「山中人事労務オフィス」のブログ

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「山中人事労務オフィス」のブログです。

社会保険労務士として、サラリーマン時代の経験もふまえて、ブログに書かせていただきます!

先日、社労士仲間に誘われて、人生で初めて「宝塚歌劇」を観に行きました。

正直なところ、最初に「行かないか?」と誘われたときは、「えっ、宝塚?興味ないなぁ…」と思っていました。

でも、ふと考えたのです。「この機会を逃したら、一生行かないかもしれない」と。そう思って、思い切って参加することにしました。

 

当日は18人の仲間と一緒に観劇。座席は2階最前列で、ステージ全体が見渡せる絶好の位置でした。

演目は「PRINCE OF LEGEND」と「BAYSIDE STAR」。

 

第1部の「PRINCE OF LEGEND」は、ストーリー仕立ての劇。笑いも涙もあり、歌も踊りも織り交ぜながら進んでいきます。

トップスターの桜木みなとさん、春乃さくらさん、水美舞斗さん、この3人の存在感は圧倒的でした。

男役の堂々たる立ち姿、娘役の美しさ、そして芝居のテンポの良さ。笑いのシーンでは会場がどっと沸き、次の瞬間には胸に迫る展開に。舞台転換も見事で、「これぞプロの舞台」という迫力がありました。

 

そして驚いたのは、バックの音楽がすべて生演奏だったこと。ステージ下に指揮者と楽団がいて、劇の呼吸に合わせて演奏する。まさにライブそのもの。会場全体がひとつの楽器のように感じられました。

 

第2部の「BAYSIDE STAR」は、一転して華やかなレビュー。

歌とダンスの連続で、これぞ宝塚!という世界が広がります。ラインダンスの見事さ、衣装の煌びやかさ、舞台いっぱいに広がるエネルギー。

 

最後にトップスター3人が大きな羽を背負って登場するシーンは圧巻でした。

あの羽は、ただの装飾ではなく「努力と継続、そして誇り」が詰まっているように感じました。

長い年月にわたって積み重ねてきた努力の証であり、その象徴でもあります。

 

見終わったあと、「行って良かった」と心から思いました。

むしろ、もう一度観たい。

きっと、またこの舞台に会いに行くと思います。

2025年の大阪・関西万博。私も「通期パス」を購入し、何度も観に行っています!

華やかなパビリオンが並ぶ万博ですが、私が最も心を動かされたのは「夜の地球 Earth at Night」というパビリオンでした。

 

入口・出口では、サザンオールスターズの曲「桜、ひらり」が流れています。

能登半島地震の復興に寄り添う歌詞の響きとともに足を踏み入れると、そこには派手さやエンタメ性とは違う、静かな世界が広がっていました。

 

入ってすぐのエリアには、製作工程や職人さんのインタビュー映像が流れていて、地球儀ができるまでの物語に出会えます。

 

そしていよいよ次のエリアに移動すると、ほぼ暗闇の部屋。その中心に据えられているのは、直径1メートルを超える輪島塗の地球儀です。暗闇にそびえる漆黒の大地球儀です。

30人以上の職人が5年以上かけて完成させたという逸品。石川県輪島漆芸美術館から搬出された展示品だそうです。

黒漆の深みと金箔で表された国境が、宇宙から眺める地球のような雰囲気を映し出していました。

 

しかも、この地球儀は2024年1月の能登半島地震で奇跡的に無傷だったといいます。その事実を知ると、単なる展示品ではなく「復興のシンボル」としての重みを帯びて見えてきます。

 

他の展示物としては、東京、ニューヨーク、ロンドン、北京といった都市の黒地に金箔のパネルも展示され、それぞれの大都市の「夜の顔」が見えてきます。都市の光の濃淡を眺めながら、その都市の時間の流れを想像するのは、不思議な体験でした。

 

この「夜の地球 Earth at Night」は他の人気パビリオンのように長蛇の列もなく、ほとんど並ばずに入れて、ゆったり鑑賞できるのも大きな魅力です。だからこそ、何度でも足を運びたくなります。

設備の派手さや映像の迫力ではなく、「静かに立ち止まって考える時間」を与えてくれる時間がここにはありました。

 

