1月16日

『念仏の口開け』

 年が明けて初めて、仏様を祀って念仏を唱える日。

 正月の神様、年神様が念仏が嫌いであるということから、12月16日の『念仏の口止め』からこの日までの間は念仏は唱えないこととされています。

 

 

 

「本日はお忙しい中どうもありがとうございます。それでは早速始めさせていただいてよろしいですか」

「はいはい、よろしくお願いします」

 女は机の上に乗ったレコーダーと、予備のレコーダーの録音ボタンを順番に押した。男は身を乗り出してレコーダーを訝しげに眺めた。

「やっぱりテープでは、ないんだ?」

「そうですね、今は。おかげでコンパクトになりましたし、データでのやり取りも可能になりました」

「ふウん。まアそうか、そうだよな。俺が最後に取材してもらったのはもう何十年と前の話だもんな。ちなみにその時はテープレコーダーが出始めの時だったんだよ」

「ご覧になられますか」

 女が差し出したレコーダーを、男は、失礼、と一言口にして受け取った。ひっくり返したり、振ってみたり、散々眺めて女に返した。

「一体これの、どこに録音するわけ?」

 女は丁寧に受け取る。「えエとですね。声や音を電子的な記号に変換させて、フラッシュメモリなどの集積回路に記録するんですけど」そこまで言うと男は笑いながら女を手で制した。

「ごめんごめん、わかんないや」

 女は姿勢を正して、改めて、と言って丁寧に頭を下げた。「率直にお伺いいたしますが、どうお考えなのかなアと」

「あア、うん。えエとね、正直な話、助かってるよ」

「意外なお答えで驚きました」

「あはは、まアそうだよね。かなり一方的な意見だと思うし、本来、一旦相談するのが筋だと思うもん。ただ、俺もある程度自由な時間が欲しなアとは常々思っていたし、丁度よかったんだよね」そして男は少しだけ声を潜めた。「それにさ、言うじゃない。触らぬ神になんとやらって」

「はい」

「最近怖いじゃない逆恨みとか。極端なこと言う人とか、そういった類の人って何するかわからないじゃない? ニュースでよく見るもん。モンスターペアレントとか、ストーカーとか、そういうの。思想が極端なんだよ、主観でしかものを見られないんだろうな」

「仰っていること、良くわかります。ちなみに面識はあるのでしょうか」

「ん、年神様と?」

「はい」

「ないね。会ったことも、もちろん話したこともない。だから逆に怖いよね、これ以上妙な被害被るのは御免だぜ。あと風評被害とかも嫌だね」

 女は、お察しします、と言ってカバンから資料を取り出した。その中にある写真がプリントされた一枚の紙を男に見せた。

「私もお会いしたことはないのですが」

「え、この人? ほんとに? 思ったより全然若いじゃん。そしてこれなんの写真」

「先月、弊社が出しているティーン誌で週間コーデの特集を組ませて頂いた際の写真です。これは、確か、火曜日のコーディネートかと」

 「なんか、ラスティックだね」男はまじまじと写真を眺めた。「こんな人だったのね。結構びっくり。でも顔つきとかはなんか納得かも。自分の意見だけは力ずくでも通そうとする感じ? 口元にででるよ」

「先程仰られていたことなのですが、具体的に、助かってる、と言うのは」

「あア、うん。ほら、年がら年中同じこと聞かされると俺も少し参っちゃうのよ。うんうん頷いてるのも楽じゃないって言うか。それ他のところで今さっきも聞いてきましたけど、って嫌な顔もできないわけじゃない?」

「はい」

「基本的に年中無休でしょ、俺の場合。だからなんて言うか、この一ヶ月そっとしておいてもらえることで年間通して気持ちのバランス取りやすくなんのよね。休ませて、って自分で言いだすと角が立つところを、誰かが、ましてや神様が勝手に言いだしたこととなると、他所様から文句出づらいもの。だから、助かってる」

「確かに、そうですね。ちなみにお休みの期間は何をされてるんですか?」

「うん、基本家にいるかな。海外とか行っちゃおうかなアとか思うんだけど、思うだけで実際は行かないよね」

「なぜでしょうか?」

「旅行って、行ったら行ったでくたびれるからさ。あと年末年始って馬鹿みたいに高いし。それにハワイとか行ったとして、芸能人と帰国被ったりなんかしたらなんか恥ずかしいじゃない」

