いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。
今日は、気づきというより感想のシェアです。お気軽に読んでくださると嬉しいです。
僕は今年度のクラスはとても良いクラスだと感じています。もう少しで終わってしまうのが、残念でならない気持ちでいます。
毎日が平和です。もちろん小さいいざこざは絶えないものの、全体としてかなり落ち着いていると思っています。
先日ある出来事があって、「あぁ、これだからこの子たちなんだよな〜。」と感じたのでした。
金曜日の3・4時間目は、専科の先生に受け持ってもらっている図工の時間です。
この日は紙版画を行っていたので、4時間目終了時刻に教室に戻ってみても、片付けが終わっていない状態でした。配膳台は道具が置いてあり、とてもではないけれど給食を置けません。
さらに周りを見渡すと、机がインクで汚れている子が多い。そしてまだ版画を刷ってる子もいました。
僕は絶望的な気持ちになりました。「こりゃいつものように給食を食べられないな。延長コースやわ。」と。
いつものように配膳するのを諦めて、廊下に給食のワゴンを置き、そこからセルフで給食を持っていく形に変えました。
まず、ランチョンマットを敷けた子におぼんを配りました。少しすると「先生、おぼんを配りましょうか。」と来てくれる子が。その子にお願いすると、それを見ていた数人が同じようにおぼんを配り始めました。
僕は「ありがとう」と声をかけて、ご飯の配膳に取り掛かりました。配膳台の隅を使って、ご飯を入れ始めました。「準備が出来た人から持って行ってね。」と呼びかけました。するとすぐに数人がやってきて持っていきます。
「給食当番の◯◯さんは、少なめでいいよね?」などと声をかけて、友達の分まで配ってくれる子がいました。
そしてこの状況に、誰一人文句を言いません。当たり前のようにこのイレギュラーな状況を受け入れて行動しています。
また、誰一人遊んでいる子がいません。このようなイレギュラーな状況になると、浮ついて後ろの方で遊び始める子が出てくるものです。けれど一切それもなく、配膳が終わったら座って待つ子もチラホラ見られました。ほとんどの子は何かしらの貢献活動をしています。
そうこうしているうちに、配膳台が片付いていき、他の食缶を用意し始めました。僕は給食当番にほとんど指示を出していません。けれど彼らは勝手に準備を始めたのです。スープを配ってくれる子、魚とデザートを乗っけた皿を配ってくれる子、お皿を配膳台に準備する子など。
他の食器の受け取りもセルフ制にしました。配膳は自分たちで行います。
そのように動いて、結局食べ始めたのは、いつもより5分遅れくらいの時刻でした。あのわちゃわちゃした中で、5分遅れで済んだのは驚異的です。
それから何事もなかったかのように給食を食べ、何事もなかったかのように片付けをしました。
僕はこのイレギュラーな状況の中でも、いつもとさほど状況が変わらない様子を見ていて、「この子たちすげぇ〜」と思いました。ここに真骨頂を見たのでした。
僕は、このようないざという時に組織の底力というのは見えると思います。一見すると何の変哲もない出来事ではありますが、何の変哲もなくできることこそが本当の力なのだということです。
この日は5人欠席しており、そもそも通常運転が難しい中でのこの行動です。僕は子供たちに感動を伝えました。
ちなみに、図工の専科の先生からは、紙版画を模造紙に糊づけするように指示が出ていました。それも給食準備中に数人が行って完成させていました。
このような組織行動は、いろいろな点が普段から鍛えられていないとできないことです。僕が今回の出来事を見ていてポイントだと思ったことを列挙します。
1.自分の役割に責任感をもつ
給食当番もそうですが、「今自分がやることはなにか?」ということをみんなが意識していたのだと思います。指示をされる前に、自分ができることを考えた結果です。
今日は、気づきというより感想のシェアです。お気軽に読んでくださると嬉しいです。
僕は今年度のクラスはとても良いクラスだと感じています。もう少しで終わってしまうのが、残念でならない気持ちでいます。
毎日が平和です。もちろん小さいいざこざは絶えないものの、全体としてかなり落ち着いていると思っています。
先日ある出来事があって、「あぁ、これだからこの子たちなんだよな〜。」と感じたのでした。
金曜日の3・4時間目は、専科の先生に受け持ってもらっている図工の時間です。
この日は紙版画を行っていたので、4時間目終了時刻に教室に戻ってみても、片付けが終わっていない状態でした。配膳台は道具が置いてあり、とてもではないけれど給食を置けません。
さらに周りを見渡すと、机がインクで汚れている子が多い。そしてまだ版画を刷ってる子もいました。
僕は絶望的な気持ちになりました。「こりゃいつものように給食を食べられないな。延長コースやわ。」と。
いつものように配膳するのを諦めて、廊下に給食のワゴンを置き、そこからセルフで給食を持っていく形に変えました。
まず、ランチョンマットを敷けた子におぼんを配りました。少しすると「先生、おぼんを配りましょうか。」と来てくれる子が。その子にお願いすると、それを見ていた数人が同じようにおぼんを配り始めました。
