派 → (A)パフォーマンス教 VS (B)正統派アイドル論(仮)

パフォーマンス教である(A)は(B)を攻撃してくるというのですが(綱引きとして)、その攻撃の仕方が、「歌とか踊りが下手」という決まり文句です(笑)。

攻撃された時、ひるみ、(A)の方に寄ってしまった場合、大変なことが起こります。

実際、いくら、(A)側に寄っても、完璧なアーティストになれないからです。かたや、(B)側から見ますと、もうすでに、「正統派アイドル」とは違ったものになっているので、それを支持する層からはそっぽ向かれるという。

(M)にも(B)にも評価されない状態に陥ります。

それならば、最初から(M)として売り出した方が当然賢明だというのです。

とにかく中途半端であることがもっとも危険だというのです。

【有力な「無力化」戦略】

そこで有力なのが、「歌とか踊りが下手」だという攻撃を「無力化」することですね。

「歌や踊りは得意でないけど、可愛らしさを磨いて頑張ります」

これです(笑)。端から、「歌や踊りでは勝負する気はありません。ジャンル違いですから」と宣言することによって、(A)からの攻撃を無意味化するという。

そもそも、「アイドル」という存在は、「歌や踊り」で売り出す商売ではないですからね。「可愛らしさ」で勝負する世界。最初から、その攻撃は無意味なのです。

しかし、中途半端に(A)に擦り寄るから攻撃される隙を与えてしまうという。

【「無力化」とは、ジャンル違いを明確に宣言し、認識させること】

「歌や踊りでは勝負する気はありません。ジャンル違いですから」という、この「無意味化」作戦は、中途半端ですと、説得力を欠き、倒れてしまう可能性があります。とびっきりの正統派アイドルの存在と、正統派のキラキラソングを放出しないと、「なるほど」と言わせることができない。

そうしますと、「歌も踊りもダメな上に、正統派アイドルとしてもダメじゃん」と攻撃され、崩れ落ちてしまうという。

しかし、ついに、この無意味化作戦が、「あっちゃん-まゆゆ-ぱるる(象徴として)」の強力な正統派リレーによって成功しました。

そのダメ押しが「永遠プレッシャー」という曲でありました。歌やダンスなどはほとんど関係ない、「可愛らしさ」だけで、万民を説得してしまう楽曲の登場によってです。そこにあるのは可愛らしい歌声と、可愛らしい振付と、それによってキラキラ光る16人の正統派アイドルたちであった(^-^v(笑)。

そこですかさず、ぱるるというアイドルが、「アイドルグループのセンターに必要なのは、ビジュアル的な可愛さです」という宣言をしました。

万民は、誰しもが、「ああ、やはり、アイドルというのは別ジャンルなんだな」ということを改めて再確認したという。

それに加えて、ゆきりんを始めとする、アイドル歌手の本格的な活動開始。ソロアイドルがキラキラ歌えば歌うほど、「正統派アイドル」のポジションの確立、勢力の拡大は強まり、その基盤は盤石なものになるという。

【「正統派」の火を絶やしてしまう、「アイドルの旬」】

ところで、どうして、パフォーマンス教の攻撃によって、正統派アイドルサイドがすぐ勢力を弱めてしまうのかというのは、女性アイドルの旬は短いからですね。だから、グループの場合は「解散」、ソロの場合は「引退」を迫られてしまうという。

それによって、しばらくの間燃え盛っていた「正統派アイドル」の「火」は消えてしまう。そこに、「パフォーマンス教」がすかさず侵入してくるという。

そこで必要だったのが、グループアイドルとしての「世代交代」です。前代のともした火を絶やさぬよう、その火を「次世代」が受け継ぎ、灯し続けるというシステムの確立です。これによって、「解散」や「引退」によるリスクを回避し、「正統派アイドル」勢力としての「王権」(笑)を次世代まで堅持させるという。

これに少しずつ成功しつつあるのが48グループである(^-^v。

【男性アイドルの雄としての「ジャニーズ」の効能】

そういえば、アイドル暗黒の時代を経、その後、どうして、巻き返しを行えたかといいますと、男性アイドルの雄として、「ジャニーズ」が健在だったという点も大きいと思います。

