「山中人事労務オフィス」のブログ

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「山中人事労務オフィス」のブログです。

社会保険労務士として、サラリーマン時代の経験もふまえて、ブログに書かせていただきます!

そして、フルマラソンは今シーズンもがんばります!

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社内において「前回はどうやっていた?」、「過去はどうやっていた?」という会話は多いと思います。

仕事の確認という点で、それはとても大切な会話のキャッチボールですが、もし、それだけを仕事の判断基準にするのならば、少し気になることもあります。

 

私の最近の体験では、某業界の会議・会合に出席した際、「前回はどうやっていた?」、「過去はどうやっていた?」という質問と、「前回と同じです。」と答えたならばOK・安心という「場の雰囲気」にやや違和感を覚えました。

 

会社員時代に、仕事の書類を上長に決裁してもらうために説明するときに、「どうしてこの部分はこうなっているの?」というような質問を受けることも多かったのです。

その際、「前回もそうでしたので・・・」と回答をすると、よく指導・注意されたものです。

 

前回と同じかどうかが問題なのではなく、そうやっている意義や趣旨を理解して今の仕事を遂行しているのかどうか、そこが重要なので、「前回もそうでしたので・・・」というだけの回答では指導・注意をされるわけですよね。

 

少しずつでも良いので、仕事を改善・改良し生産性を高めていくには、その仕事を行う目的意識、つまりこの業務は何のためにやっているのか、という点が明確であることが前提となります。

そこがブレたり、弱かったりすると、ポリシーが弱まりますので、判断にあたっては、ついつい「過去はどうやっていたか?」に引っ張られるのかもしれません。

 

冒頭に記載した会議・会合に出るたびに、「組織において、自分の担当業務の真の目的(そもそも何のためにこの業務を行っているのか)を理解すること・させることがいかに大切か。」ということを考えさせられます。

 

真の目的に近づいているか・離れているかをしっかりと確認するための質問が会議・会合の中で時間を割いて議論できれば、良い会議になるのではないかと思います。

令和に変わるタイミングを1つのきっかけにして、自分もしっかりと改善をしていこうと思います!

2019年3月3日(日)、篠山マラソンを走ってきました。

10年連続10回目でした。

 

実は自分にとっての初フルマラソンが篠山マラソンというで、思い入れもあり、そこから10年連続でこの大会に出続けました。

記録的には下記のとおりです。

 

・2010年 3時間47分 (初フルマラソン)

・2011年 3時間7分  (当時の自己記録更新)

・2012年 3時間48分 

・2013年 3時間26分 

・2014年 3時間6分  (篠山マラソン自己記録)

・2015年 3時間52分 (冷たい気温・雨に大苦戦)

・2016年 3時間31分 

・2017年 3時間29分 

・2018年 3時間42分 

・2019年 3時間55分 (不調ですが、なんとか完走)

 

篠山マラソンの日程の特徴として、その2週間前に泉州マラソンが、また1週間前に姫路城マラソンがありますので、泉州マラソンや姫路城マラソンを走った場合、この篠山マラソンは疲労が抜けきれないまま走るということになりますので、どうしてもタイム的には苦労するのです!

 

しかし、自分としては、想い出の初マラソンコースですので、10年連続で走ったというわけです。

また一方では、単なる趣味のマラソンですが、篠山を10年続けて走れば、何か見える景色・感じる想いも変わるかな?という気持ちもありまして・・・。

 

結果として、10回の中には、とてもとても冷たい雪・雨・風の日も、3月にしては異様に暑い日もありましたが、なんとか10年連続でサブ4完走できたことは、自信につながりました。まさに、継続は力なり!です。

 

当初は、自分が走ることだけで精一杯でしたが、最近は、地域の方々、主催者、ボランティアさんたちの献身的な姿をしっかりと目に留めることができ、「走らせていただいている。」という感謝の気持ちが以前よりも強くなっています。

 

ランニングを趣味にしてから10年。

会社員時代にお世話になった上司が「勉強も、スポーツも、1つの専門分野も、10年継続してようやくスタートやで。」とよくおっしゃっていました。

 

マラソンを始めて10年経って、とても健康的ですし、人脈は広がりますし、心身が鍛えられますし、より楽しんでいきたいという思いが強くなっています。

ただし、膝・腰などの故障は、年齢が上がるとともにリスクが高まるのはわかっていますので、ホドホドにしておこうとも思います!