僕は「ありがとう」と声をかけて、ご飯の配膳に取り掛かりました。配膳台の隅を使って、ご飯を入れ始めました。「準備が出来た人から持って行ってね。」と呼びかけました。するとすぐに数人がやってきて持っていきます。
「給食当番の◯◯さんは、少なめでいいよね?」などと声をかけて、友達の分まで配ってくれる子がいました。
そしてこの状況に、誰一人文句を言いません。当たり前のようにこのイレギュラーな状況を受け入れて行動しています。
また、誰一人遊んでいる子がいません。このようなイレギュラーな状況になると、浮ついて後ろの方で遊び始める子が出てくるものです。けれど一切それもなく、配膳が終わったら座って待つ子もチラホラ見られました。ほとんどの子は何かしらの貢献活動をしています。
そうこうしているうちに、配膳台が片付いていき、他の食缶を用意し始めました。僕は給食当番にほとんど指示を出していません。けれど彼らは勝手に準備を始めたのです。スープを配ってくれる子、魚とデザートを乗っけた皿を配ってくれる子、お皿を配膳台に準備する子など。
他の食器の受け取りもセルフ制にしました。配膳は自分たちで行います。
そのように動いて、結局食べ始めたのは、いつもより5分遅れくらいの時刻でした。あのわちゃわちゃした中で、5分遅れで済んだのは驚異的です。
それから何事もなかったかのように給食を食べ、何事もなかったかのように片付けをしました。
僕はこのイレギュラーな状況の中でも、いつもとさほど状況が変わらない様子を見ていて、「この子たちすげぇ〜」と思いました。ここに真骨頂を見たのでした。
僕は、このようないざという時に組織の底力というのは見えると思います。一見すると何の変哲もない出来事ではありますが、何の変哲もなくできることこそが本当の力なのだということです。
この日は5人欠席しており、そもそも通常運転が難しい中でのこの行動です。僕は子供たちに感動を伝えました。
ちなみに、図工の専科の先生からは、紙版画を模造紙に糊づけするように指示が出ていました。それも給食準備中に数人が行って完成させていました。
このような組織行動は、いろいろな点が普段から鍛えられていないとできないことです。僕が今回の出来事を見ていてポイントだと思ったことを列挙します。
1.自分の役割に責任感をもつ
給食当番もそうですが、「今自分がやることはなにか?」ということをみんなが意識していたのだと思います。指示をされる前に、自分ができることを考えた結果です。
2.考えて行動する
指示を待つのではなく、「これが必要だろう」と思い動くことが大切です。僕が育てたい姿の一つです。
3.他者のために行動することを喜びと感じられる
多くの子が、自分のことだけでなく、クラス全体に目を向けて動いていました。配膳で足りないところがあると声を掛け合って補填していました。
また、僕が一人奮闘している時に「手伝いましょうか?」と声を掛けて来てくれた子に感謝しかありません。
4.指示を素直に聞く
イレギュラーな状況になった時、担任が何か指示を出すと文句を言う子が出てくるものです。けれどそれが今回は一切ありませんでした。状況を見て、僕が何のためにその指示を出したのかを理解し行動したのです。
5.余計なアピールを必要としない
「先生、僕やっておきました。」とか「私、みんなのために動いているでしょ、うふ」などといったかまってオーラ満載のアピールが全くありませんでした。人のために動くのは当たり前のことで、いちいちそれを褒めてもらおうなんて思っていないのです。
ちなみにこのタイプの子がいた場合、担任が見ていない所ではサボるし、やっている感を出すために派手めの仕事をやりたがります。
本当に人のために動ける子は、地味で面倒くさい仕事に率先して取り組みます。僕が最も信頼を寄せるのはそのような子たちです。
以上の点が子供たちの素晴らしさとして挙げられるものです。
このようなクラスは、担任である僕一人の力では到底創ることができません。最も大切な要素となるのは「子供なちの資質」です。
なぜそう言い切るのかというと、僕が行っている学級経営の仕方は、数年前からほとんど変わっていないからです。
僕は常に本質を大切にして子供たちに伝え続けています。その本質を理解し行動に移せるかどうかは、僕ではなく子供たちの資質によるものが大きいのです。
だから僕は、担任というマネージャーではあるものの、それが自分の力で成り立ったとはほとんど思っていません。子供たちが素晴らしいからだと言えます。
17年間の教員人生の中で、屈指の子供たちの良さです。僕がコントロールできないことだけに、もうすぐ終わりになってしまうことが非常に悲しいです。
もちろん僕のことを嫌いだったり苦手に感じたりする子供はいます。いますが、それでもクラスのために前向きに行動できるその子たちを、僕は尊敬します。
このようなクラスならば、最終日に実感を込めて伝えることができるのです。
「あなたたちのこと、そしてこのクラスのことを大好きだよ。」
と。今年度の僕はその言葉を修了式に伝えるはずだと確信しています。
良いクラスに当たると幸せだな〜。
最後までお読みくださりありがとうございました。