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「山中人事労務オフィス」のブログです。

のんびりとブログに書かせていただきます!

2026年夏の甲子園も智辯和歌山の優勝で幕を閉じました。熊本の有明高校の旋風など、見所が多い大会でした。

さて、今回は鹿児島代表の神村学園にスポットを当てます。神村学園は1回戦で東筑(福岡)に5対1で勝ち、2回戦は佐野日大(栃木)に1対3で敗れました。

 

神村学園といえば、ここ数年、全国でも上位を狙える強豪校になりました。

2023年、2024年と夏の甲子園でベスト4に入り、今年も全国制覇を狙えるチームだったと思います。

ですから、2回戦敗退という結果は、選手たちにとっても、応援していた方々にとっても、本当に悔しかったはずです。

しかし、試合後の神村学園の振る舞いが、とても話題になりました。

 

勝利した佐野日大の選手たちがグラウンドを去る際、神村学園の選手たちは小田大介監督を先頭に、相手校の選手1人1人に頭を下げ、「勝ち進んでください」「頑張ってください」と声をかけて見送りました。

中には、涙を流しながら、涙をこらえながら挨拶する選手もいました。

簡単そうに見えて、なかなかできることではありません。

 

高校野球を50年近く見ている私でも、敗れたチームが全員で、勝った相手チームの選手ひとり1人を見送る姿は、ほとんど記憶にありません。

少なくとも、ここまできちんと全員で相手を称える場面は、私は初めて見たかもしれません。この姿だけでも、神村学園というチームが何を大切にしているのかが伝わってきました。

 

さて、以前、私が神村学園の試合をラジオで聴いていた時のことです。

アナウンサーが、小田監督に「勝つチームの作り方」を質問した話を紹介していました。

小田監督は、こういう趣旨のことを話されたそうです。

 

他のチームも、神村学園も、みんなしっかり厳しい練習をしている。

その中で最後はやっぱり「運」なのかなと。

すごく良い当たりでも、野手の正面に飛べばアウトになる。

一方で、悪い当たりでも、うまく野手の間を抜けることがある。

野球には、そういう「運次第」の場面がある。

大切なのは「運だから仕方ない」と思うのではなく、できるだけ運が向くように日々行動することである。

神様も、毎日お参りに来る人と、お願い事がある時だけ来る人なら、毎日来る人を応援するのではないか。

だから、子どもたちには、毎日を大切に、地道にやっていこうと伝えている。

そういう毎日の積み重ねが、最後の場面で、ほんの少しだけ運をこちらに向けてくれる。

 

私はこの話をラジオで聴いていて、神村学園の強さが少し分かった気がしました。

そして、その時にアナウンサーが言っていたのですが、小田監督の帽子の裏には「凡事徹底」と書かれていたそうです。なるほどな~、と思いました。

特別なことをする前に、当たり前のことを徹底する。

挨拶をする。道具を大切にする。相手を尊重する。感謝を忘れない。野球以外のこともおろそかにしない。そういう毎日の積み重ねこそ大切。

神村学園がいつか全国制覇をする日も、そう遠くないような気がしました。

 

【追伸】

ちなみに、小田大介監督は亜細亜大学野球部の出身です。

亜細亜大学野球部といえば、全国でも最も練習と規律が厳しい大学野球部として有名で、プロ野球にも良い選手を多く輩出している名門です。

元阪神タイガースの外野手だった赤星選手もOBです。練習の虫で有名ですが、彼いわく「大学時代には二度と戻りたくない」と語るほどです。

小田監督の「凡事徹底」という考え方にも、亜細亜魂の土台があるは間違いありません。

 

最後に余談です。

神村学園の選手たちは、今の時代には珍しいくらいの見事なツルツルの丸刈りでした。

今は高校野球でも、丸刈り以外を認める学校が増えています。

それはそれで、とても良いことだと思います。

ただ、神村学園の選手たちの完璧な丸刈りを見ると、これはこれで実に気持ちが良いものがあります。

きれいに刈り込まれた丸刈りの姿が重なって、神村学園というチームの清々しさがより強く伝わってきました。

2026年夏の高校野球の広島県代表は市立福山高校に決まりました。

 

