李麟佐(イ・インジャ)の壮大な野望:『テバク』予習その8 | ゆかりんsoku☆チャン・グンソク

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韓国人俳優チャン・グンソク君のファンのブログ。
現在、記事の更新は不定期です。


『テバク』の放送開始も間近になり、
今日24日はSBS局で『テバク』制作発表会が
行われる予定だとか。


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ひゃー、発表会ドキドキだわ。 (ノ ̄▽ ̄)ノ

グンちゃんはきっとボロ服テギル、
いや庶民の服装をなさったテギルで
いらっしゃることでしょうけど。
← 一応王子様の役なので丁寧語で言ってみる。


  灰かぶりのわたしだって、お姉さま方のようにきれいなドレスを着て王宮にいる延礽君王子様に会いたいわ、グスン。gun01 


その前にひっそりと
グァンリョルおじ様が演じる
李麟佐(イ・インジャ)についての記事を
アップしておきたいと思います。 

グァンリョル大明神へのささやかな捧げものってな感じで。(´ω`)ゞ


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『テバク』はテギルの親世代の話から始まって
李麟佐の乱(戊申の乱)までのおよそ35年間を、

テギルと延礽君の対決を縦糸に、
粛宗から英祖まで続いた
李麟佐の政治的な悪縁を横糸にして
描かれる物語のようです。

そうすると、
李麟佐は最終回までレギュラー出演する
重要な役柄なんだわぁ。
最後までグァンリョル大明神を拝めて嬉しいわ~♪ (* ̄m ̄)

グァンリョルおじ様の「ホジュン」は韓国時代劇ドラマの金字塔です~。(*´∇`*)


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SBS局の『テバク』公式サイトは
どんどんコンテンツが充実してきて、
登場人物紹介のページも出来あがり、

そこには李麟佐の人物紹介が
次のように記されています。
(自動翻訳してから自分なりに手を加えました)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


李麟佐(イ・インジャ)

朝鮮の反逆者

「玉座だけが、この腐った朝鮮を変えることができる! 」

李麟佐は世宗大王から伝わる全州李氏の血筋を受け継いではいても、
王となってはならない運命を持っていた。

彼は南人派が失脚し​​た庚申換局と
西人派が失脚した己巳換局の、
2度の換局(=政変)を
祖父・李雲徵(イ・ウンジン)の傍らで見ながら育った。

いずれにせよ王になれないのならば
王権に振り回されない朝廷を​​作ろうと決意し、
19歳で登庁した不世出の天才であり政治家であった。

王になれない運命を持っていたが、王を手のひらで転がすほど優れた人材であった。
都で一番の将棋棋士をわずか10歳で負かした先読みの達人でもあり、
いくら近しい者でも得ようとするものより価値が劣ると判断した時には
容赦なく斬り捨てる冷酷さも備えていた。
祖父の李雲徵は将棋盤の横で入れ知恵をする李麟佐を眺めては、
100年に1度生まれるかどうかの天才だと言ったものだ。

しかし、彼が19歳の時、
無念にも逆臣の家門、謀反人の子という烙印を押されて、
誰よりも優れた頭脳で文武に精通していながら
科挙さえ受けることができなかった。

これを残念に思った大叔父の従ニ品訓練大将・李義徵(イ・イジン)が
彼を養子にして党籍を与えようとしたが、
李麟佐はあえて李義徵の助力を断り、こう言った。

「大叔父様。一度置いた将棋の駒は置き直すことはできないのです。」

そして決心した。
「私が...いっそのこと私が王になります。」


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出処元はこちら



   「玉座を守ろうとする者」、「玉座を奪い取ろうとする者」、「そして…それを阻もうとする者」

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どうやら『テバク』での李麟佐は
テギルや英祖と同じく
勝負事にめっぽう強くて、
自らの運命に逆らおうとする人物のよう。

また、ネット記事によると
ドラマの序盤でストーリーの中心的な役割を果たす役であり、
“王座のためには悪も躊躇わない野心家”であるようです。(*註1)

確かに他の登場人物紹介文を読んでみると、

李麟佐は南人派の要人たちを倒すために
淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)と手を組んだり、
換局で家族を失ったダムソを引き取って
刺客に育て上げたり、

と主要登場人物の女性2人を陰で操る
「悪の帝王」ぶりを遺憾なく発揮!


