感じの良い人になろう | 武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきたいです。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


最近どこかで目にした言葉、そして先日の教員向け研修会で講師の先生が全く同じことをおっしゃっていたことに心惹かれたので記事にしました。


その言葉とは

「感じの良い人になろう」

です。

我が家の子育ての基本方針は、「愛される人に育てる」です。息子たちを将来人に愛される人に育てたいのです。

でもこの言葉、どこか遠い感じがしていました。かなり抽象度が高く、具体的な方法として落とし込みにくいところがありました。


そんなある時この言葉に出会いました。

「感じの良い人になろう」

これだ!と思いました。判断基準を感じが良いかどうかにしようと考えたのでした。


先日、コンビニに立ち寄った時のことです。列に並んでいると店員さんが「こちらへどうぞ」と誘導してくれました。

20代半ばくらいの男性の店員さん。一見してサーファーみたいでちょっといかつい感じに見えたのですが、笑顔で、声も張りがあってとても感じの良い方でした。

レジを打とうとすると、レジのトラブルで上手くいきませんでした。当然パニックになったと思います。いろいろやってみますが復旧しません。


コンビニ店員Yさんは「すみません、すみません。」と謝りながら何とか事態を収拾しようとします。


この間1分くらいが流れたと思います。けれど僕は一切不快な気持ちになりませんでした。


なぜなのかな〜と後で考えてみたところ、Yさんの感じが良かったからだという結論に行き着きました。


その後、どうしても復旧しないので、元の列に戻ることにしました。そこにはすでに3人の人が並んでいましたが、僕は最後尾に回りました。

遠くのレジの方からYさんに何度も謝られましたが、手を挙げて「大丈夫ですよ〜。」と応えました。すると直前に並んでいた人が「お先にどうぞ。」とレジを譲ってくださいました。僕はこれにも気を良くしたので、「いえいえありがとうございます。お先にどうぞ。」とお返ししました。


数分間の出来事でしたが、朝から何だかとても温かい気持ちになれたので、レジで待たされたことは帳消しになりました。


僕はこの出来事から「感じが良い人になると徳するな」ということを改めて学んだのでした。




僕はYさんに微塵もイラつきを感じませんでした。むしろレジの不具合が生じたために起こる、焦りや怒り、申し訳なさなどを想像すると共感すら感じました。


コンビニを出る時に、Yさんに「大変でしたね。」と声をかけてから行きました。Yさんも笑顔で「申し訳ありませんでした。またお待ちしています。」と返してくださいました。


世の中の本当の成功者というのは、このような人なのではないかと思います。お金があるとか、有名だとか、そういうタグ付けももちろん大切ですが、そこに感じの良さがあるかどうかの方が遥かに大切だと思うのです。


なぜ僕がそれを大切だと考えるかというと、社会の中で生きていくためには、他者と上手くやることが大切だと考えているからです。

人は一人では絶対に生きていけません。どんなに隔絶された社会に生きようとしても、おそらくほとんどの場合それは叶いません。すると必然的に「より良い人間関係を築くこと」が幸せの条件となるわけです。


感じの良い人というのは、この人間関係の構築に遥かに有利です。人に愛される人であれば、より良い共同体を築くことが可能です。それは幸せに直結します。



では、どのような人が「感じの良い人」なのか、僕の感性や経験から、言葉を紡いでみたいと思います。



1.表情が明るい
コンビニ店員Yさんは、表情が爽やかでした。

コンビニ店員というと、暗いイメージをもっています。やる気がないというか覇気がないというか、そういうどよんとした雰囲気をまとっている人が多い印象です。

でもYさんは明るいです。明るくなる一番の理由は、笑顔があるということです。笑顔があるだけで感じの良さは激増します。


2.誠実な対応をする
言葉づかいが丁寧なのもポイントです。ただ

「申し訳ございません。わたくしの不手際でこのような事態を招いてしまいました。お時間をとらせてしまい、心ぐるしゅうございます。」

と、ここまで丁寧にする必要はありません。


「申し訳ありません。レジが不調でしてこちらでの対応が難しいようです。あちらのレジでもよろしいですか?」

といった感じでしょうか。ポイントは、事実を事実として伝えた上で誠実に対応することです。

Yさんが感じ良かったのは、本人が不快感を外に出していなかったからです。レジの不具合が起こった時に、僕だったらテンパります。そしてその焦りはきっと表情や行動、言葉に出てしまっていたと思います。


けれどYさんからは焦りは伝わってきたものの、何とかしようとする気持ちがあっただけで、その状況に対する不満を感じませんでした。

実は相手のネガティブな空気感は、いろんなところから伝わってきてしまうものです。今回それを感じなかったのは、誠実に対応しようとするYさんの姿勢によるものだと感じました。


3.相手に対するリスペクト
誠実な対応をするためにベースとなるのは、相手に対するリスペクトです。

Yさんが最初に僕を隣のレジに誘導した時に、笑顔で元気よく対応してくれたのは、客に対するリスペクトがあるからだと感じました。

「ちょっと混み出したな。何人かが並んでいるな。待たせては申し訳ないので、隣のレジを開けよう。」

となったのではないかと。コンビニに行かれた方は分かると思いますが、二人以上列に並んだら、2台あるうちのもう1台を開けます。それはおそらくコンビニのマニュアルに書かれていたり、オーナーから指示をされたりしていることです。

