【能登のいま】話題が風化していく恐怖 | KARA好き...そしてこれからも

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震災以降SNSで繋がりを持たせていただいている方がいます。

出身地が同じ方で地元のためになにかできないか?ということで日頃情報共有や意見交換をさせていただいてる方がメディアへ現状を届けてくれました。

 

 

 

《能登にお気持ちを寄せてくださるみなさまへ》

 

たくさんの方々からのご協力を賜り、発災3ヶ月の能登の現状をまとめた記事が配信されました。 

 

復旧さえ道半ばな能登の今を、支援を含め、たくさんの助けが必要なこの状況を、どうか知ってください。

 

 

 

【能登のいま】「新たに倒壊する家屋」「いまだに断水」「自衛隊の入浴支援だのみ」のままなのに、話題が風化していく恐怖

 

輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透さん。ご実家は輪島市の中でも珠洲市と隣接するエリアにあり、1月1日の能登半島地震で被災、罹災証明で全壊の判定を受けました。

 

藤本さんは発災から一日も休まず、現地の情報や行政などの情報をX(旧ツイッター)で発信。能登半島地震をきっかけに増えたフォロワーは2,000を越え、今も町野町を中心とした多くの方の情報源となっています。

 

今回は藤本さんに寄せられた、町野町、輪島市内、能登町、珠洲の方々の声を元に「奥能登の今」を一部加筆・編集のうえで配信します。

 

倒壊した家屋の解体は進まず「ずっと倒壊しっぱなし」。新たに倒壊する危険性すらある

シナリオライターの藤本透と申します。現在は東京都在住です。私の出身である輪島市町野町は、令和6年能登半島地震において甚大な被害を受けました。今も、多くの方々が避難生活を続けている大変な状況が続いております。

 

発災から3ヶ月、発災時に比べて著しく報道が減り、復旧や復興のニュースが聞かれるようになりました。今回は、「奥能登の今」をみなさんにお伝えするために、たくさんの方にご協力をいただきました。被災地の現実を、どうか知ってください。

 

【町野町】倒壊家屋が多すぎて、家財を取り出すことすらできない状態が続く

道路の啓開が進み、応急復旧の段階に入りましたが、倒壊した家屋はいまだにそのまま残されています。4月からの新学期に向けて、せめて通学路を中心に子どもたちが安全に通学できるように整備していただきたいという声を多く聞きます。

 

罹災証明が出たあとも、解体が進まなければ、余震のみならず雪や雨が降るたびに、家の傷みは進んでいきます。

 

 

床が抜け、家財の損傷が進む

 

倒壊を免れたとしても内部の損傷は計り知れない 

 

 

写真や映像からはわかりませんが、現地では家屋から物が腐るにおいが漂っていたり、雨漏りからのカビによって大事な家が日々傷んでいく姿をさらしています。自分たちの暮らしてきた町が、発災時の姿のままなのは本当に辛く苦しいです。

 

輪島市街はボランティアの方が多く入っていますが、町野町では倒壊家屋が多いため、お願いできることも非常に少ないです。どうにか思い出の品や残った家財を取り出そうにも、被災者の力ではどうにもできず、救出できたとしても保管場所もなく、途方に暮れています。

 

つい先日断水が解消したが、給湯器が壊れていてお風呂はわかせないまま

ライフラインの復旧で特に遅れていたのは水道です。立入が困難な区域を除いて、町野町で断水が解消したのは3月の下旬になってからでした。ただ、敷地内漏水の問題もあり、断水が続いているご家庭も多く、水が出るようになったところでも、水質検査の情報がなく、まだ飲めるかまではわかりません。

 

水道が復旧したといっても、給湯器が壊れている家がほとんどで、自宅のお風呂に入ることはできません。自衛隊の入浴支援が頼りです。

 

また、町野町は浄化槽を使っている家ばかりで、その修理の目途も立っておらず、お手洗いにも苦労します。その浄化槽の修理費用も自己負担、家の修理や家財の買い直しもあるので、生活費の不安は日に日に大きくなるばかりです。

 

避難所の炊き出しがなくなり、食事にも苦労しています。カップ麺やお弁当に頼らざるを得ず、栄養面での心配もあります。商店はあっても、生鮮食品の再開がなされていない(追記:3/25より再開、別途移動スーパーの巡回予定)、車を失っているなどの理由で遠方に買い出しに行けないという方も多いです。

