僕の人生を変えてくれた二大学び | 武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきたいです。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


今日のブログはいつにも増して長文です。ご興味ある方はお読みください(なぜ上から目線?)。

内容としては、僕が寄って立つ二つの学びについてです。出逢いからその活用法、どのような変容があったのか等を記していきます。僕の備忘録としての記録ですが、何かのお役に立てれば幸いです。


二大学びとは

「アドラー心理学  
     セルフ・コンパッション」

です。


アドラー心理学との出逢いは2015年1月。
セルフ・コンパッションとの出逢いは2022年7月。

この2つの学びのお陰で、僕の人生は非常に大きく変化しました。180度とまではいかないまでも、120度は生き方が変わりました。そしてその変化も、良い方向へのものだったので、皆さんにその良さを伝えて回っています。



この2つには、根底に流れるマインドに同じものを感じます。一言で表すのも難しいのですが、それをあえて示すならば

「世の中を肯定的に生きていく力を育む」

というところです。僕はこれらの学びに触れたことで、生きていくことに勇気をもつことができるようになったのです。これを伝えたい。だから今回記事にすることにしました。



僕は基本的に自己肯定感があまり高くありません。家族には「スネ夫」と言われるくらいすぐに拗ねます。「オレなんていない方がいいんだ。」みたいなことをいまだに言うことがあります。

その時の僕の思考は「僕、今拗ねてるよ。ねえ、傷ついているの。ねえ、可哀想でしょう。構ってよ。」というものです。完全にカマチョ!です。


これは、自分を自分自身の力で励ましたり勇気づけたりできないときに起こる現象です。

今はあまり多くなくなりましたが、疲れていたり傷ついたりすると発動しやすくなります。


幸い僕の周りにはカマチョを発動しても、構ってくれる人たちがたくさんいます。おそらく無意識にそういう人たちを集めてきているのだと思います(笑)。迷惑な奴です。


アドラー心理学もセルフ・コンパッションも、こんな自分には最適なメソッドです。と言うのも、アドラーは「自立の心理学」と呼ばれるほど、自己確立を目指しているし、セルフ・コンパッションには三要素の1つに「自己への思いやり」というものがあるからです。


つまり、セルフ・コンパッションで自分を癒やしながら、アドラーで自立を目指して自分を叱咤激励するという流れを作ってくれるのです。


元々自己肯定感の高い人たちは、そもそも自己肯定感が何かを考える必要がない人たちです。何となく、自信に満ち溢れているように見えたり、上手く自分をコントロールしていたりして、このような学びがなくても十分自分の力で無意識に行動できています。


僕がオススメしているのは、悲観的な人であったり、何だか運が悪いと感じている人だったり、どうせ自分なんてと卑屈になってしまったりする人です。簡単に言うと「心に自分の弱さを感じられる人」に向けて発信しています。



ここからは、アドラーとセルフ・コンパッション、それぞれどのような点が僕にとって魅力的なのかを列挙していきます。


【アドラー心理学】
1.自己受容
あなたは、自分のことが好きですか?このように問われた時、自分のことが好きだと胸を張って言える人には、あまり響かないかもしれません。

この自己受容が響くのは、自分のことを嫌いだと感じてきた人です。あるいは自分のことを好きになろうとしているけれどどのようにしたらよいのか分からない人です。

自己受容とは「ありのままの自分を受け入れる」ことです。ありのままの自分ということが難しいのであれば「自分が感じたまま、考えたまま、無意識の状態のまま」といった感じです。それを良いも悪いもなくそのまま受け入れるということです。



僕はこの思考方法に衝撃を受けました。それまで自己肯定感というと、自分が何かできることであったり、人より優れた点を見つけることだったり、自分が自分を好きだと思うところを見つけることだったりを認めることだと考えていたからです。


「ダメだと感じる自分も受け入れる」というのが自己受容の本質です。

これを理解した時、僕の人生は大きく動き出しました。自分を否定する頻度が明らかに減ったからです。だって、ダメな自分でも「これも自分だよね」と受け入れられたら、嫌いになる必要もなくなりますからね。


僕は自分のことを好きになる努力をやめて、嫌いにならない努力を始めたのです。それを繰り返していくうちに、自己否定感が消えていくのを感じました。


自分を好きにならなくていい、良いところも見つけなくてもいい。ただ、自分を否定することだけはやめよう。そう思えたのでした。


2.課題の分離
「自分の人生の責任は自分がとる」

これを意識するようになったのは、課題の分離という思考に出会ってからです。

他者の人生の責任は、その人自身にとってもらうしかないのです。これが腑に落ちた時、明らかに余計なお世話が激減していきました。他者の人生に干渉しなくなっていったのです。