 

今後もまたマラソンネタをご報告させていただきます!

プロ野球のオリックス2軍が面白い取り組みをしています。

 

オリックスといえば、近年下位の成績が続いています。私が球場に足を運んでも、あまり観客が入っていない、そんなイメージもあります。低迷期真っ只中という感じです。(ゴメンナサイ)

さて、そのオリックスの2軍は、今年から福良GM・中嶋2軍監督体制に変わり、選手の育成方針の変革が進められているようです。

 

それは、これまでのやり方とは真逆の「教えない」練習。この2月のキャンプで実践していたとのことです。

日々、通常の予定メニューのあと、午後3時くらいからは、監督・コーチは見ているだけ。

この時間帯からの練習メニューは選手の自主性にお任せ。

また、早朝の早出練習、宿舎に帰ってからの夜間練習も、何をするか・参加する・しないを含めて選手の自由なのです。選手からの要望がなければ、コーチは指導をしません。

 

中嶋2軍監督いわく、「やらされる練習より、自分で考えてやる練習の方が選手には身につくと思う。自分に何が足りないか。どんな練習が必要か。自分で考えてほしい。」と。

 

また、このやり方に変えることで、コーチ陣にも緊張感が生まれているようです。

コーチは、選手をひとくくりでとらえて何かをさせるのではなく、個別に的確なアドバイスをするためにも、1人ひとりの選手の悩み・課題を見逃してはいけません。

ですから、今まで以上に選手をじっくり見て、選手とじっくり会話する、ということをやらなければ務まらないのです。

 

夜の宿舎では全選手とコーチ陣との面談も時折行われており、「君はどんな選手になりたい?それならば、どんな練習が必要だと思う?」。という問いを個別にぶつけ、そこから派生するコミュニケーションが選手の自主練習メニュー設定の根幹につながっているのです。

 

オリックスのこのやり方は、まさに会社などの組織においては「従業員の個人別育成計画・実践」と同じものです。

どちらかというと、打ち込み、投げ込み、千本ノック!というイメージの強いプロ野球のキャンプも、随分変わったのだなぁと思います。

 

2軍のプロ野球選手は、「個人個人のサバイバルゲーム」です。

ですから会社の人材育成の方法とは単純比較できない部分もありますが、上司からの指示命令のような指導ばかりをしていると、「考えない指示待ち族」の部下になってしまう可能性が高いでしょう。

 

それに比べて「君はどう思う?」、「君はどのようにやっていきたいか?」という質問をぶつけ続けることで、自分で考える習慣をうながし、自主性を伸ばすことができるとともに、自分で考えて設定した課題・目標ですので、少々のことではへこたれることなく、完遂することができるのだと思います。

 

皆さんもそうかもしれませんが、私も、他人から「こうしなさい」と言われたことはなかなか続きませんが、自分で「こうやる!」と決めたことはなんとかかんとか最後まで継続できることが多いです。

それが成果に結びつくかどうかはわかりませんが、少なからず成果につながる率が高まっていると思います。

 

プロ野球のキャンプシーズンも終わり、これからオープン戦に入ります。

近年、イマイチな成績のオリックスですが、2軍の育成方針の変革によって、新戦力を1軍に提供することができるかどうか!是非注目してくださいね。

私の趣味は何度も書いているとおりマラソンです。そして、今シーズン(2018年秋~)のマラソンは、私は絶不調なのです!

 

とにかく、昨年までのスピードが出ないですし、すぐにスタミナも切れてしまう感じです。

 

原因の1つとしては、昨年の夏が酷暑だったので、ほとんど走らなかったことで、カラダが走ることを忘れてしまい、なかなかそこから浮上しない、ということが考えられるのではないかと思っています。

そんな中、11月の神戸マラソン(フルマラソン)では自己ワースト記録の3時間55分、また、先週走った大阪ハーフマラソンでも自己ワーストの1時間46分でした!

