無記名で入社試験を行ったら | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


尾石晴さんのVoicy【2024.7.5 無意識にやってしまった偏りを指摘された話】の放送回を基に考えたことです。


この回は、晴さんがあるアンコンシャスバイアスを人から指摘されて、恥ずかしい思いをしたというお話でした。

晴さんは、とある雑誌に本の紹介をする連載をしています。1ヶ月に一回のペースで。その雑誌の読者層は圧倒的に女性が多いとのこと。


晴さんが3ヶ月連続で、男性著者の本を紹介されました。すると編集者の方から「男性の著者が続いているので、選書を変えてもらえませんか?」と言われたということです。その時晴さんはご自分のアンコンシャスバイアスに気づかれて、恥ずかしくなった。指摘をしてもらってよかったと思ったとのことでした。


晴さんは、ジェンダーに関する放送をされることが多いです。そしてどちらかというと、女性が活躍できる社会を作っていきたいという印象を僕はもっています。そんな晴さんだから、女性読者の多い雑誌で、3連続で男性著者を無意識に選ばれていたことを恥ずかしく思ったということです。気をつけていたのに気づけなかったご自分を。


僕はこのお話を聞いて「何が問題なのか分からない」と思いました。そしてコメントもそのように送りました。


編集者の方が、男性著者が続いていることを指摘し、選書を変えてくれと言われたことは理解できます。しかし、晴さんご自身がそれに対して恥ずかしくなる必要があったのかな?と疑問に思いました。



男性とか女性とか関係なく、晴さんが面白いと思った本を紹介されたわけです。それでよいのではないかと思いました。


ただそこには確かに問題があります。それは読者層が圧倒的に女性だということです。そして晴さんのことをよく知らない人も読む可能性があるからです。

この中には、女性の権利を強行に訴える人もいて、男性優位の影が少しでも見えようならば噛みついてくる人がいるのです。ヴィーガンの人が肉食している人に攻撃を加えるかの如く。


ただそれは、過剰に反応する人たちの問題であって、話が別だと思います。


そこで僕は、本当のジェンダーフリー社会とは何かを考えてみました。そこで行き着いた結論です。


「男性だろうと女性だろうと、その能力によって評価される社会」

こそがジェンダーフリーの社会だということです。


今は過渡期なので、女性をより社会に参画させようとするベクトルが強く働いています。男性優位の社会を女性台頭社会にするためには、この引力は重要です。


しかしそれは同時に過剰に反応する人も量産します。先程の雑誌の読者のように、ちょっとでも男性の影が見えるとクレームを入れてくるようなことは容易に想像ができます。


僕はその先の社会を望んでいます。


ちなみに、晴さんの今回のアンコンシャスバイアスは、僕が目指す社会と同じところに起こったことだと考えています。というのも、晴さんはその本が男性とか女性とか関係なく選書されたわけです。それは単純にその本の内容が面白いかどうか、役に立つかどうかで判断されているのです。もし無意識に男性とか女性とかを区別しているのであれば、それは本当のアンコンシャスバイアスになりますが、内容で判断するならば違うのではないかと思うからです。



そこでさらに考えてみました。


性別で判断するのがフェアではないのだとしたら、入社試験や入学試験を、無記名でやらせたらよいのではないかと。


そうすれば、その人自身の能力だけで判断することが可能だと思うのです。


ただこれには問題も多くあります。それは基本がテキストベースになることです。面接や面談ができません。すると、その人の纏っている空気感が全く分からないのです。

人の能力は様々なところで判断されます。どんなに字面を良くしたとしても、どんなにテストで高得点を取れたとしても、それで人間性が分かるわけではないということです。


どうしても最終的には、人間の判断が必要となるのです。


ただ何らかの形で僕が提案している採用試験方法が叶ったら、僕はもっと女性が社会に進出してくると予想しています。

女性のマルチタスク能力は、現代社会において非常にフィットしています。多様性を尊重する観点からも、女性の元来もっている資質の方が有利です。


小学校の教員をやっていて感じるのが、女性(女子)の方が真面目でコツコツ、協調的に取り組むことが多いです。つい採用したくなるのは、女子の意見の方が多いです。

これは僕のアンコンシャスバイアスです。だから世間一般の正しい認識であるわけではありません。ただ傾向としてはあると、僕は考えているというだけです。



今の社会は多くを男性側の視点から作ってきています。だから至る所に男性では気づかない女性に不利な制度が隠れています。その制度をよりフェアなものに変えていくためには、やはりもっと女性が社会に進出しなければなりません。


その1つの方法として、無記名入社試験導入を考えたのでした。


ちょっと視点を変える例を挙げます。


あなたは『鬼滅の刃』というマンガをご存知ですか?読んだことはありますか?

僕はしばらく読んでから知ったのですが、この作者の吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さんは女性だということです。週刊少年ジャンプの作者で、戦いものを描いている=男性作者だと思い込んでいた僕は、超衝撃を受けました。

そしてそれと同時に「なるほど!だからこの作風になったのか!」とも思いました。

鬼滅の世界観は、非常に独特です。主人公である炭治郎がヒーローらしくないのです。ドラゴンボールやワンピースを読んできた僕は、とても弱い(感じのする)炭治郎に違和感を覚えていました。


でも、孫悟空やルフィに比べると共感的に寄り添えます。炭治郎の優しさに癒されるし、敵である鬼の視点にも共感すらできます。


そして思想観が、アドラー心理学やセルフ・コンパッションに通じているように感じるのです。


あれだけの超大ヒット作(加えてクオリティも非常に高い)を作ったのは女性です。男性が作ったという僕のアンコンシャスバイアスを乗り越えて、女性が作ったという事実は、男女間に差がないことを示すのと同時に女性の能力の高さを感じざるを得ません。


入社試験でこのバイアスをかけないようにするためには、無記名試験を行うのは妥当性があると思うのです。

審査員(人事担当のみならず、一般社員も含めて)が一緒に働きたい人を選びます。エントリーシート(というのがあるのかどうかも分からない)には、番号でしか記されていない。主語は全て私で統一。性別に関わるような記述をしない、などのルールのもとで試験を行います。


その中から上位10名を選んで面接をする、といった形です。でも面接も最初は音声を変更しての間接対面式にします。受け答えの間であったり、話す内容だったりを判断して最終面接に向かいます。


そこで初めて対面式の面接をするわけです。性別もそこで分かるということです。


こんな仕組み、どこかにあるものでしょうか?そもそもこんなこと現実的にできるものでしょうか?書いていて自分でも絵空事のように思っています。


僕がお伝えしたいことは、相手が男性か女性か分かるだけで、かなりのアンコンシャスバイアスがかかるということです。これは社会をフェアにしたい僕にとっては邪魔なものです。それにも関わらず、晴さんと同じようにアンコンシャスなだけにどうしようもないところでもあるのです。


少しでも性別による関係がフェアなものになるようにしたい。僕が求めているのはそこです。


そこに向けて社会は動いていますが、まだまだ通過点でしかありません。これから先、それが進んでいくのかも未知です。


でもフェアな社会の実現は、誰にとっても居心地の良い社会になると僕は信じています。だから僕はその社会の構築のために、微力ながらも行動を続けていきます。


最後までお読みくださりありがとうございました。