僕が教員を目指した理由 | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


以前同じ内容で書いた遠い記憶があるのですが、最近改めて気づいたことがあったので記録として残しておこうと思いました。


先日次男の保育園の同級生の家族と、近くの公園でピクニックをしました。そこに来た家族はうちを含めて6組。ほとんどが両親揃っての参加でした。


そこで驚愕したことがあります。それはお父さんたちがめちゃくちゃ優しいことです。

子供たちと一緒に遊んだり、優しく言葉かけをしていたり、子供を愛しんでいることがビンビンと伝わってきました。


僕はというと、子供と遊ぶのも億劫だし、言葉かけも雑だし、子供を玉のように扱うようなことはしていないことを自覚しました。小学校教員であるにも関わらず、保育園児たちとどう接してよいのか分からないという体たらく😱僕はその場をひっそりと過ごしました。


改めて感じたことですが、僕はあまり子供が好きではありません。小学校教員にあるまじき発言ですが、これは事実です。 


ではなぜ小学校教員になったのかというと、僕には子供が好きだと言うこと以上に大切にしてきた思いがあるからです。



それは「戦争のない世の中にしたい」という思いです。自分が世界を平和にするためにできることは、子供たちを教育することだと考えました。


よく夢がでかすぎると言われることがありますが、そうではなくて、自分のコアな部分を抽出していくとここに行き着いたという感じだったのです。おそらく誰もが同じように到達する場所だと思います。


さて、世界平和を目指すのならば政治家になればよいわけですが、僕はそうしませんでした。それには二つの理由があるからです。その二つは


「一生懸命な人が好き」

「誰かの成長が見たい」

というものです。僕は、何かに夢中になっている人が大好きで、人が成長するのを応援したい気持ちが自分の心の奥底に存在しているのです。


この思いが枯渇することなくずっと湧いて出るので、小学校教員を続けることができています。


僕は子供を猫可愛がりするようなことは一切ありません。それは自分の息子たちにも同様です。

その代わり「一生懸命」や「成長」というキーワードに触れたものに対しては、全力で応援しています。



先日、もうすぐ5歳の次男が自転車に乗れるようになりました。ストライダーは2年前くらいからスイスイ乗っていたのに、なぜかペダル式の自転車には怖がって乗ろうとしなかった次男です。


折しも冒頭で紹介したピクニックに行った時に、息子の同学年の女の子が自転車に乗る練習をしているのを目の当たりにしました。僕はその様子を見ていて次男にこう声をかけました。

「◯◯(次男の名前)、明日自転車に乗る練習するからね。」

僕はこの時を待っていました。次男は比較的負けず嫌いな性格。同学年の子ができることを自分もやってみようとするタイプです。これはチャンスだと思いました。

次男は「え〜、どうしよう〜」などと言いながらまんざらでもありませんでした。これは「押せばいける!」と思いました(笑)


そして次の日、僕の実家に置いてあるミニ自転車を持ち出して、次男に呼びかけました。「◯◯、やるぞ!」と。

最初は渋々やろうとした彼でしたが、背中を支えてあげて、漕ぎ方を少し教えてあげたら10分くらいで乗れるようになりました。それで火がついたのか、そこから2時間くらい練習を続けたのでした。


僕はその練習に付き合い続けました。何だか次男がすごく嬉しく楽しそうだったからです。夢中になって自転車を漕いでいる姿が可愛くて、上手くいかなくて泣いてしまう彼がいても「ほら、さっきできたじゃん。大丈夫、できるできる。」と励ましたのです。


普段はそこまで付き合いません。僕は自分がやりたいことを優先させる人なので、子供と一緒に遊ぶというのはほとんどやりません。


でも自転車の練習には付き合えます。なぜなら夢中になっている姿が見れる上に、どんどん上手くなっていくのを見られるからです。これは僕にとっても至上の喜びの1つなのです。




これが僕の教育の原動力です。子供が好きだと素直に言うことはできないけれど、一生懸命になって活動に取り組み、その子が成長する姿を見ることは何よりも僕にとって大切なものです。



この喜びを味わえるところはどこか?と考えた場合、僕は小学校が一番面白いのではないかと思いました。

物事に夢中になって取り組もうとする子供たち、そして6年間で大きく成長する子供たち、これを同時に目にすることができるのが小学校です。



だから僕は思うのです。小学校の先生が必ずしも子供好きである必要はないのではないかと。共に成長を喜んだり真剣に取り組むことを応援したりできればそれでよいのではないかと。


小学校教員をしていると周りに言うと、「子供が好きなんですね〜」と言われることがたくさんあります。その度に心の中で「そうでもないけどね」と呟く自分に一抹の引け目を感じる自分がいます。


しかし同時に、「僕は人の成長に関わりたいと思っているし、そのために一生懸命な子を応援したいだけなんだよ。」ということを意識せずとも言える自分でいるわけです。


先程も書いたように、この思いは枯渇することがありません。僕の内側からどんどん湧いてくる思いなのです。


だから僕は小学校教員を続けられます。そしてこれからもこの気持ちが枯渇化しない限り続けていくことでしょう。



僕の場合には、「成長」と「一生懸命」というものが核にありますが、あなたの中にもきっと何かが隠されているはずです。


自分が無意識に取り組んでいることにそのヒントがあります。この機会に探してみてはいかがでしょうか。


最後までお読みくださりありがとうございました。