 

思うように走れないのですが、なんとかフルマラソンではサブ4(4時間未満での完走)は死守しています!

 

約9年前の2010年3月に、篠山マラソンで初めてフルマラソンを完走して以来、私は45回フルマラソンを走って、45回連続でサブ4をしてきました。

これをなんとか50回連続までもっていきたい!というのが当面の目標なのです。

 

2019年の大相撲1月場所では、関脇の玉鷲が初優勝しましたが、彼は初土俵以来休場したことがないのです。まさに相撲界の鉄人です。

野球界で言うと衣笠選手、金本選手も連続出場記録の鉄人でした。

 

このように「何かをし続ける」といったことを普通にコツコツとつなげていくことにとても魅力を感じますので、前述の自分のフルマラソンの連続記録も50回を達成したいと強く思っています。

しかし、とにかく調子が悪いのですが・・・、言い訳せず、愚痴らず、がんばります!

 

さて、事業をされている方々にとって、最も大切な目的は「事業の継続」であると思います。

そんな当たり前のことこそ、実はとても難しいということも、多くの経営者の方々と接して感じています。

当り前のように何十年も会社が継続していることは、実は奇跡に近いことかもしれません。

 

そういう私も、まだ7年目。まずは10年継続を目指します!

 

継続は力なり!ということを念頭に、今後も仕事もマラソンも頑張ろうと思っています。

またマラソン結果を報告させていただきます!


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「20歳のソウル」とは、最近私が読んだ本のタイトルです。

本仲間に「良い本だよ」と貸してもらい、読んでみました!

 

市立船橋高校の吹奏楽部が舞台。

2017年1月に、20歳で短い生涯を閉じた浅野大義さんの実話なのです。

 

一生懸命部活動に取り組み、人柄もよく、技術も持っていて、信頼できるキーパーソンだったとのことですが、しだいに病魔に侵されていきます。

 

そんな浅野大義さんが在学中に作ったのが「市船ソウル」という応援歌です。

今年の市船の野球の試合(千葉県大会)でも、もちろん演奏されています!

いわゆるチャンスに演奏される曲で、スタンドが大盛り上がり!とても良い曲なのです。

動画サイトで見ることができます。

 

浅野大義さんの告別式には、なんと!!164人の吹奏楽部員が集まりました。そこで164人に奏でられたのが「市船ソウル」です。

彼の魂(ソウル)は、これからもこの曲の中に生き続けているのです。

皆さんも是非、読んでみてください。(泣きますよ・・・・)

 

ところで、今年、私は大切なランニング仲間(Bさん)を失いました。

しかし、約1年半の闘病中、Bさんから弱音を聞いたことがなかったのです。

おそらく身体がしんどい中とは思いますが、ランニングクラブの新しいTシャツのデザイン作成、製作の取りまとめもしてくださいました。

 

1年くらい前に、ストレートに、「Bさん、ご病気で大変な中、いつも前向きで明るいですね。」と言ったことがあります。

 

その際の返答はこうでした。

「弱音を吐いて、愚痴を吐いて、それで病気が治るのなら、いくらでも吐くよ。でも実際はそんなことをしても物事は絶対好転しないでしょ。それならば、楽しく明るい言葉を発言する方が人生楽しいやん!」と。

 

Bさんの告別式は家族葬だったにもかかわらず、数百人の参列者であふれかえっていました。

一生懸命に仕事、ランニングなどに取り組み、人柄もよく、信頼できる人だったのだなぁとしみじみ感じました。

会社での地位、ステータスなどでは決して測れない真の人間力が、そこにあるのでしょうね。

 

Bさんは天国に旅立ちましたが、チームのTシャツの中にBさんの魂が生き続けます。先の言葉も、もしも自分がそういう事態になったとしても、自分の心の中に響いていくと思っています。

