メルロ=ポンティ「知覚の哲学」:常識と逆のことを言うべき | リベラルアーツの精進と実践の日記

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メルロ=ポンティの代表的著書「知覚の哲学」を読みました。

 

サルトルやボーボワール、レヴィストロースと高等師範学校で同窓であり、ナチスのレジスタンスにも参加した哲学者の謦咳に触れることができます。

 

・知覚の世界は、もっともよく知る世界のようで、そうではない。

 

・現代思想は、常識と逆のことを言う。

 

→大事な点であると思います。常に常識と逆のことを言うべきですね。

 

・セザンヌが筆を手にしてキャンパスに向かうとき、セザンヌは対象に問いかけ、それが何であるかを探求した。セザンヌは、正規の古典的教育を受けなかった。

 

・ドラクロワは、先人の巨匠に加えて、文学を創作の糧にした。

 

・デカルトは、動物の中に、歯車、梃子、バネなどの組み合わせしか見なかった。動物は、機械であると認識していた。

 

・古典的哲学は多くのものを捉えていない。最たるものが自然だ。

 

・ディドロは、平和に暮らす野蛮人に比べ、争いを繰り返すヨーロッパ人の方がよほど野蛮だと論じた。

 

→この視点は、極めて重要ですね。自然と共生する未開人の方が人間として優れているとの指摘は多いにありですね。

 

哲学というもの自体を多角的に見ていくと見えてくるものがありますね。