 

さらに、ボランティアや支援で被災地に入ってくださっている方は、炊き出しや物資をもらうわけにはいかず、ご飯代わりにお菓子を食べてる人もいて、とても心配です。

 

高齢者が多い地域のため、情報の伝達も非常に難しいです。各家庭に防災無線があったのですが、今回の地震で使えなくなってしまいました。ボランティアや支援団体からの炊き出しやイベント、ヨガやお茶会などの支援機会が増えてきているのは有り難いのですが、その情報を、自治会長の方などが各所に電話をかけて知らせるなど負担が大きいのが心配です。

 

地区単位で経済が成立していた奥能登。生活が「物理的に成り立たない」状態に

道路の壊滅的な被害によって、日常の買い出しすら困難であり、元の生活が取り戻せるまで途方もない時間がかかるように感じています。

 

家屋がどうにか残せる家も、地震前からの問題である高齢化や離職等で各職人の人手不足が深刻です。家を直したくても、人手不足ですぐには順番が回ってこない状況です。仮設住宅の応援のみならず、今後は家屋修繕のための協力も全国から広く必要です。

 

二次避難によって人口が激減していることもあり、高齢者のみならず子育て世代の支援も必要であるとの声が多くあります。ほとんどの方が家計急変世帯に当てはまります。生活再建のためにの支援を、全壊や半壊の枠にとらわれずにお願いしたいです。

 

仮設住宅もまだ足りません。抽選に外れたので、二次避難所から別の二次避難所へ移らなければならない人、仮設住宅に入居出来ることになっても、住み慣れた一軒家から1Kタイプの非常に狭い場所で暮らしていかなければならない人など、それぞれの苦労があります。

 

また、倒壊を免れ、営業を再開している町野町の商店や飲食店では、震災前と比べて利用者が激減しています。輪島市中心部から離れていて地区単位でミクロ経済を回していた地域であるため、商店や飲食店がなくなれば、現在の広域避難から、人口の流出が止まらなくなるのではないかという不安があります。

 

この地域経済を回すための金の流れが生まれにくい状況をはやく改善するためにも、一日でも早い公費解体と、まちづくり型・ふるさと回帰型の仮設住宅の建設が進むことを切に願っています。

 

今後の復興に向けた人手不足の解消にも、広域避難した人たちが早く地元に戻れるように支援を進めることが重要であると考えます。

 

町野町では、普段から自分の家のメンテナンスや農地の管理を長年自分でやってきた高齢者が多く住んでいます。そんな方々の力と知恵を借りて、地域の住民が知恵を絞って柔軟に復興計画を策定していくことが地域コミュニティの再生に繋がるのではないでしょうか。

 

【珠洲市】道路が復旧していない。いまだ断水が続き、仮設トイレでしのいでいます

長く続いている断水の問題が深刻です。とにかく1日でも早く解消することを、誰もが願っています。仮設トイレは衛生環境上好ましくなく、便秘や脱水になる方の話も少なくありません。

 

ただ、復旧にはまず道路の復旧が必要であり、甚大な被害を被っている路面状況を日々見ていると、難しいだろうという思いはあります。

 

道路は至るところで隆起、凹凸、罅割れがあり、車の走行に影響のある大きな隆起に関しては応急復旧がなされているものの、歩行者は非常につまづきやすくなっているため、高齢者の転倒が非常に心配な危ない状況であると感じています。早くの舗装工事が進んで、誰もが安心して歩けるような道になってほしいですが、それも水道復旧が終わった後と考えると、途方もない時間がかかるだろうと覚悟しています。

 

 

珠洲市の市街地は、商店やコンビニの営業が再開されているが、水道が復旧していないので普通の食事が摂れずに、炊き出しが頼りの人もたくさんいます。衣類が足りないという人の声もいまだに聞きます。

 

発災から3ヶ月経ちますが、食事の支援や入浴の支援など、まだまだたくさんの支援が必要です。

 

【能登町】水道見復旧地域が残る。仮設住宅はありがたいが、身体を動かすスペースとのトレードオフが続く

水道の復旧が進められているなかで、断水が続く地区もいまだに多くあります。水道復旧の見込み時期は当初よりも遅れて4月下旬。1日でも早く水が復旧してほしいと願う一方で、5月までかかるかもしれないという不安も強いです。現時点で、1年の4分の1の期間、自由に水を使えない不自由な生活を送っている地域があることを知っていただきたいです。