「ありがとうございます。最後になりましたが、年神様に、何かお伝えしたいことはありますか?」

 男は顎に手を当ててしばらく考えてから言った。

「特にないよ。嫌いって理由だけで念仏やめて、は些か強引だし、かなりムッとしてた時期もあったけど、結果的に助かっちゃってるのが事実だもの。あ、でも、勝手に始めたんならちゃんと責任持ってねってことは言っておきたいかな。俺の顔も三度までってよく言うけど、やり方と場合によっては、次で最後になる。後になって『やっぱり』は流石に受け付けられないよ。んん、でもいいや、ごめん今のオフレコで。触らぬ神に、って俺がさっき言ったんだもんね。特にない、でまとめておいて」

「ありがとうございました。以上になります」

「はいよ、お世話様です」

 

 

 

 

 3月19日

『カメラ発明記念日』

 1893年、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明しました。

 

 

 

「これは? どうする?」

「ん、そうだねエ。でもセーターはいつも着てたやつ取ってあるから」

「了解。はア、くたびれた。ねエ、お姉ちゃん。なアんで私たちがおじいちゃんの部屋の片付けやらなきゃいけないの」

「お母さんが片付けやったら全部取っておきたくなっちゃうから、って」

 手を休めずに言った姉の言葉を聞いて、それもそうか、と一言こぼして妹は少しぼうっと考えた。やがてタンスの引き出しを開けて作業を再開した。見覚えのあるシャツや、見たこともないズボン、それらを引っ張り出しながら独りごちるように言った。

「大往生だったねエ」

「うん。95は大往生だよ。大きな病気もしなかったし、立派。さ、少し休憩しよっか」

「待ってましたア」

 打診したタイミングとほぼ同時に嬉しそうな声を上げ、部屋を飛び出していった妹の様子を見て、姉は呆れたように笑った。大きく伸びをして、改めてもので溢れた部屋を見渡すと、作業がまだ半分も済んでいないであろうことがわかって、いささか辟易した。

「痛っ」

 部屋を出ようと一歩踏み出した拍子に、何かを踏んづけた。足元を見ると小さな金具のついた革の紐でだった。手繰り寄せてみると、古い本の下からカメラが出てきた。

「お姉ちゃん、ブラックでいいんだよね」

 リビングの方から妹の声が聞こえたので、とりあえずカメラを持って部屋を出た。

 ホコリを吸い込まないように装着していたマスクを外すと、冷たい空気が心地よかった。

「ねエ、ブラックだよね」

「うん、ありがと」

 コーヒーを入れてくれていた妹に礼を言う。

「訊いてみたものの、よく考えたら私砂糖とミルクの場所知らないや。あれ、何持ってるの」

「カメラ」

「え、それ、おじいちゃんの部屋で見つけたの」

「そうよ」

「うっそ、おじいちゃん写真大っ嫌いだったじゃん。魂抜かれるとか言って」

「そういえばそうだね、何が何でも絶対に写真撮らせなかったね」

 妹がキッチンから出てくる。テーブルにコーヒーのカップを2つ置くと、興味深そうに近づいてきてカメラを手に取った。

「あ、フィルム入ってる。何が写ってるんだろ、現像出してみようか」

「だいぶ古いみたいだけど、現像できるのかしら」

「いけんじゃん?」そう言って、妹はカメラを姉に託した。

 姉は託されたレンズをしばらく覗き込んだ。このレンズを通して祖父は一体何を見ていたのだろうか。思い耽っていると妹が何か思い出したように立ち上がった。

「クッキーあったんだった」

「ねエ、あんた、お尻埃だらけよ」

「え、うそ。うわ、最悪、これ新しいのに」

「新しいの履いてくるあんたが悪い。さ、コーヒー飲んで残りやっちゃおう」

 姉の言葉に、妹が気怠そうに返事をした。

 

 

 金曜の夜だと言うのに店内はガラガラだった。近所にある唯一のファミリーレストランは、繁盛しているのを見たことはないが、姉妹が小さい頃からずっと変わらずにここで営業している。