先日、平成最後の年末の紅白歌合戦の出場歌手が発表されました。

世間の注目は「DA PUMP(ダパンプ)」と「純烈(じゅんれつ)」です。

 

「DA PUMP」は男性7人組のダンス&歌のグループです。「純烈」は男性5人組の主に演歌を歌うグループです。どちらも年代的にはいわゆる「アラフォー」が中心です。

 

なぜ、この2組に注目が集まっているか、私の個人の意見ですが、どちらもこの10年の下積みから這い上がってきた経緯が似ているからではないでしょうか。

 

まずDA PUMPですが、1997年にデビュー。当初は4人組みユニット。

メインボーカルのISSA(イッサ)を中心に活躍。あっという間にヒット曲を連発。歌手としての頂点を極めたといっても過言ではないと思います。

 

しかし、その期間も長くは続かず、表舞台から消えます。

メンバーもISSA以外は脱退。新メンバーを募り7人で再始動。これが今からおよそ10年前のことです。

10年間、ほとんど新曲を出すこともできず、大きなコンサートを開くこともままならず、です。

希望が見えず、もうやめようかと考えたメンバーもいたそうです。

それでも各メンバーはダンススクールの講師などを勤めながら生計を立てつつ、ショッピングモールでの無料コンサートといった地味・地道な活動をコツコツと継続してきました。

そして、今年2018年の大ヒット曲「U.S.A.」へとつながっていくのです。

お子様からお年寄りまで、笑顔で踊る「いいねダンス」は国民に広がりました!

 

一方の「純烈」ですが、2007年にデビュー。(あまり活躍できていない)俳優の方々が集まりました。いずれも本格的に歌謡曲を歌った経験はない状態でスタートを切ったとのことです。

数年間のボイストレーニング・下積みのあと、2010年にメジャーデビューしましたが売れず、2012年に当時の所属レコード会社との契約を打ち切られました。

歌える場所を求めて、老舗キャバレー、健康センター、スーパー銭湯などで地道に営業活動を続けました。

そこからじわじわと人気が高まり、ついに2017年に8枚目のシングル「愛でしばりたい」がオリコンデイリーCDシングルチャート1位を獲得することとなりました!

 

このようにどちらのグループも、約10年の期間、あきらめることなく、コツコツと努力を継続してきたことで、ようやく花開いたのです。

 

「10年」と簡単に書きましたが、10年コツコツと継続することがいかに難しいことかは、皆さんもよくご理解いただけると思います。

逆に言うと、うまく行かないからといって、少しの期間であきらめるのではなく、10年はやってみないとわからない!ともいえます。

 

10年やってみても、結果としてうまくいくかどうかはわかりませんが、それだけの期間、コツコツ継続したという事実・実績は、後の人生において大きな財産になるのではないでしょうか。

 

ということで、今回、「DA PUMP」と「純烈」の紅白出場というお知らせに、いろいろと考えさせられましたので紹介させていただきました。

先月、私は、富山マラソンを走ってきました。フルマラソンです。

今シーズン、まずは第一弾のフルマラソンです!

かなり練習不足でしたので、今回は無理せずしっかりと完走をめざし、3時間46分でした。

以降、来年の3月までの間に加古川マラソン、姫路城マラソン、篠山マラソンなどを走る予定です。

 

さて、その富山マラソンですが、高岡市スタート、富山市ゴールです。

高岡市といえば、ドラえもんやオバケのQ太郎の作者、藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄)が小学校で出会い、合作を始めた地です。

 

高岡市にはあちこちに彼らのゆかりの場所があり、マンガのキャラクター像も町に置かれています。

私は、藤子不二雄マンガの大ファンでしたので、かなりテンションがあがりました!