決勝では、広島商業高校を4対3で破っての初優勝です。

広島商業といえば、広島県を代表する名門校です。

その名門を相手に、普通の公立高校である福山高校が逆転勝ちを収め、春夏通じて初めて甲子園への切符をつかみました。

 

新監督である小田浩監督が就任したのは今年4月です。

これまではベスト16進出が最高だった福山高校。そこからわずか4か月足らずで甲子園出場となったのす。奇跡的な快挙です

 

小田監督はこれまでも広島県において、西条農、総合技術という公立高校を甲子園に導いている実績があります。

私は、「短期間でこんなことが起こるには、きっと監督は何か精神面での改革を得意としているのではないか?」と思いました。

この実績は、普通に考えれば、野球技術だけで説明できる話ではないからです。

 

色々な記事を読むと、やはり小田監督は選手たちへの精神面の指導を重視していたようです。

その本質は「技術は十分ある。考え方だけ変えよう!」ということです。

この言葉が、今回の快進撃をよく表していると思います。

つまり、練習時間や練習内容をそれほど大きく変えたわけではなく、むしろ大切にしたのは、「県内の上位校と互角に戦える」という肯定感を高める気持ちの改善だったようです。

 

ただし、単なる精神論だけではなく、試合中での具体的な考え方にも表れていました。

「ミスをするのは当然。すぐに落ち着くこと」

「1回1失点はOK。複数失点を防ごう」

「相手に3点までは取られてもいい」

 

これが浸透し、選手はミスをしても、少々点を取られても、必要以上にマイナス思考にならず、慌てなくて済むようになっていったとのことです。

 

実際、決勝では4回まで無安打で2点を追う展開でした。普通ならとても苦しい状況です。しかし、小田監督はそれを「上出来」と見ていたそうです。

この受け止め方・考え方・プラス思考が、チームに落ち着きを与えたのではないかと思います。

 

ミス・失点をなくすことだけに力を注ぐのではなく、ミス・失点が起きることを前提にして、試合全体でどう勝つかを考えることの大切さを浸透させる。

これが小田監督の行ってきた精神的な改革だと思います。

 

人は、能力が足りないからできないのではなく、「自分たちはここまでだ」と思い込んでいるから、できないことがあります。

市立福山高校の甲子園初出場は、考え方が変わると、がらっとチームの強度が変わることを教えてくれる出来事だったように思います。

 

この考え方は、会社組織でも応用できるかもしれませんね!

2026年6月30日、サッカーワールドカップで日本はブラジルに1対2で敗れました。

あと少しで延長突入。延長戦になったらスタミナ勝負になるのでなんとかなるかも・・・と思いましたが、少し届きませんでした。

悔しい結果ですが、サッカー王国との真剣勝負を見せてくれた森保監督と選手には感謝の気持ちで一杯です。

 

そして、森保監督を語るうえで、私が思い出すのはオフト監督です。

当時、無名に近かった森保選手を発掘し、日本代表にまで抜擢したのです。

かなり前ですが、私も20年ほど前に「オフト革命」という本を読み、オフト監督がいかに日本サッカーに革命をもたらしたのかを知りました。

 

オフト監督は、日本代表初の外国人監督です。1992年に日本代表監督に就任し、同年のアジアカップで日本を初優勝に導きました。

そして何より、日本サッカーに「チームとして戦う」「「タスク(役割、任務)を分担、配置する」という考え方・戦術を植え付けた人だと思います。

アイコンタクト、スモールフィールド、トライアングル、コーチング、などなどが。

 

今では当たり前に聞くような言葉ですが、当時の日本サッカーにとっては、とても新鮮で大きな変化だったといいます。

当時の日本代表には、ラモス瑠偉さん、三浦知良さん、柱谷哲二さん、井原正巳さん、中山雅史さん、都並敏史さんなど、個性の強い選手が揃っていました。

今考えても、相当に濃いメンバーです。

 

