1945年8月6日
広島に落とされた原子爆弾は
ネイティブアメリカン・ホピ族の聖地より
アメリカ政府によって掘り出されたウランから
作られたものでした
ウラン鉱山での採掘には
主にナバホ族の人々が駆り出され
放射能汚染の危険を知らされぬまま
素手で作業をしていました
一日中鉱山から出られなかった彼らは
岩から染み出た水を汚染水と知らずに飲み
排泄の際には岩や土で体を拭きました
ウランの土埃まみれになった姿のまま家へ帰ると
妻が服の埃をパンパンと払って洗濯しました
ウランの汚染は飲料水の川にまで及びました
このエリアのネイティブアメリカンには
癌の発症率が異常に多くなりました
日本の悲劇の歴史は
ネイティブアメリカンの悲劇とともに
後遺症を引きずりながら
75年を数えます
2018年に訪れたときの広島を
スライドショーにしました
初めての広島でした
苦しくて苦しくて
ネイティブアメリカンの子守唄を
捧げてきました