「見てみた?」

 対面に座った妹が訊いた。

「いや、あんたとと見ようと思ってたから」姉はカバンから封筒を取り出した。「はい」

「わア、なんだか緊張するんですけど」

 封筒から現像された写真を一枚ずつ取り出して、妹は綺麗に並べていった。全部で25枚あった。

「これで全部」

「真っ黒でよくわかんないのも何枚かあるね。写真として認識できるのは20枚くらいか」

「ねエねエ、これ、おばあちゃんよね」妹が訊いた。

「私が小さい時に亡くなっちゃったから全然覚えてないけど、おばあちゃんだと思う」

 テーブルの上に並べられた写真には全て同じが女性が一人で写っていた。ほとんどの写真が遠くから写されたものばかりで、カメラの方を向いている写真は一枚もないようだった。

 妹がはしゃいだ。

「きゃア、あんな頑固者のおじいちゃんにも可愛いところあったんだねエ」

「うん」

「自分はあんなに撮られるの嫌がってたのに、愛する人はこっそり写真に収めたかったんだ。ロマンチックね、素直じゃないところがまたグッとくる」

「うん」

「これ、長い時間かけて撮り貯めてたんだね。ほら」一枚ずつ手に取って妹は言った。「こっちはまだ古い家だけど、ここから先は今の家だよ。大事な時に一枚ずつ撮ったのかな。なんかにやける。私が照れちゃう」

「うん」

 浮かない顔でただ返事だけをする姉に、妹が訊いた。

「ねエ、お姉ちゃんどうしたの?」

「え、いや」姉は眉をひそめて少し考えてから言った。「なんでもない」

「その様子でなんでもないわけないでしょ」

「うん」

「言ってよ」

 グッと顔を寄せてきた妹に向かって、姉は少しだけ躊躇いながら口を開いた。

「気を悪くしないでね」妹が何度も頷くのを見て、姉は続けた。「この写真さ、なんでどれもおばあちゃんをこんなに遠くから撮ってるのかな。しかもすごく変な構図ばっかり」

「まア、そうだね」妹は改めて写真を確認した。「急いで撮ったような写真もある」

「うん。あとね、カメラ目線の写真が一枚もないじゃない? はじめは照れてカメラから目線を外してるのかなアって思ってたんだけど。これさ、そもそも、おばあちゃん撮られている事に気が付いていないんじゃないのかな」

「まア、言われてみれば。ブレてて判断できないのもあるけど、そう見えなくも、ないけど。それがなんなのよ」

 姉は決まりが悪そうな表情を浮かべ、勇気を振り絞るように言った。

「そして最後にね。これ、どうして現像しなかったんだと思う?」

「そりゃ、そっちの方が、ほら、慎ましいってか、趣がさ。いや、あの、うウん」妹は散々考えたが、結局両手を上げた。「わかんないや、降参」

 姉は頷いて写真を一つ一つ指差した。

「ここにある写真全部」

「うん」

「私には、撮ることが目的だったように見えるの」

 姉の言葉に、妹はキョトンとした顔になった。拍子抜けしたような口調で言う。

「え、そりゃ、写真だもん。写真ってそういうもんじゃないの?」

「あ、いや、そうじゃなくてね。思い出を記念に残しておくとか、忘れたくない瞬間を収めておくとか、ではなく。撮ること自体が目的って意味」

「え、何? わかんないよ」

「おじいちゃん、自分は絶対写真に写らなかったよね」

「うん」

 頷いた妹に、姉は訊いた。「おじいちゃん、なんであんなに撮られるの嫌がったんだっけ?」

「魂が抜けるから。あ」妹は目を大きく開いた。「え、待って、うそ」

「もしかしてだけどね。おじいちゃんさ、おばあちゃんのこと」

「いやいやいや! 待ってよお姉ちゃん。さすがに、それは」

 必死な妹を見て、姉は慌てて言った。

「ごめんごめん! あはは。そうだよね。ごめん」

 思い直そうとするように髪の毛をかき上げ、とりあえずメニューを手にとって、笑って見せた。

 どこかから吹いた風に煽られて、テーブルの上の写真が何枚か、床に落ちた。派手にブレた写真の中で、女が一瞬、こちらを見たような気がした。

 

 

 

 

 

 4月28日

『象の日」

 1729年のこの日、ベトナムからの献上品として日本に初めて象がやってきました。

 

 

 

