皆さん今日は、エッセイカガサワのドンと来い経営術の時間です。本日のこの提供はジェイカス製薬がお送り致します。
第3話 「真の独立」
さて宅配不在放置事件で悪事は引合わない事を実感し、仕方なく毎日ショボイ売上(1日\100x120個位)を何とかこなしていました。
他の軽四オーナーの中には軽〇急配の偉いさんに、媚売って効率の良いチャーター便ばかりで儲けているみたいでした。
私は「こんな事やったら感情に任せて文句言うて嫌われんかったらよかった、世の間うまく立ち回りせんとあかんわぁー」と後悔しました。
そこでこのままではダメと悟り、宅配の合間をみてチャーター便のチラシを印刷屋さんに作成してもらい、
自分で営業しチャーター便の仕事を獲得しょうともくろんでいました。
ある日の夜7時頃東大阪の町工場へ飛込み営業(名刺とチャーター便チラシを渡すだけ)に入り、「あのぉ~こんなんやってます、何か困ったことあったらポケベル呼んで下さい」とチラシを渡すと、「これや!にいちゃん天の助けや、佐〇急便も〇濃運輸も無理や言うて困っとるんや、どや10万払うから明日の朝9時に長崎県島原までこれ運んで」、と言われ見てみれば鉄製の猪駆除のわな・檻(1mx1.5m高さ1.5m)でした。
明日も名〇宅配便の仕事でしたが、この頃の私はいい加減で(今もですけど)で適当に明日朝6時に仮病のふりして電話しょうと考え、「わかりました、今から行きます10万ですね!」と言うと「そや、しかし必ず9時必着やで、直ぐに周辺の農家共同でこれ使って作業するらしいわ」と念押しされました。
「やっぱり軽〇急配が悪いとか他力本願ではあかんなー」、自分の努力で初めて仕事を頂いた感動にひたっていましたが、軽四での恐ろしく遠い(約往復2000km)のある道のりとは思っていませんでした。
吹田インターから最初はアクセル全快で兵庫県内を快走していましたが、岡山県内に入ると日々寝不足と疲労の疲れがでてだんだん眠くなり、広島県に入る頃には居眠り運転を始めていました。
その時ブーブーと言う大きいクラクションと眩しい光で眼が覚めると、反対車線にはみ出て大型トラックと正面衝突しそうになりました、大阪辺りでは考えられませんが昭和62年頃の中国道はこの辺りでは黄線対面通行でした、間一髪左に避けたとき大型トラックの風圧が今でも忘れられません。
「あかん、もう寝むくて無理や30分だけ寝よ」と山口県のSAで仮眠をとりました、眼が覚めると軽トラの中で3時間も眠ってしまい朝6時になっていました。
「えらいことしてもうた、9時に長崎間合うんやろか?」関門海峡が朝日を浴びて絶景でしたが心は焦り生きた心地がしませんでした、しかし北九州に入ったら何故か後2時間半あるので時間どおりに着くような気になっていました。
このころの私はまだ車であまり関西を出た事がなく九州の広さがピンときていませんでした。
8時前に福岡のSAで「島原まで1時間位で着きますか?」と尋ねると、4時間近くかかると言われガックリと「もう間に合わんわ!9時村の猪駆除中止や」、電話連絡しようと伝票を見ると住所しか記載されていません、私は自分の適当さに嫌気が、しました。
仕方なく島原に向かっていますと名〇宅配便からポケベルが「連絡するの忘れてた、どない言い訳しょう仮病のふりして連絡しょうか、えーい無断欠勤して帰って適当に謝ろ!荷物は遅配するし10万払ってくれるんやろか?」いい加減な性格は天性なのです。
昼頃やっと島原入りしました、この頃当然ナビも携帯もなく畑仕事のお婆さんに道をたずねると、「これは何々何々バッテン、何々何々バッテン」とバッテン以外全く何を言っているのか解りませんでした。
自力で何とかたどり着き、激怒されるのを覚悟で荷受人の農家おじさんにひら謝り、長崎がこんなに遠いと思わなかった事や寝過ごした事を正直話すと、「あんた凄いなこんな軽四でようきたなぁー、農協の駆除は延期でええ腹減ったやろ」、その後も「風呂は入って仮眠して帰り」と言っていただき甘えさせてもらい、私は深い眠りにおちました。
眼が覚めると夜7時でした、奥さんが「今日は村祭りですしを作ったから食べて帰り」とまたご馳走になっている時、私は今の境遇を聞いてもらいました。奥さんは「若いからどうにかなる、それよりあの時こうすれば良かったと悔いが残るほうが辛い」と仰いました。
別れ際まるでイッテQの田舎へ泊まろうみたいになりました、心身共にリフレッシュしましたがあの遠い道のりを帰ると思うと「この軽四山の中に放置して飛行機で帰ったろか」と思いましたが、結局15時間かけて大阪に着いた時はふらふらになり、翌日から高熱にうなされ1週間寝込みました。
10万円につられて名〇宅配便をズル休みした天罰なのか、運転だけで儲かると思っていた長距離チャーター便でしたがもうコリゴリでした、結局はどんな仕事でも甘くない事を知り農家の奥さんの言葉に後押しされて軽〇急便を脱退し、ズル休みした名〇運輸には社員にならないかと温かい言葉を掛けて頂いたのですが、私は本当の独立する道を選択しました。
今思えば私のドライバー人生の基礎は毎朝歌ったこの歌詞から学んだような気がします。
名〇運輸の社歌
我らは見たぞーちかぁーら行く、伸びゆーく道はライト照らす。我ら皆世の中の皆の為に額に汗して、
今日も行く、ゴーゴー名〇運輸、我らが誇る名〇運輸
つづく
次回バブル景気をお楽しみに!