 

彼らはプロのマンガ家になるため、ここ高岡市でマンガを描き、出版社へ投稿する、といったことをしながら、実力を高めていきました。

その後、20歳の頃、いよいよ東京へ進出し、マンガ家のタマゴたちが暮らしていた「トキワ荘」に入ります。

トキワ荘には、石ノ森章太郎や赤塚不二夫といった、後に藤子不二雄とともに大出世をなしとげる人物がいたことはあまりにも有名は話ですよね。

 

私は、彼らが頻繁に散歩したという「高岡古城公園」を散策したのですが、かつてここで、若き藤子不二雄が「絶対に売れっ子マンガ家になるんだ!」というような夢・目標を語り合っていたのだろうと思うと、胸が熱くなりました。

 

高い志を持ち、そして努力を継続しなければならない、という当たり前のことを、ここ藤子不二雄の高岡市で強く感じました!

 

私の今後の予定は12月・加古川マラソン、2月・姫路城マラソン、3月篠山マラソンですが、熱く完走したいと思います。

先日、プロ野球のロッテの福浦選手(42歳)が、プロ入団から苦節25年目で、2000本安打を達成し、名球会入りしました!

史上2番目に遅い達成だそうです。

 

さて、福浦選手は、千葉県出身、野球の名門の千葉県立習志野高校から、1993年にドラフト7位で千葉ロッテマリーンズに入団します。

ドラフト7位という下位指名です。しかも、なんと、この年にプロに指名された新人選手64名の中で、64番目の指名でした。つまり、最終指名選手。入団選手の中で実力最下位とも言える順番です。

 

そこから25年経って、ロッテひとすじ、生え抜き選手。千葉の誇り、ミスターロッテとまで呼ばれるようになります!

まさに、最下位からレジェンドへ、ですね。

 

その苦節25年ですが、最初はピッチャーで入った福浦選手は、入団半年で投手をあきらめ、打者転向となります。

そこから約3年間は2軍暮らし。

毎年秋になると、今年でクビかな・・・、とビクビクしていたそうです。

 

そして、4年目でようやく1軍での初安打。

この頃の福浦選手は、ゴジラ松井、イチローといった当時のスーパースターのフォームを真似ることで、一流選手のコツをつかんでいったそうです。

そうすると、少しずつ打てるようになってきたので、徐々に真似ることにオリジナリティーも加えて、福浦流を完成させていったとのこと。

 

かつて本人は、「自分のような凡人がいきなりオリジナルを形成することは難しい。レジェンド選手の真似をして、そこから基本を学びました。」というようなことをおっしゃっています。

 

最初はモノマネ。そこから自分流のカタチを加えてオリジナリティーを出す。そして本物になっていく。

 

これは、高校時代に甲子園に出られず、ドラフトも最下位指名の福浦選手だからこそ、変なプライドを持たず、自然にできたレジェンド活用方法だったのではないかと思います。

変なプライドがあると、このような素直な行動もできないかもしれません。

 

そう考えると、長期的に見たとき、ドラフト最下位指名という実績は、大きなプラス要素に働いたのだろうと感じました。

 

余談ですが、私は数年前からの福浦選手の使われ方(主に代打起用)では、あまり安打数が増えないので、2000本安打達成は無理だろうと思っていました。

 

しかし、今年は監督が辛抱強く起用し、8月以降は先発出場が増えました。

これは2000本安打達成をなんとしても成し遂げるための配慮措置かもしれませんが、福浦選手も3年ぶりにホームランを打つなどして期待に応えました。

 

一方、他チームの選手のケースでは、2000本安打まであともう少し、という選手であっても、自由契約(解雇)されるということもあります。今年もそのようなことが実際ありました。

 

このような処遇の違いには、複雑な事情があろうかと思いますが、大きな理由の1つに、福浦選手は、生え抜き選手としてロッテに居続け、ミスターロッテと呼ばれるまでの選手になったこと、が挙げられると思います。

 

先ほど「配慮」という言葉を使いましたが、それをされるほどの充分な実績、人望があったのでしょう。

ロッテひとすじの生え抜き選手として、チーム全体の士気に大きな影響を与える選手だからこそ、丁寧に扱ってもらったのでしょう。

我々の仕事、とくにマネジメントにおいても、学ぶことがありそうだなぁと感じました!

