エッセイカガサワのドンと来い経営術 | ジェイカス株式会社代表取締役のブログ

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皆様こんにちは、1週間とチョットのご無沙汰です。世界をリードするジェイカス提供エッセイカガサワのドンと来い経営術の時間です。

第2話「驚異の配達」

昭和61年9月11日大阪陸運局から軽貨物事業の許可がおり、その1週間後軽〇急配から東大阪名〇運輸配属になりました、運送素人の私はここで驚きの連続でした。軽四ですからダンボール箱20個位を近距離チャーター便、いわゆる赤帽さんみたいなイメージでしたが、そんな仕事は全くなく路線貨物の集配だったのです。名〇運輸の係長さんから「新人の加賀澤君まずこの地域の配達頼むわ!昼までに帰ってきてな」と配達伝票をわたされビックリ!30位の配送件数はともかく、タイルやら鉄の塊(何かの部品)漢方薬原料のどんごろす(麻袋)やらで1.3tはあります。私は係長に「あのぉ~私軽四(350k積)で配達なんですけど、何かの間違いではないですか?」係長は「いやいや~軽は2t積みまで潰れないから」と言い、そんな馬鹿なと思いました。

他の軽四持込車輌を良く見ると、ビックリ!タイヤはパンクしたかのようにペッタンコで車体はウイリィー状態でした。「まぁ稼げるのだから少々の危険と法律違反はしゃない、この世界に慣れよぅ」と仕方なく積込配達に出かけましたがまるで道路でアイススケートしているようでした。3週間後住吉区のある工場に集荷に行ったところ、「なんや軽四できたんか物は小さいけど重量1.5tの金型やで大丈夫か?」と言われましたが、人間て凄いもんでアイススケートのように怖く思っていたのが今では嘘の様、その頃は片手でパンをかじりながらスケート運転してました。私は「あァ大丈夫です、リフトで荷台の真ん中に積んで下さい」と余裕で引取りました。帰りは30キロ位で走行し天王寺バイパス登り坂をもう直ぐ登り切ろうとした時渋滞で一旦停止をしました、その時嫌な予感が!サイドブレーキを下しながら「何んとか動いてくれ」と祈る思いでクラッチをつないで見ると全く動きません。ええ~どうしよう!大渋滞でクラクションは鳴りやまず、全くパニックになりました。20分後警察が駆けつけその後レッカーが到着し厳重注意だけで終わりました、現在であればそんな事したらニュースになるでしょう。この様な死にもの狂いの1ヶ月が終わり請求書を出す為軽〇急配に料金を問合すと、「ええ!たった24万6千円」説明会の時の料金説明はなんやってんや!車輌費・車庫代・ガソリン代・保険代等経費を引くと12万円しか残らず、休みなし朝6時~晩8時14時間労働でこれか、「くそ~よくも騙しやがったな~何が月80万や、250万の軽トラ買わせえよって」と軽〇急配に怒鳴り込みに行きました、その時ナニワ金融道の桑田さんみたいな軽〇急配部長が「あんたなぁ~1ヶ月そこらでガタガタ言うな!商売は最初の2・3年赤字が普通じゃ」と凄まれ、私はナニ金の灰原青年みたいに唖然とそこを立ち去りました。そんな私をみて名〇運輸の次長さんが「軽〇急配は安い料金で我々と契約し次々に車輌を高値でうるんや、その上30%近くピンハネするからなァ~かわいそうやけど辛抱してや、そや来週宅配のほう欠員できるから加賀澤君やるか、特別料金出すで!」とこの様に名〇宅配便にいきました。宅配は重いゲテモノ路線便と違い楽で稼げると聞いていましたが、ナンノナンノ。慣れない間は配達順序と荷台荷物の積付け順が合わなければ芋ほり状態で荷物を探してばかり、その上私が担当したマンション・団地区域は時間がかかり留守ばかりで昼間は半分も在宅がありません、こらァ~あかんわ!と諦めていました。しかし隣の地区を走っているベテランのおっちゃんは、ほとんど持ち戻りも無くすごい件数を捌いています。私は「なぜそんな事が出来るんですか?」そのおっちゃんは「あんなァ~留守の時はみんなメーターボックスか取られへん所に置くねん、自分でサインして後で電話したら大丈夫や慣れたら200個位君でもできる」と言われました。その言葉どおり6ヵ月後にはこのズル宅配で効率が上がりクレームも無く180個x100円x30日で売上54万になっていました。しかし何時までも良いことは続かずある日、「昨日メーターボックスに入れた荷物とってもらいましたか?」と連絡すると「いや取って無い、今見たけどそんなん無いで」私は慌てて直ぐ現地へ駆けつけました。そうかここはメーターボックスに荷物が入らず玄関前に置いたのです、「すいません許して下さい自分で弁償します」と土下さをして謝りましたが「あの中身は高級時計と高級衣服で凄い金額や、君では駄目名〇運輸と話するわ」と言われ「どないしょう、えらいこちゃ~」と落込み帰りました。名〇運輸に帰ると直ぐ次長にこっぴどく怒られまして最後に「解ったやろ、ずるしても直ぐばれるでぇ~他の配送員をマネせんように、君には明日から心入替えて頑張ってほしいんや、後はこちらが対応する」と涙がこぼれるほど有難い言葉でした。「俺はいったい何をやってんねんや!彼女には振られるし、金も底つきたし、14時間労働でパンばかりかじり寝るのが一番の楽しみとは!友達がうらやましいわ」と嘆いてばかりでした。そんな時大阪生野区の配送先キムチ屋のおばあさん(在日韓国人)に「人生時計の振り子みたいに悪い事の後はそれ以上の良い事がある」と励まされました。そうか水戸黄門の歌も「人生楽ありゃ苦もあるさ」と開き直りました。   しかし今思えば「天網恢恢祖にしてもらさず」良く言ったもんです。


                                 つづく