いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。
2月29日に、今年度最後の保護者会がありました。今年度のクラスがとても良いことは何度もブログでも語ってきたことですが、その理由の1つに保護者の方々のご協力があってのことだと思います。
ということで、この保護者会では今までやったことのなかった試みをやってみることにしました。お時間を作って参加してくださった保護者の方々に、何か少しでも有用な情報を提供したいとの思いから、僕がこれまで学んできたことを解放しました。軽い講演会のようにもなったように思います。
今回は、その時の話を文章にしたためてみようと思います。
今年度のクラスは、生活面が抜群に良いです。余計なトラブルが少なく、自分から進んで動く子供たちが多いからです。
一方、学習面に大きな課題があると感じました。何というか、学習に対する意識が低いのです。あれだけ自分から考えて動けるのに、なぜ学習面に対して意識が低いのか不思議でなりませんでした。
そこである結論(仮説?)を出してみました。
「知的好奇心が低いから」
2月29日に、今年度最後の保護者会がありました。今年度のクラスがとても良いことは何度もブログでも語ってきたことですが、その理由の1つに保護者の方々のご協力があってのことだと思います。
ということで、この保護者会では今までやったことのなかった試みをやってみることにしました。お時間を作って参加してくださった保護者の方々に、何か少しでも有用な情報を提供したいとの思いから、僕がこれまで学んできたことを解放しました。軽い講演会のようにもなったように思います。
今回は、その時の話を文章にしたためてみようと思います。
今年度のクラスは、生活面が抜群に良いです。余計なトラブルが少なく、自分から進んで動く子供たちが多いからです。
一方、学習面に大きな課題があると感じました。何というか、学習に対する意識が低いのです。あれだけ自分から考えて動けるのに、なぜ学習面に対して意識が低いのか不思議でなりませんでした。
そこである結論(仮説?)を出してみました。
「知的好奇心が低いから」
子供たちをバカにしているわけではありません。今の社会では、この知的好奇心をもつこと自体を難しい感じがしているからです。
今の時代、多くのものが簡単に手に入ります。例えば、観たいアニメがあったらYouTube等で大抵は観られますし、余計なCMをほとんど観る必要もありません。そして好きな番組を1週間をかけて待って、ビデオに録画して観るといった工夫も必要ありません。
恐竜について詳しく知りたいと思えば、ネット検索ですぐに答えが見つかります。図書館や本屋に行って資料を探す必要もありません。
必然的に、深く探究するような時間をもつこと自体も少なくなっていくわけです。
そのような中、読んだ文章を吟味して言葉を獲得していくことや、分数や小数の本質を考えて理解しようとするといったことに時間をかけることは面倒でつまらないものに見えてしまいます。
ここ数年、特にその傾向が顕著に見られます。物語文を子供たちと読んでいても、以前のように「うわっ、そう捉えるか!学ばせてもらったな〜。」と思うことが激減しています。逆に「えっ!この表現を、そうやって解釈するの?なぜ?なぜー!!」と思うことが増えています。
最近はじっくり考えて、熟成させるような経験を多くの子供たちはしていないのではないかと思います。知りたい欲求、分かりたい欲求が環境的に抑制されていると感じます。
とは言え、そのような環境でよいと思うわけでもなく、どのようにしたらこんな環境でも知的好奇心をもたせることができるのかを考えなければなりません。
そこで僕は保護者に二つの力を重点的に伝えることにしました。
その二つは
「疑問をもつ力(クリティカルシンキング)」
「結び付ける力」
です。
好奇心の源は「なぜ?」と問いかけることです。
なぜ、ちょうちょは飛んでいるのだろう?
なぜ、電車は動くのだろう?
なぜ、あの子は跳び箱を跳べるのだろう?
なぜ、お母さんはあの時怒ったのだろう?
人が行動するきっかけとなるものは、疑問から生まれると僕は考えています。
この疑問をもつ力は本能的なもので、誰しもがもっていると思います。赤ちゃんにも備わっているので、これをきっかけに成長をしていると考えられます。
好奇心をもつということは、疑問をもつこととイコールの部分が大きいです。なぜ?と問いかけると、オートマティックに答えを探そうとするからです。
これは最初具体的な事象に対して抱くものですが、人が成長するに従って、抽象的な事象にまで発展していきます。
なぜ人は生きるのか?
どのようにしたらよりよく生きられるのか?
