★Around The World : 3,401 days : 世界一周3,401日間
☆161 countries : in Nagano, Japan. : 161カ国目・現在地:日本 長野県 諏訪地方
★Total Distance 158,406k km : 総走行距離:158,406km
【161ヶ国目🇲🇳モンゴル🚲🏕️自転車冒険旅★7日目】
Kharkhorin, Ovorkhangai.→ Khotont, Arkhangai,
7日目距離:51km. 獲得標高:343m
トータル距離:495km. 獲得標高:4,542m。
「贖罪は赦される」
YouTubeチャンネル〜7日目ハイライト動画↓
自分の人生を見ているのは神様ではなく、自分自身だ。
どう身と精神を正すか。
そのあり方をみて、神様は見えざる手にて加護を与えんとする。
7日目の朝、自転車冒険旅にも慣れて異国の未知な場所でのキャンプにも怖さが無くなってきた。
また、旅の感覚も戻ってきた。
そしてモンゴルの寒さ、野外で一日中過ごすことにようやく身体も環境にアジャストされてきた。
シャワーを6日浴びていないが、なんとも気にならない。
顔も疲れで浮腫み、サングラスやフェイスマスクの間から出来た日焼けで、シマガラになっている。
そのせいか、スマホの顔認証が出来なくなった(笑)
「ブサイクな顔バンザイ」
思春期の時の髪型から眉毛から服装、臭いに至るまで気をつけていた自分からすると、嘘のような気持ち。
ブサイクに慣ればなるほど、旅人冒険家顔になる。
なぜだか人はそちらの方が私の事を受け入れてくれる。
生き様は顔に現れると言うことかもしれない。
今日は世界遺産登録されている「エルデネ・ゾー」周辺の観光地巡りの予定。
冒険で自然と向き合うだけでなく、文化歴史や人と向き合う旅の両方を行き来し、楽しめるのが自転車の良さ。
時に冒険家、時に旅人だ。
9時にオープンするため、毎朝3時半起きの自分としたら、潤沢に時間がある。
コーヒーや地元ティーを3杯も飲みつつ、朝陽を待つ。
このためにテントの向きを選んだ。
天幕の中から、コーヒーを飲みながら見る朝焼けは、この世の数ある幸せの中でも、私の中では上位に入る。
「生きてることを実感」
動画で撮っているからではなく、素直に家族や会社のチーム、仲間やお世話になっている人への感謝で涙が出る。
「ただ、ペダルを回してるだけで幸せだ。」
こんな奇跡的なら15日間をもらって、私は最高に幸せだ。
このニュートラルな状態を日本に帰ってからも維持したい。
太陽の恩恵は私ばかりではなく、自身の体温で湿ったシュラフやカバーにもある。
日干しして、シュラフ本来の保温力を戻す。
バイクのパッキング位置も7日目になると、安定する。
ようやく自分のバイクとして扱える感じがしてきた。
食事量と排泄量、そして睡眠量のバランスも良くなってきて、身体もようやく自分のものとしてコントロールできるようになってきた。
9時、エルデネ・ゾーの寺院に入る。
朝イチ過ぎたのか、スタッフも観光客も不揃いで、地元っぽい人が数人。
チケット売り場だと思うところに行くと、チケットではないトイレを案内された。
寺院の入り口にあるのかと思い、敷地内を散策。
エルデネ・ゾー自体の建立は、1585年でモンゴル最古の寺院。
チベット仏教形式である。
ただ、この地カラコルムは現在の首都ウラバートルの前にあった場所と言うことで、日本の京都のような位置付けかもしれない。
寺院を囲む108のストゥーパ(仏塔)の尊厳ある佇まいを見ると、ここが昔からモンゴル民族にとってどれだけ大切な場所かわかる。
たまたま会った地元のチベット仏教徒の夫婦が、朝のお祈りに来ている。
奥様の安産祈願も兼ねていた。
地元の方、また訪問するツーリストもチベット仏教徒が多く、チベット仏教徒の礼拝の五体投地の台座があり、実際にそれを使って礼拝していた。
建物の美麗さだけでなく、宇宙を感じる造りになっている。