その中で、特に当時のチームの支柱であるラモスさんは、自分のポリシーと異なる戦術をやろうとするオフト監督とかなり衝突しました。練習ボイコットに近いこともあったらしいです。

オフト監督は戦術面では妥協せず、しかし、一方的に押さえつけるだけではなく、ラモスさんなどの意見も真剣に受け止めながら、チームとして進む方向を作っていきました。

最後はラモスさんに「オフトを男にしたい」と言わせる関係を作りました。

あれだけバラバラだったチームが最後には一致団結したというのですから、やはりすごい監督だったのだと思います。

 

しかし、オフトジャパンはワールドカップには届きませんでした。

1993年10月のカタール・ドーハで、勝てば日本サッカー初のワールドカップ出場が決まるイラク戦でした。

終了間際、ほぼラストプレーで同点ゴールを許し、日本は出場を逃しました。これが「ドーハの悲劇」です。私も大ショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています。

 

その悲劇のピッチには、森保監督もいました。

森保さんはディフェンシブ・ハーフのレギュラー選手でしたが、当時の代表の中では地味なイメージでした。

派手なプレーで目立つというより、チームのバランスを取り、守備的に動きます。

ボールを奪い取ったら、「司令塔ラモスへ回す!」という役割をやり抜いたと「オフト革命」には書かれていました。

まさに、オフト監督の考えをピッチ上で体現するような選手でした。

 

森保ジャパンも、どこかオフト監督の影を感じます。

オフト監督がやってきた「個性の強い選手を一つのチームにすること」、「選手に役割を与え規律を持たせ、しかし個性をつぶさないこと」を受け継いでいるように思いました。

 

我々の仕事も、これに近いところがあると思います。

ある人が土台を作り、次の人がそれを受け継ぎ、また次の人が少し先へ進めていく、その積み重ねが、継続という意味ではとても大切だと思います。「継続は力なり」のバトンタッチです。

また4年後のサッカーワールドカップを楽しみに待ちたいと思います。

2026年5月24日、JRAのG1競走「オークス(優駿牝馬)」にて、女性騎手の今村聖奈さんがジュウリョクピエロ号で優勝しました。

中央競馬の牝馬クラシック第2戦、東京競馬場芝2400メートルの大舞台です。

 

今村騎手は5番人気のジュウリョクピエロに騎乗し、後方からレースを進め、最後の直線で力強く伸びて差し切りました。

JRA女性騎手として初めてのG1勝利。長い中央競馬の歴史の中で、ついに女性騎手がG1を勝った。「山が動いた」と言いたくなるような快挙だと思います。

 

ただ、私がそれと同じくらい驚いたのは、これが今村騎手にとって「クラシック初騎乗」だったということです。

クラシックとは、桜花賞、皐月賞、オークス、日本ダービー、菊花賞の5つ。馬にとっても騎手にとっても特別な舞台です。その初めてのクラシック騎乗で、いきなりオークスを勝つ。

これは女性騎手という枠を超えて、騎手として本当にすごいことだと思います。

 

そして、このニュースを聞いたとき、私は1988年のオークスを思い出しました。

勝ったのはコスモドリーム号。

騎乗していたのは、当時20歳の熊沢重文騎手です。

当時の熊沢騎手もクラシック初騎乗でオークスを勝ったのです。

しかも、熊沢騎手の場合は、東京競馬場での騎乗そのものが初めてだったそうです。

その日、人生初めての東京競馬場。

初めてのクラシックG1。しかも10番人気の馬で。
その日乗ったのはオークスの1レースのみ。そこでいきなり勝ってしまう。

今考えても、とんでもないことをやってのけたのだと思います。

 

著書「職人騎手」によりますと、当時の熊沢騎手は関西から新幹線で移動したものの、府中の東京競馬場への行き方が分からず、新横浜駅で迷っていたところを、たまたま通りがかった関係者に連れて行ってもらったという話もあります。

