僕が考える副リーダー論 | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


子供たちの中に、リーダーはやりたくないけど副リーダーだったらやりたいと言う子がいます。僕はこれ好きじゃないんですよね。


だから今年度初の委員会の時につい訊いてしまいました。

「副リーダーの役割ってなに?」

と。すると形状記憶されたが如く言われる言葉があります。

「リーダーを支えること」

意地悪な僕はさらに突っ込んで聞いてしまいます。

「リーダーを支えるとは具体的にはどうすること?」

子供「リーダーが休んだ時に代わりにリーダーになること」

僕「ではリーダーが休まなかったら何のためにいるの?」

ここまで来ると大体子供たちは黙ります。そこまで深く考えている子はいないからです。


これは子供の責任ではありません。リーダーとはどういったものなのかを考えて来なかった指導者の責任です。自分の頭で考えない指導者が、自分の頭で考えなければならないリーダーをどうやって育てられるのでしょうか?


副リーダーはリーダー以上に難しいポジションだと考えています。副リーダーの行うことは多岐に渡り、またこれといった仕事内容が決められているわけでもありません。だからその人自身のあり方がモロに出るものだと言えるからです。


僕は中学時代に生徒会副会長になったことがあります。今思えばよい経験になりましたが、当時は自分が生徒会役員であることにコンプレックスをもつくらいのポンコツ具合でした。何もできなかったと言っても過言ではありません。


だから副リーダーを安易に考える人がいると、妙に食ってかかってしまうところがあります。ただそれは相手にとっては迷惑ですね。


では、副リーダーの役割を具体的に考えてみたいと思います。その際思考の手助けとなるのは、歴史上に名を馳せた副リーダーの存在です。


戦国時代にはいわゆる「参謀」や「丞相」と呼ばれる実質No.2のポジションにいる人が多くいます。

僕が知っているのは、黒田官兵衛です。羽柴秀吉に仕え、日本の天才軍師と言えば真っ先に挙がる人の一人です。

もう一人知っているのは、蜀に仕えた稀代の天才軍師「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」です。今回は孔明の副リーダー的要素から考えてみます。


『三國志』という名前を見たことはある人が多いのではないでしょうか。三國志には大まかに分けて、正規の歴史書「正史」と後の時代に書かれた歴史小説である「三国志演義」の二つがあります。「正史」の主人公は曹操孟徳(そうそうもうとく)、「演義」の主人公は劉備玄徳(りゅうびげんとく)です。今回は、演義から得られた情報を基に考察しています。


諸葛孔明は、劉玄徳に3回請われて軍師となりました。リーダーであった劉備が、聡明であると噂に名高い孔明を何としても配下にしたいと思い、遠い道を三度も訪ねたことで有名です(三顧の礼といいます)。それほどまでに孔明の利発さは群を抜いていたということです。


孔明はその後、劉備に生涯仕えることになります。孔明自身に国を創る能力はあったと考えられますが、常に劉備を立てて臣下の礼を尽くしました。

僕はここにまず副リーダーの素質があると思いました。

副リーダーの条件1
「リーダーに尽くす」
リーダーのことをリスペクトできない副リーダーは、その素質として相応しくないと僕は考えます。リーダーあっての副リーダー。だから子供たちが「リーダーを支える」と言ったことは正しいと言えます。


副リーダーの条件2
「自分が常にリーダーのつもりで行動する」
1と矛盾しているように思うかもしれませんが、そうではありません。

リーダーが不在の時に自分が動くためには、自分がリーダーだったらどうするのかを常に考えておく必要があるのです。

例えば、孔明が劉備から出陣を命じられたら、孔明は劉備だったらどのようにするのかを常に考えて行動しました。孔明はおそらく劉備よりも遥かに頭がキレたはずです。しかし劉備の意を汲んで動くことを良しとしていました。それが忠誠心です。