でもこれを「マニュアルだからやらなければならない」と考えている人は、その雰囲気で分かります。そこには「何だよ。今品出ししてるのに来んじゃねーよ。ちっ」という気持ちが隠れていることがあります。なぜそう言い切れるかというと、僕が昔セブンで働いていた時がそうだったからです(苦笑)


でもこれが、相手へのリスペクトを前提にしていると変わります。

「混んでいて待つのが大変そうだな。よし隣のレジを開けて、スムーズに買い物してもらおう。」

と考えると対応が自然と変わるわけです。


サッと動いて、客の目を見ながら笑顔で、「こちらへどうぞ。」と誘導します。

行動がテキパキします。言葉も丁寧になります。丁寧ではあるけれど親しみも感じられる話し方になります。


そういった総体で客としては心地良くなるのです。



4.公の場を意識する
今、電車内でこれを書いています。ふと反対側に座っている人に目を移すと、化粧している女性がいます。

責める気はないのですが、見ていて不快な気持ちになりました。なぜなのかと考えてみると「公の場とワタクシ(私)の場を混同しているから」かなと思いました。


感じの良い人は、公の場での振る舞い方をわきまえているように感じます。反対に、感じの悪い人は公私関わらず「どこでも自分の場」だと考える傾向にあるかな、と思いました。直接的に言ってしまえば、わがままだということです。


わがままな人は、公私の場を行き来できません。自分が世界の中心なので、別のところに世界があると考えていないからです。


少し話がズレますが、自己を優先させることとわがままに振る舞うことは全く違います。自己を優先させるとは、「他者があっての自分」を自覚しています。反対に、わがままな人は「自分だけの世界で生きる」人なので、自分本位の発言や行動をしてしまいます。


人は自分の人生を生きています。僕も自分の人生を大切に思っていますが、同じように他者も自分の人生を大切にする権利があることを理解しています。つまり、この世界には自分以外の世界があることを自覚しているということです。


感じの悪い人はこのことを自覚できていません。字面としては分かっているのかもしれませんが、納得ができていないのだと思います。


自分が自分の世界にしか生きていないことを自覚できていないので、他者を攻撃したり、嘲笑ったり、自分が正しいと主張したり、他者を強引に引き込もうとしたりするなど、迷惑行動を行います。つまりは頭の弱い人だということです。


感じの良い人は、自分以外の世界(公)があることを知り、そこでの振る舞い方を考えて生きています。当然他者から迷惑がられる行動を慎むわけです。

ただ、感じの良い人は、ワタクシ(私)の場でも誠実に生きている気がしています。というのも、公の場に出た時の振る舞い方は、日々の生活の蓄積から出てくると考えられるからです。パクチーを嫌いな人が、人前では美味しそうにパクチーを食べることができないように、無意識下の行動として表れます。


この章が長くなっていますが、もう少し続けます。

藪下遊氏著『「叱らない」がこどもを苦しめる』を何度も紹介していますが、この本の中に「なまはげ」について書いた部分があるので紹介します。



・家の外には「家の仕組み」とは異なる「外の世界」がある。
・親であっても「外の世界」を簡単には変えられない。
・なので、子どもたちは「外の世界」に合わせていくことが重要になる。

引用P144


なまはげからの学びとしてこの3つを挙げられていました(正確には、内田樹先生の言葉から)。

これを読んで、超納得したのです。この「外の世界」というのが正に公です。そして子供であろうとも、公に合わせていく必要性が説かれているわけです。


5.素直さ
感じの良い人は素直な人です。これは「他者の言うことを聞く」という教義ではなく、「外からの情報を一旦入力して、思考判断してから出力する」という広義でお伝えしています。

例えば誰かに「あなたの服のセンスはダサいね。」と言われたとします。その時、「そうかもしれませんね〜、あはははは」と答えるのが感じの良い人です。

けれど自分のセンスを磨くかどうかは自分で判断します。

言われたことに対して、否定するでも肯定するのでもなく、そのまま受け止める。そしてそこから自分の頭を使って考える。それが僕のいう素直な人です。


感じの良い人は、どうでもよいところで戦わないようにしているように見えます。






いろいろと書いてみました。書いてみるとやはり感じの良い人になるのは大切なことだと認識できます。


そして項目立てて書いてみると、僕が今まで教育活動や子育てで大事にしてきたことが、そのまま活かされていると思えました。


「人間関係の構築」というと、とても難しい言葉のように感じますが、行動自体はいたってシンプルなものだと分かります。そしてそれは、太古の昔からずっと大切にされてきた道理です。


感じの良い人になろうとすることは、人間性を磨くこととイコールです。それは本質的に繋がっているから言えることです。


何も難しく考える必要はなさそうです。みんなが大事だよ、ということを大事にすればよいだけですね。

みんなが感じの良い人になれば、みんなが幸せになれます。みんなで感じの良い人になりましょう。


最後までお読みくださりありがとうございました。