● 「パフォーマンス教」を軽く一蹴し粉砕する(笑)、正しすぎる、ぱるる的「センター」論 | 願いの花が咲く運命を信じて

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● ぱるるが、雑誌のインタビューで、「センターになるための要件とは何だと思いますか?」と聞かれて、「ビジュアル的な可愛らしさ」と答えてますね。そして、質問者が「他には?」と聞くと、「以上」と(笑)。 「他に必要なものがありますか?」との勢い(笑)。 

参考→ 2 3

まさにその通り!(笑) アイドルグループのセンターに相応しい要素は「可愛らしさ」ですね。もともと、アイドルたる「アイドル性」とは「可愛らしさ」のことですからね。それ以外にあるでしょうか?(笑)。

とはいえ、「可愛らしさ」とは人によってさまざまですから、それは限定的なものではなく範囲は意外に広い。理論的に言えば、アイドルグループのメンバーであれば、みんな「可愛さ」を売るべく「可愛い」はずですから、誰がなってもいいとも言えます。ただ、「可愛らしさ」を履き違えている、あるいは、それとは距離を置こうとするメンバーは、さすがにセンターにはふさわしくないでしょう。

あっちゃんしかり、優子さんしかり、珠理奈ちゃんしかり、さや姉しかりです。みんな、可愛らしいからセンターを務めることができる。

とはいえ、もっとつきつめると、卒業したあっちゃんは別として、やはり、センターに相応しいのは「正統派アイドル」だと思うんですよね。あ、あっちゃんは、「正統派アイドル」ですよ(笑)。「次世代」の文脈で考えてますから、あっちゃんは少し横に置かせて頂いているだけです(^-^v。

「正統派アイドル」とは、分かりやすくいえば、「渚のCHERRY」しかり、「7時12分の初恋」しかり、そういった、王道曲にピッタリ合うようなメンバーが「正統派」と言ってもいいのではないでしょうか。48グループ内の立ち位置的にですね。

センターに相応しい要素=「正統派アイドル」性=アイドル的可愛らしさ


で、実は、暗にこの論理において排除されているのが、「ダンス」や「歌」だとか「トーク力」とかであると言えます。それらの要素が秀でていたとして、「アイドル的な可愛らしさ」を持たなかった場合、それが、アイドルグループのセンターにふさわしいと主張できる方はさすがにいらっしゃらないでしょうね(笑)。

そう、つまり、「ダンス」や「歌」が上手くて、「トーク力」が抜群にあってもいいんです。しかし、「アイドル的な可愛らしさ」がそこになければ、ダメでしょうと。はい、まさに「ふさわしくない」と。

要するに、センターに必須な条件は、「アイドル的な可愛らしさ」の方に決まっているというお話ですね。あったりまえのことじゃん(笑)。

ぱるるが、ごくごく当たり前のことを言い当ててくれて、非常に溜飲が下がる思いです(笑)。

・・・・。

● 私が考えるに、この場合、最も排除しているのは、「パフォーマンス教」的な価値観ですよ。「ダンスを揃えなきゃ」とか、歌の細かいところがどうとか、ごちゃごちゃ言う人々の価値観を、ぱるるが一蹴してくれている(^-^v。

それでいて、ぱるるは、言葉で何気なくこう発言する以前に、その「存在」でそれを示してくれている。「永遠プレッシャー」のセンターを務める際、「ダンス」や「歌」とか「トーク力」とかがどうたらとか、議論の余地すらないほど、「ぱるるの可愛らしさ」で成立している。そして、それに呼応して他の15人の可愛らしさを引き出し、全体で増幅させている(^-^v。その輝きはまばゆいほどである。

そこには、「パフォーマンス教」が入り込む余地すらない(笑)。

これがアイドルの本来の姿である(^-^v。

● 実際、秋元先生が、あっちゃんをAKBのセンターと位置付け、彼女の卒業後は、まゆゆ-ぱるる-りっちゃん-高橋朱里ちゃん・・というラインを「次世代センター候補」と明確に想定しているのはその意味ですしね。(もちろん、もうひとつ、姉妹グループ系「珠理奈ちゃん-さや姉-みるきー」ラインが存在します)