その話を知ると、もう「初めて」の度合いがすごすぎます。

今村聖奈騎手の快挙を見て、改めて熊沢重文騎手の1988年オークスも、ものすごい勝利だったのだと感じました。

 

さらに面白いのは、今村騎手のお父様である今村康成さんとのつながりです。

今村康成さんは、2001年にユウフヨウホウで中山大障害を勝った障害G1ジョッキーです。

一方、熊沢重文騎手も、2012年にマーベラスカイザーで同じ中山大障害を勝っています。

 

今村親子の快挙を見ているはずなのに、その陰で、どうしても熊沢重文騎手を思い出してしまうのです。

熊沢騎手は、平地でも障害でも活躍した二刀流ジョッキーです。

1991年にはダイユウサクで有馬記念を勝ちました。

そして2012年には、マーベラスカイザーで中山大障害を勝ちました。

 

年末の平地G1である有馬記念。同じく年末の障害G1である中山大障害。

この2つを勝っている騎手は、長いJRAの歴史の中でも熊沢重文騎手だけです。

これこそ、二刀流ジョッキーと呼ばれるゆえんだと思います。

 

今村聖奈騎手のオークス制覇は歴史的快挙です。

ただ、競馬の面白いところは、1つのレースが、過去の名騎手や名レースの記憶まで呼び起こすところです。

今村聖奈騎手の勝利によって、私は38年前の熊沢重文騎手のオークスを思い出しました。

そして、熊沢騎手の平地と障害にわたる長い騎手人生まで、改めて思い返すことになりました。

 

今村聖奈騎手の騎手人生は、ここからさらに続いていきます。応援したいと思います。

 

【追伸】
ちなみに、馬名の由来である伊坂幸太郎さんの小説「重力ピエロ」は、読書好きの友人から貸してもらって読んだことがあります。
ほんの少しだけ競馬のことも書かれています。興味があれば、ぜひ読んでみてください。

本日は、西相生駅スタートです。

もはや、ここまで戻ってくる交通費がばかになりません!笑

 

さて、今日はまず兵庫県最西端の市である「赤穂市」を目指し、国道250を峠越えです。別名「はりまシーサイドロード」とのこと。

歩道ないので慎重に歩きます。でも、意外と白線内が広いです。

 

そしてついに赤穂市突入!

思えばここまで・・・尼崎市、西宮市、芦屋市、神戸市、明石市、加古川市、高砂市、姫路市、太子町、龍野市、相生市と横断し、いよいよ兵庫県最後の市です。

 

道路沿いに、塩を運ぶ人形が置かれています。赤穂は塩づくりの町なのですね。

スタートから7キロくらいでようやく歩道が設置されており、一安心。

 

少し歩くと町が見えてきて「坂越(さこし)駅」がありました。

次の駅を目指し、ひたすら歩きます。

 

到着しました「播州赤穂駅」。

以前、姫路城マラソンを走る際に、ここで前泊したこともあります。

赤穂浪士の町ですね。

でも今日は観光はお預け。

岡山県突入を目指します!

 

播州赤穂から西へと歩みを進めると、四方八方こんな感じになってきました。のどかです!

 

JR天和駅を過ぎ、まだまだ国道250を歩きます。

 

さあ、岡山県入りへ向けて、峠越えをしなければ!です。

 

そしていよいよさようなら兵庫県!こんにちは岡山県!

ここまで自分の足でやってきたので、とても感慨深いです。ジャンプして県境を越えました!笑

 

少し歩くと、町が見えてきました。本日のゴールも近いです。

 

 

今日はこの「寒河(そうご)駅」で終了です。

約21キロの旅でしたが、峠越えもあり、おもしろかった!!

 

帰りの電車の車内には「岡山マラソン」の広告が!

