仕事においてはマッチャーに徹する | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


僕は3年前にあることがきっかけで、今の仕事に全力で取り組まなくなりました。正確に言えば、ある種の人に対して、僕は力を注がなくなりました。


ある種の人とは「テイカー」です。僕の時間や労力を搾取しようとする人に出会った時には、すぐに防御態勢に入るようになりました。


僕の以前の働き方は「ギバー」タイプでした。誰に対しても、何に対しても全力を注ぎ、人のため世のために貢献しようと頑張っていました。時には鼻血を出しながら熱血教師で仕事に向かっていました。


ただ心のどこかに、「これでは体が保たない」という思いを感じながらの日々を過ごしていました。


そんな時ある事件がきっかけで、自分が簡単に社会から捨てられる経験をしました。自分が真剣に取り組んできたことが水疱に帰した感覚で捉えられました。


それ以降僕は、100%近くの力を仕事に注ぐことを辞めました。バカらしくなってしまったからです。僕はどこか世捨て人的な働き方をしている感じを持っています。


これを一言で表すと、僕は「マッチャー」に徹していると言えます。


マッチャーに徹することで、非常に働きやすくなりました。楽になることができました。具体的にどうしたかと言うと

「ギバーにはギブを、テイカーにはテイクを」

提供するようにしたのです。

つまり「人を選んで仕事をする感覚をもった」のです。


公務員なので、表向きは全ての人に対してサービスを提供しています。しかし心の中では、サービスの質を調整して提供しています。



テイカータイプの人は意識無意識関わらず、他者の時間や労力、心を平気で搾取してきます。

夕方遅くに電話をかけてきて、ああだこうだと相談してくる保護者。
自分の子供が学校で除け者にされていて可哀想だから状況を教えて欲しいという保護者。
教育委員会から下ろされてきたという事務的な作業を、さも当然かの如く半強制的に行わせる管理職。


以前はこういった人たちにも真摯に対応していました。世の中の空気的にも「個性尊重、コンプライアンスを大切に、話を丁寧に聞き取る」といった方向で進んでいるので、それを行わない教員は「ダメ教員」のレッテルを貼られます。

しかし今なら分かります。これは社会の空気という圧による搾取なのです。


搾取には自己防衛を!これは僕の1つのテーマですが、それが結構上手くいっている実感があります。


というのもここ最近風邪を引かなくなりました。ストレスを過度に感じる前に、白旗を上げて逃げるからです。逃げて態勢を整えてから再び戦場に戻るようにすると、心身のダメージを引きずらずにいることができます。


テイカーに出会った時に僕が気を付けていることは、線引きをすることです。ここまではできるけれど、ここより先はやらないよ、ということを宣言します。


例えば、僕の退勤時刻は16時15分なのですが、それを相手に伝えます。つまりそれ以降の時間の対応は、僕がサービスで行っていることで、本来の仕事ではないということを暗に伝えるのです。


テイカーは搾取できそうな相手に吸血してきます。「こいつには何を言っても無駄そうだ」と思わせれば、吸血されることはありません。

しかし可哀想なのが、ギバータイプの人です。僕がかわしたテイカーが、結局はそういう人に吸い付いていくことになるからです。けれど僕はその人を助けることはできません。


要するに、仕事においてはみんながマッチャーになってしまえばよいのではないかと考えています。


その代わり、僕はギバーに対してはギブの精神で臨みます。


例えば、クラスにギバーで貢献感の強い子がいたとします。そのような子が困っていたり、居心地が悪くなったりした場合には全力で助けます。

いつも感謝の言葉を伝えるし、変顔しながら笑わせたりすることもあります。その子が不利な状況になったら「◯◯さんはいつも、◇◇をやってくれているよね。そういう人がたまに失敗した時に責めるのはどうかと思う。」などと言ってフォローします。


さらに言えば、テイカー気質の子供に搾取されていると判断した場合には、そのテイカーに対して僕は攻撃を加えて自分が矢面に立つようにしています。そうやってクラスに貢献する子供を守ろうとするわけです。


またギバー気質の保護者にも全力でサポートします。以前もっていたクラスの保護者が困っていると判断した場合には、放課後いきなり電話することもあります。迷惑かもしれないけれど、「気にかけている者が担任以外にもいること」を伝えたいのです。できることならば、頼ってもらって一緒に問題を解決したいです。



マッチャーと言うと風見鶏的な行動をしているように見えます。はたから見れば「いい人」には見えません。

はい、はっきり言います。僕はいい人であることを辞めました。誰に対しても良い顔をするのは、もうバカらしくてやっていられないのです。


だからこのブログでも、言いたいことをはっきり言っています。そしてある種の人に対しては、攻撃とも言える内容を綴ってもいます。


でも僕は、数年前より今の方が遥かに生きやすくなりました。いい人の仮面を捨てると、自分を大切にできるようになります。すると心に少し余裕が生まれるのです。この余裕をもって人と接することができるので、人間関係でこじれることが少なくなっているのです。


結果的に、より良い状態で仕事をすることができるようになっています。いい人を捨て去ったお陰で、一部の人にとってはいい人になることができています。


誰にでも好かれるスーパーティーチャーのようには振る舞えませんが、僕は今の自分に満足しています。


もし仕事が辛くて仕方ないという人がいたら、マッチャー的な接し方をしてみてはいかがでしょうか。仕事は大事なものですが、もっと大事なことは自分の人生を生きることです。

仕事で心身の健康を損なうくらいだったら、マッチャー精神で取り組めばよいのです。それが結局は自分を守ることに繋がると、僕は考えています。

最後までお読みくださりありがとうございました。