あるいは、乃木坂46のセンターを生駒ちゃんにしているのもそれ。

歌、ダンス、トーク力において、特に秀でていないメンバーが揃ってるではないですか(笑)。(珠理奈ちゃん、さや姉はまた別の解釈→一つ前のエントリーを参照)

秋元先生の考えは、ぱるるとはっきり一致してると思いますね。私の考えとも一致している。だからこそ、秋元康プロデュースのアイドルは素晴らしいし、48グループは素晴らしいのです。ここを履き違えないから(笑)。 

他のアイドルグループとか見てみ、勘違いがあまりにも多いから(^-^v。「そりゃ、売れんわ」と(笑)。

● とはいえ、別に、昨今のアイドルにおいては、ダンスや歌が上手くてもいいし、トーク力があってもいいと思います。いろんな子がいていい。いろんな個性をつめこんだ宝石箱であるのが48グループでもありますからね。

しかし、それと「センターにふさわしいかどうか」とは別であるという。

別に、必ずしもセンターではなく、センターすぐ横、その後ろ、全体のサイドポジション、2列目、3列目と立ち位置は各種あるわけですから、それぞれにふさわしいポジションもちゃんと存在しますから、そこで十分だと思いますね。

しかし、センターを務めるにはやはり条件があるのだ、と(^-^v(笑)。

● ぱるるがこう明言してくれるのは、彼女が「アイドルファン」だからだと思いますね。なんか、口では言わないけど、アイドルに点数をつけているという話があるくらいですしね(笑)。まぁ、それは別として(笑)、アイドルファンであるアイドルは、ファンがアイドルに何を求めているか分かっているからこそ、そのオーダー通りに振舞ってくれる。だから、常にフルでアイドル性を私たちに見せてくれる。

ぱるるもそう、さっしーもゆきりんもそうだけど、「アイドル好きのアイドル」は本当に素晴らしい。熱烈支持!(笑)

アイドルを「評価」する時代とおさらばし、純粋にアイドルを「愛でる」、ノーマルな時代への回帰。

これぞまさに「アイドルの夜明け」である(^-^v。

そう考えたときに、ぱるるというアイドルの台頭、その存在、その考え方・・いずれにおきましても、アイドル史において明確に変革を起こす「救世主」であると言っても過言ではないと思いますね。

「パフォーマンス教」を粉砕してくれる存在という意味で(笑)。

● 某老舗アイドルでもそうですが、そもそも、アイドルを名乗っていながら、素人のくせに、ダンスや歌やトーク力だとかほざいているのが、ちゃんちゃらおかしくて、「しゃらくさい」の極致ってことですよ(笑)。

それを求めるなら、他の専門分野に行けよと。洋楽を聴く、ミュージカルを観劇する、お笑い芸人のライブを観る、それが筋というものである。いたいけな若い女の子たちに、何を必要以上に求め、ごちゃごちゃ言ってるんだよと(笑)。

視野が狭い、狭すぎる。

だから、アイドルオタクってキモいと言われるのである(笑)。

いい男たちが、女の子たちを「評価する」。これをキモいと言わないで、何を指すのでしょうか?(笑)。

● 実際、素人なのに、ダンスや歌とか自慢げにステージで披露する痛々しさ。この一点で、もうチャンネル即替えますよ。痛々しい。素人どもが何気取ってるんだ・・ってなる(笑)。これは普通の感覚。

そうではなく、そんな「気取り」は捨て、アイドルはアイドルらしく謙虚にふるまってくれるから、時代を明るくする「花」として素直に受け入れられるのである。「アイドルには驕りが一番禁物」である。「驕り」が見えるアイドルは絶対に人気を得ることは不可能ですし、むしろ、「歌もダンスもトークも苦手ですけど、頑張ります。よろしくお願いします。」という子が当然、人気を得るのである。

だからこそ、敢えて、「それらが得意ではない」メンバーをアイドルグループのセンターに据えるというのは当然のことなのだ。理に適い過ぎている。

別に、いいでしょう。「パフォーマンス教」的な価値観を支持しようがしまいが自由ですが、「市場」が判断してくれますから、放置しておけばよい・・ということですけどね(笑)。

当然なんですよね。世の中の人々は、「しゃらくさい」ものに対しては嫌悪感を持つのが一般的ですから、それを知らないとするなら、「世間知らず」と言われるのがオチでしょう(笑)。