あ~、岡山県に来たんだなーと再認識です。

 

暑い季節の間は一時休止しますので、あと1回歩くかどうか、です。

10月くらいに再開しますね~。

 

 

 

 

私の大好きな漫画家、藤子・F・不二雄さんのSF短編に、「テレパ椎」という作品があります。

 

主人公は、自称イラストレーターの若者です。定職にはつかず、出版社から依頼されたイラストの原稿料で、細々と暮らしています。

 

ある日、主人公は出版社へ原稿を届けに行く途中、雑木林で不思議な「椎の実(テレパ椎)」を拾います。

その椎の実は、持っていると他人の心の声が聞こえてしまう、不思議な木の実でした。

はじめのうち、主人公はその力に喜びます。

 

しかし、次第に、他人の本当の心の声を知ることが苦痛になっていきます。

たとえば、自分のイラストを見た雑誌編集者が、口では「なかなかいいね」と言ってくれる。

ところが、相手は心の中では、まったく違うこと(ありきたりだなぁ)を思っている。

 

町の雑踏を歩けば、ねたみ、ひがみ、不平、不満、悪口があめあられのように聞こえてくる。

そして主人公は、ついにそのテレパ椎を捨ててしまいます。

藤子・F・不二雄さんは「本音を知るのは必ずしも幸せなことではない」ということを伝えたかったのだと思います。

 

そして最近の出来事です。

プロ野球の試合で、死球があったことをきっかけに、ネット上のコメントが荒れている場面を目にしました。

まずは、死球を受けた選手を心配する気持ちから始まるのが、普通の人間だと思います。

一方で、「その選手の避け方が悪い」「過去にはそっちが死球を与えていただろう」といった、そこまで言わなくても良いのではないかと思う言葉も少なくありませんでした。

 

顔が見えない。名前も出さない。

だからこそ、普段なら口にしないような言葉が、簡単に外へ出てしまうのかもしれません。

 

現在のネット社会は、本来ならその人の心の中だけにとどめておけば良かった言葉や、見なくても良かった心の声まで聞こえてしまう「テレパ椎」を手にしているような状態です。

 

その言葉を書き込んだ人も、リアルなコミュニケーションの場なら、きっと言葉を選んで発言するのだと思います。

 

意見や考え方が人によって違うのは、当然のことだと思います。

ただ、その意見を伝えるために、相手を侮辱したり、傷つけたり、必要以上に下げたりする必要はないはずです。

 

今の時代であれば、「ネット上で本音を知ることは、必ずしも有益なことではない」と藤子・F・不二雄さんは伝えるかもしれません。

物語の主人公が最後にテレパ椎を捨てたように、SNSを積極的に見に行く習慣を、少しずつ手放してみることも、必要なことかもしれません。

 

その分、心安らぐ人との会話、趣味、読みたい本、走る時間、楽器演奏、そういう心豊かなものに、少しでも多くの時間を使えたらと思います。

そんな小さな選択が、限りある毎日を幸せに過ごすための手段の1つになればと思いました。

 

【追伸】

ちなみに、私が勝手に思う3大漫画家は、「手塚治虫さん」「藤子・F・不二雄さん」「鳥山明さん」です。

手塚治虫さんは、漫画にストーリー性と映画のような世界観を与えた人、また多くの漫画家の目標となり、後進を導いた人。

藤子・F・不二雄さんは、その流れを受けながら、より優しい絵、より親しみやすい空想や発想で多くの子どもの心に届く物語へと広げた人。

鳥山明さんは、2人の良いところを受け継ぎながら、天才的にわかりやすい絵、抜群のテンポ、魅力的なキャラクターで、日本の長編連載漫画の文化を決定的なものにした人。

この3人が、漫画を文化・芸術にした始祖ではないかと、私は勝手に思っています。

異論は大いに認めます(笑)

今回は兵庫県姫路市にあるJRの「英賀保(あがほ)駅」から出発です。

さすが大都市だけあって、この駅周辺も活気があります。

 

国道沿いを歩くつもりでしたが、少し北側にいわゆる旧西国街道があり、そちらを歩きました。

昔ながらの道は古い石碑も残っており、興味深いです。

 

快晴のお天気の下で、軽快に歩けます!

