マインドフルな時は心が閉じている | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


今日は、大愚和尚のVoicy【2024.6.2 直感力と癒しが訪れる心身の整え方】を聞いての気づきをシェアします。


大愚和尚がここで「山に入りましょう」と提案されています。和尚はよく、近くの山に散歩のようにして入られるということです。そこでは自然の一部になった感覚になり、それがとても心地良いというお話をされています。


僕は山登りも散歩もあまりしませんが、この感覚には共感できます。

自然の一部になった感覚とは、無我の状態だと和尚はおっしゃっていました。「ワタクシというものがない」状態なのだと。


人間社会に生きていると、我をもって行動することが非常に多いです。生きる意味とは何か、貢献活動をしていきたい、あの人よりも秀でたいなどと、思考を伴った活動ばかりを行っています。

これも非常に大切なことではあるものの、どこか不自然な感じもしています。ずっと思考を張り巡らせているので疲れも感じますし、ストレスが溜まる一方です。


時々、夏休み等を使って旅行に出かけたり、自分が知らない所に出向いたりすると、すっきりとした気持ちになれることがあります。非日常を味わうことで、そこに無我の状況が生まれるからなのかな、と思います。


僕が小学生だった頃、サッカーをするのがすごく好きでした。部活のように練習を積み重ねたものではなく、放課後友達と校庭でゲームばかりをしているそんなサッカーです。

何時間でもぶっ通しでできる程、夢中になって遊んでいました。

僕がこのサッカーを好きだったのは、今思えばマインドフルになっていたからです。友達とバイバイした後、すっごく気持ち良くて、心の底からじわじわと喜びに浸れるようなそんな感覚を捉えていました。

汗をかいた体に夕方の風が心地良く当たってきます。そんな時に見る夕焼けが、泣きたいくらい美しく見えました。


このような時、頭の中は1つのことに集中している感覚になります。頭がぼわーっとした感じになり、瞳孔が開いて目がキラキラするように見えます。


大愚和尚は無我の状態では、心を閉じているとおっしゃっていました。佐々木俊尚さんも以前Voicyで同じことをおっしゃっていました。山登りをする時には、安全面に注力したり、天気を読んだり、自分の体と対話したりして集中するのだと。この状態は心を解放させるというより、むしろ心を閉じた状態なのだとおっしゃっていたのです。


僕は「きっとそうなのだろうな〜」と思いました。

僕がサッカーをやっている時は、サッカー以外のことを一切考えません。どうやったらドリブルで突破できるか、誰にパスを通そうか、相手がどのような攻め方をしてくるのか等、瞬時にいくつものことを判断しています。


この時、それ以外のことを考える余裕はまるでありません。誰かに横で話しかけられても気づかないのではないかという程集中します。正に無我の状態でサッカーというゲームと一体となっているのでしょう。


これが俗に言う「マインドフルネス」なのではないかと思います。マインドフルネスを真剣に修行したことがないので簡単には言えませんが、おそらくそうなのだろうと思います。


何かに集中した時には、「今ここ」しかありません。未来のことも過去のことも考えずに、今に集中します。これはむしろ心が閉じた状態でないとできないことだと思うのです。


日々の生活の中で、この閉じた状態を作ることは非常に難しいです。仕事や子育てに追われていると、こういったマインドフルな状況を作り出すのに四苦八苦します。


しかしやはりこの状態を1日に1回作ることは必要なことです。


そこで僕はどのようにしたらそれが作れるのかを考えてみました。そして気づいたことがありました。


僕は通勤に自転車を利用しています。職場までの往復40分。この時間ならばマインドフルな活動をできるかもしれません。


と言うのも、僕が自転車を漕いでいる時は、思考にかなり集中しているからです。


前から知り合いの人が来ても大抵気づきません。すれ違う寸前に会釈とかされて初めて気づいて、通り過ぎてから挨拶することも多いです。

また周りから声を掛けられても気づいていないことも多いです。相手を無視した形になってしまうのですが、それは僕が集中しているからです。


自転車に乗っていると、対向車が来ないかどうか、脇道から誰かが飛び出して来ないかどうか、先の状況を見ながら判断をすることに忙しいです。その状態でかつ同時に思考を繰り返すので、頭の中は相当忙しいです。


けれどこの忙しさが実は心地良くもあります。心を外界ではなく、内界に向けて閉じていきます。大愚和尚のおっしゃる「自然との一体化」とは真逆のことかもしれませんが、この時の感覚を僕は好きです。


この時間があるから、僕は自転車通勤をやめられないのです。電車が苦手というのもあるけれど、30分くらいの距離ならば、僕は自転車通勤を選びます。


実はこの自転車に乗っている時間が、無意識のうちに自分の心を整えてくれているかもしれない。そんな気づきが自分の中にはありました。


今回は話が上手くまとまりきれませんでした。ただ、マインドフルな状態というのは、心の解放よりもむしろ内にこもる感覚だということを共感していただきたくて書いてみました。

あなたはどう思われますか?コメント等で教えていただけると幸いです。


最後までお読みくださりありがとうございました。