 

集落が点在している能登の地理的な特徴もあり、給水場から水を運ぶことも容易ではありません。あるご家庭では、給水所まで片道10kmを不定期に往復し、重たい水を車に運び、入浴は列に並んで自衛隊の入浴支援を受け、洗濯に関しては、たまに金沢に出てコインランドリーで洗濯という生活を、丸3ヶ月の間続けています。高齢者には、肉体的にも精神的にも辛い状況が続いており、仮に蛇口から水が出るようになっても、浄化槽の破損で下水が使えない可能性が高く、住家が無事だった世帯でも”普通の生活” から程遠い状況が続いています。

 

それでも、今後の生活再建のことを考えると、仕事を捨てて二次避難をするという選択をすることはできず、発災以降頻発している空き巣被害に怯えながら遠方で生活するよりは、自分たちの大切なものを自分たちで守るしかないと苦しい生活を続けているのです。

 

二次避難をしたくてもできなかった世帯、そうした世帯が今被災地に残っていること、その人たちが地域の生活を支え、復旧作業に従事していることをどうか忘れないでいただきたいです。

 

能登町の温泉施設などの被害も深刻です。奥能登の医療介護を担っている柳田温泉病院がクラウドファンディングで再建の支援を募っていますが、クラウドファンディングが出来るような施設ばかりではなく、支援を募りたくてもその方法がわからないところが大半なのではないでしょうか。能登の人は、お返しはきちんとしないと、いう考えがあるため、クラウドファンディングのリターンに「なにもお返しするものがない」と思い込んでしまっているのかもしれません。

 

観光施設の被害も大きく、再建の予定を聞くことができないまま、不安な日々が続いています。ただ、もしこれらの施設はなくなってしまったら、帰省客の宿泊施設が大幅に減少してしまうなど、最終的に今後の地元民の生活にも大きな影響を与えることになります。

 

 

能登町に限らず、高齢者が家を建て直すことは非常に難しいため、まちづくり型・ふるさと回帰型の仮設住宅の建設が望まれます。震災後に認知症が進んだ方の調査が始まったと聞き、住み慣れた土地を離れて暮らすことの弊害も、非常に心配しています。

 

その一方で、仮設住宅の建設地にあてられたため、子どもや大人がスポーツに利用できる場所がなくなってしまいました。現在、スポーツをしている子供たちは車で2時間ほどの距離にある体育館まで通っていますが、震災前に比べて練習時間は大きく減少してしまいました。それぞれ目標があり、打ち込んできたものが震災が理由とはいえその機会さえ奪われてしまうのは、本当に辛いです。

 

能登町では、大人の健康管理にも体育館などはスポーツ施設は広く利用されていて、地域に必要な存在でした。今すぐではなくても、どうにか再建や代替の道を示してもらいたいと願っています。

 

また、どの地域もそうだと思うのですが、炊き出しや物資配布などの支援情報が地元民に広がりません。SNSは便利で情報伝達が早いことが強みですが、高齢者で使いこなせる人がほとんどいないのが現状です。

 

 

 

前編記事ではより震源地に近かった珠洲市、能登町の声を伺いました。続く後編では能登町の市街地、輪島市の現状を伺います。

 

 

 

 

 

「能登の復旧が進まない」のは、誰にとっても他人ごとではない。これから国全体が高齢化すると同じことが繰り返される

 

【輪島市(市街地)】報道されなかったが、農業も甚大な被害を受けた。商店はいまだ時短営業

輪島市では、半壊以上は公費解体となっていますが、公費解体に関する情報が少なく、被災者はどのように対応すればよいかわからずに困っています。

 

家の物を全て出さなければならないという話もありますが、全壊家屋から家のものを出すことは不可能ですし、半壊・大規模半壊の家も、中で作業するのは非常に危険です。

 

ボランティアの人に頼めることでもなく、所有者はかなりの負担を強いられている現状があります。半壊の建物についても、一部を残して公費解体ができるのかどうかなど、所有者の声をもっと聞いてほしいですが、現状はそのようになっていません。せめて、行政からはきめ細やかな情報を発信していただきたいです。

 