今は人が住まずとも、この場所が今なおも生きていることを感じた。
風にたなめくタルチョが、まるでお経のよう。
多くの人が今なお訪れる理由もわかるし、誰もが敷地内に一歩入ると、神聖な気持ちになるはずだ。
付近には日本政府の支援等で建てられた博物館もあり、見学する。
日本語案内もあり、大変付加価値が高まった。
崇高な気持ちになり、敷地を囲うように自転車で走る。
そこにはヤギや馬や牛などがのんびりと日常を過ごしており、先程まで空気とのギャップを感じ、これがこの地域の一帯性なんだと感じて微笑えんだ。
満足しきった3時間。
走り始めて30分。
ふと気づいた。
「しまった!入館料を払っていない!」
貧乏旅をしていた旅人だった私だったら、ラッキーで済ませていたかもしれない。
今の私は違う。
この場所の価値がわかっており、ここを維持している人達の苦労と喜びがわかる。
少なからふ観光業に携わる者てして、地域にお金を落とさないことは許されない。
走った道を戻り、先程のスタッフの集い所に行って、チケットはあるかと聞く。
さっきのスタッフが別のスタッフに、私の言っている事が出来ないという事で、連れてきた。
チケットが買えた。
私の後ろめたさも消えた。
すると、スタッフが言う。
「今から寺院の中を鍵を開けて見せるから、付いておいで。」、と。
付いて行くと、先程は鍵がかかっていた場所。
寺院を開門してくれた。
そこで私が見たものは、ご本尊の仏陀像だった。
その目は、見る者の今の心境で違う。
私には優しく一喝された気がして、ドキッとしたのだ。
仏陀の左右には閻魔大王がいた。
まるで、先程までの私の行動と心を知っているぞと言われたようだった。
贖罪。
先程の事だけでなく、自分が生きているだけで生殺与奪をしていること、また自身の傷を受けながらも人を傷つけたこと、無意識のうちに行う罪、そして自分のエゴのために行ってきた世界自転車冒険旅の夢、あらゆる事が雪崩のように私の頭に流れ込んできた。
潰れそうになる私に唯一出来ることは、合掌し、自分を赦すこと。
自分の赦しは、これからの自分の行為を持って乞うこと。
敷地内には、堕落した僧侶を戒めるソボルガン塔がある。
私もそこで五体投地と共に祈る。
もしかしたら、すでに引き返すと言う行為自体が神の見えざる手による今の贖罪の気づきに繋がったのかもしれない。
その赦しは、道端で6日間続く大陸風に苦しむ私に手を差し伸べた。
モンゴル人のおじちゃんが、ゲルの中に招待し、休ませてくれた。
ゲルの中は宇宙そのものだ。
外からは小さく見えるが、中は膨張したように広がる空間。
天の力を感じる天窓からは温かな光が差し込み、ゲル内は温かい。
ウェルカムティーと、遊牧民系の方が良く食べている酸味のある茶請け。
馬糞を暖炉の燃料として使う彼らの生活は、なんでもスクラップ&ビルドをしている現代人の我々の生活のアンチテーゼとして写った。
優しいご夫婦の若かりし頃の写真と、4人の子供との記念写真を見て、私も自分の家族を思い出す。
「いつか自分の家族もここに連れてきたい。みんなで一緒に旅や冒険がしたい。」
世界の色んな人、自然をみてから自分の生き方を決めてほしい。
素直にそう願う。
手土産をもらって出発。
カラコルムの市場に行った時もそうだった。
私はよくモンゴル人に間違われる。
それはそもそもモンゴロイドで、モンゴリアン系のルーツの顔立ちだからではないと思った。
よく笑い、良く泣き、そして語る。
人類みな兄弟とは、人間らしくいることが、結果的に顔や見た目など関係なく、みんな仲良くなれる事を示しているんだと思う。
冒険とは、自然の中で自分の無力さを感じ、自分自身の体温を感じ、生きている事を実感する。
旅とは、自分の無力さを知り、他人の体温を感じて生きている事を実感する。
人は体温を感じ、生きている事を感じる。
「生きる熱量を上げながら、私はこれからも生きていく。」
今日も生きている事に感謝。
全ての人がいて、私はイマココに存在する。