Yurielのミラクルな毎日のためのスピリチュアルレッスン☆  -2ページ目

 

わたしは祖父を自死で亡くしました。

それから30年、それを止められなかった自責の念で苦しみました。

 

でも、あるとき「寿命」という言葉をもらって、ようやく自分自身を取り戻したのでした。

 

 

「人はコロナで死ぬのではない、寿命で死ぬのだ」

 

 

 

乱暴な言葉だとわかっています。

でも、わたしはそう思います。

 

 

コロナを恐れるあまり、わたしたちはとても奇妙なことをやっています。

 

買い占め、

監視、

非難、

 

 

 

それよりも、わたしたちがしあわせに人生を歩むのに有効なことがあるような気がします。

わたしたちすべてに、死は等しく訪れます。

 

 

コロナを恐れて右往左往するよりも、

いい人生だった、と思えるような生きかたをしませんか。

 

 

自分の笑顔は、自分ではみえません。

人の笑顔に囲まれたとき、自分の世界が天国になるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 
こちらのブログを1年間更新していませんでした。
前回の記事は、1年前の記事なのに、まるで今年の記事のよう。
 
今同じように神宮の森は一部がクローズされています。
 
 
昨年、「コロナが終わったら」という話をきくたびに、
 
ウィルスは変異するので、この騒動は、長期戦になると思っていました。
コロナとの戦いが終わるのは、わたしたちが、戦うことをやめたとき、になるでしょうから。
 
 
でも今年はなんとなく、まもなく終わるのかな、という気がしています。
多くの人が、この戦いに疑問をもちはじめたように感じるからです。
 
コロナは、わたしたちの日常に疑問を投げかけてくれる神の示しのような気がしてなりません。
 
 
新しい時代が、まもなくやってくる、そんな気がしています。
 
明日は、新月。
雨のおかげで普段と変わらぬ明治神宮。

例年なら、この時期は春の大祭。
奉納演奏などもあってすごい人出のはず。





今年はご鎮座100年の記念の年なので、本来なら大きなお祭りになるはずでした。
森は人をはらえて少しほっとしているかもしれませんが。

コロナの影響で参拝路もかなり制限されています。そのおかげで御神域である森は元気そうです。




ピントズレてしまいましたが野苺。
食べれます。
でもここは神の園だから食べちゃダメ。

一木一草たりとも持ち出さず。

ですからね。

わたしの中の蛇が一個くらいいいんじゃないと誘惑しますが、これは知恵の実で楽園から追われるかもしれませんからね(笑)。

聖書でアダムとエバを誘惑した蛇とは、自分の中の欲望だったのかもしれませんね。




普段通る道が立ち入り禁止なので、普段通らない通路を歩いていたら、キンランを発見!

このお花は毎年この時期に普段歩く通路に1本だけ咲いていて、楽しみにしていました。
でも今年は立ち入れないので、残念に思っていたのです。

なんと他の場所でみつけることができました。

嬉しくて、この花の名前を教えてくださったご近所のご婦人に思わず電話。
喜び合いました。



コロナはめぐみももたらしてくれているようです。

STAY HOME
 
静かな時間ですね。
わたしはふだんから参拝以外では外に出ることがないので、自分の生活自体はなにも変わりませんが、
街の様子が変わり、お店の様子がかわりました。
 
 
まだ、コロナにかかったという人にも、検査をしたという人にもあっていないし、知人がそうなったという話も聞いていません。
ニュースで数字をみるだけです。
 
でも、緊急事態宣言後に、仕事を失ったり、お店を休業せざるをえなくなったり、もしくは休業することもできずに解除までを踏ん張って待っていらっしゃる方にはたくさん出会いました。
 
今の世は、経済もまた、生命に直結しています。
 
経済も、今の人の世では、エネルギーの循環なのです。
お金は、血液と同じです。お金を使うという行為が、心臓のはたらきになるのでしょうか。
うか。
 
 
今の世では、経済の循環によって生きている人がたくさんいらっしゃるので、経済という循環が止まると生命を落とします。
コロナの感染によって人が亡くなることと同様、コロナによる深刻な病のひとつです。
 
しかも、コロナウィルスと違い、経済という循環は、人の手によってコントロールされています。
 
 
一般的な病気の治療の場合、血液が足りなくなれば、輸血をします。
血液が流れるように、循環させます。
 
 
 
この問題が起きてから、いろんなことがありました。
 
そして、わたしのまわりは今、あたらしい循環がはじまってきています。
 
 
新型コロナウイルスを、親しくさせていただいているある方は、
神カ多光路成有意留主(シンカタコロナウイルス)とお手紙に書いてくださいましたが、
 
わたしも、わたしたちがいつも振り回されて自分自身の内なる神から遠ざけている原因の外の世界(経済活動)が止まったおかげで、多くの人が、本当に大切なこと、本当は不本意だったことに気づき、自分の真実に向かいはじめたとかんじています。
 
 
自分が信じていたものが、本当はどうだったのか。
自分がコミットしていたものが、自分にコミットしてくれていたのか、そうでないのか。
 
わたしは、コロナのおかげで、たくさんの人の愛を受け取りました。
 
 
紙マスクをたった一度も買えずにいたわたしに、手作りマスクを贈ってくれたり、
 
 
コロナ自粛で行けなくなってしまった加計呂麻島からは、あたたかなお手紙と黒糖
 
 
お友達のご実家からは買い物にいけず料理もできないわたしに温めるだけで食べられるお魚。
 
ご近所さんからも大きなボンタンをもらったり、野菜や果物もたくさんいただきました。
 
 
夫を亡くしてひとりでさびしかろうと、参拝の途中でみかける人が、手を振ってくれたり、三密NGのなか、ポンポン、と肩を叩いてくれたり、電話をもらったり。
引っ越しの手伝いも、普段だったら忙しくてできない人たちがたくさん手伝ってくれました。
 
こんなに人のあたたかさに触れることができたのも、コロナで時間が止まったおかげだなって思います。
 
 
 
わたしたちは、普段は絶対に止めることができない経済活動を、このコロナウイルスの出現によって止めることができました。
それは、多くの人たちの尊い犠牲の上にです。
 
 
立ち止まって、自分のあり方を振り返るチャンスをもらったのです。
 
だからこそ、今、この止まった時間に、「何をする」かを考えるのではなく、
「どうあるか」について、考えてみませんか。
 
そして、今目の前にいるあなたの隣人に、少しだけ、愛をなげかけてみませんか。