父を偲ぶ2度目の父の日 | 【H♡ART】~Healing ART~

【H♡ART】~Healing ART~

 ネイティブアメリカンの
   生き方にまなぶ
   日本人のこころ

早かったのか長かったのか

 

父がスピリットの世界へと旅発って

 

1年が過ぎました

 

 

あれから何度も父のことを書こうかと思いましたが

 

上手く書けずにいたのです

 

 

今日はあれから2度目の父の日

 

ちょっと父を語ってみましょうかね

 

 

ヘビースモーカーであったのと

 

運送会社勤めをしていて

 

都内の運転仕事で

 

長年排ガスを吸ってきたのもあってか

 

70歳あたりから肺気腫を患いました

 

 

進むけれど回復はしない病気です

 

年齢とともに呼吸の苦しさは増し

 

酸素吸入になって

 

訪問看護を受けるようになっていました

 

 

ある日の朝

 

トイレに入ったまま出てこないので

 

ドアを開けたら真っ白な顔で苦しんでいて…

 

24時間対応をお願いしてあった訪問看護さんが

 

駆けつけてくださったけれど

 

救急車を呼びましょうということに!

 

 

私が同乗して付き添いました

 

 

診察の結果

 

胃潰瘍になっていたらしいのです

 

胃の穴を焼けば処置ができます

 

 

しかし

 

救急処置室の医師に呼ばれて

 

DNAR(蘇生処置拒否)の選択を問われました

 

え?

 

私が決めるの?

 

「母に電話してからの返事でいいですか?」

 

 

医師によれば

 

もし延命措置で心臓マッサージをすれば

 

父の肋骨はみな折れる!

 

 

母は状況を受け入れ

 

私が書類にサインをしました

 

 

元々私たち家族はそれぞれ

 

自分には延命措置なしにして欲しい

 

という意向があったものの

 

賭けてみる選択で助かった方々も見てきたので

 

サインする苦しみもありました

 

 

近隣病院で入院が出来なかったので

 

数駅離れた病院での入院となりました

 

1週間ほどで退院の見込みです

 

必要なものを母に届けてもらいました

 

 

ご時世でNO見舞い

 

ナースステーションを訪ねられるのも

 

登録家族ひとりのみに限定の厳しさです

 

 

医師や看護師さんたちに

 

見守っていただけるのは安心でしたが

 

退院を待っていた母と私に

 

危篤の知らせが入りました

 

 

もう呼吸がどれだけ持つか…

 

 

実のところ

 

父の食欲が落ちてきた春先ごろから

 

私には覚悟はできていました

 

 

たまたま空いた個室に

 

父を移していただけたので

 

二人きりの時間ができました

 

 

もう父の意識はなかったと思いますが

 

旅発ちの餞に

 

いくつかの唄とお経を捧げました

 

空も晴れて窓からお陽さまも見えました

 

 

「お疲れさま ゆっくりしてね ありがとう」

 

 

そのときだけは少し涙が出ました

 

 

チェックのため入室した看護師さんが

 

いのちが終わっていくときの体の変化を

 

私に教えてくださいました

 

 

その通りに

 

父は最期を迎え

 

私はしっかりと見届けることが叶いました

 

 

いのちの終わりに立ち会ったのは初めてです

 

父が身を持って

 

私にそれを見せてくれたことがうれしかったです

 

 

ロビーで待っていた母は

 

なにがなんだか理解できない感じでした

 

父が退院して家に戻ると信じていたし

 

父の顔を見ないままのお別れになったからです

 

 

でも最期を見なかったことで

 

父が生きたことの面影は

 

母のなかに鮮明に残ると思います

 

 

そこからは怒涛の

 

葬儀準備や手続きの嵐!

 

ゆっくり故人を偲ぶ時間なんてありゃしません

 

 

それでも

 

父はずっと家にいてくれる感じがするので

 

寂しさはないんです

 

スピリットになってからの方が存在感があります(笑)

 

 

人生

 

プラン通りにはいきませんが

 

覚悟と準備をしておくことは大事だと感じました

 

後悔のないお見送りでした

 

 

パパありがとう!!

 

HAPPY FATHERS DAY!!