エッセイカガサワのドンと来い経営術 | ジェイカス株式会社代表取締役のブログ

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皆さん今日は、エッセイカガサワと申しますです。ご承知の方もいらっしゃいますが、私し小さな運輸会社(ジェイカス㈱)をお蔭様で20数年何とか経営してきました。そのハチャメチャ経験談(笑い話)を語りますので、あほなやっちゃ~と笑って下されば幸いです。まぁ良ければ適当にお付き合い下さい。

第1話 (起業)

あれは昭和61年7月の暑い日朝刊を読もうとしましたら、「貴方も軽四配送で80万以上稼げます」軽〇急配

の新聞広告が目にとまりました。その頃大阪片町の家庭日用品卸商社に配送兼営業(ホームセンター、スーパー、市場荒物店の御用聞き)で働いてました。世の中バブルが始まっていて2年前先輩(北浜の広〇証券社員)に脅されて100万円で始めた株が200万円以上になっていて、小資本で商売始めたいなぁ~と思っているときでしたから、「これだ~」とすぐに説明会場にいきました。私は軽〇急配社長自らの面談でして「君の若さとそんだけしゃべれたら月100万円は稼げるわ!明日新車の軽四わたすから250万円持って来て!」と言われ、私が「あのぉ~軽四て70万位ですが?なぜ250万円もしますんや?」と聞けば、「いやいやそこは仕事紹介料みたいなもんや月100万稼がしたるからごちゃごちゃ言うな」といい加減な軽い返事でした。私は本当に稼がしてくれると信じ込、これで独立か!とワクワクして卸商社を退職しました。250万円軽〇急配に払込み新車軽四貨物が来ましたがしかし営業ナンバーが付いてません、あのぉ~営業ナンバー何時取得して頂けますか?と軽〇急配部長に聞いところ、「ええ、それはやり方教えたるから自分で陸運局貨物課行って取ってきて~」と言われ、あれ~最初と話が違う何か騙されたなぁ~と嫌な予感がしました。何とか貨物軽運送の許可を自分で取得し、その後東大阪の名〇運輸に軽〇急配から配属が決ったと連絡がありました。「よぉーしやったるわーい!」どてらい男みたいに意気込みましたがここからが本当に大変、これがキッカケで汗と涙の運輸業の世界に迷込んだしだいです。 

  

            次回お楽しみに!  この提供は世界をリードするジェイカスでした。