  両端の女性2人を手玉にとる怖ーい李麟佐。
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わーお、もしかして

シスの暗黒卿・麟佐が
アナキン大吉を「夜の帝王にならせてやる」
とか言ってダークサイドに連れて行くのかしら♡ ( ̄∀ ̄*)


それでオビ=ワン延礽君が
アナキン大吉に
「I loved you 」、じゃなくて「サランヘ」?
まあとにかく

「愛してた」と告って
そのままブッタ斬る展開か?
←まさか。


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おっと話を戻して。( ̄∇ ̄;) /


他のネット記事では、

「李麟佐は粛宗の時代に政変で『滅門之禍』を受け、
すなわち反逆者として家門を滅ぼされて、
後年、『英祖は王の血統の正統性に疑問がある』
として反乱を起こす人物である。

李麟佐と粛宗、英祖との政治的な対立の構図は、
『朝鮮王朝実録』の記録に基づいて史実を中心に描かれる」
(*註2)

とあったので、実在の李麟佐について調べてみました。


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史実では、
李麟佐はもともと
南人派(ナミンパ)の名門両班の出身です。
(生年は不明~1728年没)

李麟佐の曾祖父は世宗の7代孫にあたる、
孝宗時代に吏曹参判だった李應蓍(イ・ウンシ)、

祖父は監司(道知事)を務めた南人派の李雲徵(イ・ウンジン)で、
祖母は南人政権で領議政を務めた権大運(クォン・デウン)の娘でした。

また、李麟佐は南人派の理論家・尹鑴(ユン・ヒュ)の孫婿でもあったので、
名実ともに堂々たる南人派の名家の子弟だったわけです。


      『テバク』のスタッフのためにグァンリョルさんが手配したケータリングカー。

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しかし、1694年に粛宗(スクチョン)による
甲戌換局(南人派が失脚し政権から完全に退いた政変)が起こると、
李麟佐の祖父・李雲徵は弟の李義徵とともに失脚。

李麟佐の祖父・李雲徵は官職剥奪の上1699年に流刑になり、
1710年に刑を解かれましたが、
大叔父にあたる李義徵は1694年に流刑、翌年賜死の刑を受けました。

また、李麟佐の母方の曾祖父の権大運も
同じく1694年の甲戌換局で官職を剥奪され、流刑に処されますが
高齢のため翌年釈放されて帰郷し、1699年に亡くなります。

既に李麟佐の妻の祖父・尹鑴も、
右贊成(従一品の官職、議政の次位)の地位まで上りながら
1680年の庚申換局(南人派が失脚して西人政権が成立した政変)で
粛宗から賜薬を下されており、

李麟佐はまさしく粛宗によって「滅門之禍」を受け、
王族の血を引きながら逆賊の家門の人間として
生きなければならない運命を背負わされてしまいます。

 

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その後、李麟佐は少論急進勢力と通じて、
1721~1722年に起こった辛壬士禍
(少論派による老論派(ノロンパ)への最大の粛清。
老論派に後押しされていた延礽君は危うく難を逃れた)で
少論急進派の金一鏡(キム・イルジョン)の一派とともに
勢力を拡大します。

しかしそれもつかの間、
1724年に少論派の政治勢力の後押しを受けていた
景宗(キョンジョン)が急死します。

その後を継いで延礽君が英祖として即位し、
辛壬士禍を起こした金一鏡らは
1725年の乙巳処分で処断されます。

1728年、李麟佐は少論急進派の朴弼顯(パク・ピルヒョン)らと謀って
「英祖は粛宗の実子ではなく、景宗を毒殺した王位簒奪者だ」と
王族の密豊君(ミルプングン)を王に担ぎ上げて反乱を起こし、
自ら大元帥と称して反乱の実質的な首領となります。

そのためこの反乱は「李麟佐の乱」と呼ばれ、
また起こった年の名前をとって「戊申の乱」とも呼ばれます。

(「李麟佐の乱」についての過去記事はこちら→


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李麟佐の単独ポスターに書かれている
「偽の王を倒し、真の王を擁立せよ」というキャッチコピーは、

『テバク』の前番組の『六龍が飛ぶ』に出てくる
朝鮮王朝の始祖・李成桂(イ・ソンゲ)が、
前王朝の高麗の昌王(チャンワン)を廃する際の理由とした
「廃仮立真」(偽物を廃して本物を立てる)という名分を
思い起こさせます。

「昌王の父・禑王(ウワン)は高麗王・恭愍王(コンミンワン)の実子ではなく、
恭愍王の臣下だった辛旽(シンドン)の子だから
王位を継ぐ資格はない」という李成桂らの主張は、
禑王の生母が辛旽の侍女であったことから言い立てたものでした。

禑王は王位から追放され、
1389年に息子・昌王とともに李成桂一派に殺害されています。


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あるいは実在の李麟佐も
没落した家門を再興するためだけでなく、

かの李成桂と同じ道のりをたどって
王になろうという壮大な夢を
抱いていたのかもしれません。

さて、『テバク』の李麟佐は
どんな「悪」の魅力を見せてくれるのでしょうか。

白衣のグァンリョル暗黒卿に期待しまくりだわ~!


  やせテギル李麟佐に負けるなウナギらここにあり。

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*註1 参考記事(日本語記事) 
http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2040013

*註2 参考記事(韓国語記事) 
http://tvdaily.asiae.co.kr/read.php3?aid=14557625241074868002



※参考文献は後日まとめて記します。