また、港の損傷や海岸隆起、船の流出など、漁業ができなくなった方々の取材や報道が多くなされている一方で、農業に関する報道が非常に少ないと感じています。すでにある白米千枚田の報道にもあるように、耕作地が地割れや罅割れなどで使えなくなったり、排水路が壊れてしまっている方が能登には非常に多く存在します。これからは、田植えのための準備がはじまりますが、どうにか営農を再開される方々がいる一方で、機械が倒壊に巻き込まれるなど様々な理由で、再開することのできない人、廃業を選ぶしかなくなってしまった人がいることを知っていただき、どうか助けてほしいです。

 

輪島市街は営業を再開している店も増えてきましたが、営業時間などは時短が続いているため、日中働きに出ている若い世代は買い物に難儀しています。また、全ての店が再開しているわけではないため、たとえばタイヤ交換などのために金沢まで出なければならなかったりと、不便なことも多くあります。

 

輪島市のなかでは、復旧が早い方ではありますが、元の生活に戻るにはまだまだ時間がかかると感じています。

 

前編記事では、藤本さんが取材した「地元の声」をご紹介しました。後編では2人の支援者がそれぞれの立場から「いま必要なこと」を語ります。

 

 

【輪島市内】土木に携わる立場から。2011年の震災に比べて「日本の高齢化そのものが急速に進んだ」

インフラの被害が甚大です 。例えば、私はトンネル点検の会社に務めていますが、今回の被災地におけるトンネルの6%程度は、復旧不能になる可能性が高いと聞いています。そのようなトンネルは、東日本大震災の時は0本、熊本地震の際でも1本だけだったと聞いているため、この数字は前代未聞です。

 

また、建物へのダメージも、相当に深刻です。2月22日から3日間、実家のある輪島市街地に戻った際には、震災直後よりも傾いている建物を複数目にして、ひどく驚きました。

 

現在、二次避難等で能登を離れていて、既に輪島に戻らない意思を固めている人がいることを、人づてに聞くこともあります。ハードの復旧が遅れることは、そのような人を更に増やしかねません。

 

とはいえ、地理的にアクセスが難しい奥能登においては、ハード面の復旧については、一足飛びの解決方法はないように感じます。加えて、一つ感じることは、今回の震災復興は、多くの課題に同時並行で取り組んでいかなければならなということです。

 

例えば、東日本大震災においては、復旧・復興・再生とフェイズを分けることができたのは、被害規模は甚大である一方で、道路の状態は能登半島に比べて壊滅的ではありませんでした。

 

太平洋側の岩手、宮城、福島を中心に甚大な被害が発生した東日本大震災では、日本海側から被災地へ入っていくことができましたし、熊本地震の場合は、周辺県からアクセスすることができたのです。それに対して、今回の能登半島地震では、主要道路であるのと里山海道、国道249号が甚大な被害を受け、国道249号はいまだに大規模崩落が起きたまま緊急啓開すら出来ない区間があります。

 

道路の問題はインフラの問題に直結し、複合的な問題となって被災地にのしかかっています。

 

また、団塊世代が後期高齢者となった中では、どのような課題においても、超高齢化という変数が加味されます。能登半島はその問題が震災以前から懸念されており、奥能登の高齢化率は特に顕著で、ほとんどの地域が5割を超えます。このため、復旧を仕上げてから復興に取り掛かるようでは、能登を一時的に離れた人は戻ってこなくなり、益々高齢化が進むという悪循環に陥ることもあり得ます。

 

だからこそ、私たち被災者やその家族は声を上げ続け、正確かつ継続的な報道が続くよう働きかけを続けなければなりません。今回は超長期戦になることは必至なので、外部にいる多くの人々への、中長期的な関心を喚起する必要があります。現在の被災地で、真に求められているものは何なのか? そのために何ができるのか? どうかたくさんの人の知恵をお借りしたいと望んでいます。引き続き関心を持っていただき、この困難な状況から負け取られん、進まならんと立ち上がろうとしている能登の方々へのご支援をどうかお願いいたします。

(瀬戸恵介さん/宮城県在住)

 

 

【町野町】自身も被災した医師が、避難所に避難しながら診察を続けている

1月4日石川県入りして以降、被害甚大な奥能登で3か所の避難所や在宅避難者の支援活動を開始し、数え切れない被災物件と被災者に出会ってきました。

 