などのように。
僕は疑問をもつ力をクリティカルシンキングとシンクロさせて説明しました。クリティカルシンキングを直訳すると「批判的思考」となりますが、これは何かを攻撃する思考のことではなく「当たり前を疑う力」だと捉えています。
だから世にある当たり前のことを、一度疑ってみる必要があると考えます。
例えば学校教育。みんなが6歳になったら学校に通うことが当たり前になっていますが、義務教育は教育を受けさせる義務なので、学校に行かなければならないわけでもありません。
公立教員がこんなこと言うのもおかしいですが、この学校教育の前提を疑ってみることは大切なことだと思います。なぜならそれを疑ってみることで、学びの本質に迫られるようになるからです。
この点を語り出すと長文になるので割愛します。とにかく、一度疑って考えてみることが必要だということです。
次に挙げたのが「結び付ける力」です。
僕は物事の理解を深めるためには、事象と事象を結び付けることが欠かせないと考えています。
例えば、自転車に乗れるようになるためには練習を繰り返さなければなりません。そのバランス感覚を鍛えるために、ストライダーで二輪の感覚を掴んだり、平均台の上を何度も歩いたりする必要があります。あるいはジェットコースターに乗った時の感覚とバンクさせる感覚が近かったりするので、そういったものを体験しておくことも大切です。
僕は28歳の時、初めて二輪の免許を取りにいきました。それまで50ccのスクーターには乗っていましたが、結構感覚は違いました。
ただ練習しているうちに、あるスポーツと同じ感覚になることに気づきました。そのスポーツは、スキーです。
スキーで曲がる時には、曲がる方向に重心を倒します。これがバイクをバンクさせる時の感覚にかなり近かったのです。僕はそれに気づいてから、バイクの練習にめちゃくちゃハマりました。もう教習所に通うことがたまらなく好きになってしまったのです。
こういった結び付ける力は、運動に限らずあらゆるところで活用できます。
保護者会では、漢字や英単語の覚え方を説明することでこの結び付ける力を紹介したわけですが、学習能力が高い人は、この力を自然と発揮しています。
お風呂に入った時に、お風呂から湯気が上がっているのを見て、「なんか雲に似ているな〜。」と思ったら、雲も同じように水から出来ていることに気づけます。
そしてその雲にたくさんの水が集まると雨が降り出して、地面に落ちると川を作ります。川は高い所から低い所に流れて行きます。
東京の地図を見ると、川は西から東に向けて流れていることが分かります。西高東低の地形ということがそれで分かります。さらに西に目を向けると、富士山が東京の西にあり、その向こう側が静岡県や長野県であることが分かります。
海に出た水はやがてまた雲になります。これも蒸発という言葉を知るきっかけになりますし、蒸発した水が冷やされると液体になることを知れば、湯気や結露が起こる理由も説明がつきます。
さらには水がもっと冷やされると氷になることを体験的に知っていれば、物は冷やすと固体になることも学べたり、北極や南極が年中寒いことも理解できます。
そして両極が寒いのは太陽の当たり具合に関係していることが分かれば、太陽がよく当たる赤道直下は常に暑いことが理解できます。
今書いた例を見ていただけると分かりますが、これは小学校で習う理科や社会科の内容を包括しています。そしてこれを言語化して捉えるためには国語力が必要となりますし、データを読み取るためには算数の知識が必要となります。
学校は、知識を断片的に子供たちに提供しています。算数でいうと、「大きな数」を行った後に「足し算引き算」が来て、「図形」を学んだ後に、「文章題」を学ばせるといった形をとっています。これは、全ての知識を網羅的に行うために作られたものです。
しかしこの形が子供たちの学びを分断しているように感じてなりません。僕は、全ての知識をリンクさせて教えてしまった方が早いし理解が深まると考えているからです。
子供の好奇心としても、より発展的横断的であった方がよいと思います。実際、好奇心の高い子はこの結び付ける力が非常に高く、「先生、これって◯◯でやった◇◇と同じことですよね?」などと発言します。
必要な知識は、知りたいと思った時点で獲得させていくことが大切です。よくあるのが、漢字の学習を当該学年の漢字に絞ることです。まだ習ってないから書かないでね、と言うことがあります。実はこれ、本来ならば本末転倒なんです。
漢字を覚えさせたいのであれば、どんどん使わせる方が早道です。そして当該学年の漢字も同時に正しく使わせます。好奇心をもって覚えさせた漢字を使うのと同時に、覚えなければならないものも使わせるわけです。すると多くの漢字を覚えることができます。
知識を断片的に教えるのではなく、総括して教える。この方が僕は理解しやすいのではないかと考えています。が、もしかしたら人によるかも。
好奇心をもつと学びが促進されます。ただ僕の中でまだ結論が出ていないこともあります。
それは「好奇心をどのようにしたら育むことができるのか?」という点です。
今回、好奇心の源については考えることができたのですが、そもそもその力をどのようにしたら引き出すことができるのかについては答えが見つかっていません。
学習能力が高い子は、元々好奇心旺盛です。これは僕たちがそのように仕向けたわけではなく、本人が元来もっていた性質です。いろいろな働きかけの成果なのかもしれませんが、それが何かは分かりません。
ただ、疑問をもつ力と結び付ける力を高めるとよいことだけは分かります。もし子供の学びの力を高めたいと考えるならば、問いかけを多くしたり、何かと結び付けながら話しかけたりすることはできるかもしれません。
学びの土台は好奇心です。全ての力を身に付けるための基盤です。これを育むことが、結局豊かな社会を築くことに繋がるのではないかと思います。
子供の学習能力を高めたいと思うならば、ただひたすら問題を解かせるのではなく、好奇心を育むことが近道です。そういった視点をもちながら教育活動をしていくことが大切だと、僕は考えます。
最後までお読みくださりありがとうございました。