グライダーも飛行機も | 武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきたいです。

いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


今回はVoicyパーソナリティ、尾石晴さんの【2024.3.21 グライダーと飛行機 あなたはどっち?】からのシェアです。子育てや教育についての深まりを感じたので、そのことをお伝えします。


この回の放送では、外山滋比古・著『思考の整理学』を基にお話しされています。僕自身は読んだことはありませんが、「東大や京大で一番読まれた」といった帯がついている本です。有名なのでしょうね。


晴さんの素晴らしいところの1つに、何かの作品を分かりやすく要約して伝えてくださることがあります。今回も晴さんの解釈を基にシェアさせていただきます。



学び方や思考の仕方には、グライダー型と飛行機型があるということです。

グライダーは、高い所から飛び下りたり風の力を利用したりしながら飛びます。自分がエンジンを積んでいるわけではないので、他の力が必要です。

飛行機は、自らエンジンを積み、自走することができます。

今回のお話では、教育や子育てにおいてもこのグライダー型と飛行機型があるというものでした。



端的に言えば、「学校ではグライダー型の人間を育て、家庭では飛行機型の人間を育てるようにした方がよい」ということです。僕はこれを聞いて「なるほど〜」と深く納得したのです。




『思考の整理学』は約40年前に書かれた本であり、晴さん曰く「学校教育を批判した箇所」があるそうです。どのような批判かというと、学校教育ではグライダー型の人しか育たないといったものです。


学校の目的は「知識の伝達」であり、その為には当然「教える」ことが主体となります。これはおそらく学校教育が始まってからずっと変わらない原理であり、今日までずっと続いています。

教えることの主体は教員です。児童生徒はそれを受動的に受け止めます。すると自分で考えて行動する人間よりも、従順で素直な子供の方が優秀さを発揮できる場と化します。

このことに対して、幾度となく学者や稀有な教員が問題として取り上げてきましたが、ほとんど形が変わることなく残っています。さらに言えば、晴さんがおっしゃるように社会が成熟したために、より一層この傾向が強まっています。今後もこの原理はそのまま残り続けるものと考えられます。


そこで大切になるのが、飛行機型の人間をどのように育成するのかという視点です。晴さんはこれを「家庭が担う必要がある」とおっしゃっています。僕はこれに大賛成です。


学校教育の内部にいる者として感じるのは、飛行機型の人間を育てにくい仕組みになっているということです。知識の伝達をしなければならないとなると、どうしても「教える」ことは避けられません。

僕も一時は、子供たち主体の教育にしようと子供たちに学びの権利を与えて活動させたことがあります。しかしこれは結果的に上手くいきませんでした。


その最大の理由は「知識が狭いところで留まってしまうから」です。


自分で学ばせようとすると、知識の少ない子供たちは新しい価値よりも、これまで獲得した知識に傾倒するところがあります。例えるならば、補助輪付きの自転車に乗れるようになった子は、その便利さを痛感し、補助輪なしの自転車に乗ろうとはしなくなるようなところがあるのです。


学校教育で教える知識は、子供がすでに獲得している知識の何十倍何百のものを提供します。それを与えることで子供たちの知識が増長され、さらなる視野の広さを身に付けるわけです。



しかし子供だけに学びの主導権を渡してしまうと、この提供されるべき知識を限定することになります。するとかなり幅の狭い人間を育ててしまうことになるわけです。


現代は、限定的な知識を活かす時代です。1つのことに特化できればそれだけで生きていけます。ただ、1つのことに特化するとどうしても限定的になりすぎて、汎用性が低まります。これだと社会に臨機応変に対応する力は生まれないのではないかと、僕は考えています。



その点、グライダー型の教育活動は、子供たちを空に飛ばす点に関しては優れています。高い所に子供たちを連れて行ったり、車でグライダーを引っ張って空へ飛ばしたり、より遠くまで飛ぶための飛行技術を教えたりするなど、あの手この手で知識を伝達していきます。


子供たちはそれに従っていれば「空に飛ぶことができる」のです。


空に飛んでみれば、その飛行の知識や技能は自ずと身に付いていきます。風の向きによって翼を変えたり、体重移動を行うことで方向を変えたり、翼をより大きく車重を軽くして遠くへ飛ぼうとしたりと、自分で工夫することも可能です。


そしてこの知識は、自走式の飛行機になった時にも生かされます。飛行するという体験や知識を身に付けることで、それにエンジンが加わっても「空を飛ぶ」ということに変わりはなくなるからです。



晴さんは、グライダー型の教育で学んだことが飛行機型でも生かされるとおっしゃっています。さらに言えば、グライダーの知識がないと飛行機として飛ぶことはできないとおっしゃっています。


僕はここにこの話の真髄を見ました。


守破離の「守」を学ばせるのが学校の役割です。
そこから「破」を学ばせるのは家庭の役割なのです。

「守」がない状態で「破」に移行することはできないし、「守」の部分を家庭が担い「破」の部分を学校が担うことは今の仕組みでは相当難しいです。


僕がこのお話で最も共感したのが、この学校と家庭の住み分けを晴さんが明言してくださったところです。


教育の全てを学校が担うわけではありません。かと言って、子育てだけで教育が完成するわけでもありません。学校と家庭がそれぞれに自分の役割を認識することで、子供たちは大空に向かって自走式エンジンの飛行機を飛ばすことができるようになるのです。




だからグライダーも飛行機もどちらも大切だし、飛行技術をグライダーから学んで行った方が、よりスムーズに飛行機に移行することができるのです。



今、学校教育は社会の批判対象となることが多いです。僕もグライダー型の人間を育てることの危機感をもっている一人です。しかし、学校教育の多くは今のままでよいとも思っています。


学校では、あまりにもグライダー型を育てようとしすぎているから、飛行機型の子供を育てる要素は欲しいと願っています。でも僕の肌感覚では、学校で飛行機型にシフトするのは今の3割が限度です。これを超えて飛行機型に移ろうとすると、効果的な教育から遠ざかってしまうと僕は感じます。


要するに「バランスが大事」だということです。

これは家庭でもグライダー型を育てる必要性も示しています。学校と家庭の住み分けをすると先程書きましたが、ここを極端に明確にしすぎると却って逆効果になりかねません。


ソフトランディングかつフレキシブルに、学校と家庭の住み分けを行っていくことが大切です。そうすればきっと、理想的な教育の形に近づけるのではないかと思うのです。


僕の最近の教育のテーマは「バランス」です。


何かに極端に傾倒しないように、バランス感覚をもって教育活動に取り組んでいきたいと思います。


あなたも一緒に、より良い教育活動をしてみませんか?


最後までお読みくださりありがとうございました。