「あはは、だからさ、俺はこう言ってやったんだよ」

「うん」

「サイみたいだって」

「あア。そうか」小柄な象は咳払いをした。「うん、ええと、それはちょっと難しいところだな」

 顔をしかめながら諭すように言ったそれを訊いて、大きい象は食事の手を止めた。

「え、なんでだよ。笑えるじゃないか」

「そうなんだけど」

「その女の子が医者になんて注文したか知ってるか? 上向きのツンとした小さな鼻にして下さい、ってそう言ったらしいんだ。やらなくたって結果見えてる」

「うん。でもほら。ずっとコンプレックスに思いながら生きてきた子だって、中にはいるのさ」

「ゾウだぜ、俺たち。この鼻あってこそのゾウだ。そうよ、母さんも長いのよ、ってなもんだ」大きい象は干し草を豪快に口に運んだ。「この灰色の体で鼻がツンと上を向いてるんだぞ? 耳のでかいサイだって言ってやったんだ。これはユーモアだ」

 小柄な象はため息を鼻から吐いた。目の前の干し草がなびいた。

「泣いたろうに、その子」

「うん、笑うと思ったら泣き出した。ユーモアのわからない子だとは思わなかったね」一口では収まらずに口からはみ出した干し草が、笑うたびにわさわさと揺れた。

 大柄な象の口の中が空になるまで待ってから、小柄な象は言った。

「ユーモアってのはね、難しいんだ。自分が面白いと思ったことが相手にどんな形で伝わるのか、発信する側はきちんと予想をしなければならない。そのさじ加減はユーモアに最も大切な部分なんだと、僕は思う」

「そんなの、冗談として受け取れない相手が悪いだろ」

「うん、そうだね。あながち間違ってはいないと思う。ただ相手を傷つける可能性まで加味できて初めてユーモアと言えるんじゃないのかな。そして往々にして相手の読解力に過度の期待をしすぎてはいけない」

「じゃアなんだよ、噛み砕いて噛み砕いてわかりやすく雑味を濾し取ったものだけがユーモアなのか? ウマにもネズミにもカマキリにもわかるものだけがユーモアなのか?」

 それを訊いて小柄な象は少し考えた。

「いや。そうじゃない。そればかりだとやっぱり駄目だろう。ユーモアと雑味はセットだ。だから万人に、失礼、万象にと言うのは結局不可能に近いのかもしれないね。どこで線引きをするのかっていう発信者の判断こそがユーモアのセンスってやつなんだと思う。どんなに丁寧に言ったって、全く予期せぬ角度で解釈して勝手に傷ついたり、怒ったりするやつらがいるのも事実だから」

「ふウん、面倒臭いな。そいつら」

「うん、本当に面倒臭いと僕も思う。ただ一つ言えるのは、誰かを貶めることだけを目的にしたそれはユーモアとは呼ぶことはできない。これは鉄則だ」

 大きな象はゆっくり咀嚼を続けた。「俺は」やがて嚥下した。「彼女を貶めたか」

「そう言うことになるな」

 小柄な象が言った。

 それから二頭は黙々と食事を続けた。目の前の草を食べ尽くして大きい象はゲップを一つすると、どこか所在無さげに後ろ足で地面を何度か削り、独り言のように言った。

「じゃア。後で謝りに言ってくるよ」

 それを聞いた小柄な象は強く頷いた。

「そうだな、それがいい。ちなみにさ、鼻がツンと上を向いた彼女に対して、サイみたいだって印象以外、君にはなかったの?」

「あア」

「本当に?」

「あ、いや。うん。なんか、不思議な見た目だったけど、可愛かったよ」

「それを、一緒に伝えてあげるといい」

 大きな象は頷いた。「そうするよ。あア。難しいんだな、ユーモア」

 小柄な象も頷いた。「うん、難しいよ、ユーモア。発信する側はもちろん、受ける側にもセンスを要する。予想と、結果と。絶妙なところでしか成り立たない不安定なものだと思うよ」

「ありがとな」

「いいえ、どういたしまして」

 二頭は水を浴びるために水辺に向かった。丁度てっぺんくらいに上った太陽が、雲の隙間で燦々と輝いていた。

「しかし、あれだね」小柄な象が言った。

「なんだ?」

「もし整形した結果。彼女が可愛くならずに、ただ耳の大きなサイみたいになっただけだったらさ」

「うん」

 小柄な象は笑うのを我慢して、一度呼吸を落ち着かせてから言った。「未曾有の災難だったよね」

「あア、そうだな」

「ミゾウのサイナン」

「そう思う」大きい象は応えた。

「ミ、ゾウのサイ、ナンだったよね」

「うん、そうならなくて良かったよ」

「ゾウ、サイ」

「そうだな、俺たちはゾウだ。サイじゃない」

 大きい象はもう一度、ありがとな、と言った。