『教え上手』からの考察 | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


久しぶりに、故・有田和正先生の著書『教え上手』を読みました。数年ぶりに読んでみたのですが、やはり僕の「教師バイブル」の1つだと改めて感じました。


有田和正先生は、社会科研究の大家です。社会科の著名な先生と言われると、真っ先にお名前が挙がる程の方です。


その有田先生が記された『教え上手』は、非常におもしろい本です。なぜなら、教える要諦は、「少なくしか教えない」「大事なことほど教えない」「正しいことばかり教えない」と、ある意味非常識なところにあるとおっしゃっているからです。


僕たち教師は、子どもたちによく分かって欲しいと思った時に、「たくさん教える」「大事なところを繰り返す」「正確さを求めて教える」ことがほとんどです。だから有田先生がおっしゃっていることと真逆のことをしているわけです。



この本を読んでから、いや読む前から、僕は「教えないこと」を大事にしてきました。というのも、授業や学級経営の名人と呼ばれるような方がおっしゃることに共通点があることを知ったからです。その共通点とは

「答えは自分の中にある」

という信念です。正確にいえば、自分から答えを得ようとすることが、最も理解を深めることだということです。


人間には、学びたいという欲求が本能的にあります。なぜなら、もしこの本能がないとすると、赤ちゃんが寝返りをうったり、ハイハイをしたり、つかまり立ちをしたりすることに説明がつかないからです。


誰も教えていないのに、赤ちゃんは勝手に成長します。寝返りのうち方やつかまり立ちのやり方を具体的に教えることはありませんよね?赤ちゃんには成長の種が内在されていて、それが勝手に発芽するわけです。


これは何も赤ちゃんに限らず、人間全てに言えることではないかと思います。人間というより、生物の本能なのかもしれません。


僕が子供たちに教えない授業をする時大切にしているのは、渇望感です。この渇望感がないと自分から知識を獲得しに行こうとしません。結局、誰かに教えられたことをただやるだけであったり、それでも理解できないと諦めたりすることに繋がります。


自分の中にある答えを、自分で見つける。この過程が思考や理解を深めていきます。逆を言えば、この過程を経ないと本物の知識や思考が手に入らないのです。


ここまで概論的な書き方をしてきたので、意味が分かりにくかったかもしれません。具体例を挙げて説明します。


子供たちの学習の中で、多くの子が苦手としている分野があります。それは作文です。


作文が書けないという子にはいくつかのパターンがあります。その中で最も多い悩みが「書くネタが見つからない」です。何を書いていいのか分からないという悩みです。


これは僕が高校時代に日記を書き始めた時に感じたものと同じです。日記を書くといっても何を書いたらいいのか分からず、途方に暮れていました。


そこで始めたのが、出来事を書くことでした。その日あったことを書き出してみるという作業です。するとその出来事の中に、自分の心が動くものがあることに気づきます。


僕は数学が超苦手だったので、毎回数学の時間が終わると凹んでいました。「今日も理解できんかった〜」と。そしてその日の日記には「悔しい!何とかして理解したい。よし参考書片手に勉強するぞ!」と書いたものですが、その後勉強せず。次の日の日記には、勉強しなかったせいで授業に付いていけない自分を責める内容の日記を書いていました。


だから僕の高校時代の日記は、きっと同じことの繰り返しが書かれているはず(恥ずかしさで読むことができないし、どこに行ったのかも忘れた)。


しかし毎日そうこうしているうちに、数学はできるようにならなかったけれど、言語化することが上手くなっていきました。毎日繰り返していたので、自然と自己内対話をするようになって、気持ちや行動の言語化をできるようになりました。


つまり書くネタに困ることが一切なくなったのです。


僕はこれを誰に教わることなく、自分で学習しました。かなりの量の日記を書きましたが、そのお陰で苦もなく文章を書けるようになったのです。上手い下手ではなく、書けるということが喜びになっていきました。



だから、書くネタがないと言う子供がいたら、自分の心が動いたことを書いてみて、と伝えています。それが何か分からないと言われたら、僕はもうお手上げです。その答えを僕はもっていないからです。

「あなたが感じたことを私は知らない。あなたが感じたことはあなただけのもの。その答えは自分で見つけるしかないのだよ。」

時にはこのようなことを子供に伝えています。


良い教師は、言語化するところまで付き合ってあげるのだと思います。でも僕は、結構ぶん投げます。と言うのも、僕ができたことなので、その子ができないと思っていないからです。そして、そのような時に「何とかしてできるようにならねば。」と渇望感をもって手に入れようと努力したことが、結局は本物の知識になると僕は考えているからです。


有田先生が「大事なことほど教えない」「正しいことばかり教えない」「少なくしか教えない」と書かれたのは、きっとこの渇望感をもって答えを自分で見つけさせる過程を大切にしていたからだと、僕は考えました。


あなたも胸に手を当てて考えてみるとよいと思います。自分が獲得してきた知識や知恵は、自分から求めていったものが大半を占めているはずです。自分が深く理解していると思えるものは、自分が答えを出したものではないでしょうか。先生や親から教えられたことと結び付いているものは意外と少ないように思います。


そうであるならば、やはり大切なことは「思考すること」だと思うのです。物事を自分の頭で考えて、自分なりの答えを出すこと。これが学習の本質だと僕は考えます。


答えを聞きたい気持ちは痛いほど分かりますが、思考の渦に巻き込まれた方が、やはり自分の身になると僕は思います。



最後までお読みくださりありがとうございました。