女性の「正統派アイドル」を説明する際、「男性で言えばジャニーズみたいなもの」と説明がつけやすいからです。

その意味では、ジャニーズがなかったら、AKB48の誕生、あるいは、ブレイクはありえなかったんじゃないかな、というのが私の解釈です、はい(笑)。

【ハロプロ勢の弱体も、「正統派」の巻き返しに大いに寄与】

もうひとつ、巻き返しに成功した理由は、「パフォーマンス教」を信奉する、ハロプロ勢力の弱体化です(笑)。

すでに、「大声ダイヤモンド」から、「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」という強力なキラキラソングの登場によって、「パフォーマンス教」は大きな打撃を受け、風前の灯であったところに、ハロプロ勢力の世代交代の失敗、あるいは、中途半端な「パフォーマンス路線」の堅持によって、その痛々しさと、そのアイドルとしての矛盾を晒すことにより、「正統派アイドル」の方にオウンゴールとして大量の得点を献上してしまったという(笑)。

これも非常に大きかった。アイドルとしての「パフォーマンス路線」の矛盾をこれでもかというぐらいに、見せつけてくれたという(笑)。

【48グループ内に敵が潜んでいる】

ところが、48グループにおいても、一部において、隙を与えつつあります。それは、SKE48の「激しいダンスパフォーマンスが売りです」というスローガンです。そこに、旧ハロプロファン、つまり、パフォーマンス教信奉者が入り込んでしまったという(笑)。

上でも書きましたが、下手に、正統派アイドルサイドが「パフォーマンス」という言葉を使うことによって、そこに"悪"たる(笑)「パフォーマンス教」が入り込む隙を与えてしまうというのは、これまでのアイドル史において、はっきり立証されてしまっていることです。

しかし、この「パフォーマンス路線」はこれもまた上で書きましたが、アーティストサイドからも正統派アイドルサイドからも評価されず、ハロプロ勢力のように崩れ落ちてしまうことは明らかなのですが、それに気づかず、入り込んだ「パフォーマンス菌」の繁殖によって体を蝕むに至らしめるという。

SKE48は初期症状を顕しておりますが、とはいえ、早期治療によって回復は全然可能でありましょう。

【「パフォーマンス教」は、タコツボ層にしか支持されない】

「パフォーマンス教」は、一部のごく限られた「アイドルオタク」層にしか支持されません。その基盤は極めて狭い。一般サイドからも、正統派アイドルサイドからも、「たかが素人が。しゃらくさい。」と捉えられるのがオチで、限られた「タコツボ」の中で生息するしかなくなるという(笑)。

素人は素人らしく、可愛がられたらいいのです。いきがってはいけません(笑)。


● ハロプロ勢が弱体化したのは、「アイドルにもかかわらず、正統派サイドに軸足を置いていないから」ですね。

アイドルはアイドルとして軸足は正統派サイドにおくべきである。

AKB48の場合は、「Beginner」「風は吹いている」「UZA」、あるいは、A6th後半、K6th後半のように、「パフォーマンス路線」にも見える路線の楽曲を放出したりしていますが、これが成立するのは、軸足が「正統派サイド」にあるからです。

そんな「パフォーマンス路線」の楽曲を時に演るのは、「目先を変える」そのためだけであり、基本は、「正統派王道路線」がほとんど。なので、アイドルとしての魂たる「正統派アイドル路線」のグループであることに変わりない・・との主張として、「正統派アイドル論者」をも納得させうるからです。

「時にはパフォーマンス路線もいいよね。」ということで許容できる。

一方、ハロプロ勢は、「正統派路線」ではなく、勘違いな「パフォーマンス路線」をそのまま行こうとするから(笑)、「正統派アイドル論者」の心を掴むことはできずに、「パフォーマンス教信者」のみに支持されるに止まってしまうという。

本来ならば、ハロプロ勢も、「正統派キラキラソング」を時にリリースしておけば、この辺り、それなりに解消されるはずなのですが、それができないでいる。なぜなら、正統派サイドにはその「雄」たる、AKB48が存在していて、「擦り寄った」だとか、「パクっている」、「オリジナリティがない」との声を恐れてるからです。ある種の意味のない「プライド」がそうさせるのでしょう(笑)。