万博というと、未来技術やエンターテイメントを期待して訪れる人も多いかもしれませんが、この「夜の地球 Earth at Night」は、そうした期待とは少し違う角度から興味深く心を揺さぶってくる展示です。

 

残りの日数が少なくなってきましたが、大阪・関西万博に行かれる機会がある方には、ぜひ一度立ち寄っていただければと思います。

今年2025年の夏の高校野球もとても盛り上がりました。接戦が多く、ハラハラする試合が多かったのが特徴です。また開会式を夕方に実施する等、猛暑対策が色々試行されたのも今大会の特徴です。

 

ところで、夏の高校野球やサッカーの試合で、足をつった選手が倒れこむ場面、よく見かけますよね。

高校野球の場合、流れはおおむね以下のとおりです。

 

①足がつる

②仲間が駆け寄り、水分補給し、ストレッチしてあげる

③それでも改善せず、担架で運ばれる

④治療を受ける

⑤交代、または何とか復帰

 

この間、試合は5分程度中断することもあり、観客や他の選手も猛暑の中で待たされ、体力も奪われ集中力も途切れがちでます。しかも復帰できても、動きは完全ではありません。いわば「2次被害」です。

 

そんな中で、私がマラソン経験からたどり着いた「最長でも1分で治す方法」があります。

それは…「塩を食べる」こと!

舐める程度ではなく、スプーン2杯くらいをガリガリと食べます。

ある大会で足がつった時、給水ポイントに塩があったのでそれを食べるとどうでしょう!

つって、つっぱって動けなかった足が、1分後には普通に動く。しかも、そのまま走り続けられるのです。

 

なぜこんなに即効性があるのか。

実は、塩を食べてもナトリウムが血中に行き渡るまでには数十分かかると言われています。ですから「筋肉に直接届いたから」ではないのです。

おそらく、強烈な塩味が舌に届いた瞬間、脳が「塩分補給が始まった!」と認識し、安心信号を送って筋肉の異常収縮をゆるめるのだと思います。いわば脳をだます応急手段です。

 

もちろん、塩の摂りすぎには注意が必要です。

急に大量の塩分を摂ると、のどの渇き、胃の不快感、高血圧や心臓・腎臓への負担になる恐れがあります。特に持病のある方は避けるべきです。

同時に水分補給も大切です。

 

この方法は我流ですし、あくまで緊急時に限って使うもの。

それでも、試合中断を最小限にし、選手が早くプレーに戻れるという意味で、2次被害の防止にもつながります。

覚えておけば、スポーツ現場での「最後の切り札」になるかもしれません。

皆様にはあまり関係ないかもしれませんが、もしも足がつって動けなくなった場合は、思い出していただければ幸いです。

高校野球ファンの一人として、どうしても応援したい学校があります。

それが、静岡県の「聖隷クリストファー高校」です。

 

この高校が、いまようやく、本当にようやく、創部41年目にして初めての甲子園出場を決めました。

これまでの歩みは、あまりにも不遇でした。

 

たとえば、2020年夏。

コロナの影響で甲子園大会そのものが中止になった年です。

静岡県独自の代替大会で優勝したにもかかわらず、甲子園の土は踏めませんでした。

 

そして2022年春。

前年度秋の東海大会で「準優勝」し、東海地区代表(2枠)として全国センバツ出場は100%確実と思われていました。

ところが、まさかの落選。選ばれたのはベスト4で敗退した他校でした。

しかもその選考理由が「甲子園で勝てそうなチームだから。」といった、信じられないような曖昧な説明。

この一件は、国会でも取り上げられるほど波紋を呼びました。

監督の上村敏正さんは、当時の心境を「高校野球が嫌いになりました・・・。」と語っています。

 

それでも、選手たちは諦めませんでした。

「上村先生のもとで野球がしたくて、聖隷に来ました。」

そんな思いで集まった選手たちを支え続けたのは、苦い経験を経てもなお燃える「甲子園への熱い思い」、そして「不遇を味わって卒業したOBたちの想い」だったのではないでしょうか。

 

そして2025年7月28日。

静岡県大会の決勝、相手は強豪・静岡高校。

その試合を制し、ついに「聖隷クリストファー高校」の名前が甲子園出場校として刻まれました。

 