そして「はりま勝原駅」通過。新興住宅地&古い町並み、その融合が見られる素敵な地域です。

 

どんどん歩くとついに「網干駅」まできました。

学生時代の友人が網干に住んでいたので、一度だけ遊びに行ったことがありましたが、きっと駅も改修されたのでしょうね。きれいな駅でした。

 

で、網干駅からすぐ見えてきました「太子町」!

宮本武蔵生誕の地とは!!知らなかった・・・・

 

周辺はすっかり田園風景になりました。歩いているからこそわかるこのじわーとした変遷。

とても楽しいです。

そして気づけばマンホールが「赤とんぼ」に。これはいつの間にか龍野市に入ったということでしょう!

 

そうめんで有名な「揖保川」を渡ります。

学生時代のゼミに、このあたりから西宮まで通っている女性が居ましたが、信じられません!!!

川を渡って少し歩くとJR龍野駅がありました。
龍野は古い町並みなど観光地としても有名ですが、今日はそこは寄り道せず、ひたすら西へと進みます。

 

2号線沿いをぐんぐん歩き、ついに相生市突入!兵庫県も終盤になってきた感があります!

 

JR相生駅到着。もう少しだけ歩きます。

 

相生駅から西相生駅を目指すのですが、ここも西国街道を歩きます。

シブい町並みです!こういたところを歩くとテンションが上がりますね。

 

今日のゴール西相生駅です。約21キロでした。
これまた人生初の駅です!

 

次回はいよいよ岡山県入りを目指します!

今回はJR加古川駅からスタートです。目標は姫路です!

ここ加古川駅は何度も走った加古川マラソンの最寄り駅。今日は「歩き」です!

それにしても良いお天気。暑いくらい。半袖1枚で十分です!

 

少し歩くと見えてきました「加古川」です。

この河川敷をどれほど走ったことか!単調なマラソンコース。修行のような42キロだったことを思い出します。

 

本日は、基本的には2号線を歩きますが、1つ北の道がとても味がありました。

こういった発見も歩きの楽しさです。

 

加古川駅から4キロほど歩いたら、宝殿(ほうでん)駅が見えてきました。

学生時代、この駅から西宮の甲東園駅まで通っている友人がいましたが、ちょっと意味が分かりません(笑)

 

この宝殿駅からすぐに「高砂市」の表示が!!!

え、加古川市と姫路市の間に高砂市があったの?新発見です!(高砂市さん、ごめんなさい)

 

しかも高砂市アミダ町アミダ!これ、住所書くのまあまあ面白いでしょうね!

 

そんな貴重な高砂市でしたが、急に出現しました!いよいよ世界遺産の姫路城がある「姫路市」です。ついに入りました。

 

ここまでくると、楽しみが黒田官兵衛の「御着城」。
大河ドラマ「軍師、官兵衛」で出てきたお城ですね!

今年の大河「豊臣兄弟」でもきっとキーマンとなる官兵衛!楽しみです。

 

歴史に触れて、感動し、また歩き始めるといよいよ看板は姫路城!

 

やってきました!世界遺産!

この姫路城をスタート&ゴールの姫路城マラソンも4回走りました!

素晴らしいコースです!自己記録を出したコースです!!

当時は、サンテレビにもゴールシーンがバッチリ放送されました(笑)

 

さて、ここで本日のゴールでも良かったのですが、まだ時間が早かったので、西へと足を延ばしました。

5キロほど歩くと「手柄山平和公園駅」が。

人生初めて見る駅名。

 

疲れてきましたが、もう1駅だけ進もうと思い、「英賀保駅」まで。「あがほ」と読みます。

これまた人生初めて知る駅!

こういった駅を知れることがこの旅のうれしさです!

本日はここまで!!!

約23キロの旅路でした!疲れた~~。日差しは夕方になっていました。

 

帰路では、いったん姫路駅で降りて、前から食べたかった「駅そば」店へ。

 

ユーチューバーの西園寺さんが絶賛していたので食べたかったんです!
お蕎麦の美味しい出汁+中華麺(びっくり)。
これがとてもおいしい!!