なので、そのプライドゆえに、「パフォーマンス路線」を堅持「せざるをえない」という状況に陥ってしまうが、しかし、それでは、「アイドルとしての矛盾」から、広い層には支持を受けられずに、売上もあがらず、じり貧。

そこで、言い訳として出てくるのが、「歌は上手い」「ダンスは上手い」という文言です(笑)。

よく聞く言葉ですね。これを言い始めたら、「アイドルとして人気不足です」と言ってるのとイコールですよ(笑)。

極めて痛々しい(笑)。

アイドルにとっての「ダンス」とか「歌」だとか言うのは、人気のないことに対する「抗弁」でしか過ぎないのです。アイドルとして人気を得ていたら、そんなことを言う必要性がありませんから。みんなに「可愛い」と言われてるでしょうからね(笑)。

● ところで、AKB48だって「Beginner」を始めとするパフォーマンス路線を一部やっているのだから、「SKE48」の「激しいダンス路線」を批判するのは矛盾してる、おかしい・・との反論が来る可能性がありますね(笑)。

しかし、私が申したいのは、「Beginner」や「風は吹いている」のような「振り幅ソング」の時は、それなりに、ダンスに拘ってそれなりのクオリティを求めてもいい、と私は従来から申し上げておりまして、私が言いたいのは、「王道アイドルソング」にギラギラとした「パフォーマンス」を必要以上に持ち込むなということですね。

一つの公演があるとしまして、その中には、アイドル王道曲、そして、一部「パフォーマンス」系の楽曲がある。その演出として様々な楽曲を織り込み、飽きさせないように目先を変えている。

そんな中、「王道アイドルソング」に至るまで、最初から最後まで、「パフォーマンス路線」でギラギラと演るのは間違いであり、メリハリをつけるべきでしょということですね(笑)。「王道ソング」の時は、アイドルらしくある程度自由に、各個性を埋没させることなくやりなさいと。ダンス曲の時にのみ、「ダンスにこだわればいい」でしょ、と。

つまり、アイドルグループにもかかわらず、全体として、「激しいパフォーマンス」を売りにするのは大いに間違いで、「アイドルだけど、ダンスが上手い子がいて、曲によってはダンスも結構踊れます」なら全然OKですよということです(笑)。

要するに、「アイドル王道曲」に至るまで、パフォーマンス路線を持ち込もうとする、その「思想」「価値観」を批判してるんですね。その根本には、「ハロプロ勢」が抗弁のためだけに使っている「価値観」が見え隠れしているからです。

その典型例が、チームEの「逆上がり」ですよ。もう、全てあれに表われてます(笑)。あるいは、この前目撃した、チームKⅡの「兆し」の時の、足踏みの足を上げ過ぎな様とか。あれ見て、ガッカリしましたよ(笑)。「履き違えている」と。

・・・。

分かってるんです。一部の人が、「ダンスは、きちんと踊りなさい。」とか、「きちんと揃えよう」とか、あるいは、「全力でやらなければ」とか、後輩を指導してる様が(笑)。

それによる「息苦しい」感じが、公演に表われてますもん。みんな、その価値観を頭に入れながら、公演に臨んでいるのが丸分かり。TVでもしかり。

これが、各メンバーの個性をはっきり殺してますよ(笑)。だから、ゆきりんダンスやゆいはんダンスというものが登場して来ない。メンバー個人の「ならでは」が生まれて来ない。これで、各メンバーのアイドルとしてのきらめきをどう傍受すればいいというのでしょうか(笑)。

SKE48のステージは「息苦しい」、コレですよ(笑)。

花音ちゃんとか茉夏ちゃんが、必死な形相で、「逆上がり」とか「兆し」とか踊ってる姿なんてて観たくないわ(笑)。可愛らしいアイドルスマイルを見せてよ、必死さ以前に、と。

木本花音ちゃんが「永遠プレッシャー」を踊ってる時の、アイドルとしてのキラキラ感とのギャップ(笑)。