勝利の立役者は2年生エース・高部陸投手。

147キロの速球と変化球を織り交ぜ、1失点完投。

試合後、「上村先生を甲子園に連れて行きたかった。」と涙ながらに語った姿には、多くの人が胸を打たれたはずです。

これまでの不遇の歴史すべてを背負って投げたその姿を、野球の神様がしっかりと見てくれていた、そう思わずにはいられません。

 

上村監督は、昭和・平成・令和の3元号で異なる3校を甲子園に導いた「名将」です。

それでも「この学校では一生行けないかと思った。」と語るほど、ここまでの道のりは厳しいものでした。

 

「高校野球が嫌いになった」と語っていたその指導者と、その教え子たちが、ようやくつかんだ初めての甲子園。

どうか、思いっきり楽しんでください。心から、応援しています!

2025年6月1日、東京競馬場。

第92回日本ダービー(GⅠ)は、クロワデュノール号と北村友一騎手のコンビが制しました。

 

この4月、クロワデュノールは皐月賞で1番人気に支持されながら、惜しくも2着。

あと一歩のところで勝利を逃した悔しさは、北村騎手も、斉藤調教師も、関係者も、そしてファンも共有していたはずです。

だからこそ、ダービーでの巻き返しは、格別のものだったに違いありません。

 

日本ダービー。それは競馬関係者すべてが目指す頂点。

その舞台で、かつて大けがを負い、長いリハビリを経てカムバックを果たした北村友一騎手が栄冠をつかんだのです。

そして感動を倍増させたのが、JRAのジョッキーカメラに収められたゴール直後の映像です。

次々と他の騎手たちが北村騎手のもとへ駆け寄り、「おめでとう!」と声をかけ、ハイタッチを交わす姿。

レースではライバルでも、日々同じリスクと努力を背負って戦う者同士としての敬意と友情がにじみ出ていました。

相手騎手は敵ではなく「同志」。そんな思いが自然と湧いてくる、素晴らしい場面でした。

 

そして、映像の最後のほうには、北村騎手が馬を降りて斉藤調教師に向けて放ったひとことが記録されています。

「全てに意味がありました。」

 

北村騎手はデビュー20年目の38歳。2021年5月の落馬事故では椎体骨々折、右肩甲骨々折で手術を行ない、後日の検査で背骨8本も骨折していたことが分かるという重傷で、復帰までには1年1か月もの休養が必要でした。

新人のころからコツコツと努力をし、成果を積み上げ、ようやくトップクラスに上り詰めようとした矢先の大事故。輝かしい日常が、一瞬にしてこぼれ落ちました。

リハビリの日々、不安と焦り。皐月賞でのくやしさ。そして今回のダービーでの勝利。

 

それら一つ一つの出来事を受け入れたうえで、「全てに意味がありました。」この言葉が自然と出てきたのだと思います。

 

競馬の世界では「結果がすべて」と語られることもあります。

しかしこのひとことからは、「過程のすべてが意味を持つ」という深い価値観が伝わってきます。

そしてそれは、私たち自身が仕事や人生の中で苦労したり、うまくいかなかったりする経験にも通じるメッセージではないでしょうか。

 

今、壁にぶつかっていたとしても、悩みや迷いの中にいたとしても、未来のどこかで「全てに意味があった」と思える日がきっと来る。

そんな希望を、このダービーの勝利と北村友一騎手の言葉が教えてくれているように思いました。

最近、長女の娘、つまり私の孫(2歳)が、少しずつおしゃべりをするようになってきました。

その中でも、毎日のように口にするのが「見て~、見て~!」という言葉です。

 

自分で描いた絵、積み木で作った構造物、自分なりに工夫した遊び。

どれもこれも、誰かに見てほしくてたまらないようで、「見て~!」と目を輝かせながらアピールしてきます。

 

この「見て~!」は、まさに承認されたいという気持ちのあらわれです。

こうした気持ちに応えてあげることが、育児においてとても大切な関わり方の一つだと感じます。

子どもは、見てもらうことで安心し、自信をつけ、また次に挑戦しようとする力を育てていきます。

 

ふと、この「見て~」は、大人の世界にもあると思いました。

 