他者の人生の責任を負うことから離れてみると、肩の荷が降ろされていき、体が軽くなるのを感じました。

そしてこれは後に述べる「他者尊重」に繋がっていきます。


3.他者貢献
アドラー心理学の軸になっているものの1つに「他者貢献」というものがあります。

アルフレッド・アドラー先生が目指した「共同体感覚」の核を担っているのが、この他者貢献だと僕は考えています。

というのも、貢献活動というものは、幸せの絶対条件だからです。


人は自由に生きて、幸せになることを本能的に求めています。これを求めた時に、ほとんどの人の幸せに直結していることが「他者に貢献することによってのみ、幸せを感じられる」という感覚です。言うなれば、他者貢献をすることで幸せが得られるということです。


どんなにお金をもって、名声を得たとしても、そこに貢献感をもてなければ人間は幸せにはなれません。なぜならば、人間は社会的な動物だからです。

人は本能的に所属欲求をもっており、他者との関係の中でしか生きられないようにできています。多くの場合、それには抗えないように人はできていると僕は考えています。

つまり、本能的に「他者の役に立てる自分に価値がある」と感じているということです。


他者貢献の仕方は様々ありますが、人を傷つけようとしない限り、僕は貢献ができると思います。人はそこに存在するだけで貢献できる、「存在承認」という形があるのです。


4.相互尊重
アドラー心理学のベースには、「共感」「信頼」「尊重」というものがあります。これは日本アドラー心理学会の巨匠、岩井俊憲先生の著書から学んだことです。

僕はこの中で、尊重というものに重きを置いています。

先程述べた課題の分離がこれに当たると考えています。

相互尊重とは、互いの存在を尊重するということです。これが究極的に行われれば、この世界は平和になります。僕が目指している世界平和のためには最も重要なファクターです。


しかしこれが最も難しい。だから目指し甲斐があるというものです。


5.自己決定性
アドラー心理学にはいくつかの「理論」があります。その中でも僕が最も活用しているものが「自己決定性」です。

これを僕は「全ての事象は、自分が選んでいる」と捉えています。


例えば、会社に行きたくないと思って休んだとします。その時理由を「上司にパワハラを受けて傷ついたから休んだ。」としました。

この時、パワハラを行った上司が悪いと考えられますが、見方を変えると違って見えます。自己決定性に基づいて見てみると

「上司が自分にパワハラをしたという見方を自分は選んだ」
「それを理由にして、会社を休むことを選択した」
「自分は傷ついたという事象を使って、上司を攻撃しようとしている」

といったことも考えられます。つまり、会社を休むために上司に責任をなすりつけたとも言えるわけです。

そう考えると、結局そのようにしたのは自分自身であることが分かります。

本当は上司から叱咤激励を受けていたかもしれないし、パワハラを訴えることもできただろうし、会社を休む以外の選択もできたかもしれないし、道は無数にあるのに、そういう選択をしたのは自分だということです。


僕はこの自己決定性の恐さと自由さを知ってから、物事を自分事として捉える力が強くなっていった気がします。全ての事象は自分で選んだこと。そうなると、うかうかと変な決定をできないわけなのです。




次にセルフ・コンパッションについて述べます。

【セルフ・コンパッション】
1.自分への思いやり
僕がセルフ・コンパッションに出会った2022年7月は、かなり仕事関係で悩んでいた時期です。

学級経営も上手くいかず、しばらく休んでしまおうかと考えていた時期でした。


そんな折、師匠であるジュバ智子さんから勧められたのが、クリスティン・ネフ博士著『セルフ・コンパッション』という本でした。


これを読んで電撃が走りました。そして読み進めるうちに、涙がとめどなく溢れていきました。この考え方には、大いなる福音が隠されていたからです。


「どんなに自分が醜くて、どんなに自分が惨めで、どんなに悲しく苦しい時であっても、自分が自分の味方でいること」

これがセルフ・コンパッションの核心です。


誰かが自分を責めようとも、絶対に自分だけは自分を責め切らない。それが「自分への思いやり」だったのです。


アドラー心理学の自己受容でこのことは学んでいましたが、セルフ・コンパッションのそれは想像以上でした。このお陰で僕は、この年度を乗り切ることができたといっても過言ではありません。


どんな時にも自分に寄り添うのです。自分が悪いと責めたくなる時にでも、いや責めてしまった時にでも、自己への思いやりは発揮できます。


「今あなたは(自分は)自分を責めてしまうよね。そうだよね。みんなに迷惑をかけてしまったのだから仕方ないよね。でもさ、そうやって人に迷惑をかけたと責任を感じているあなたは素敵じゃない?」

といった感じです。胸の中の苦しみに蓋をするのでも、誤魔化すのでもなく、正対します。そしてそれを受け止め感じ切るのです。するとしばらくすると、その感情が昇華されていきます。


不思議なのですが、ネガティブな感情をもった時の最善の方法は、「それを受け止め、感じ切ること」なのです。

例えば、何かで焦りを感じていたとしたら
「今自分は焦っているよね。大事な約束に間に合わなそうだから焦るよね。いやー分かるわ。でも焦ったところで電車は速くは動かないし、仕方ない。今心臓がバクバクしているよね。じゃあもう仕方ない。一分間に何回脈を打つかを考えよう。」

