本日15時半ごろに葬式&初七日法要が終わりました。
想定してた以上の弔問者がお通夜に来てくださって、
親族一同びっくり。
主に現職場と元職場の人だったけど、転職前に働いてたカフェの同僚の方がとても多かった。
20年分の縁が一堂に介した状態で笑う写真を見て「あぁこんな顔しか覚えてないや。とても痩せられましたね」と口々に。
元職場と友人には病気のことは流してなかったので、とても驚いていた。
そりゃそうだよね。転職して3年、うち1年は闘病生活だったんだもの。
さて、家には祭壇が作られ、旦那の写真と骨壷と位牌が鎮座しております。
正直、この祭壇いらない。
否応なしに『死んだことをつきつけられる』この祭壇が本当にいらない。
7日7日と法要をして浄土に案内するという宗派らしいけど(義実家が)、僕はそれすら必要ないと思ってる。
だって
目の前で息をするように最後の一呼吸でスッと居なくなったのに、何を案内するというのか。
きっとお義母さんにもお義姉さんにも理解はされないと思う。
何故ならあっちは、とても大事にしてるから。
我が父と母は、『いいんじゃない?49日終われば全部無くしても』と。「写真も片付けて、何かの時に出せばいいだけだし」とも。
義実家と実家は、宗教自体は一緒だけど宗派が違うので、そこのところは考えかたが違う模様。
僕は、本気で49日も1周忌すらもやりたくない。考えたくもない。
否応なしに毎周忌ごとに考えないといけないとか本気でわからない。理解できない。
死んだんだもの。そこにいない。返事もない。とっとと浄土とかに行って、お義父さんと話してるに決まってる。
だって、忘れ物をして帰ってきたお通夜の夜、
「ただいま」って言っても居るんだったら、返事来るか、何かあるじゃん。
なかったもん。
まだ夢枕にも立ってくれないので、きっといない。
最後に旦那が僕に残してくれたメモを添えます。
(Rod→本名なためHNで/子は愛称)
「Rodへ
45年生きて(誕生日ごとに書き直すよ、ここの数字はっ!)、最期の最期、こうなると予想もしてなかったけど、Rodとハル(息子)と、二人に出逢えたことは、本当に感謝しています。
これからのRodの人生はまだまだ長いです。Rodの才能は無限だと思っています。その能力を活かして、頑張って欲しいと思ってるし、そのためにはRodの好きなように生きてほしいと思っています。
ハルは変な言い方だけど、僕とRod、2人の遺伝子を持った最強男子(厨二っぽい言い方やな…)です。彼がやりたいように、させてあげてください。
それでは、おやすみ世界。」