たとえば職場。部下が報告に来たとき、心の中で「見てほしい」「認めてほしい」と思っていることは少なくないはずです。

 

ちょっとした改善、がんばった準備、工夫した手順。

何気ない報告の裏には、小さな「見て~」が隠れているのかもしれません。

それに気づき、「ありがとう」「いいね」と応えるだけで、人は安心し、前を向けることができます。

 

とはいえ、全員が自然に「見て~」と言えるわけではありません。

遠慮したり、自信がなかったりする人もいます。

だからこそ、あえて仕組みとして“見せる場”を用意することが大切です。

 

たとえば、こんな仕掛けです。

・ミーティングで、最近のちょっとした成果を1人ひとこと

・週報に「自分なりの工夫」を書く欄を設ける

・朝礼で交代制の「ミニ成果報告」

・あらためて自己PRを紹介し合うミーティングを実施する

 

こうした場があることで、普段言葉にしづらい「見て~」の気持ちが表に出てきやすくなります。

とくに、自分のことを話すのが苦手な人にも、自然に表現するチャンスが生まれます。

 

人は、見てもらえたときに「やってよかった」と思えるものです。

育児も職場も、根っこにあるのはきっと同じ。

小さな「見て~」を受け止め合える環境が、人の成長と組織の前進を支えてくれるのだと思います。

先日、サザンオールスターズのコンサートに行きました。

大阪公演のチケットは取れなかったので、名古屋まで行ってきました!

桑田佳祐さんは、1956年2月生まれですので、69歳。

サザンオールスターズは1978年6月にシングル「勝手にシンドバッド」でメジャー・デビューですので、3年後にはなんと「50周年」です。

 

ここまで長きにわたって日本のポップス界の先頭を突っ走っている歌手・バンドは他には見当たらないと思います。

 

抜群の作詞作曲センスに加えて、時代を読むセンス、そして何よりも優しく謙虚な姿勢が支持されているのではないかと思います。

 

今回のコンサートにおいても、笑いを誘うような抜群のトークをちりばめていました。

一例ですが、「さっきとても良い曲ができたので皆さんに聴いてもらいたい」と演奏し始めた曲がジョン・レノンの「イマジン」の替え歌だったり、中日ドラゴンズのマスコットキャラクター「ドアラ」がステージに来たときは「中日優勝!」と会場全体で叫ぶように持って行ったりと、ギャグ心が満載です。

 

こうしたユーモアにあふれた演出も、観客をリラックスさせ、ぐっと心をつかむ大きな要素だと改めて感じました。

演奏はもちろん本格的で、体全体でリズムを刻みながら、年齢を感じさせないエネルギッシュなパフォーマンスを披露してくれました。

 

何よりも印象的だったのは、桑田さんが何度も「ありがとう」と客席に向かって深く頭を下げていたことです。こんなに大きな存在になっても、感謝の気持ちを忘れない姿勢。これこそが、50年近くもの間、第一線で愛され続ける理由なのだと、胸に響きました。

 

今回のコンサートを通じて思ったのは、「続ける」ということのすごさです。目立つ瞬間だけでなく、見えないところでコツコツと努力を重ね、時代と共に変化を受け入れながらも、自分たちらしさを失わない。その積み重ねが、ファンに対する深い信頼と絆を生んでいるのだと、強く感じました。

 

私も、仕事や趣味、そして人との関わりにおいて、小さな「続ける努力」と「感謝の気持ち」と「自分らしさを見失わない」を忘れずにいたいと、心から思った名古屋の夜でした。

毎年秋になると、私は富山マラソンを走るのが恒例行事になっています。2024年は腰痛や首痛のため断念しましたが、それがなければ必ず走りたい大会なのです!

