先月のはるかさんのセミナーでは、
「ある」を見出すワークがとても印象的でした。
私も、その時はその時なりに、「あ、これはとても大事だ♡」と思って心に留めていました。
でも私、どこか侮っていました。
言葉にするなら、
はいはい、「ある」見ましたよ、
さぁ次、設定変更しましょう。
これくらいに侮っていました。
私、全然大事に思ってない(笑)
「ある」を見出す。
その大切さがここ数日で身に染みてわかってきました。
今ある悩み。
それらは、「ある」を見い出せていないから、「今がいや!」となっているからなんだと繋がってきたのです。
でも、
私「ある」を見れているし。
と、根拠のない自信がめちゃあり(笑)ちゃんと見ていませんでした。
ある時ふと「あれ、待てよ。」と思ったのです。
自分は「ある」を見るのを避けているのかも。
そんな気がしたのです。
私は、「ある」はとっくに見れている。
と、ウソをついて、「ある」を見ないようにしていました。
セミナーの日からのノート。
セミナーの内容を振り返ったり、ブログのレポを書き写したり。
そこに自分の感じた気持ちを書き込んでいました。
そのノートを見返していた時、よく、よーく見ると、
私、肝心の自分の「ある」を書いていないかも。
と思ったのです。
ノートがはっきりと、私のしていることを教えてくれたのです。
あなた、「ある」を見るのを避けていますよ。
と。
体の体感としても、ノートを書くときの自分の体の感覚をよく感じてみると、
いざ「ある」を見ようとペンを持ちノートに向かう時、
胸のあたりに重たいストッパーのようなもを感じ、
なぜか別のことを考え始めたり、書き始めたりしていました。
私、「ある」をみることを拒否してる、避けてる。。。
私、本当は「ある」を見たくないんだ。
と、思いました。
私は、「ある」をみることに、全面抵抗していました。
ノートにすら、書きたくない、見たくないと。
それくらい、「ある」が「ある」ことを認めたくなかったのです。
私の本心は、「ある」を見たくない。
でした。もう、「絶対」と言う言葉をつけてもいいくらい強く。
なんでこんなにも「ある」を見たくないんだろう?
と思い聞いてみると、
ものすごーく心のざわつきを感じました。
ざわざわ、ざわざわ、ざわざわ
そして、そのざわつきの奥の方から、
ぜったい見たくない!
ぜーったいの、ぜーったいに見たくない!
だって、
「ある」を見たら、そこで「終わり」だもん。
と、聞こえてきました。
「ある」をみると、「満足(満ちる)」になり、「終わる」
それが私が考えていたことでした。
「ある」をみると終わってしまう!そんなの困る!
その危機感にかられた私は、「ある」を見ることを全面抵抗していたのです。
私は、なんとなくその言葉が引っかかりました。
「終わったら困る」っておかしくない?
って。
どうやら私は、
取り続けていたいから、
「終わったら困る」と、思っていたようです。
ん?「取り続けていたい」??
んん?どうゆうこと??
よーく自分の言っていることを見てみると、
私はそもそも、「ある」を見出す場所を間違えていたのです。
「ある」を見出しましょう♡
と言われて、「はーい♡」と疑いなく向けていたその目線は、
自分の内側ではなく外側でした。
あるを見出すのは自分の「内側」。
なのに、私は「ある」を見出すために、外側に目を向けて自分が今あるものを見出していたのです。そもそも視点が向いている方向が違くて、その後に続くいろんな気づきがとてもちぐはぐしていたのでした。
ノートに書くまで、自分が本当のところ何を見ていたのか全く気づきませんでした。
今回のように、同じ私なのに、頭で理解していることと、本心で思っている事が真逆だということも、ノートに書き出してみないと分からなかったなぁと思いました。
ノートってすごい♡