
コロナ禍のため、参集可能な親族と親戚寺院で一周年会法要を勤めました。

住職挨拶

導師西方寺様よりご法話


お勤め



関東、関西の親戚は来られず、5人姉妹の母のきょうだいで来られたのはひとりでした。

この数年で母の姉、母、母の妹…3人がお浄土に還られました。
子どもたちの代…私のいとこ達がお参りくださいました。とても嬉しく、有り難かったです

母の実家、中浜の泉家に咲いた芍薬の花

身はなくなっても、
その存在は生き続け、
私にはたらきかけています
納骨の儀

母の妹、昌子さんは母の納骨を待たずに2月17日お浄土へ還られました。

まこちゃんの分も娘さんが納骨してくれたよ。
最後は次女と当院(孫)で…

爽やかな良いお天気に恵まれました

一年待って…やっとお父さんと一緒になれました

母は自称雨女…でしたが、葬儀も一周忌も悪天候からのピカピカ晴れで…天気こそ縁ですが




内々でお斎をしました。

「仏事の時はふるさとの味で
もてなすものよ」
…そう言っていた母。
私なりにやってみた



おじさんたち、喜んでくれたよ



父さん母さんの懐かしい話もたくさん聞かせてくれたよ


法要の前にお出ししたお菓子は母がよく買ってくれたもの。
思い出深い東京吉祥寺の小ざさ(おざさ)のもなか


白餡と黒餡があります
お好みで…


あちこちで暮らした家族の歴史も
思い返します

葬儀から一年経って…

時世が収束するか…と思い、葬儀に来られなかった親戚にも一周忌で納骨してもらえたら…と法要もお斎も準備を進め、ご案内してありました。
でも5月に入って県内の感染者も多くなり、お参りに来られる方のワクチン接種も始まったり…あたりまえのことが難しい時世をまだまだ感じる日々でした。
大事にしてきたお斎も急遽持ち帰りになって、会処の廣川屋さんには心を尽くして対応していただきました。
皆で語り合うことはできませんでしたが、それぞれの状況で精一杯勤めていただいた法要は亡き人をご縁に無事円成となりました。
来られなかった方も手紙やお電話で思いを伝えてくださり、大事なご縁をいただきました。
皆さまに心より感謝申し上げます。
ずっと本堂法名殿(ほうみょうでん)にいてくれた母のお骨…
この一年…お骨参りに来られた方との出あいがありました。
母の話や色々な思いを聞かせていただき初めて知ることも多かったです。
人ひとりの人生とは本当に多くの縁をもたらし、かけがえのないあなたであり私なのだと感じました。
毎月お骨を前に話しかけ、お参りしてくれた母の妹ふたり。そのうちひとりが一年の間に亡くなってしまった。
一刻一刻もまた尊いことを思いました。
初めてお会いした方も何人かおいでで、子どもの頃の些細な出来事が今、大きく思い起こされたり…
今にも息づくような貴重なお話を聞かせてくださったり…
母が生きている間に出会えなかった方と新たなご縁が始まりました。
亡き人が遇わせてくださるものがあり、
亡き人との出あい直しがここから始まりました。
時世・時代から…発信したり、やり取りが手軽になり、離れていても思いは伝えやすくなったと感じます。
でも…やはり…
身を運び、
亡き人を偲び…
この場でこそ出あえるいのちの呼びかけをご一緒に聞いていくことが何よりだと感じています。
代替わりしていく中…親戚の縁は希薄になっていきます。
親の代が付き合いを切って、子どもたちには迷惑かけないように…なんて判断をしてるのは実は自分が面倒くさいんじゃないのかな?と思うことがあります。
関わることを嫌っているような気さえします。
コロナ禍にあってそういうことが加速することが心配です。
相次いで両親が亡くなりましたが、私たちのおじ、おば、親戚はよくお付き合いしてくれて有り難く思います。
私は実家を預かるものとして全力で
「また来て(帰ってきて)ください」オーラを出し続けいきます



ここはそういう場所でなければならない



次の世代のためにも…

父も母もそう願っていますから…


昨年の葬儀の様子(写真など掲載)を満中陰(四十九日)の時に書いたのですが、一年経ったので公開することにしました。
コロナの緊急事態宣言が出る頃でしたが皆さん身を運んでくださった葬儀式となりました。
葬儀や仏事の場に身を運ぶ
ということが
どれだけも大事なんです