 

とりとめのないお話となりましたが、かつて2000本安打を打った名選手たちと比較しても、福浦選手の歩み、歴史には独特のものがありましたので、今回紹介させていただきました。

 

2018年8月も、終わりに近づきました。

今年は猛暑・酷暑のせいで、たっぷりと夏を過ごした感じがします。

 

どうやら、日本の夏は、今後もこのような猛暑・酷暑になっていくようです。

「縁側、風鈴、うちわ」といった風流な過ごし方はもはや大昔のイメージです。(笑)

熱中症にならないように、エアコンをためらうことなく使用するのが鉄則。

 

私の個人的な変化としては、数年前はわりと平気にやっていた「夏の昼間のランニング」ですが、今年は厳禁。絶対やめておこうと思っています。

また、仕事で外出するときは、失礼にならない許容範囲の中で、できる限りの軽装を心掛けています。

 

東南アジアの国々では、暑いのが当たり前ですので、仕事においても炎天下の活動を回避するのが常識であり、始業時刻を早めたり、お昼休憩を長くとったり、複数回とったりすると聞きます。

一方、我が国は、これまでの夏のイメージに引っ張られたまま、猛暑・酷暑であっても、これまで同様の行動をとっている傾向にあるとのことです。

 

猛暑・酷暑が当たり前、ということを前提に、健康面、生産性の両面から、これまでの勤務スタイルを見直す会社も出てきています。(柔軟に在宅勤務を許可するなど)

 

ダーウィンは、「強い者が生き残るのではない。変化に対応するものが生き残るのだ。」というような名言を残していますが、今後も続くであろう日本の猛暑・酷暑といった環境変化に対して、会社としていかに柔軟な労務管理を行っていくのか、ということも、人材活用・定着の面での大きな柱になってくると思います。

 

とにもかくにも、来年以降の夏も、工夫して元気に過ごしたいと思います。

6月24日(日)、私は初めての100キロマラソンに挑戦しました。

北海道の網走に近いところにあるサロマ湖の周囲を走るのです。

 

今までの最長は、武庫川河川敷を走るユリカモメマラソンの70キロでしたので、今回の挑戦は、まずは完走が目標。

できれば100キロマラソンでの市民ランナーの憧れるタイム「サブ10(10時間を切って走ること)」で走りたい。

 

AM5時にスタートして、しばらくは快晴。途中からは暑いくらいです。

1キロを6分弱くらいで走り続けました。

 

中間地点では4時間55分くらいでしたので、サブ10もいけるかな?と思っておりましたが、それは単なる妄想でした(笑)

 

60キロを過ぎたあたりで、足の疲れがピークに達し、余力が無くなりました。

ここからまだ40キロもあるのに!

おまけに、天候が急転し、暴風雨となってきました。気温もどんどん下がって、オホーツク海から吹いてくる風は、疲れ切ったカラダを更に苦しめます。

 

当初、暑かったせいか、薄着、軽装のランナーが多く、寒さで動けなくなった人が、銀色のエマージェンシーシートに包まれて、コース横に何人も座り込んでリタイアとなり、移動の車を待っていました。

 

このような状況で、自分もどんどん寒くなってきましたが、幸い大きなビニール袋を持っていましたので、それをかぶってなんとか歩き・走りながらゴールを目指しました。

 

60キロからの残り40キロに6時間半くらいかかるという長旅でしたが、なんとかかんとかふらふらとゴールに到達できました。(タイムは11時間27分)

 

ゴール後は、疲れ切っていたため、なかなかうまく歩けませんでしたが、仲間に肩を貸してもらって着替え場所である体育館まで移動。

30分ほどで随分回復しました!

 

このような初めての100キロマラソンでした、終わった直後は、こんなしんどいマラソンは二度と走らない!と強く決意しましたが、1週間ほど経って、来年もチャレンジしようかなと思い始めている自分が居ます(笑)

 

完全に限界を超えた中で、なんとか完走できた喜びはひとしおです。

これを自信に、仕事もランニングも、また頑張ろうと思います。

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