 

スタートの高岡市からゴールの富山市まで、立山連峰を望む風景、そして富山湾に沿って続くコースは、何度走っても感動します。

きれいな景色の中を走るというのは、それだけで気持ちが晴れやかになりますし、沿道の応援もとても温かくて、「また来年も走ろう」と思わせてくれる大会です。

 

そしてゴールした翌日は、筋肉痛の体を引きずりながら、お隣の氷見市へ向かうのがお決まりのルート。

お目当てはもちろん、私の大好きな「藤子不二雄Ⓐさん」の作品が並ぶ「潮風ギャラリー」。そして、漫画のキャラクターたちがずらっと立ち並ぶ「まんがロード」をのんびり歩く時間が、もうひとつの楽しみになっています。

海の匂い、静かな港町の雰囲気、どこか懐かしさを感じる街並み。そのすべてが、富山マラソンとセットになって、私の中では「大切な場所」になっているのです。

 

2024年1月の能登半島地震。ニュースで「氷見市も被害を受けた」と知ったときは、正直ショックでした。「あの場所は大丈夫かな?」「ギャラリーは?商店街は?」と心配だったことを覚えています。

富山県氷見市にも深刻な影響を及ぼしました。震度5強の揺れにより、市内では約6,300件の住宅が被害を受け、そのうち225件が全壊だったようです。

さらに、長期間にわたる断水が続き、日常生活に大きな支障をきたしているとのニュースも入ってきました。

 

あれから1年以上経過しましたが、最近嬉しいニュースを見つけました。

 

アメリカのニューヨーク・タイムズ紙が「2025年に行くべき世界の52カ所」に、富山市を選んだという話題です。

そこから火がついたように、富山県内の観光地に海外からの観光客が増え、とくに富山市のガラス美術館では、1日の来場者の半分近くが外国人という日もあったとか。美しい建築、幻想的なガラスアートに、多くの観光客が魅了されているそうです。

 

この“特需”は氷見にも波及し、台湾や中国などからの旅行者が「ひみ番屋街」や「潮風ギャラリー」を訪れ、まんがロードでは記念撮影を楽しむ姿も見られるとのこと。

思い出の地が、またにぎわいを取り戻しているという事実に、胸がじんわり温かくなりました。

 

走ることを通じて、そして訪れることそのものが、その土地を応援することにつながるのだと思います。

何か特別なことをしなくても、「また来ましたよ」と顔を見せることが、ちょっとした支援になる。そんな思いを胸に、いずれまた富山マラソンにエントリーするつもりです。

ゴール後の達成感とともに、また氷見のまちを歩きながら、まんがロードのキャラクターたちに会いに行こうと思います。

 

「行くべき場所」として紹介された富山。私にとっては、「帰りたくなる場所」です。そんな大切な場所を、これからもそっと応援していけたらと思っています。

私は、10年位前から物事を「足し算」で考えるよりも、「引き算」で考える傾向が強くなったように感じます。

理想形はあるものの、現実はそのとおりにはならない。だからこそ、最初の理想からいろいろな要素が引かれていっても、最終的に60%くらい形になれば「よし!及第点!」と思うような考え方をしています。

 

足し算で考えると、「あれも必要」「これもできたらもっと良い」とどんどん膨らんでいきます。理想は高くなりすぎ、達成感が得られにくいかもしれません。

 

一方、引き算で考えると、「最低限これができていればOK」となり、達成感が得られやすいのではないかと思っています。

 

私はこの「引き算思考」のおかげで、考え方が柔軟になり、ストレスを感じにくくなったように思います。

なお、この「引き算思考」は、趣味のドラムやマラソンにも当てはまるなと感じています。

 

例えば、ドラムの演奏。

発表会で完璧な演奏ができれば理想ですが、実際にはミスをすることもあります。むしろ、「何かしらのミスはあるもの」と引き算があることを最初から考えておけば、いざ本番で間違えても慌てずに立て直すことができます。

完璧を求めすぎると、ちょっとしたミスで冷静さを失ってしまいがちですが、最初から「少しの引き算」を前提にしておけば、落ち着いて演奏できるように思います。

 

マラソンも同じです。

どんなに準備をしても、思ったとおりのタイムで走れるとは限りません。体調が完璧でなかったり、ペースが乱れたり、途中で雪が降ったり、暑くなったり、風が強かったり。

だからこそ、「引き算なく目標タイムどおり走れることなんて10回に1回くらい」と考えておくと、ナーバスにならずに走ることができますし、何より楽しく続けられます。

 

この「引き算思考」、ひょっとすると人間関係にも当てはまるのではないかと思うことがあります。

例えば、友人の数やSNSのつながり。

SNS上の友人の数が多いとなんとなく安心感がありますが、本当に気の合う人と過ごす時間のほうがより大切であることは当たり前です。

 