● まぁ、いつも書いてることですが、アイドルというのは、雑誌の表紙とかポスターや写真集というのが本分なんですよね。可愛らしさに見とれてしまう、つい手に取ってしまうという。だから「グラビアアイドル」というのが成立するじゃないですか。

しかし、それではつまらないので、歌やお芝居などの各種芸能活動に幅を広げ、その「可愛らしさ」を表現する。その延長線上に「コンサート」というものがあったりするだけなのだ。もちろん、以前は、「握手」なんてのが普通にあるような状態でもありませんでしたしね。

それらの要素は、結局は、「派生的なもの」に過ぎないのである。アイドルの主たるものは、ビジュアルであり、そこから滲み出る「可愛らしさ」である。

特に、若い、小中学生が憧れの存在として、あるいは、高校生や大学生が擬似恋愛の対象として愛でるのがアイドルというものであり、いい歳をこいたおっさんのものではないですね(笑)。別に、おっさんが愛でてもいいですが、若い方々を優先して、自重するべきものだと思うんですよね。

おっさんが、生半可な知識で、女の子たちのパフォーマンスとやらをねちねち「評価」なんてしてるキモさ(笑)。ごちゃごちゃ言ってないで、「愛でる」なり「応援する」なりしてたらいいのですよ(笑)。あとは、若い子たちに任せていたらいい。「子供たちが愛でるもの」であるアニメと一緒。

● なので、推しメンは誰かとか言ってみたり、生写真を買ったりトレードしたり、ポスターやカレンダーを買って部屋に貼ってみたりするのが本当の、アイドルを愛でたり応援したりすることだと思いますね、はい(笑)。

● 「ポニーテールとシュシュ」以来、AKBファンになったのも、そもそも秋元康さんのファンだったからというのが大きいですが、この「パフォーマンス教」的な価値観にはたまげましたよ(笑)。

なんやそりゃと(笑)。

私が小学生のころに憧れた「アイドル」は菊池桃子ちゃんだったわけですが、あの時代、あの時の私の感覚からしたら、全く別次元。変わり果てた、すさんだものに見えましたよ(笑)。「パフォーマンス教」的価値観というキモさね。

それに対して、本来のアイドルの姿を提示していた「AKB48」という存在。アイドルというはどういうものが熟知している秋元康さんが、あの70~80年代のように、幅広い層に支持されるアイドル観を持って、新しい時代を作り上げた。

まさに「アイドルの夜明け」である(^-^v(笑)。

さらに、そこに登場した「ぱるる」という救世主。「パフォーマンス教」という、いかがわしい価値観(笑)を粉砕してくれる健全なアイドル。

● その「パフォーマンス教」の総本山たる某老舗アイドルなんて見てくださいよ(笑)。もう「なれの果て」を極めていますから(笑)。

さすがに、ぱるるの登場によって、「パフォーマンス教」の信者ですら、徐々に目覚めつつあり、粉砕されようとしています(笑)。

実際、某老舗アイドルだって、大人気だった時は「パフォーマンス」うんぬんじゃなかったと思いますよ。お祭りソング的な明るい、アイドルらしい存在だったから、そして、みなさん、可愛らしくてキラキラしていたからこそ、人気を博したに違いないでしょうに(笑)。

あの、あややなんて、まさにアイドルだったじゃないですか(笑)。しかし、「パフォーマンス病」と同じ系統の「アーティスト病」によって消えて行ったではないですか。

「気取り」とか「驕り」こそが、全てをダメにすることを気付きましょう。「謙虚で可愛らしい花」であり続けることこそが好ましいのである(^-^v。

● いや、普通に、深く考えることなく、「可愛らしい演出」を心掛けたらいいってことですよ(笑)。

● もし、仮に、あくまでも仮の話ですが、48グループが「パフォーマンス教」に汚染されたり、あるいは、その勢力(価値観)に圧倒されたりしたら、たぶん終焉を迎えるでしょう(笑)。

まず、私から離脱しますしね(笑)。

あるいは、SKE48の楽曲は好きだけど、最近、公演を観ようという気が全く起きなくなってきたのは、同じことですね。

まぁ、まゆゆやぱるるやみるきーなどのメンバーをエースに・・と秋元先生が考えておられる限りは全体としては安心してます。そうである限り大丈夫でしょう(^-^v。