地方自治体の混乱ぶりも相当なもので、ミスリードは現在も続いており、それに気付き修正されるのは今日か明日かとの思いで3か月目をこの地で過ごしています。

 

そんな被災地で珍しい出来事に出会ったので、ご紹介させてください。医者が避難所で避難生活を送りながら診察も行っているのです。これまで29年間の災害支援活動でも初めてのことでした。

 

東日本大震災時も処方箋などを必要とする被災者が、担当医を探して避難所を探して回るケースを幾度も目にしてきましたが、被災地の避難所にはどこをどう探しても見つからず、親族先やホテルに賃貸物件と、早々に被災地外へ移動するケースが多くありました。

 

そんな中で、町野町の粟倉医院の大石医師が避難所に地域住民と共に暮らし、診察も続けていると知り驚きました。

 

1月後半にこの避難所で炊き出しを行った際に、この人物をちらりと見掛けたのが最初の出会いでしたが、その後も避難所へ支援物資を提供したり、被災建屋から家財を運び出したりと偶然にも関りを持つ内に、彼のパーソナリティがこの地域の今後へと続くキーポイントになると感じるようになりました。

 

昨日は屋根上の作業後にこの町の未来図に関する話になったのですが、使い込んだ地下足袋姿の彼は少女漫画の主人公のように、瞳をキラキラと輝かせて医院や町の未来を語ってくれました。繰り返すしますが足元は地下足袋です。

 

輪島市の端で隣接するのは能登町。平成の大合併の影響で発災直後からつい先日まで、のびのびとした住民主体の避難所運営で感心していたのが、この輪島市町野(まちの)地区です。

 

能登半島には漁業・工芸・観光・農業の特性が見受けられますが、この地は典型的な農業の地域性で、その風景と同じくのどかな人柄に出会うこと多く、厳しい現実と向き合う支援活動の中にも気持ちが和らぎ、つい足を向けてしまう場所です。

 

詳細は割愛させていただきますが、日常に潜む物事が災害時には浮き彫りにされます。

 

避難所を役所が管理運営すれば様々な理由をこねくり回して早く出て行くよう促すことになるなかで、避難住民が避難所運営に携わる所では、どうすれば過ごしやすくなるだろうかと工夫しながら、次の行き先である仮設住宅の完成を待つことができそうに感じられます。

 

そのハンドルを握るのにも手放すのにも相応の苦労があることに変わりはないのですが、ハンドルを握っているからこそ自分たちの意見が反映され、その意見はまちづくりにも活かされていくと思います。

 

災害が有れ無かれそこに少しでも心地よく住み続けたければ、私はハンドルをお役人に渡すべきではないと強く思います、住民主体とは先ずはそこからでしょう。

 

今後の復興のビジョンの中に、町野地区の人たちが積極的にかかわっていくことを、期待し、応援していきたいです。

 

(災害支援団体「チーム神戸」代表・金田真須美さん/兵庫県在住)

 

【編集部より】復旧すら道半ばの現状、届かない被災者の声

本稿には藤本さんを通じてたくさんの方にご協力をいただきました。被災地の声として地区ごとにまとめていただきましたが、それぞれは1人のコメントではなく、たくさんの方の声を集めたものです。ご紹介した地区のみなさんは、不安や困難に押しつぶされそうになりながらも、今も避難生活を続けています。

 

復旧すら道半ば、日々の水や食べ物にさえ困難がつきまとう現状を知ったいま、私たちにできることは「関心を持ち続けること」そして「折に触れて何かしらの支援を行う気持ちを持ち続けること」なのでしょう。

 

自分自身の手の届く範囲でできることを、少しずつ行っていくことが大切だと痛感しています。

 

 

 

長編でしたが最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

現状を少し追記しますと。。。

 

片付けなどの人的ボランティアの方の姿は未だ見ていません。

震災NGOのプロの方は長く活動されて大変助かっています。

少しずつ実家のある町野町も知られるようになり

物資や炊き出しなどの支援もあるようになりました。

ありがたいことです。

 

知られるようになった弊害も生まれています。

空き家や倒壊家屋のエアコンや金属類を無断で持ち出す輩も確認されております。

警察によるパトロールも増えています。

防犯カメラの設置台数も増えております。

引き続き見回りをよろしくお願いします。

 

こんな現状があるということを忘れないで

いただけるとありがたいです(>人<;)

 

(お借りしました)