みたいな感じです。

自分を客観的に観察し、分析し、解決方法を考えます。こうすることで、不思議なほど感情は落ち着いていくものです。


自分への思いやりとは、自分の全てを否定しないということです。良い悪いではなく、ありのままに受け止める。これが大切です。


2.マインドフルネス
セルフ・コンパッションの三要素は「自分への思いやり」「人間の共通性の認識」「マインドフルネス」です。

マインドフルネスは、仏教の瞑想などでよく知られるものですが、セルフ・コンパッションに欠かせないものです。

なぜなら、自分をメタ認知するためには、「今」の自分の状態をありのまま見つめる必要があるからです。


一番分かりやすいのは、怒りの感情を感じた時です。何かがあってムカッとした瞬間、マインドフルネスにもっていきます。

「あ、今自分ムカッとしたぞ。」

となったら、その時の身体感覚を捉えます。胸の辺りがギュッとなって、目の前がチカッと白くなります。そしてそのすぐ後に、心臓がドクドクし始めます。胃の辺りから、何かが込み上げてくるような感覚を覚えます。手が痺れたり震えたりして、何かをぶん殴りたい衝動に駆られます。


この時、その衝動のままに行動してしまうと不都合なことが起こるので、深呼吸したりその場を離れたりします。そしてその怒りの根本を分析し始めるのです。


怒りを感じた時は、とにかくその場を離れて落ち着くまで時間をたっぷりかけるようにしています。落ち着かない状態で第二波が来ると、もうキレ散らかしてしまうからです。


僕が昨年度行っていたことは、クラスでムカつくことがあった時は、学校中を徘徊する方法です(笑)。周りの同僚に声をかけて「今すごく腹が立っているから、歩き回ってくるね!」と宣言して歩き回ります。その際、悪態をつけた独り言をぶつぶつ言いながら歩き回ります。


これを5分くらいやると落ち着いてくるので、そうしたら自分の心の声に耳を傾けて、その原因を見つめます。さらには、自分への共感の言葉をかけ続けるのです。


この時、怒りの感情を誤魔化そうとしたり、見なかったことにしようとしたりすると、後々になって反動が来ます。それは自分の感情を無視することによって引き起こされるものです。特に身体的にダメージが出てくる場合には危険です。自分の感情をしっかりと受け止めた方が早く復活します。


僕は特に瞑想的な技能はもっていません。ただ「今ここ」に意識を向ける練習は時々やっています。一番よくやるのが「呼吸に意識を向ける」です。鼻から吸って口から吐く、それもゆっくりと。これを繰り返すことで驚くほど落ち着くことができるものです。


このようにマインドフルネスを活用しています。


3.他者への思いやり
自分への思いやりをもてるようになると、他者へも同じように思いやりをもてるようになってきます。


もちろん完璧にはできません(笑)。以前に比べるとできるようになってきた程度です。


でも、実感していることは「自分を大切にできるから、他者も大切にできる」ということです。

マツダミヒロさんが『シャンパンタワーの法則』という思考法を提唱されていますが、ここでは自分をまず満たさないことには他者を満たすことはできないとおっしゃっています。

それを体感として感じられます。


自分に余裕がない時には、人に優しくすることはできません。自分に余裕がある時に、初めて人にも優しくできます。少なくとも僕にとってはこれが真実です。


だからセルフ・コンパッションで自分を満たし続けることが大事になります。そうすることで、他者貢献が促進されるからです。


最近は、だいぶ余裕をもって人と接することができるようになってきました。セルフ・コンパッションの効用が現れているのだと思います。






ここまで、アドラー心理学とセルフ・コンパッションのそれぞれの魅力について語ってみました。



結局、今日の記事で何が言いたいかというと、この二つの学びによって「生きるのに前向きになった」ということです。


自己否定を繰り返していた10代20代。ずっと不安や焦りを抱えながら生きていました。時には死にたいとさえ思うこともありました。

でも今はその気持ちはほとんどありません。40代になって落ち着いたからかもしれませんが、アドラーとセルフ・コンパッションに出逢っていなければこうはならなかったことでしょう。


僕は自分がこの学びで大きく人生を変えることができました。だから僕のように、多くの人に人生を前向きに生きていってもらいたいと願っています。


僕のできることは、ただ情報発信をすることだけです。しかもあまり多くの人には届けられていません。


しかし確実に、数人の人には届けることができています。そしてその人たちへの貢献感をもつこともできています。


僕が行っていることは、本当に微々たるものです。でも世界平和に向けて着実に歩み続けている実感をもてています。


口だけで行動しない人にならないように、僕はブログ発信という行動によって貢献活動を続けていきます。


ここまで読み進めてくださった方がいらっしゃったら、心より感謝いたします。そして読んでくださった方のこれからの明るい人生を、心より祈念しております。


これからも僕のブログをよろしくお願いします。


最後までお読みくださりありがとうございました。