夢中で食べました!!

次回も楽しみです~

 

 

先月のWBC(ワールドベースボールクラシック)、日本は惜しくもベスト8で敗退しました。しかし十分楽しませてもらいました!

さて、そんな日本チームを引っ張ってくれたのが世界のショーヘイこと大谷翔平選手です。

先日、その大谷選手のこんな言葉を目にしました。

 

「イライラしたら負けだと思ってます。いちいち他人にイラついて不機嫌になるのは人生損をする。イラつく時は、またひとつ自分の強みが発見できた、そう思えたらストレスもたまらない。」

 

さらに印象に残ったのは、さらにそのあとに続く言葉です。

 

「あの人いつも時間に遅れてくるな」と思うのは、自分が時間をいつも守るから。

「レスが遅い」と思うのは、自分がすぐ返すから。

「周りに配慮がないな」と思ったら、いつも自分が周りに気配りしているから。

 

なるほどなー、と思いました。

人の欠点が気になるとき、実はそこに、自分が大切にしていることや、ふだん自然にやっていることが表れているのかもしれません。

そう考えると、イライラの中には、自分の長所が隠れているように思えます。

 

もちろん、腹が立つことはあります。人と関わっていれば、ゼロにはならないと思います。

そのたびに相手にばかり意識を向けると、気持ちはどんどん重くなります。

それよりも、「これは自分が大切にしていることの表れかもしれない」「これは自分が得意としていることの裏返しかもしれない」と見方を変えられると、少し楽になります。

 

大谷選手の言うとおり、「イライラ」は、自分が大切にしていること、得意としていることの再発見の場です。

そう思うと、せっかく再発見させてもらったのですから、イライラ不機嫌になるのではなく、むしろ、「自分はこういうことを大事にしているんだな」と気づけて、少しニコニコしてしまうくらいでも良いのかもしれません。

 

時間は有限です。不機嫌でいる時間は実にもったいない「人生の無駄時間」です。

せっかくなら、イライラしたときこそ、自分の良さを一つ見つける。

そんな受け止め方ができたら、無駄時間の節約になるのかもしれませんね。

今回はJR&山陽の明石駅からスタートです。目標は加古川です!

歩き出してすぐに「明石大橋」という橋。ここを南下してみます。

すると「浜の散歩道」という表示が!なんか雰囲気良さそうです。

 

 

まさに明石の瀬戸内海沿いを歩くコースです。テンション上がりますが、この日は風が強く、地味に体力と体温を奪われます。ダウン着ていて正解です。

数キロ歩いてずっと海沿いというのも疲れてきましたので、県道718号線に出ました。住宅街を東西に走る県道のようです。少し歩くと山陽電車の「藤江駅」という駅がありました。このように今まで知らなかった駅名に出会えるのがとても楽しいのです。

 

さて、おなかも減ってきたし、疲れてきたので、お昼ごはん場所を求めて国道2号へ。

吉野家でおなかを満たし、西へ西へと歩きます。

よく見ると、明石市のマンホールは知的ですね。子午線のまちです!

スーパーマルアイ発見!このあたりを拠点としているスーパーでしょうか。

大久保、魚住と歩きますが、ほんと明石市も東西に長い!なかなか加古川に入らせてくれません。

ようやくJR土山駅がありました。そう、加古川市突入です!明石市さんありがとうございました。

 

JRの1駅区間の距離が長くなってきました。頑張って東加古川駅到達。

 

疲れてきたので平岡町あたりでカフェに入ってカフェオレをいただきました。「Ron Gyoza Café」という雰囲気・味サイコーの場所でした。

「金曜の夜、お酒&おつまみありますのでまた来てください。」とのことでした。行きたくなりますね~。

 

そしてやっと到着JR加古川駅。駅前には「ヤマトヤシキ」があります。

ここは加古川マラソンで何度も来ましたが、まさか自分の足で歩いて到着するとは考えてもいませんでした。

本日は約23キロでした。次回もよろしくお願いします。