また、SNS上での友人が増えると、その対応にかかる時間も増え、日々の義務的な時間になってしまうこともあります。

連絡や返信をしないといけない相手が増え、気を使いすぎて「あの人に返事をしていない」「そろそろ「いいね」したほうが良いかも」など、知らず知らずのうちに疲れてしまうこともあるでしょう。

 

こうしたことを考えると、必ずしも「人が多い=良い」とは言い切れません。

むしろ、「本当に大切な人との時間を確保する」ために、余計なつながりを手放していく「引き算」が重要なのかもしれません。

 

友人、お客様、家族、親戚など、私の周囲の方々にはさまざまなタイプがいます。足し算思考で考える人もいれば、引き算思考で進める人もいます。

 

どちらが正しい、というわけではなく、それぞれに良さがあるものです。

大切なのは、相手と比べるのではなく、自分にとって価値のあることを追求していくことだと思います。

 

足し算思考と引き算思考、それぞれの良さを理解しながら、自分の幸福感に応じてバランスよく使い分けることが、無理なく楽しく生きる秘訣かもしれません。

私の好きな言葉の1つに、『「幸せ」は成るものではなく、感じるものである。』があります。ある曲の歌詞に出てきます。

 

この言葉は、私たちが日々抱える「幸せ」に対する考え方に、大切なヒントを与えてくれるように思います。

 

「幸せ」を「成るもの」、つまり「何かを達成することで得られるもの」と考えると、どうしても数値化や他者比較が必要になります。

 

年収〇〇万円になれば幸せ

あの人よりも昇進すれば幸せ

賞与が増えれば幸せ

子どもが良い大学に入ったら幸せ

 

確かに、これらは幸せを感じる一つの要素ではありますが、それだけを「幸せ」と定義すると、常に次の目標を追いかけ続けることになります。そして、他人と自分を比較して「自分はまだまだだ…」と感じてしまうことも少なくありません。

 

これでは、せっかくの達成感や喜びが長続きせず、「幸せ」を感じるどころか、むしろ「足りないもの」に目が向いてしまうことが多いのです。

 

一方、「幸せ」を「感じるもの」と捉えれば、視点がガラリと変わります。

日常の中に、ちょっとした「幸せの瞬間」がたくさんあることに気づくでしょう。

 

上司・同僚、家族・友人から「ありがとう」と言われた瞬間

親しい仲間と美味しいコーヒーを飲んでホッと一息つく時間

困ったときに誰かがサポートしてくれたとき

趣味に没頭している時間

 

これらは、特別な目標や数値で測ることができる幸せではありませんが、私たちが日常の中で「感じる」ことのできる幸せです。

「幸せ」は外部の条件ではなく、「自分の心の在り方」でいくらでも感じることができるのです。

 

『「幸せ」は成るものではなく、感じるものである。』ということを常に心の中で保持していれば、幸せな人生を感じることができやすいと思います。

 

では、会社組織の中で従業員が「幸せ」を感じる瞬間とは、どんなときでしょうか?

給与や昇進・昇格といった金銭的要素ももちろん重要ですが、非金銭的な要素にも多くの「幸せの瞬間」があります。

 

上司や同僚から感謝の言葉をかけられたとき

自分の意見や提案が採用されたとき

困ったときに仲間が助けてくれたとき

チームで目標を達成し、喜びを共有したとき

自分の仕事が誰かの役に立っていると感じたとき

 

こうした「幸せの瞬間」は、組織の中で自然に生まれるものであり、日常の小さな出来事の積み重ねから生まれます。

組織としては、給与や昇進といった「数値で測れる幸せ」だけでなく、「感じる幸せ」を増やす工夫や文化が求められます。

 

小さな幸せに気づくこと

日々の感謝を言葉にすること

人間関係を良好に保つこと

 

これらの積み重ねが、結果として従業員のモチベーション向上や離職率低下、そして生産性の向上につながっていくのではないでしょうか。

 

「幸せ」は、日常の中に散らばっています。

今日の小さな幸せ、ひとつでも見つけられたら、それは素敵なことですね!