副リーダーの条件3
「策を立案、実行する」
リーダーの意を汲むとは言え、全てをリーダーの決断に任せるわけではありません。

リーダーが立てた案が無謀であると分かった場合には、しっかりと反論するのも副リーダーの役割です。

その時に、ただ反論するのではなく新たな案を提示する必要があります。常にリーダーとして考えていることで、より明確に戦略や戦術を提案することができます。

時にはリーダーを説得して、自分の案を通して実行することが必要です。全体の利益を考えることも副リーダーの役割です。


副リーダーの条件4
「泥を被る覚悟をする」
策を考えて行動した場合、その責任を負うのも副リーダーの役割です。最終的な責任はリーダーが負うことになりますが、それは最終手段です。批判されたり、物事を取りまとめたりするのは副リーダーであり、実行部隊の実際の指揮をとるのも副リーダーです。

リーダーにとっての防波堤のような存在で、とても損な役割です。


副リーダーの条件5
「目指すのは常に全体の利益」
副リーダーは究極の中間管理職です。

自分の手柄はリーダーに持ってかれ、下からは突き上げに遭います。けれど常に目指すのは全体の利益。滅私奉公する必要があります。

だから野心がある人には、副リーダーは向きません。自分がどんどん突き進みたい人であれば、リーダーになって引っ張る必要があります。


曹操孟徳という人は、非常に能力の高い人で、政治力、軍事力、文化の力いずれも秀でていたそうです。だから自分でガンガン部下を引っ張って大国を創りました。

劉備玄徳は対照的で、どこか茫洋としていてリーダーシップは曹操ほど持ち合わせていなかったということです。

しかし副リーダーとしては劉備のようなタイプの方がやりやすそうです。自分が策の立案をして提案することで、それが採用される確率が上がるからです。せっかく提案してもリーダーによって却下され続けたら、途中で心が折れそうです。



孔明は生涯に渡り、私利私欲を捨て、劉一族や蜀のために尽力しました。僕は副リーダーのお手本として孔明を見ています。





委員会の話に戻ります。

僕が今の学校の仕組みで不満に思っていることの1つに、6年生でリーダーの経験をさせるというものがあります。

僕の感覚では、立案したり行動したりするのは5年生が行う方がよいと思っています。つまりいわゆる「リーダー」的なポジションを5年生に任せるのです。そうすることで、6年生はそのサポートに回すことができます。


副リーダーという役割を実感するためには、実のところリーダーの役割を担ったことがなければ難しいです。最終的な決断と責任を負うのがリーダーの役割です。この覚悟を決めるためには、自分が実際に動いたことがなければ難しいのです。


だから早い段階から副リーダーの条件を身に付けさせていく必要があります。そうすることで、本当のリーダーが6年生の中から生まれてくる可能性が高まるからです。


委員会活動や縦割り班活動など、6年生が中心となって活動していますが、5年生以下はただのお飾りです。本来ならば、5年生以下の子供たちがこれらを運営するべきです。それを行うことで、6年生になった時に自分事として班活動を行うことができるからです。


名ばかりの副委員長になるのではなく、そこに行動を伴わせる。それが僕の考える委員会活動の目的です。だから僕は子供たちに伝えました。

「委員長を支えることがあなたの仕事ではない。あなたがこの委員会を引っ張る覚悟をすることなんだよ。」

と。おそらく伝わってはいません。けれど一石を投じることはできたと思っています。今年の委員会では、僕は副委員長に多くの仕事を割り当てていきます。そうすることがきっと委員会全体の力を高めることだと考えるからです。


いかがでしょうか。おそらく学校ではあまり一般的な考え方ではないように思いますが、納得していただけたのではないでしょうか。

副リーダーは名誉職じゃないのです。むしろ実行部隊だと覚悟すべしです。安易に副委員長で楽を狙おうとせずに、自分がみんなを引っ張る気概をもってほしいと願うのでした。


最後までお読みくださりありがとうございました。